1980年 | 非人道的兵器を規制する「特定通常兵器禁止・規制条約(CCW)」締結。第二議定書は、地雷などを文民に対して、無差別に使用する事を禁じ、紛争当事国に地雷原の記録などを義務づけた。 |
1991年11月 | 国際的なNGO(VVAF,Medico International)が「地雷を禁止する国際キャンペーン(ICBL)」の開始に合意。現在までに約750の団体が参加し、地雷禁止に向けた世界的な世論の形成に大きな役割を果たす。 |
1993年5月 | ICBL主催による初のNGO国際会議がロンドンで開催。 |
1994年5月 | ジュネーブで第2回ICBL主催NGO国際会議が開催。 |
1994年10月 | カンボジアのシアヌーク国王が、政府軍とポル・ポト派の双方に地雷設置の中止を求める。 |
1995年2月24日 | カンボジアで「地雷を考える日」の集会が開かれる。2000-3000人が地雷製造の禁止などを求め、プノンペン市内をデモ行進する。 |
1995年3月3日 | ベルギーで地雷を禁止する法案が可決。ベルギー軍用の少数の地雷を除き、対人地雷の製造、販売、移転、輸出を禁止。 |
1995年5月 | プノンペンでICBL主催第3回NGO国際会議が開催。 |
1995年7月 | 国連主催の地雷撤去に関する国際会議がジュネーブで開催。 |
1995年9月 | ウィーンで非人道的兵器を規制する「特定通常兵器禁止・制限条約(CCW)」の再検討会議が始まる(-96年5月。後半はジュネーブで)。 |
1996年2月3日 | 欧州連合(EU)欧州委員会がボスニア・ヘルツェゴビナ全土の地雷除去に60万ECU(当時、約7700万円)の援助拠出を決定。 |
1996年4月15日 | オーストラリア政府が、自国軍による対人地雷の使用禁止を発表。22日から始まったCCWの再検討会議で、対人地雷の生産・貯蔵・移転・使用の全面禁止を求める声明を発表。 |
1995年5月3日 | CCW再検討会議が閉幕。 会議では議定書が全面改訂され、 1.国内紛争への適用範囲拡大、 2.9年間の移行期間の後に探知不可能な対人地雷の使用を禁止、 3.対人地雷と散布型地雷に自爆装置と自己不活性化機能の原則的な付加義務付け、 4.地雷の移転に関する規制などで合意。 地雷廃絶という目標は2001年の改訂作業まで持ち越されたため、ブトロス-ガリ事務総長の遺憾表明や、赤十字国際委員会などによる非難などが相次いだ。 |
1996年5月6日 | クリントン米大統領は、1.米軍による通常型対人地雷約400万個の即時使用禁止、2.朝鮮半島を除き、99年末までの通常型対人地雷の破棄、3.97年秋の国連総会で地雷全面禁止決議案提出の方針などを発表。 |
1996年5月29日 | 日本政府が対人地雷問題への新方針を発表。日本が保有する対人地雷へ一定期間後の自己不活性化機能をつけることなどを決めた。 |
1996年6月 | 橋本首相がリヨン・サミットで、対人地雷の除去や被害者への支援などの取り組みを強化すると発表。 |
1996年7月2〜4日 | 地雷撤去技術に関する国際会議がデンマークで開催。 |
1996年7月12日 | 日本政府が第一回カンボジア支援会合で、地雷除去に250万ドルを供与する方針を発表。 |
1996年7〜8月 | 韓国北部を襲った集中豪雨により、南北軍事境界線付近の地雷1200個が流れだし、その内200個が一般市民の居住地域に流出し、負傷者を出す。 |
1996年9月1日 | 難民を助ける会、対人地雷撤去キャンペーンの絵本『地雷ではなく花をください(自由国民社)』を刊行。 |
1996年9月24日 | 橋本首相、国連総会で対人地雷撤去へ積極的に取り組む姿勢を表明。ドイツ、フランスはすべて、カナダは3分の2の保有対人地雷の破砕を発表。 |
1996年10月3〜5日 | カナダの首都オタワに、日本を含む約70カ国の政府代表と地雷撤去に取り組む国際NGOが集まり、対人地雷の全廃に向けた国際会議を開催。全面禁止に向け可能な限り早期に結論を得るという「オタワ宣言」を採択。 |
1996年11月10日 | モスクワ市南部のコトリャコフ基地で、地雷テロにより13人が死亡。14人以上が負傷。 |
1996年12月10日 | 国連総会で「対人地雷を使用、備蓄、生産、輸出入の全段階で禁止する国際条約」の締結を求める決議案を採択(日米を含む86カ国が提案)賛成155,反対0、棄権10(ロシア、中国、韓国、北朝鮮など)。 |
1996年12月11〜12日 | ドイツのボンで、対人地雷撤去の専門家会議が開催。 |
1997年1月1日 | オーストリアが世界に先駆けて地雷を全面禁止。自己破壊装置付き地雷(スマート地雷)を含めた、すべての対人地雷の製造、調達、販売、輸出入、移転、使用を法的に全面禁止し、違反に対する罰則を含んだ法律を施行。 |
1997年1月13日 | ローマ法王ヨハネパウロ2世が、対人地雷の全面禁止を訴える。 |
1997年1月15日 | 英国赤十字社のキャンペーンの一環として、ダイアナ前英皇太子妃がアンゴラを訪問。すべての対人地雷の全面禁止を訴える。 |
1997年1月17日 | クリントン米大統領は、20日のジュネーブ軍縮会議で対人地雷の使用や製造を禁止する国際条約の締結交渉開始を提案する方針を発表。これを受け、21日には英・仏・伊・フィンランドが賛意を表明。 |
1997年2月25〜28日 | モザンビークのマプートでICBL主催第4回NGO国際会議が開催。 |
1997年3月6〜7日 | 日本政府が、30数カ国が参加する対人地雷問題の高級レベル会議を開催。 |
1997年3月8〜9日 | 難民を助ける会ほかが、「NGO東京地雷会議'97」を開催。 |
1997年5月 | 英国のブレア新政権が対人地雷全面禁止に政策変更、「オタワプロセス」参加に政策変更。 |
1997年6月 | フランス、「オタワプロセス」に参加を意志表明。 |
1997年6月24〜27日 | ベルギーのブリュッセルにて「対人地雷の全面禁止に関するブリュッセル国際会議」開催。97カ国がオタワプロセスへの参加表明。 |
1997年8月18日 | アメリカ、「オスロ会議」への参加を発表。 |
1997年8月28日 | 日本、「オスロ会議」への参加を発表。 |
1997年8月31日 | ダイアナ元妃、急逝。 |
1997年9月1〜18日 | 「オタワプロセス」の条約内容を話し合う「オスロ会議」開催。 |
1997年12月3〜4日 | オタワで対人地雷全面禁止条約調印。小渕外相が署名。 |
1998年1月31 〜2月1日 | 「NGO東京地雷会議'98」を開催。 |
1998年7月21日 | 対人地雷全面禁止条約署名・批准国。署名国127ケ国、批准国24ケ国(アイルランド、アンドラ、オーストリア、カナダ、クロアチア、サンマリノ、ジブチ、ジンバブエ、スイス、デンマーク、トリニダード・トバコ、トリクメニスタン、ニウェ、ノルウェー、バチカン、ハンガリー、フィージー、ベーリーズ、ペルー、ボリビア、マリ、南アフリカ、メキシコ、モーリシャス)<出典:国連のホームページ、外務省およびICBL発行資料> |
1999年3月1日 | 対人地雷全面禁止条約発効。 |
2002年5月15日 | 自衛隊OBが中心となり、「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」設立。 |
2003年2月8日 | 日本政府が所有していた対人地雷のうち、訓練用の一部を除いた全ての地雷の廃棄を完了。 |
2004年11月29日 〜12月3日 | ケニア・ナイロビで対人地雷全面禁止条約の初の運用検討会議を開催。締約国143ヵ国の代表が出席。ナイロビ宣言が採択。 |
2006年 | 国連により4月4日を「国際地雷デー」に制定。 |
2008年12月3日 | ノルウェーのオスロにおいてクラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)調印。 |
2009年11月30日 〜12月4日 | コロンビア・カルタヘナで対人地雷全面禁止条約の運用検討会議を開催。 |
2010年 | 過去最高の6370万ドルが地雷対策の為に拠出される。 |
2011年 | ツバルと南スーダンがオタワ条約に加わり、2007年以降初の締約国増加となる。 |
2012年 | フィンランド、ソマリアがオタワ条約締結。 |
2014年6月23日 〜6月27日 | モザンビーク・マプトで対人地雷全面禁止条約の運用検討会議を開催。 |
2014年 | アフガニスタン、コロンビア、イラク、ミャンマー、パキスタン、シリア、チュニジア、ウクライナ、イエメンの10か国で非政府組織による地雷の使用。 |
2015年 | シリア、リビア、イエメンにおける内戦の影響で、地雷被害者が急増。過去10年間で地雷被害者が最多となる。 |
2016年 | 世界における地雷・不発弾の被害者が8,605人にのぼり、1999年の9,228人以来最も多い被害者数を記録。 |
2017年 | 対人地雷全面禁止条約にスリランカ、パレスチナが加盟し、加盟国が164ヵ国となる。 |