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  • 過去の活動

    ボップイ村調査③ 

    画像①

    ボップイ村を突き抜ける主要通り

    画像②

    周囲にはのどかな田園風景が広がっています

    画像③

    ときどき牛の大群にも出くわします。田舎ではよくある光景です。

    でこぼこ道を上下に揺れながら娯楽施設もないこの村をバイクで走り抜けるたびに,日本の歌手吉幾三のあの名曲を思い出します。「はぁ テレビもねぇ ラジオもねぇ 車もそれほど走ってねぇ!」

    前回,前々回とボップイ村の人口構成や村民の生業について見てきましたが,今回は各家庭にある車,テレビ,電話などの所有状況を見てみます。吉幾三が歌うように,各家には本当にテレビもラジオも車もないのか・・・。

    画像④

    カンボジアでみられるごく普通の高床式の家です。

    画像⑤

    家の脇に水瓶がおいてあります。屋根の雨水が流れ込むようになっています。この水で普段,料理をしたり水浴びをしたりします。水が無くなったら隣町から買ってきます。

    画像⑥

    ボップイ村でも有数の大きな家です

    画像⑦

    この家もかなり立派なつくりです

    画像⑧

    この家は非常に簡素なつくりです

    画像⑨

    ここはさらに簡素なつくりです

     

    ■テレビについて。

    ボップイ村の全83世帯中テレビを持っていると回答した世帯は40世帯(48%)でした。どんなテレビを持っているか見せてもらいました。

    画像⑩

    ある家庭で見せてもらった「テレビ」

    厳密にはこれはテレビではなくて,DVDプレイヤーだと思われますが,ボップイ村ではテレビと言えばこれのことだそうです。「数年前は韓国のドラマが流行っていたが,今はタイのドラマが流行ってる」とのこと(いずれもクメール語の吹き替え版)。街中の食堂でもいつも歌謡曲かタイのドラマがテレビで流されていますし,確かにカンボジア全体で流行っているようです。DVDはモーンやコックロローの街で購入してくるようです。

    ■ラジオについて。

    ラジオは30世帯(36%)が所有していました。聞く番組は専ら歌謡曲だそうです。

    ■電話について。

    電話については,固定電話はなく,携帯電話が普及しています。都市部では1人1台所有するのが普通ですが,ボップイ村では(ボップイ村に限らずカンボジア国内の多くの田舎では)一家に1台というところが多いです。携帯電話を所有している世帯は66世帯(80%)で,1世帯だけ2台の携帯電話を所有していました。携帯電話でもラジオ放送は聞けるので,これでラジオを聴く人もいるようです。

    以上が主な電化製品(電球は除く)ですが,まだ電気が送電されていないボップイ村では,電源には乗用車などに見られるバッテリ―が使用されています。

    画像⑪

    画面左下に見えるバッテリーがこの家の電源になります

    バッテリーの充電を請け負っている家があり,村民はここにバッテリーをもってきて充電します。家庭の電気使用量によって幅はありますが,だいたい3日~1週間に1度のペースで充電するようです。

    画像⑫

    バッテリー充電を請け負っている家

    「テレビもねぇ ラジオもねぇ」というわけでもなさそうですが,全家庭に普及しているわけでもなく,家によっては「テレビもねぇ ラジオもねぇ」とぼやいているかもしれません。そもそも村民のいうテレビも厳密に言えばテレビとは言えませんし,そういう意味では本当に「テレビもねぇ ラジオもねぇ」なのかもしれません。ついでに言うと,ここには新聞も来ません。ラジオでもニュースを聞くことはそんなに無いようで,ずっとボップイ村で過ごしていたら,世の中の動きに本当に疎くなってしまいそうです。

    ■車について。

    いわゆる4輪の乗用車を所有している世帯は0でしたが,バイクやエンジン付荷車は一応走っています(ただし多くはないです)。バイクを所有している世帯は27世帯(33%),エンジン付荷車を所有している世帯は23世帯(28%)です。このうち,この両方を所有している世帯が9世帯(11%)でした。さらにトラクターを持っている世帯及び脱穀機を持っている世帯がそれぞれ1世帯ずつありました。トラクターや脱穀機は所有者が他の村民に(有料で)貸し出す形で皆で共用しているようです。

    画像⑬

    エンジン付荷車。スイカを積んで運んでいます。その他,人も含め乗せられるものは何でも乗せて運びます。

    画像⑭

    トラクター。右奥の倉庫にしまわれています。

    画像⑮

    脱穀機。収穫期には引っ張りだこです。

    調査項目には入れていないので数は分かりませんが,いわゆる「便所」のない家もけっこうあります。以前村長宅にお邪魔した際,「便所はどこ?」と聞くと,外の畑の方を指さされました。特にどこと決まっているわけではないようです。また,ボップイ村は慢性的に水の不足している地域で,ため池は一応ありますが衛生的ではなく,飲み水はもちろん普段の水浴びのための水の確保も大変です。水はコックロローやモーンなどの街まで行って買うようです。きれいな水が安定して得られないというのが生活するうえで本当に大変だろうと感じます。

    産業(仕事)もあまりない上に,生活も不便だとしたら,「オラこんな村嫌だ」と言って若者が出ていったとしても不思議ではありません。出ていく人たちが「こんな村嫌だ」と言って出ていくかどうかは分かりませんが(本当は出ていきたくないけど,お金を稼ぐために出ていかざるを得ないかもしれない),少なくとも現状では,村を出ていく人はいても,よそから村に来て定住する人はいません。カンボジア全体では道路や電気などのインフラの整備が着々と進んできていますが,ボップイ村にもインフラ整備の手が伸びてくれば,また状況は変わってくるかもしれません。村民もできるだけこの状況が改善されることを願っていますが,まだまだしばらくはこの状況は変わらないまま続くことでしょう。とりあえずは,毎年雨季にしっかりと雨が降り,大地も村民の生活も潤うことを心よりお祈り申し上げます。

    ― 終わり ー

    文責:曽田

    過去の記事

    ボップイ村調査①

    ボップイ村調査②

     

     

     

     

     

     

     

    2015年3月31日更新

    ボップイ村調査②

    前回,ボップイ村の人口について見ましたが,今回はボップイ村各世帯の生業について見てみます。

    まずは各世帯の構成人数を見てみます。

    image

    1世帯当たりの構成人数

    4人世帯が21世帯と最も多く,ついで6人世帯が14世帯,3人世帯・5人世帯がともに13世帯と続いています。生業(職業)としては,ほとんどの世帯が農業を営んでいます。ボップイ村全83世帯中,耕作地(借地を含む)を持っている世帯は76世帯あり,平均して2.5haの土地で農業を営んでいるようです。

    image (1)

    各世帯の所有耕作地の面積

    image (2)

    米の年間収量(t)

    また米作を行っている農家において,1haあたりの米の年間収量を以下に示します。

    image (3)

    1haあたりの米の年間収量

    日本の農家の収量と比較すると,日本の農家では1haあたり6t程度の収量はあるようで,これと比べたらかなり少ないことは分かります。一方で,田中甲斐氏(2010年3月から2011年3月までCMCバッタンバン駐在員)がボップイ村の農業についての報告の中で,『政府(カンボジア政府)の発表する平均の稲収量は2.5t/haとされているが、CMCがサポートするボップイ村では1t/ha前後と少ない。』と述べていますが,このことから以前に比べたら農業技術が大きく進歩・改善していることはうかがえます。

    さてここからは,村民の農業以外の職業(学生,無職を含む)について見ていきます。調査では,ボップイ村の人口380人中140人が農業に従事しているとの回答が得られましたが,農業以外の職業(学生,無職を含む)を回答した240人について以下に示します。

    image (4)

    農業以外の職業(数字は人数)

    「日雇い労働」が14人いますが,彼らは家を建てたり,森で木を切ったりと人手のいる作業が行われる際に不定期に召集されるようです。その他商店での小売り,バイク修理などがあります。また,彼らの多くは農業との兼業で行っているようです。

    画像⑥

    バイク修理

    画像⑦

    商店。ボップイ村に2つある商店のうちの一つ。お菓子やたばこなどのちょっとした日用品が売られています

    画像⑧

    木に住んでいるという食用の虫(アリに似ている)を捕まえて洗っています

    画像⑨

    町にもっていって売ります

    画像⑩

    調理等で使う炭を作って売ります

    子どもの層に目を向けてみると,幼児が49人,小学生が90人と全体の中でも突出しています。ボップイ村の人口の大部分が15未満の子どもで占められていることからもこの数はうなずけます。また,中学生・高校生の数が少ないのも特徴と言えるでしょう。これは,「小学校の就学率は高いが,中学校の就学率は低い」というカンボジア全体の特徴ともよく合致します。

    一方で無職も目立ちます。6歳以上18歳未満の無職(本来は学校に通っているべき層)が36人とかなりの数に上ります。また,18歳以上60歳未満の無職も12人に上りますが,多くは20歳前後の若者です。聞くところによると,彼らは学校にも行かず家の仕事も手伝わず,ただぶらぶらと遊んでいるとのこと。仕事がないのか,単に働かないのかは定かではないですが,時間とエネルギーを持て余している者もかなりいるようです。

    全体的に農業以外の産業は乏しく,職業の選択は限られてしまいますが,米は家族が食べるのに困らない程度にはとれているようですし,農産物を売ったり,タイなどで出稼ぎをしている家族から仕送りしてもらったりと,ある程度の現金収入もあって生活は何とかできているようです。

    画像⑪

    職業というほどのものではありませんが,牛を連れて歩くというのは村民の日課(日常業務)となっています

    画像⑫

    サトウキビ畑。いくつかの農家ではサトウキビも作っているようです

    画像⑬

    コントゥオットというくだものをとっています。子どもたちにとっては仕事というよりは遊びですが,こうやって日々身の回りのことを学んでいます

    文責:曽田実

    過去の記事

    ボップイ村調査①

     

     

     

    2015年3月26日更新

    ボップイ村調査①

    昨年8月,私がスタディツアーの引率でバッタンバンを離れている間,CMCのカンボジア人スタッフ(ダラ,ラブット,ラタナ)にボップイ村の調査をしてもらいました。ボップイ村は2004年に小学校を建てて以来CMCが継続して支援を続けている村ですが,カンボジアの中でも特に貧しい部類の地域と言っていいであろうボップイ村が現在どんな状況か,村民はどんな暮らしをしているかを調査結果を見ながら考えてみようと思います。

    調査では,スタッフが各家を一軒一軒訪ね,世帯ごとに人数や年齢,職業,資産などを聞きました。今回は人口に焦点を当ててボップイ村の状況について考えてみようと思います。

    画像①

    一軒一軒すべての家を回りました

    画像④

    調査の様子。手前の聞き取りをしているのはラブット。

    画像② 画像③

    ボップイ村の調査結果を見る前に,2008年に行われたカンボジア国の国勢調査の結果をまずは見てみます。なお,データは日本の総務省統計局のウエブサイト(http://www.stat.go.jp/info/meetings/cambodia/pdf/tbl3-4.pdfを参照しています。

    image

    2008年カンボジア国人口ピラミッド。男652万人,女688万人

    これを見るとカンボジアは人口に占める若者(子どもも含む)の割合が多い,非常に若い国であることが分かります。歴史的に見てみると,ポルポト政権が始まった1975年に生まれた人が2008年当時33歳,ポルポト政権が終わった1979に生まれた人が2008年当時29歳で,この年齢層の人口が少なく,ポルポト政権崩壊後一気に増加していることが見て取れます。その後1014歳の層まで増え続け,1014歳をピークに以後は下降しています。この2008年当時私はプノンペンに住んでおり,20代の若者(非常に多くの兄弟姉妹を持つ層)とも交流がありましたが,新婚夫婦などと話をするとたいてい「子どもは2人か3人でいい。多いと大変だから」などと言っていました。このような若者の意識が出生率の低下に少なからず影響していると想像できます。

    続いて,カンボジアを都市部と郡部に分けて人口分布状況を見てみます。ただし,都市部は以下のようにして定義され,郡部と区別されています。

    都市部の定義

    以下の3つの要件を満たすCommuneを都市部としている。

    (a)人口密度が200人/㎢以上

    (b)男性の農業従事者の割合が50%未満

    (c)総人口が2,000人以上

    image (1)

    2008年カンボジア国都市部の人口ピラミッド。男126万人,女136万人。

    image (2)

    2008年カンボジア国郡部の人口ピラミッド。男526万人,女552万人。

    絶対数の違いもありますが,郡部は概ねカンボジア国全体の人口ピラミッドとほぼ同程度の形状をしています。一方で都市部では,2024歳の層を中心に,1530歳の層が多くの割合を占めています。都市部にこの年齢層が流れていいるのがよく分かります。

    さて,ここからは我らがボップイ村。上記で言うと郡部に当たるということを念頭に,郡部の人口ピラミッドと比較しながらボップイ村の人口ピラミッドを見てみます。

    image (3)

    2014年ボップイ村人口ピラミッド。男186人,女194人。総人口は380人。

    ボップイ村は世帯数が83世帯,人口が380人(男186人,女194人)です。高々400人弱の人口統計ですので,これをもってしてボップイ村の特質を語るのはいささか強引な気もしますが,多少のばらつきや偏りが生じてしまう可能性は含ませたうえで,あえてこの人口ピラミッドからボップイ村の特質を考えてみます。

    ここで注意したいのが,この調査を実施したのがカンボジア国勢調査(2008年)の6年後の2014年であることです。この間,カンボジア国内では大きな動乱や飢饉は生じていない(むしろ順調に経済成長を遂げている)ことから,順当にいけばカンボジア国郡部の人口ピラミッドは15-19歳をピークの中心として,その周辺の年齢層が多くの割合を占めることになるはずです。しかし,ボップイ村の人口ピラミッドは本来多数を占めるはずの15-19歳,20-24歳の層が欠落しています。これは取りも直さず,この年齢層が仕事を求めて村外へ流出していることを表していると考えられます。聞き取り調査によると,流出先はタイ,ポイペト,プノンペン,韓国があげられます。

    ボップイ村の各世帯では小規模ながら農地(借地も含む)を持っており,米作・畑作で生計を立てています。土地があるので一定数は村にとどまって農業を営むことができますが,それ以外の産業があるわけではなく,新たに就業年齢に達した若者がここにとどまって就業するということはなかなか難しいようです。

    20103月から20113月までCMCバッタンバン事務所にて駐在員として赴任していた田中甲斐氏の報告によると,200912月時点でのボップイ村の世帯数は129世帯,人口は536人(男248人,女288人)とのこと。かつてボップイ小学校に勤務していたヨアン先生による調査とのことで,調査方法や精度等やや不透明な部分はありますが,単純計算すると,200912月から20148月までの48か月間で,世帯数で46世帯,人口で156人が減少したことになります。正確な数値はともかくとして,年々世帯や人口が減少しているということはここから窺えます。

    仮にこの状況が変わらないとしたら,5年後さらには10年後,現在のボップイ村の人口の多くを占める1015歳,510の層の子どもたちが村外へ流出することになるでしょう。そして将来,ボップイ村は過疎化,少子高齢化の道を歩むであろうと想像できます。CMCも今後ボップイ村と関わる中で,将来的に生じるであろう諸問題も俯瞰したうえで支援の在り方を考えなければいけないでしょう。

    ※) ボップイ村調査の結果は概ね信頼できるとは思いますが,村での調査活動はスタッフにまかせっきりになっていたこともあり100%正確なデータとは言い切れないところもあります。また,人口はあくまで20148月現在で村に住んでいる人数であって出稼ぎで村を離れている人については一時的か長期的かに関わらず人数からは除外してあります。出稼ぎで村を離れている人の多くは,自身の籍はボップイ村にあり,出稼ぎ先からボップイ村に残った家族に仕送りしている場合が多いので,より詳細な状況を知るためには,出稼ぎでいない人についてその状況を調べる必要があります。

    文責:曽田実

     

    2015年3月24日更新

    アジアンホンダモーター株式会社本社にて

    3月11日(水)

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    カンボジア地雷撤去キャンペーンに「ホンダドリーム125cc」を3台寄贈頂いた御礼と報告のため、アジアンホンダモーター株式会社本社に伺いました。

    以前も4台頂いていましたが、CMCスタッフは毎日悪路を走り回るので、メーターが壊れる程傷んでいました。今回の寄贈は、それだけに有難く、二輪担当の石川直昭さんに感謝状と拙著「地雷原の子ども達と共に」を贈呈致しました。アジアンホンダの担当範囲は23ヶ国と広く、西はパキスタン、東はニューカレドニア、北は韓国、南はオーストラリアに及びます。

    中でも最も人気が有るのがホンダドリーム号という事です。カンボジアでのバイクのシェアの90%がホンダ車で圧倒的独占状態、そのうち80%がホンダドリーム号だという事でした。

    タイのホンダさんとのお付き合いも10年を越しました。今後とも宜しくお願いします。

    2015年3月13日更新

    パソコン技術訓練による障がい者収入向上プロジェクト⑤

    画像①

    ウク(左)とヴィチャット(右)

    9月16日(火)の業務開始から,5か月余りがたちました。仕事があまりない日もあり,ここまでやや低空飛行な状況が続いていますが,ウクとヴィチャットは毎日真面目にコツコツと画像切り取り業務に励んでいます。

    一気に収入向上は難しいですが,2人ともゆっくり着実に収入を向上させていき,将来にわたって安定した生活ができるよう,今後もサポートを続けていければと思います。

    文責:曽田実

     

    2015年3月6日更新

    地雷・不発弾危険回避教育⑲

    昨年11月より実施してきた地雷・不発弾危険回避教育もまとめの段階に入ってきました。ここまで小学校64校,中学校10校でMREを実施し,延べ9000人以上の児童・生徒を指導しました。今年度のMREでは,いくつかの学校で実際に地雷被害に遭われた方に特別講師として来ていただき,子どもたちの前でお話をしてもらいました。

    OLYMPUS DIGITAL CAMERA

    バナン群BEOUNG PREY小学校に来てくださったオン・レートさん(正面右)

    OLYMPUS DIGITAL CAMERA

    子どもたちに義足を見せ,足を失うことの大変さを説明しています

    OLYMPUS DIGITAL CAMERA

    子どもたちも神妙な面持ちでオン・レートさんの話を聞いています

    今年度のMREでは,子どもたちに地雷を場所を示すドクロマークの絵を描いてもらう活動を取り入れるなど,子どもたちが退屈せずに参加できるような工夫もしました。

    画像④

    黒板にドクロマークを描いてもらっています

    画像⑤

    かわいいドクロマークの出来上がりです。様々なドクロマークが黒板に描かれ,そのたびに子どもたちも喜んでいました。ただ聞くだけ見るだけの授業より楽しく記憶に残る授業になったのではないでしょうか

    現在,MREを実施した学校にてモニタリングをしているところです。集計がまとまり次第,またご報告いたします。

    文責:曽田実

    過去の記事

    地雷危険回避教育プロジェクト①******~MREトレーナー決定!~

    地雷危険回避教育プロジェクト②******~MREトレーナー初現場訪問!~

    地雷危険回避教育プロジェクト③******~うまくいかない時もある~

    地雷危険回避教育プロジェクト④******

    地雷危険回避教育プロジェクト⑤******

    地雷危険回避教育プロジェクト⑥******

    地雷危険回避教育プロジェクト⑦******

    地雷危険回避教育プロジェクト⑧******

    地雷危険回避教育プロジェクト⑨******

    地雷危険回避教育プロジェクト⑩******

    地雷危険回避教育プロジェクト⑪~実践演習~

    地雷危険回避教育プロジェクト⑫~各小中学校にてMRE開始~

    地雷危険回避教育プロジェクト⑬~田舎の情景~

    地雷危険回避教育プロジェクト⑭

    地雷危険回避教育⑮

    地雷・不発弾危険回避教育⑯ ~新年度事業始動,新スタッフ加入~

    地雷・不発弾危険回避教育⑰

    地雷・不発弾危険回避教育⑱

     

     

    2015年3月5日更新

    第19次CMCカンボジアスタディツアー報告

    第19次CMCカンボジアスタディツアー ~プノンペン~

    2月22日(日)より第19次カンボジアスタディツアーが催行されております。今回のツアーは4名が参加しておられます(そのうち1名は途中参加)。イスラム過激派組織による痛ましい事件の影響もあってか,非常に少ない参加人数ですが,その分互いをより深く知れるいい機会と捉えて,いろんな話もじっくりしながらツアーを進めております。

    2月22日(日)

    夕方5時半,参加者がプノンペン国際空港に降り立ちました。この日は昨年オープンしたばかりのイオンで夕食をとり,すぐにホテルで休みました。

    2月23日(月)

    スタディツアーの最初の訪問地として,まずはトゥールスレン博物館へ行きました。当時のまま残された独房や拷問部屋,犠牲者の写真などを目の当たりにしながら,過去に起きた悲惨な出来事に思いを巡らせました。

    画像①
    トゥールスレン博物館。大谷理事長の案内で館内を回りました。

    次にイオンを訪れました。カンボジアの中でも最大級の商業施設であり,現在プノンペンに住んでいる,そして将来プノンペンにやってきて定住するであろう多くの日本人にとっても非常に重要な存在です。

    画像②

    ここで最も驚いたのがアイススケートリンクがあったことです。しかも現地の人たち(カンボジア人)がけっこう上手に滑っていました。採算は取れるのか,今後多くの層に浸透していくのか等いろんな意味で興味の尽きない場所でした。

    午後の最初はセントラルマーケット,ソリアマーケットを訪れました。かつての最大級商業施設であり,今でも多くの人でにぎわっていますが,やはりイオンと比べると時代の流れを感じます。

    画像③

    セントラルマーケット

    その次に倉田さんという日本人が経営されているクラタペッパーという胡椒を販売している店に行きました。ツアー参加者さんたちも熱心に倉田さんのお話を聞いておられました。

    画像④

    右がクラタペッパーのオーナーの倉田さん

    夕方はトンレサップ川からメコン川にかけてボートクルージングをしました。川沿い部分も着々と開発の手が進んで来ており,その様子も眺めながら,優雅にクルージングを楽しみました。

    画像⑤

    涼しくなり始めた夕方,心地よい風を受けながらボートクルージングを楽しみました

    **************************************

    19次CMCカンボジアスタディツアー ~地雷原~

     

     

    2月24日(火)から25日(水)にかけて,2つの地雷原を視察しました。一つはMAG(Mine Advisory Group)の地雷原,もう一つはCSHD(Cambodia Self Help Demining)の地雷原です。

    224日(火)

    早朝5時,一行は一路MAGの地雷原(バッタンバン州コムリエン郡)に向けプノンペンを出発しました。途中朝食,昼食休憩をはさみ,午後1時半にMAGの地雷原に到着しました。現地では,従来の地雷探知機(金属探知機)に加え,金属探知をした上で地中の物体の形状もレーダーで感知することができるという地雷探知機の使用も見せてもらいました。

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    従来の地雷探知機よりも高性能な地雷探知機。非常に高価な機材だが,作業効率が格段に上がるとのこと

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    この日発見された地雷を見せてもらいました

    発見された地雷の爆破処理まで一通り見終えた後,一行はMAGの作業員さんたちに別れを告げて地雷原を後にし,この日の宿泊地であるバッタンバン市へ行きました。

    225日(水)

    一行は朝7時に出発し,バッタンバン市からバスで約1時間半のところにあるCSHDの地雷原(パイリン州パイリン特別市)へ行きました。今回の地雷原はかつてクメールルージュが砦を築いたという小高い丘でした。

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    バスを降りた地点から作業現場までおよそ100m程度坂を登っていきます

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    丘の中腹辺りまで来て振り返ると,パイリンの街を見渡すことができます

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    地雷撤去作業は丘の麓から上へ上へと進められています

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    以前土砂崩れがあったという場所を見せてもらいました

    地雷撤去作業現場のすぐ近くに土砂崩れがあったという場所があり,案内してもらいました。土砂崩れそのものは規模も小さく,大きな被害を及ぼすものではないのですが,地雷が埋められているであろう土地の土砂が平地へ流れるというところが大きな問題となるようです。通常地雷は埋められてからずっとその場にとどまるものですが,山や丘の多いパイリンでは雨季などによく地雷が移動してしまうことがあるそうです。 厄介な話です。

    地雷の爆破処理まで見終えた後,作業員のみなさんと記念撮影をしました。

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    CSHDのみなさんと記念撮影

    CMCスタディツアーのために都合をつけてくださり,そして笑顔であたたかく我々を迎え入れてくださったMAGとCSHDのみなさん,本当にありがとうございました。

    10時半過ぎ,一行はパイリンを後にし,タイ国境沿いを北へに走り,昼過ぎにトゥールポンロー中学校へ到着しました。

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    19次CMCカンボジアスタディツアー ~トゥールポンロー中学校,コーントライ中学校~

    パイリンの地雷原を後にし,午後にトゥールポンロー中学校へ,夜はシソポンで1泊,その翌日の午前でコーントライ中学校を訪問しました。

    225日(水)

    正午過ぎ,一行はバンテアイミエンチェイ州マライ郡にあるトゥールポンロー中学校を訪問しました。

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    CMC大谷理事長より挨拶,そしてツアー参加者の紹介がありました

    今年度,トゥールポンロー中学校から優秀な生徒を男女1人ずつ選抜し,進学のための奨学金支援をすることが(株)データマックス児玉社長とCMCの間で決定し,この日は事前に選考した生徒の発表が大谷理事長よりありました。

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    写真右側はタエム・レアカサー君(男子,2年生),左側はミエン・クンティアさん(女子,1年生)

    これを機に,夢の実現に向けて更に一層勉学に励んでくれることを願います。

    教室でのあいさつの後はみんなで外に出て遊びました。

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    ツアー参加者のみなさんも,生徒と一緒に走り回って遊びました

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    集合写真

    夕方,一行はこの日の宿泊先であるシソポンのホテルに行きました。ここで,歯科医の尾形愛さんと合流しました。

    226日(木)

    朝,一行はバンテアイミエンチェイ州オーチュラウ郡にあるコーントライ中学校を訪問しました。

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    挨拶と参加者の紹介

    全体のあいさつの中で,私がこの3月でCMCを退職することの発表も大谷理事長よりありました。そして大谷理事長からは事前に準備されたという表彰状とともに暖かい励ましのお言葉をいただきました。至らない点も多々ありましたが,こうして表彰してもらうことができ,非常に嬉しく思いました。残り1か月の任期をしっかり全うできるよう頑張ろうと思います。

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    生徒,先生の前で表彰状をもらいました

    この日は前日夜に合流された歯科医,尾形愛先生による歯磨き指導もありました。カンボジアの公立学校においてはこのような機会を得ることはNGOなどの支援がない限りまずありえないことですが,子どものときに健康に関すること(ここでは歯の健康について)しっかりと指導を受けることは,健康で豊かな人生を送るうえで非常に大事なことだと思います。とても素晴らしい活動だと思います。

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    尾形さんによる歯磨き指導。生徒たちも楽しそうに実践しています

    最後はひまわりの泉というひまわり会が支援して設置した水タンクの前で記念撮影をし,一行はコーントライ村を後にしました。

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    「ひまわりの泉」をバックに記念撮影

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    19次CMCカンボジアスタディツアー ~ホンダ・バッタンバン営業所,プノム・ソムパウ~

    コーントライを後にした一行は再びバッタンバンに戻りました。昼食後,まずはバッタンバン市内にあるバイクの販売店ホンダ・バッタンバン営業所に行きました。

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    ホンダ・バッタンバン営業所

    ここでアジアンホンダモーター様よりCMCへいただいたバイクの新車3台の贈呈式が行われました。これまでもCMCのバッタンバン事務所には業務用バイクが2台あったのですが,これももともとはアジアンホンダモーター様よりいただいていたもので,今回は長期間酷使してきたそのバイクの代わりに,新しいバイクを頂けることになったという次第です。アジアンホンダモーター様には心より感謝申し上げます。

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    大谷理事長より感謝状が営業所所長に手渡されました

    夕方は,市街地から南西へ約20㎞程離れたところにあるプノム・ソムパウというところに行きました。プノム・ソムパウは周囲を平野に囲まれた小高い山で,山頂からは壮大な平野が一望できます。また,ここはかつての内戦の激戦地でもあり,いわゆるキリングフィールドと言われる処刑場もあった場所で,我々も歩いてまわりました。

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    標高はそんなに高くないとはいえ,けっこう急な階段や坂をを延々を登り下りします

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    壮大な景色をバックに記念撮影

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    途中たくさんの猿に遭遇します。人懐っこくてかわいいのですが,食べ物を持ち歩いていると奪いにくるので要注意

    心地よい疲れと適度な筋肉痛を残し,この日はバッタンバンのホテルで休みました。

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    19次CMCカンボジアスタディツアー ~ボップイ小学校,軍病院~

    2月27日(金)

    朝,一行はバッタンバン州モーンルサイ郡にあるボップイ小学校に行きました。ここでも,コーントライ中学校同様,尾形愛先生による歯磨き指導がありました。また,参加者の1人である坂本さんによる折り紙教室もありました。

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    まずは全校児童にツアーメンバーより挨拶

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    「今歯が痛い人いますか?」の質問にけっこう多くの手があがっています

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    尾形先生扮するウサギの歯医者さんが子どもたちに歯磨きの大切さを教えています

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    尾形先生といっしょにみんなで歯磨き

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    みんな丁寧に磨いています。家でもしっかり歯磨きをしてもらいたいものです

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    坂本さんによる折り紙教室

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    となりと確認し合いながら一生懸命に折っています

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    出来上がり

    歯磨きも折り紙も楽しくできました。

    午後はバッタンバン市内にある軍病院に行きました。

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    到着時,院長先生はちょうど患者を手術している最中でしたが,終了後すぐに我々に会いに駆けつけてくださいました

    お話を伺うと,病院は年々設備や薬等も充実してきているとのこと。ただ,学校などと同様都市部と田舎では整備の度合いが全然違い,田舎に行くほど整備は遅れています。どの地域でも医療体制が充実し,安心して暮らせるようになることを願うばかりです。

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    記念撮影

    この後,一行はバッタンバンを後にし,一路シェムリアップへ。プノンペンから始まり,長い距離を移動してきたツアーも大詰めを迎えます。

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    19次CMCカンボジアスタディツアー ~シェムリアップ~

    2月22日(日)にプノンペンから始まったスタディツアーは,バッタンバン,パイリン,バンテアイミエンチェイと続いた後もう一度バッタンバンに戻り,そして最後の都市シェムリアップに入ります。

    2月28日(土)

    朝,まず最初に鬼一二三日本語教室を訪問しました。

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    スピーチコンテストでの発表の練習。まだまだ経験が浅く,たどたどしいスピーチではありましたが,この教室から輩出された数々の優秀な先輩同様,これからめきめきと力をつけていくことでしょう

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    続いて優秀な先輩。格の違いを見せつけるかの如く,内容も話ぶりも実にすばらしい,立派なスピーチを披露してくれました

    教育環境がなかなか整備されないこのカンボジアの地で,鬼先生は長きに渡り日本語教育を通して多くの優秀な人材を輩出してこられました。そして飽くなき向上心で自らも勉強を続けておられます。心から敬服いたしますとともに,今後もますますのご活躍をお祈り申し上げます。

    午後はアキラ地雷博物館に行きました。アキラが取ってきた地雷や不発弾,そして様々な写真を通して,アキラの半生をはじめカンボジアの地雷問題などを垣間見ることができました。

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    アキラが取ってきた地雷。膨大な量のほんの一部がここに展示されています

    その後は,地雷博物館からシェムリアップ市内へ帰る途中にある「一ノ瀬泰造の墓」へ寄って帰りました。

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    ここに一ノ瀬泰造の遺骨の一部が埋められているらしい

    3月1日(日)

    この日は終日アンコール遺跡群を観光しました。

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    お堀の向こうはアンコールワット

    夜は福岡でカンボジア料理店を営んでおられるというスロスさん宅にお邪魔し,夕食をよばれました。

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    豪華な家庭料理をいただきました。一番右の赤い服の女性がスロスさん

    3月2日(月)

    いよいよ最終日。この日はワットトメイ,義足リハビリセンター,Little Angel(伝統工芸の影絵をつくっている孤児院)へ行きました。

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    ワットトメイにある慰霊塔。クメールルージュにより殺された方々の遺骨がまつられています

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    義足リハビリセンター内の作業所。義足が作られています。地雷被害の件数は年々減少していますが,代わりに交通事故により四肢を切断する患者は近年増え続けているようです。義手・義足を必要としている状況は以前と変わらないのですが,地雷被害者支援を名目にこの施設を支援を続けていたハンディキャップインターナショナルが地雷被害者の減少を理由に撤退した(運営及び管理の権限は政府に移譲された)ことで,運営はかなり厳しくなっているようです。

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    影絵工房Little Angel。子どもたち主導の下,影絵作りの体験もさせてもらえます

    午後はマッサージを受けたり買い物をしたりと参加者さんたちは思い思いにゆっくりと過ごされました。そして,最後の夕食を共にした後,空港にてお別れをしました。プノンペンに始まり,カンボジア北西部(バッタンバン,パイリン,バンテアイミエンチェイ)を経由してシェムリアップで締めくくる実に濃厚な9日間(飛行機で過ごす時間も含めれば10日間)の旅でした。

    多くの方が治安を懸念されますが,経済発展に伴い,年々治安もよくなりインフラも整備されてきてとても過ごしやすい国になりつつあります。一方,都市部を離れればまだまだ未開発な部分が多く残されていますが,それゆえに日本にはない魅力も多くつまっています。今回は非常に少ない参加人数でしたが,これからもより多くの方々がカンボジアを訪れ,その良さ味わってもらえることを願っております。

    ―終わり―

    文責:曽田実

     

     

    2015年3月4日更新

    障害者支援センター訪問

    3月2日(月)

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    障害者支援センターへ。

    ここは、元ハンディキャップ・インターナショナルという地雷被害者に義足を提供し自立を促すヨーロッパのNGOが運営していたが、地雷被害者の減少により撤退し、カンボジア政府によって支えられている。

    入所患者は全て無料だが、運営は相当厳しそうだ。

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    今回も、数人の地雷被害者にお会いしたが、いずれも1996年〜1998年に被害に遭っており、新たな被害者は出ていない。

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    しがも、農民や漁民ばかりで、兵士は1人もいなかった。いかにも

    地雷被害の不条理を感じる。

    義足の作り方などの説明を聞き、後にした。

    2015年3月3日更新

    国際日本文化学園訪問

    2月28日(土)

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    鬼一二三さんの日本語学校「国際日本文化学園」へ。

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    土曜日なので、平日とは若干違うメンバーだったが、川柳を作る勉強をしていた。「うれしいな かれと いっしょに おべんきょう」 「たくさんの かのじょがいても まじめだよ」など、率直に気持ちを詠んだものが多かった。

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    その後、今後の協力体制の在り方について鬼さんと話し、日本に6年間留学していたノン・チャン・ラッタナ君の様な優秀な生徒の日本企業への就職促進などについても話し合った。

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    教室では、今年の日本語弁論大会に出場する「ペコペコちゃん」の発表練習や昨年の優勝者による、感動的で流暢な発表に聞き惚れていた。

    鬼一二三さんも、約20年に亘り、良くここ迄頑張られたとエールを送りたいと思います。

     

    2015年3月2日更新

    第五軍病院訪問

    2月27日(金)

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    ボップイ村からバッタンバンに戻り「第五軍病院」へ。

    バッタンバン州を管轄する第五軍が運営している病院で、内戦終了迄、地雷被害者始め戦争で負傷した兵士の治療を行なって来た。内戦終了後は戦争被害者は減少し、皮肉な事に1993年の選挙監視の為にPKOで駐在した各国の軍隊やタイから帰国したカンボジア難民が持ち込んだエイズ患者が急増した。

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    現在も5人のエイズ患者が入院し、約160人のHIV感染者が通院している。

    今回も入院患者にお会いし、写真も撮ってソピイ院長からも、患者本人からも、アップする事への了承は得たが、プライバシーの観点から差し控えて置きます。

    2015年3月2日更新

    CMCボップイ安倍小学校訪問

    2月27日(金)

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    2月27日、バッタンバン州モールセイ郡の「CMCボップイ安倍小学校」に向う。

    この小学校は、CMCが地雷原の村に初めて作った学校です。

    2000年以降の天候不順で農産物が全滅の危機にあった時、CMCはキャンペーンを張ってボップイ村への米支援を行いました。村人達は、私達を熱烈に歓呼の声で迎えてくれましたが、その際に頼まれたのが、学校建設でした。ボップイ村は、あまりにも貧しく地雷はあっても学校は無く、大人達も読み書きができない状況でした。2004年7月、村人総出の作業もあって無事開校。これ迄、多くの卒業生を輩出しました。

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    ボップイ小学校では、色んな形で子ども達と交流しましたが、坂本有紀さんは、日本から持ってきた折り紙をプレゼント。

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    折り方を見せながら子ども達に教えました。見よう見まねで一所懸命に折る子ども達。出来る子も出来ない子も、笑顔に溢れていました。

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    歯科医師の尾形愛さんは、相手が小学生なので、人形劇で解りやすく歯磨きの大切さを説明。

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    歯ブラシを1人ひとりに配り、毎日楽しく歯磨きが出来る指導を行いました。

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    しっかり勉強が出来るよう、定期的にノートや鉛筆を渡して来ましたが、今回も1人ひとりにノートとボールペンを手渡しました。

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    ■ボップイ村の水資源問題

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    舞の里アルミ缶ポンド

    ボップイ村は、カンボジアの中でも極貧の地域にあたる。特に問題なのは飲み水である。井戸を掘っても水は出ず、福岡県古賀町の「舞の里小学校」の子ども達がアルミ缶を集めて作った溜池「舞の里アルミ缶ポンド」の水を飲んている。

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    今ではホテイアオイや蓮が繁茂し泥水化しているが、牛などの家畜と一緒に、その水を飲んでいるのだ。勿論、身体に良いはずは無い。

    伊藤忠商事の支援で雨水を貯めるタンクを作ったが、容量が小さ過ぎて乾季になると涸れてしまう。

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    伊藤忠商事の支援で作られたタンク

    嬉しい事にコーントライ中学校に「ひまわりの泉」を作った「ひまわり会」の皆さんが「ひまわりの泉」第二号をボップイに作る計画を立てている。実現する日が楽しみである。

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    今回、「ひまわりの泉」を建設する場所を校長と打ち合わせした。伊藤忠商事が作ったタンクの反対側でトイレも近い。雨どいも有るので作り易い。

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    村民、特に体力の無い子ども達の為にも早い実現が望ましい‼

    2015年3月2日更新

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    CMCからのお知らせ