過去の活動
先日、カンボジア事務所内である重大な問題が発覚しました!
3台のパソコンがウイルスに侵されていました。調べてみる、パソコンにはウイルス対策ソフトがインストールされていない!!
そこで急きょソフトをインストール!!
カンボジアではコンピューターウイルスが日本以上に蔓延しています。特にUSBを介しての感染が多いようです。
CMC現地人スタッフ曰く、「印刷屋に自分のUSBメモリーを持っていけば、確実にウイルスをもらう」とのこと。それほど蔓延しています。
ソフトのダウンロードと合わせて、停電時の対策なども学びました。
今回インストールしたソフトですが、これ以外バッタンバン市内に取り扱っているものはありませんでした。
旅行やお仕事でカンボジアに行かれる方は、USBなどに気を付けて下さい!!
2015年6月30日更新
(社)佐世保青年会議所(佐世保JC)の皆さん12名がコーントライ夢中学校を訪問されました。同中学校は、2008年9月26日に佐世保JCの皆さんの支援により建設され、物品供与、建物修復等、現在至るまで佐世保JCの皆さんの温かい支援が続いています。クメール正月明けにも関わらず、約90名の元気な生徒たちが出迎えてくれました(写真①②)
続いて、生徒たちの授業風景を見学(写真③)。カメラマンがたくさんいて生徒たちも緊張している様子でしたが、みんな一生懸命学習に取り組んでいました。
また別室では、校長先生と佐世保JCの皆さん、CMCとで会議が行われ、学校の近況、抱えている問題点、今後の支援のあり方等について話し合われました(写真④)。
また、これまでに触れてこなかった先生方への支援の必要性やセキュリティーの問題等についても活発な議論が行われ、たいへん有意義な会議となりました。
当日は、異文化交流ということで伝言ゲームも行いました。
佐世保JCの皆さんと生徒たちとで二つのグループに分かれ、それぞれ日本語またはクメール語の単語を順番に耳打ちで伝言していきます。
日本人がカンボジア語を伝言する時とカンボジア人が日本語を伝言する時が勝負の分かれ目です。最後の人が伝言されてきたものを黒板に描いて発表します。
単純なゲームですが思いのほか盛り上がり、互いに言葉は通じないものの、笑顔あふれる異文化交流となりました(写真⑤⑥⑦⑧⑨)。
続いて記念品の贈呈式です。
今回の記念品は、本棚やサッカーボール、バレーボール、ノートやペン等です。佐世保JCの谷川理事長から校長先生へ目録が手渡され(写真⑩)、ノートとペンは佐世保JCの皆さんから生徒一人ひとりへ直接手渡されました(写真⑪⑫)。
写真⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲は、当日渡すことができなかった本棚等を後日学校へ届けたときの様子です。
校長先生や生徒たちも運ぶのを手伝ってくれ、運んだ後は、丁寧に拭き掃除もしてくれました。皆笑顔でたいへん喜んでくれました。
最後は、皆で記念撮影(写真⑳)。猛暑の中、ご協力いただいた生徒の皆さん、先生方、そして遠い日本から忙しい合間を縫ってコーントライ夢中学校まで駆けつけてくださった佐世保JCの皆様、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
(写真21,22,23は、帰り際に立ち寄った生徒宅への訪問の様子です。)
(写真24は、校長先生とCMCとで当日のプログラムや贈答品等について事前に協議したときの様子です。)
追記: 佐世保JCさんを見送ってからCMCバッタンバン事務所にバイクで帰る道中、新たにパンクが発生、その後追い打ちをかけるように突然の豪雨に見舞われました。普段であればバイクで片道2時間かかるところを6時間もかけて事務所に到着したのでした。そして事務所到着後、CMC現地スタッフが食事の誘いを断るほど疲れ切っている様子を初めて見ました。また道中、バイクと車の衝突事故を2件、バスと車の衝突事故1件見ました。カンボジアは、本当に交通事故が多いです。私たちも気をつけなくてはいけません。今回正直、気持ちの上で油断がありました。まだ新しいバイクだから大丈夫だろう、まだ乾季だから雨は降らないだろう・・・と。道中、給油した際にタイヤの点検をしなかったことを反省しております。
2015年5月8日更新
4月は、クメール人にとっての一大行事、「クメール正月」でした。このクメール正月による休日は、カレンダー上は4月14,15,16の10日間だけですが、実際は多くの人が1週間以上の休みを取っています。特に学校の先生や生徒たちは長期休暇を取る傾向が強いらしく、中にはクメール正月は1か月間だと勘違いしている生徒たちも大勢いるようです。ちなみにCMCカンボジア事務所の現地スタッフも4月11日~19日までの9日間は誰も出勤しませんでした。そして「カレンダー上の祝日は9日間ある」と本気で勘違いしているスタッフも数名いたのでした。(笑)
さて、クメール正月といっても地域によって、家庭によって様々な特色がありますが、今回は、バッタンバンの「我が家」のクメール正月をレポートいたします。
クメール正月は、まず親戚同士が集まるところから始まります。昔はおじいさんやおばあさんの居るいわゆる本家に集まっていたそうですが、今では親戚が大勢集まれる大きい家を持っている人のところに集まる傾向だそうです。そしてたくさんの料理を作ります。自分たちで食べるもの、家の中の仏壇・神棚にお供えするもの、お寺に持って行くもの、とにかくたくさんの食べ物を準備します。
今まで育ててくれて、家族を守ってくれてありがとう、といった感謝のメッセージを伝えます。この場面で私にとって印象的だったのは、20代、30代、男性であっても、女性であっても、自分の親や親戚に対して恥ずかしがらずにしっかり口頭で感謝の意を伝えていたことでした。私だったら自分の親には照れくさくて面と向かって“ありがとう”の一言も言えないと思います。
さて次は、たくさんの料理と果物を持ってお寺へ出かけます。そしてお寺へ到着すると早速持参した食べ物をお坊さんにお供えし、お経を読んでもらいます。写真を見て皆さん何か気が付かれたでしょうか?そう、座り方です。正座の仕方が日本と少し違っています。疲れたから足をくずしている訳ではありません。男性であっても、お坊さんであっても、この横座りが正座なのです。慣れない私にとってこの横座りがいつも苦痛です・・・。
続いて、お寺の中の大広間に移ります。私たちが行ったときには写真の通り、空いていましたが、朝や夕方の時間帯は床に座りきれないほどの人たちでいっぱいになるそうです。普段は一般に解放されていませんので、現地の人たちにとっても特別な日・特別な場所として人気を集めいています。写真の通り、それぞれの家庭で場所を陣取ってしばし休憩です。それぞれの近況を伝えあったり、改めてお坊さんを呼んで説教を受けたりします。大広間の前の方にはお供え物の食べ物がたくさん並べられています。基本的にはお坊さんたちが全部食べるらしいのですが、とてもお坊さんたちだけでは食べ切れる量ではありませんので、残りは一般の方でもお寺に食べに来て良いそうです。実際、その日の夕方に別のお寺に行ってみると、10数名程の私服の若者たち、子どもたちが普通にお寺のお供え物をお寺の敷地内で食べていました。
大広間の外ではその他、色々な儀式が行われています。その一つとして写真④は、ご先祖様に感謝の意を込めてご飯とお金を順番にお供えしていく儀式です。端から端まですべてのお釜にご飯が行き渡るよう、上手く調整しながら振り分けます。写真⑤は、お供え用のお金を売っているお店です。いわゆるピン札です。もちろんすべて本物です。バッタンバンでは、流通しているお札は汚いものが多いため、このような商売が成り立つかもしれません。
次にご紹介するのは、水を掛け合う(投げつける!?)習慣です。
小さいビニール袋に水を入れてゴムで縛った水袋をたくさん作る人(写真⑥)、それを通りかかったバイクや車に投げつける人、(写真⑦⑧⑨)、バケツや洗面器を使って水を掛け合う人(写真⑩⑪⑫)、本格的な水鉄砲を使う人(写真⑬⑭)、それぞれに楽しみ方があり、とても楽しいです!
写真⑨
写真⑩
また水だけでは飽き足らず、見ず知らずの通行人に白い粉を塗り付けて回っている人達もいます。外国人であろうと容赦しません。
ちなみにこういった光景をプノンペンやシェムリアップ等の都会では見かけることはありません。なぜなら、やはり危険な行為とみなされ警察に捕まるからです。バッタンバン郊外でも、もし警察の車を見かけたら皆一斉に隠れます。そして万が一見つかると、このようになります。
最後に、クメール正月中に起きてしまった残念な事件について報告いたします。クメール正月の休み期間中にCMC及び(社)佐世保青年会議所様が支援を続けているコーントライ夢中学校の2つの教室の扉が壊されてしまいました(写真⑰⑱⑲)。
何者かが鍵のかかっている教室内に入ろうとドアの一部を破壊し、鍵を強引に開け侵入したのです。盗まれたものは本が数冊で高価なものはなかったそうですが、教室内からは違法薬物を使った痕跡が見つかったそうです。警察の現場検証が行われ、その後も校長先生と警察の方々で連絡を取り合っていますが、未だ犯人は捕まっておりません(4月29日現在)。
このような休み期間中に学校に不法侵入し、違法薬物を使用する事件、実はカンボジアではよくあることだそうです。休み期間中は生徒も先生も誰もいないため、学校は特に狙われやすいそうです。皆がクメール正月を祝って、楽しんでいる間に起こってしまった何とも悲しい事件です。
2015年5月1日更新
曽田さんから業務を引継ぎ、新しく現地駐在員として着任致しました堀内信輔と申します。趣味は卓球で、アフリカのザンビア共和国で代表チームの監督を務めていた経験もあります。(しかしその実力は!?・・・ご想像にお任せします。)
微力ではありますがカンボジアで一人でも多くの人の夢や希望が叶えられるよう、尽力致します。皆様、末永くよろしくお願い致します。
では、早速活動報告です。
2015年3月26日、CMCバッタンバン事務所に着任したまさにその日にバンテイミエンチェイ州オークロブ郡コブコミューンへ、バイクで出張致しました。初出勤日に初出張ということで最初はとても緊張していましたが、同僚のラボットの運転するバイクに跨り出発すると、その緊張はすぐに解れました。ラボットは運転をしながら後ろの私にしきりに話しかけてきます。「名前は何と呼べば良いのか?日本では何をしていたのか?どうしてカンボジアに来たのか?・・・。」幸い彼とは英語でコミュニケーションが取れていますが、他のスタッフはあまり英語が話せません。クメール語の習得が今後円滑に活動を進めるための重要な要素だと改めて実感しています。
さて、今回の出張先は、CMCコーントライ夢中学校でした。今回の出張の目的は、先生方への着任の挨拶、生徒の50メートル走のタイム計測、算数の小テストを実施することでした。(その詳細については、曽田駐在員の報告書をご覧ください。)
初出勤日に5時間もバイクに乗り続け、早速、カンボジアの「暑い・熱い!洗礼」を受けております。皆さんバイクに乗る時には必ず長袖・長ズボンを着用しましょう。油断するとたった一日でご覧のとおり。
2015年3月30日、バンテアイ・ミエンチャイ州マライ郡トゥール・ポンロー村「CMCトゥール・ポンローみおつくし中学校」を訪問しました。あいにく校長先生は留守でしたが、クメール語のサーン・ノー先生と英語のホー・トーン先生にお会いし、色々なお話を聞くことができました。最近のビッグニュースをお聞きすると、2月24日に開催されたマライ郡のサッカー大会で男女とも優勝したそうで、生徒たちは大喜びだったそうです。続く州大会では、惜しくも勝ち残れず全国大会には行けなかったそうですが、3人の生徒が州のベストイレブンに選ばれたそうです。
その後、生徒たちのサッカー熱が一層高まった様子で授業には参加しないけどサッカーだけはやりに来る生徒も大勢いるそうです。先生方に今一番欲しいものは何ですか?とお聞きすると、「お金」ではなく、「サッカーボールとサッカーゴール、そして素敵なサッカーグラウンド!)」とおっしゃっていたのが印象的でした。
2015年4月7日更新
2013年6月より駐在員としてカンボジアバッタンバンにてCM
曽田実
2015年4月6日更新
でこぼこ道を上下に揺れながら娯楽施設もないこの村をバイクで走
前回,
■テレビについて。
ボップイ村の全83世帯中テレビを持っていると回答した世帯は40世帯(48%)でした。どんなテレビを持っているか見せてもらいました。
厳密にはこれはテレビではなくて,
■ラジオについて。
ラジオは30世帯(36%)が所有していました。聞く番組は専ら歌謡曲だそうです。
■電話について。
電話については,固定電話はなく,携帯電話が普及しています。都市部では1人1台所有するのが普通ですが,ボップイ村では(ボップイ村に限らずカンボジア国内の多くの田舎では)一家に1台というところが多いです。携帯電話を所有している世帯は66世帯(80%)で,1世帯だけ2台の携帯電話を所有していました。携帯電話でもラジオ放送は聞けるので,これでラジオを聴く人もいるようです。
以上が主な電化製品(電球は除く)ですが,まだ電気が送電されていないボップイ村では,電源には乗用車などに見られるバッテリ―が使用されています。
バッテリーの充電を請け負っている家があり,
「テレビもねぇ ラジオもねぇ」というわけでもなさそうですが,
■車について。
いわゆる4輪の乗用車を所有している世帯は0でしたが,バイクやエンジン付荷車は一応走っています(ただし多くはないです)。バイクを所有している世帯は27世帯(33%),エンジン付荷車を所有している世帯は23世帯(28%)です。このうち,この両方を所有している世帯が9世帯(11%)でした。さらにトラクターを持っている世帯及び脱穀機を持っている世帯がそれぞれ1世帯ずつありました。トラクターや脱穀機は所有者が他の村民に(有料で)貸し出す形で皆で共用しているようです。
調査項目には入れていないので数は分かりませんが,いわゆる「
産業(仕事)もあまりない上に,生活も不便だとしたら,「オラこんな村嫌だ」と言って若者が出ていったとしても不思議ではありません。出ていく人たちが「こんな村嫌だ」と言って出ていくかどうかは分かりませんが(本当は出ていきたくないけど,お金を稼ぐために出ていかざるを得ないかもしれない),少なくとも現状では,村を出ていく人はいても,よそから村に来て定住する人はいません。カンボジア全体では道路や電気などのインフラの整備が着々と進んできていますが,ボップイ村にもインフラ整備の手が伸びてくれば,また状況は変わってくるかもしれません。村民もできるだけこの状況が改善されることを願っていますが,まだまだしばらくはこの状況は変わらないまま続くことでしょう。とりあえずは,毎年雨季にしっかりと雨が降り,大地も村民の生活も潤うことを心よりお祈り申し上げます。
― 終わり ー
文責:曽田
過去の記事
2015年3月31日更新
前回,ボップイ村の人口について見ましたが,今回はボップイ村各世帯の生業について見てみます。
まずは各世帯の構成人数を見てみます。
4人世帯が21世帯と最も多く,ついで6人世帯が14世帯,3人世帯・5人世帯がともに13世帯と続いています。生業(職業)としては,ほとんどの世帯が農業を営んでいます。ボップイ村全83世帯中,耕作地(借地を含む)を持っている世帯は76世帯あり,平均して2.5haの土地で農業を営んでいるようです。
また米作を行っている農家において,1haあたりの米の年間収量
日本の農家の収量と比較すると,日本の農家では1haあたり6t
さてここからは,村民の農業以外の職業(学生,無職を含む)
「日雇い労働」が14人いますが,彼らは家を建てたり,
子どもの層に目を向けてみると,幼児が49人,小学生が90人と
一方で無職も目立ちます。6歳以上18歳未満の無職(
全体的に農業以外の産業は乏しく,
文責:曽田実
過去の記事
2015年3月26日更新
昨年8月,
調査では,スタッフが各家を一軒一軒訪ね,
ボップイ村の調査結果を見る前に,2008年に行われたカンボジ
これを見るとカンボジアは人口に占める若者(子どもも含む)
続いて,カンボジアを都市部と郡部に分けて人口分布状況を見てみます。ただし,都市部は以下のようにして定義され,郡部と区別されています。
都市部の定義
以下の3つの要件を満たすCommuneを都市部としている。
(a)人口密度が200人/㎢以上
(b)男性の農業従事者の割合が50%未満
(c)総人口が2,000人以上
絶対数の違いもありますが,
さて,ここからは我らがボップイ村。
ボップイ村は世帯数が83世帯,人口が380人(男186人,女
ここで注意したいのが,この調査を実施したのがカンボジア国勢調査(2008年)の6年後の2014年であることです。この間,カンボジア国内では大きな動乱や飢饉は生じていない(むしろ順調に経済成長を遂げている)ことから,順当にいけばカンボジア国郡部の人口ピラミッドは15-19歳をピークの中心として,その周辺の年齢層が多くの割合を占めることになるはずです。しかし,ボップイ村の人口ピラミッドは本来多数を占めるはずの15-19歳,20-24歳の層が欠落しています。これは取りも直さず,この年齢層が仕事を求めて村外へ流出していることを表していると考えられます。聞き取り調査によると,流出先はタイ,ポイペト,プノンペン,韓国があげられます。
ボップイ村の各世帯では小規模ながら農地(借地も含む)
2010年3月から2011年3月までCMCバッタンバン事務所
仮にこの状況が変わらないとしたら,5年後さらには10年後,
※) ボップイ村調査の結果は概ね信頼できるとは思いますが,
文責:曽田実
2015年3月24日更新
カンボジア地雷撤去キャンペーンに「ホンダドリーム125cc」を3台寄贈頂いた御礼と報告のため、アジアンホンダモーター株式会社本社に伺いました。
以前も4台頂いていましたが、CMCスタッフは毎日悪路を走り回るので、メーターが壊れる程傷んでいました。今回の寄贈は、それだけに有難く、二輪担当の石川直昭さんに感謝状と拙著「地雷原の子ども達と共に」を贈呈致しました。アジアンホンダの担当範囲は23ヶ国と広く、西はパキスタン、東はニューカレドニア、北は韓国、南はオーストラリアに及びます。
中でも最も人気が有るのがホンダドリーム号という事です。カンボジアでのバイクのシェアの90%がホンダ車で圧倒的独占状態、そのうち80%がホンダドリーム号だという事でした。
タイのホンダさんとのお付き合いも10年を越しました。今後とも宜しくお願いします。
2015年3月13日更新
9月16日(火)の業務開始から,5か月余りがたちました。
一気に収入向上は難しいですが,
文責:曽田実
2015年3月6日更新
昨年11月より実施してきた地雷・
今年度のMREでは,
現在,
文責:曽田実
過去の記事
地雷危険回避教育プロジェクト①******~MREトレーナー決定!~
地雷危険回避教育プロジェクト②******~MREトレーナー初現場訪問!~
地雷危険回避教育プロジェクト③******~うまくいかない時もある~
地雷・不発弾危険回避教育⑯ ~新年度事業始動,新スタッフ加入~
2015年3月5日更新
第19次CMCカンボジアスタディツアー ~プノンペン~
2月22日(日)
2月22日(日)
夕方5時半,参加者がプノンペン国際空港に降り立ちました。
2月23日(月)
スタディツアーの最初の訪問地として,
次にイオンを訪れました。
午後の最初はセントラルマーケット,
その次に倉田さんという日本人が経営されているクラタペッパーと
夕方はトンレサップ川からメコン川にかけてボートクルージングを
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第19次CMCカンボジアスタディツアー ~地雷原~
2月24日(火)から25日(水)にかけて,2つの地雷原を視察しました。一つはMAG(Mine Advisory Group)の地雷原,もう一つはCSHD(Cambodia Self Help Demining)の地雷原です。
2月24日(火)
早朝5時,一行は一路MAGの地雷原(バッタンバン州コムリエン郡)に向けプノンペンを出発しました。途中朝食,昼食休憩をはさみ,午後1時半にMAGの地雷原に到着しました。現地では,従来の地雷探知機(金属探知機)に加え,金属探知をした上で地中の物体の形状もレーダーで感知することができるという地雷探知機の使用も見せてもらいました。
発見された地雷の爆破処理まで一通り見終えた後,一行はMAGの作業員さんたちに別れを告げて地雷原を後にし,この日の宿泊地であるバッタンバン市へ行きました。
2月25日(水)
一行は朝7時に出発し,バッタンバン市からバスで約1時間半のところにあるCSHDの地雷原(パイリン州パイリン特別市)へ行きました。今回の地雷原はかつてクメールルージュが砦を築いたという小高い丘でした。
地雷撤去作業現場のすぐ近くに土砂崩れがあったという場所があり,案内してもらいました。土砂崩れそのものは規模も小さく,大きな被害を及ぼすものではないのですが,地雷が埋められているであろう土地の土砂が平地へ流れるというところが大きな問題となるようです。通常地雷は埋められてからずっとその場にとどまるものですが,山や丘の多いパイリンでは雨季などによく地雷が移動してしまうことがあるそうです。 厄介な話です。
地雷の爆破処理まで見終えた後,作業員のみなさんと記念撮影をしました。
CMCスタディツアーのために都合をつけてくださり,そして笑顔であたたかく我々を迎え入れてくださったMAGとCSHDのみなさん,本当にありがとうございました。
10時半過ぎ,一行はパイリンを後にし,タイ国境沿いを北へに走り,昼過ぎにトゥールポンロー中学校へ到着しました。
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第19次CMCカンボジアスタディツアー ~トゥールポンロー中学校,コーントライ中学校~
パイリンの地雷原を後にし,午後にトゥールポンロー中学校へ,夜はシソポンで1泊,その翌日の午前でコーントライ中学校を訪問しました。
2月25日(水)
正午過ぎ,一行はバンテアイミエンチェイ州マライ郡にあるトゥールポンロー中学校を訪問しました。
今年度,トゥールポンロー中学校から優秀な生徒を男女1人ずつ選抜し,進学のための奨学金支援をすることが(株)データマックス児玉社長とCMCの間で決定し,この日は事前に選考した生徒の発表が大谷理事長よりありました。
これを機に,夢の実現に向けて更に一層勉学に励んでくれることを願います。
教室でのあいさつの後はみんなで外に出て遊びました。
夕方,一行はこの日の宿泊先であるシソポンのホテルに行きました。ここで,歯科医の尾形愛さんと合流しました。
2月26日(木)
朝,一行はバンテアイミエンチェイ州オーチュラウ郡にあるコーントライ中学校を訪問しました。
全体のあいさつの中で,私がこの3月でCMCを退職することの発表も大谷理事長よりありました。そして大谷理事長からは事前に準備されたという表彰状とともに暖かい励ましのお言葉をいただきました。至らない点も多々ありましたが,こうして表彰してもらうことができ,非常に嬉しく思いました。残り1か月の任期をしっかり全うできるよう頑張ろうと思います。
この日は前日夜に合流された歯科医,尾形愛先生による歯磨き指導もありました。カンボジアの公立学校においてはこのような機会を得ることはNGOなどの支援がない限りまずありえないことですが,子どものときに健康に関すること(ここでは歯の健康について)しっかりと指導を受けることは,健康で豊かな人生を送るうえで非常に大事なことだと思います。とても素晴らしい活動だと思います。
最後はひまわりの泉というひまわり会が支援して設置した水タンクの前で記念撮影をし,一行はコーントライ村を後にしました。
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第19次CMCカンボジアスタディツアー ~ホンダ・バッタンバン営業所,プノム・ソムパウ~
コーントライを後にした一行は再びバッタンバンに戻りました。昼食後,まずはバッタンバン市内にあるバイクの販売店ホンダ・バッタンバン営業所に行きました。
ここでアジアンホンダモーター様よりCMCへいただいたバイクの新車3台の贈呈式が行われました。これまでもCMCのバッタンバン事務所には業務用バイクが2台あったのですが,これももともとはアジアンホンダモーター様よりいただいていたもので,今回は長期間酷使してきたそのバイクの代わりに,新しいバイクを頂けることになったという次第です。アジアンホンダモーター様には心より感謝申し上げます。
夕方は,市街地から南西へ約20㎞程離れたところにあるプノム・ソムパウというところに行きました。プノム・ソムパウは周囲を平野に囲まれた小高い山で,山頂からは壮大な平野が一望できます。また,ここはかつての内戦の激戦地でもあり,いわゆるキリングフィールドと言われる処刑場もあった場所で,我々も歩いてまわりました。
心地よい疲れと適度な筋肉痛を残し,この日はバッタンバンのホテルで休みました。
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第19次CMCカンボジアスタディツアー ~ボップイ小学校,軍病院~
2月27日(金)
朝,一行はバッタンバン州モーンルサイ郡にあるボップイ小学校に行きました。ここでも,コーントライ中学校同様,尾形愛先生による歯磨き指導がありました。また,参加者の1人である坂本さんによる折り紙教室もありました。
歯磨きも折り紙も楽しくできました。
午後はバッタンバン市内にある軍病院に行きました。
お話を伺うと,病院は年々設備や薬等も充実してきているとのこと。ただ,学校などと同様都市部と田舎では整備の度合いが全然違い,田舎に行くほど整備は遅れています。どの地域でも医療体制が充実し,安心して暮らせるようになることを願うばかりです。
この後,一行はバッタンバンを後にし,一路シェムリアップへ。プノンペンから始まり,長い距離を移動してきたツアーも大詰めを迎えます。
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第19次CMCカンボジアスタディツアー ~シェムリアップ~
2月22日(日)にプノンペンから始まったスタディツアーは,バッタンバン,パイリン,バンテアイミエンチェイと続いた後もう一度バッタンバンに戻り,そして最後の都市シェムリアップに入ります。
2月28日(土)
朝,まず最初に鬼一二三日本語教室を訪問しました。
教育環境がなかなか整備されないこのカンボジアの地で,
午後はアキラ地雷博物館に行きました。
その後は,地雷博物館からシェムリアップ市内へ帰る途中にある「
3月1日(日)
この日は終日アンコール遺跡群を観光しました。
夜は福岡でカンボジア料理店を営んでおられるというスロスさん宅
3月2日(月)
いよいよ最終日。この日はワットトメイ,義足リハビリセンター,
午後はマッサージを受けたり買い物をしたりと参加者さんたちは思
多くの方が治安を懸念されますが,経済発展に伴い,
―終わり―
2015年3月4日更新
障害者支援センターへ。
ここは、元ハンディキャップ・インターナショナルという地雷被害者に義足を提供し自立を促すヨーロッパのNGOが運営していたが、地雷被害者の減少により撤退し、カンボジア政府によって支えられている。
入所患者は全て無料だが、運営は相当厳しそうだ。
今回も、数人の地雷被害者にお会いしたが、いずれも1996年〜1998年に被害に遭っており、新たな被害者は出ていない。
しがも、農民や漁民ばかりで、兵士は1人もいなかった。いかにも
地雷被害の不条理を感じる。
義足の作り方などの説明を聞き、後にした。
2015年3月3日更新
鬼一二三さんの日本語学校「国際日本文化学園」へ。
土曜日なので、平日とは若干違うメンバーだったが、川柳を作る勉強をしていた。「うれしいな かれと いっしょに おべんきょう」 「たくさんの かのじょがいても まじめだよ」など、率直に気持ちを詠んだものが多かった。
その後、今後の協力体制の在り方について鬼さんと話し、日本に6年間留学していたノン・チャン・ラッタナ君の様な優秀な生徒の日本企業への就職促進などについても話し合った。
教室では、今年の日本語弁論大会に出場する「ペコペコちゃん」の発表練習や昨年の優勝者による、感動的で流暢な発表に聞き惚れていた。
鬼一二三さんも、約20年に亘り、良くここ迄頑張られたとエールを送りたいと思います。
2015年3月2日更新
ボップイ村からバッタンバンに戻り「第五軍病院」へ。
バッタンバン州を管轄する第五軍が運営している病院で、内戦終了迄、地雷被害者始め戦争で負傷した兵士の治療を行なって来た。内戦終了後は戦争被害者は減少し、皮肉な事に1993年の選挙監視の為にPKOで駐在した各国の軍隊やタイから帰国したカンボジア難民が持ち込んだエイズ患者が急増した。
現在も5人のエイズ患者が入院し、約160人のHIV感染者が通院している。
今回も入院患者にお会いし、写真も撮ってソピイ院長からも、患者本人からも、アップする事への了承は得たが、プライバシーの観点から差し控えて置きます。
2015年3月2日更新
2月27日、バッタンバン州モールセイ郡の「CMCボップイ安倍小学校」に向う。
この小学校は、CMCが地雷原の村に初めて作った学校です。
2000年以降の天候不順で農産物が全滅の危機にあった時、CMCはキャンペーンを張ってボップイ村への米支援を行いました。村人達は、私達を熱烈に歓呼の声で迎えてくれましたが、その際に頼まれたのが、学校建設でした。ボップイ村は、あまりにも貧しく地雷はあっても学校は無く、大人達も読み書きができない状況でした。2004年7月、村人総出の作業もあって無事開校。これ迄、多くの卒業生を輩出しました。
ボップイ小学校では、色んな形で子ども達と交流しましたが、坂本有紀さんは、日本から持ってきた折り紙をプレゼント。
折り方を見せながら子ども達に教えました。見よう見まねで一所懸命に折る子ども達。出来る子も出来ない子も、笑顔に溢れていました。
歯科医師の尾形愛さんは、相手が小学生なので、人形劇で解りやすく歯磨きの大切さを説明。
歯ブラシを1人ひとりに配り、毎日楽しく歯磨きが出来る指導を行いました。
しっかり勉強が出来るよう、定期的にノートや鉛筆を渡して来ましたが、今回も1人ひとりにノートとボールペンを手渡しました。
■ボップイ村の水資源問題
ボップイ村は、カンボジアの中でも極貧の地域にあたる。特に問題なのは飲み水である。井戸を掘っても水は出ず、福岡県古賀町の「舞の里小学校」の子ども達がアルミ缶を集めて作った溜池「舞の里アルミ缶ポンド」の水を飲んている。
今ではホテイアオイや蓮が繁茂し泥水化しているが、牛などの家畜と一緒に、その水を飲んでいるのだ。勿論、身体に良いはずは無い。
伊藤忠商事の支援で雨水を貯めるタンクを作ったが、容量が小さ過ぎて乾季になると涸れてしまう。
嬉しい事にコーントライ中学校に「ひまわりの泉」を作った「ひまわり会」の皆さんが「ひまわりの泉」第二号をボップイに作る計画を立てている。実現する日が楽しみである。
今回、「ひまわりの泉」を建設する場所を校長と打ち合わせした。伊藤忠商事が作ったタンクの反対側でトイレも近い。雨どいも有るので作り易い。
村民、特に体力の無い子ども達の為にも早い実現が望ましい‼
2015年3月2日更新
バッタンバンのHONDA.N.C.XCo.,Ltd.でホンダ・ドリーム号3台の授与式が有りました。
CMCの長年に亘る活動に対し、タイのアジアンホンダモーター様より、かつて4台のドリーム号を頂いていましたが、それぞれ地球を何周も廻る程走り計器の故障なども出て来ましたので、私から、新たに依頼し、それが実現した瞬間でした。
アジアンホンダモーター様のCMCに対するご理解とご協力に心から感謝申し上げます。
2015年2月27日更新
CMCが佐世保青年会議所の支援により2008年9月に開校した「CMCコーントライ夢中学校」に向いました。全校生徒への挨拶の中で、今回の訪問目的について説明しました。
①子ども達1人ひとりの写真を撮る
②歯磨き指導
③「ひまわりの泉」への文字入れ
その後、今年1月4日に結婚し3月末でCMCを退職する現地駐在員、曽田実君への表彰状の贈呈式を行いました。
本人は勿論、全校生徒も教師もツアー参加者も知らないサプライズ。全員からの拍手を受けて、曽田君も感無量の様子でした。
■ひまわりの泉
コーントライ夢中学校の子ども達に、綺麗な水、衛生的な水を飲ませたいと「ひまわり会」の皆さんが募金活動で得た資金で作った「ひまわりの泉」。今でも子ども達は、大切に使っている。
今回「ひまわり会」から参加された平沼宗訓さんと子ども達で、タンクに絵や文字を描き加えた。皆んな楽しそうに、嬉しそうに描いていた。
———「ひまわり会」平沼宗訓さん ——–
ひまわり会の皆さん、ついにこの目で見ることができました、ひまわりの泉!感無量です!!私たちがやってきたことが日本から離れたカンボジアのそれもかなりのど田舎に証として在ってそれが今まさに活躍していて、凄い感動です、ひまわり会やってて良かったと思いました。
それから今回の最大の任務であるひまわり会と子供たちと書き記しました。
■歯磨き指導
大阪から合流された歯科医、尾形愛さんは歯磨き指導。
昨年も同行してCMCの学校での歯科診療と歯磨き指導をして頂いた。前回は、平山恵理子歯科医師も同行されたが、今回は1人なので、歯磨きに絞って指導した。
1人ひとりに子ども用の歯ブラシを配り、上手に教える。口は栄養の入口なので、子どもの健康にとても影響がある。先ずは虫歯にならない事が大切だ。
最後は全員で記念撮影
毎回、子ども達が大きく育って行く姿を見る事は、本当に嬉しい‼
2015年2月27日更新
今回「CMCトゥールポンローみおつくし中学校」を訪問した任務は、奨学金を授与する子ども達の決定を対象者本人と保護者、校長に報告する事だった。
地雷はあるが学校は無く、進学出来なかった子ども達の為に中学校を建設しましたが、卒業出来る子は入学時より大幅に減少するという現実。貧困のため、中退し農作業をしたり隣国タイに出稼ぎに行くしかない子ども達。その状況を少しでも改善しようと、建設時にも協力頂いた「株式会社データ・マックス」児玉社長のお力添えで、しっかりとしたビジョンを持った男女1人ずつの子ども達に、中学を卒業し高校を出るまで奨学金を提供する事にした。
いよいよ、その発表である。
今回、奨学生に選んだのは、タエム・レアカサー君( 14歳 ) とミエン・クンティアさん( 14歳 ) の男女2人。
保護者、校長を交え、子ども達が夢の実現に向かって進めるように、中退させたり、働かせたりせず、奨学金は子どもの教育にだけ使う事などを文書で確認。資金は振込で行う事を決めた。
2人とも、とても嬉しそうで、しっかり勉強をして欲しいものです。
任務完了後は学校の皆さんと楽しく交流しました。全員で記念撮影を行なって別れました。
子ども達が名残り惜しそうに、バイクでバス迄送ってくれました!
2015年2月26日更新
朝7時にホテルを発ち、タイ国境のパイリンに向う。アキラの地雷撤去団体CSHDに合流するのだ。走る事、丁度2時間パイリン市郊外のクロン村地雷原着。村の状況につきブリーフィングを受ける。
クロン村は山に位置し、内戦中の1983年から89年にかけ、ポルポト派の拠点で、政府軍との激戦地。29725㎡が地雷原として残った。今月15日から撤去作業に取り掛かり6625㎡を終えた所だという。
その際、対人地雷PMN3発と不発弾3発を発見していた。早速、ヘルメットとプロテクターを着け現場視察。山中での作業は大変なものだ。新たにPMN-2地雷が発見された。
視察を終え、昨日発見されたPMNを爆破処理。大きな樹の後だった為、爆破音は凄かったが、硝煙は見えにくかった。
アキラがシェムリアップで不在だったので、副隊長のサンボゥさんにドネーションを手渡し、マライ郡に向かった。
2015年2月26日更新