落成 | 2019年6月24日 |
生徒数 | 115名(2019年11月現在) |
コミューン | バッタンバン州セクソク村 |
建設支援 | アストル税理士法人様、林田俊一様 |
設備支援 | 新宮町立新宮東小学校 |
CMCの草創期2000年に地雷被害にあった、当時12歳のコムリット君が生まれ育った村であるセクソク村。コムリット君は生活のため学校に行けず、母親と共に木の実を取って市場で販売し生計を立てていた。被害当日も木の実を母親に渡した後、木から飛び降りた瞬間に、地雷の犠牲となってしまった。母親は生活の苦しさからコムリット君を孤児院に預け姿を消したが、コムリット君は将来ラジカセの修理人になることを夢見て孤児院で勉学に励んでいた。その後マラリアや糖尿病を患い、10代という若さでこの世を去った。
CMCとしては以前からこの村に学校を建設したいと願っていたが当時ライオンズクラブ国際協会337A地区のガバナーであった林田俊一さんに大谷理事長が相談した結果、CMCの20周年記念式典において挨拶の中で建設実施を表明してくださり、建設実施に至った。
2018年秋から見積りや設計を開始したが、カンボジア政府の意向で日本の法人ではカンボジアでの活動ができなくなるという事態が発生し、CMCとしてカンボジア現地法人を設立しなければ学校建設ができない状況になった。そこで、設計作業などを進めるのと並行してCMCのカンボジア政府認定NGOの設立を行わなければならず、様々な困難があったが、現地法人が認定され安心して建設を進められるようになった。
2019年2月にはCMCのスタディツアーに合わせ棟上げ式が行われ、予定通り6月24日に林田ご夫妻はじめ、セクソク村の村民たち、政府関係者、CMC現地法人関係者、CMC夏のツアー参加者も同席する中で、盛大な落成式が行われた。
落成 | 2017年11月3日 |
生徒数 | 118名(2019年11月現在) |
コミューン | バッタンバン州モールセイ郡モーン地区 |
建設支援 | 株式会社三好不動産様、ニッポンインシュア株式会社様 |
設備支援 | ひまわり会様 |
2004年に建設されたボップイ安部小学校は道路もなく建設会社も存在しない状況下で建設されたためプロの建設業者ではなく指導者によって村人総出で建設した。村人の意識は高まったが建物としては素人造りであったため年数がたつにつれ不具合が生じてきた。トタン屋根がめくれ壁がはげ落ちるなど風雨に耐えかねる状況となった。10数年経る中で雨季には雨漏りが激しく授業ができない日が増えてきたため新たな学校建設が必要となった。そこで支援を呼び掛けていたところ大谷理事長の友人で三好不動産の三好修社長より支援をしたい旨申し出があった。実は直前に三好不動産子会社のニッポンインシュア株式会社の代表取締役だった矢野孝介が急逝し、彼の想いを受け継いで建設実現に至った。
以前は3部屋だったが4部屋にし、1つを職員室兼図書室にした。
2017年3月、旧校舎(ボップイ安部小学校)の解体をはじめ、5月に更地となり、6月から建設を開始、10月に完成した。旧校舎の一部を利用して仮校舎を作り建設中は子供たちは仮校舎で授業を続けていた。 11月3日に落成式を行い、三好不動産の三好修社長夫妻はじめ、ニッポンインシュア関係者やカンボジア政府高官ならびに地元の村民や子供たち参加の元、盛大な落成式が行われました。
落成 | 2010年12月2日 |
生徒数 | 269名(2019年11月現在) |
コミューン | バンテアイ・ミエンチャイ州マライ郡トゥール・ポンロー |
建設支援 | ワイズメンズクラブ国際協会大阪西クラブ様 ㈱データ・マックス様 |
設備支援 | 大阪城東ロータリークラブ様 |
カンボジアで最も地雷被害が多発するマライ郡。
タイ国境より数キロに位置し、内戦時はクメールルージュ軍とカンボジア政府・ベトナム軍との戦闘があり、地雷原が多数存在している地域だ。多くのNGOが進めてきた小学校建設により、カンボジアでの小学校就学率は、95%以上と高い。しかし、中学校建設は遅れておりマライ郡では24%。小学校を100人卒業しても中学校に行くのはわずか24人という状況だ。
そのマライ郡トゥールポンローコミューンからCMAC(カンボジア地雷対策センター)へ中学校の建設要請が出ていた。コミューンが学校建設のために用意した土地は地雷原。CMCはCMACを通してそれを知ることとなり、2009年10月12日にコミューンオフィスにて住民集会を開催。住民からの要請を請け、CMCにとって3校目となる学校建設を決定した。
バンテアイミエンチャイ州、マライ郡、トゥールポンローコミューン、トゥールポンロー村にある、「M11204A地雷原」。面積は91,959平方メートル。CMCがトゥールポンローコミューンの要請を請けて中学校を建設する土地だ。10月27日、CMCの学校建設が正式に決定。コミューンから緊急地雷撤去要請が出され、12月末にはCMACが撤去を開始した。
2010年12月2日。
1年前まで地雷原のジャングルだった場所に2棟10教室の中学校が建設され、この日、無事落成式を迎えた。例年にはない大洪水に阻まれながら進められた学校建設。その間、撤去した地雷・不発弾は230個にものぼる。
落成式には、ソン・コントゥ上級大臣、そして学校建設にあたりご支援くださった大阪西ワイズメンズクラブや(株)データ・マックスのみなさんにもご出席頂き、落成を迎えた子供たち、そして家族や村民たちといっしょに喜びを分かち合った。
落成 | 2008年9月26日 |
生徒数 | 197名(2019年11月現在) |
コミューン | バンテイミエンチェイ州オークロブ郡コブコミューン |
支援 | (社)佐世保青年会議所様 |
設備支援 | ひまわり会様、石原和幸デザイン事務所様 |
2008年当時、コーントライ村エリアの就学率が小学校82.5%に対し、中学校はわずか3.9%と格段に低かった。(※1)この地域から一番近い中学校でも20km離れているため、ほとんどの子どもたちが小学校を卒業しても進学を諦めざるをえなかったのだ。そういった状況を改善するため、CMCは(社)佐世保青年会議所の協力を得て、バンテアイミエンチェイ州コーントライ村での中学校建設を行った。
※1 就学率(上田広美「カンボジアを知るための60章」2006年明石書店)
内戦時、ここはクメール・ルージュ、国連軍、ベトナム軍が争った激戦地であった。内戦終結後、1994年から95年にかけてカンボジアの地雷撤去組織CMACにより村の一部が浄化され、また軍人によっても撤去作業が行われたというが、どれだけ綿密に行なわれたか誰も知る由はなく、今でも地雷や不発弾が見つかることは珍しくない。
2008年当時、CMCの砥綿駐在員が建設地視察に訪れたとき、小学校から200mほど離れた民家の庭で不発弾が発見された。家からわずか5mの距離だった。そして、その時村民に危機感が薄いことに砥綿駐在員は驚き、地雷・不発弾が彼らの日常に存在することを痛感した。
2008年、カンボジア国内での建築資材の価格は世界マーケットの影響、また国内での建設資材の需要と供給のミスマッチにより、2007年末から高騰が続いた。建設会社と図面を見合わせ、交渉に交渉を重ね、ようやく着工したのが5月であった。建設作業は毎朝7時から開始。11時から1時まで休憩を3時間挟んだ後、午後5時までの1日8時間が労働時間。作業中にもかかわらず、カンボジアらしくあちこちからおしゃべりをする声が聞こえてくる。
9月26日ついに落成。村民挙げての落成式には、新しい学び舎に胸を弾ませる子どもたちやカンボジア政府教育省のみなさんが喜びと共にCMC大谷理事長と建設支援者の(社)佐世保青年会議所の皆さんを出迎えてくれた。 また、子どもたちとの交流も行われ、自転車や布袋を使ったおもしろ競走で盛り上がった。最後に、カンボジア政府教育省からCMC大谷理事長へカンボジア国家建設第一等勲章が授与された。
2009年10月。ガーデニストとして著名な石原和幸氏のお申し出により、庭造りプロジェクトが実現した。同行したスタッフや参加者と生徒たちは一緒になって元気に青々と茂る木々や花を植え、コーントライ夢中学校がさらに生き生きと明るい空気に包まれた。
落成 | 2004年7月5日 |
生徒数 | 150名(2012年2月現在) |
コミューン | バッタンバン州モールセイ郡モーン地区 |
支援 | 故安部量基住職様(福島県) |
設備支援 | 伊藤忠商事株式会社様、古賀市立舞の里小学校様、ひまわり会様 |
ボップイ村は、内戦時クメール・ルージュと政府軍との間で戦闘が行われた地域で、当時無数の地雷が埋設された村である。 電気・ガス・水道などはなく、藁ぶきの学校がポツンとあるだけであった。雨季には雨漏りのためほとんど使えない藁ぶき校舎では、子どもたちにしっかりとした教育を受けさせることができない。子どもの教育を強く願う村人たちから、コンクリート造の校舎建設が依頼され、CMCとして初めての小学校建設プロジェクトがスタートした。
学校建設と並行して、ボップイ村ではCMACによる地雷撤去が始まった。建設予定の小学校を中心に71.814平方メートルの土地を金属探知機で調査し、2ヶ月半の作業で78個もの地雷・と不発弾が発見、爆破処理された。村内の道路や住居、学校周辺の撤去は完了したがそれ以外の村内のエリアは依然地雷の危険が残ったままである。地雷撤去団体の撤去作業を待つ地雷原の村はカンボジアにたくさんあるため、撤去団体は優先エリアのみ撤去して次の場所へ行かなくてはならないのだ。
現場責任者シモーヌ氏を中心に村民による建設が行われた。藁ぶき小学校ただ1人の教師であったヨアン先生も、子どもたちの為に机やイスの製作に奮闘した。また、学校建設後には、子どもたちの飲み水を確保するために、貯水池を建設。また2008年には、伊藤忠商事株式会社 社員有志みなさんのご支援により、貯水タンクを建設。子どもたちが安心して飲み水を確保できる環境を整備した。さらに、遠隔地にある小学校のため教師が来なくなるなどの問題があったことを受け、教職員用宿舎も校舎横に併設。子どもたちの教育環境を向上させてきた。
落成には、大谷代表と古川現地駐在員、そして西日本新聞の宮原バンコク支局長が出席。またバッタンバン州代表からの祝辞も頂き盛大なものとなった。
CMC初となる今回の小学校建設では、日本全国の多くの支援者から応援を頂いた。そして特に多大なる支援を頂いたのが、福島県の住職であった故安倍量基氏である。大谷代表がスタディツアーから帰国後、落成式典の様子を収めた映像を持って訪問し言葉を交わした夜、闘病されていた安倍さんは息をひきとった。その後現在まで、安倍さんのご家族によりその思いは引き継がれている。
2012年3月、村民からの申し出により学校建設に大きな支援を頂いた故安倍量基氏の追悼式が行われた。ボップイの子どもや大人たちは、学校建設への感謝の気持ちを今も持ち続けているという。
CMCボップイ安倍小学校のあるボップイ村は、これまで幾度となく干ばつや洪水被害に見舞われており、主要産物である米の収穫高が上がらないため、他の地方村と比べても圧倒的に貧しい。そのため親が家を数カ月離れてタイへ出稼ぎに出ることも頻繁で、学校に通えなくなる子どもたちが多い。CMCでは、収穫高を改善するため、貯水池の増設やカンボジア政府農業局と連携して農業トレーニングなどを実施してきたが、それでも依然厳しい状況は続いている。まだまだサポートが必要だ。