過去の活動
でこぼこ道を上下に揺れながら娯楽施設もないこの村をバイクで走
前回,
■テレビについて。
ボップイ村の全83世帯中テレビを持っていると回答した世帯は40世帯(48%)でした。どんなテレビを持っているか見せてもらいました。
厳密にはこれはテレビではなくて,
■ラジオについて。
ラジオは30世帯(36%)が所有していました。聞く番組は専ら歌謡曲だそうです。
■電話について。
電話については,固定電話はなく,携帯電話が普及しています。都市部では1人1台所有するのが普通ですが,ボップイ村では(ボップイ村に限らずカンボジア国内の多くの田舎では)一家に1台というところが多いです。携帯電話を所有している世帯は66世帯(80%)で,1世帯だけ2台の携帯電話を所有していました。携帯電話でもラジオ放送は聞けるので,これでラジオを聴く人もいるようです。
以上が主な電化製品(電球は除く)ですが,まだ電気が送電されていないボップイ村では,電源には乗用車などに見られるバッテリ―が使用されています。
バッテリーの充電を請け負っている家があり,
「テレビもねぇ ラジオもねぇ」というわけでもなさそうですが,
■車について。
いわゆる4輪の乗用車を所有している世帯は0でしたが,バイクやエンジン付荷車は一応走っています(ただし多くはないです)。バイクを所有している世帯は27世帯(33%),エンジン付荷車を所有している世帯は23世帯(28%)です。このうち,この両方を所有している世帯が9世帯(11%)でした。さらにトラクターを持っている世帯及び脱穀機を持っている世帯がそれぞれ1世帯ずつありました。トラクターや脱穀機は所有者が他の村民に(有料で)貸し出す形で皆で共用しているようです。
調査項目には入れていないので数は分かりませんが,いわゆる「
産業(仕事)もあまりない上に,生活も不便だとしたら,「オラこんな村嫌だ」と言って若者が出ていったとしても不思議ではありません。出ていく人たちが「こんな村嫌だ」と言って出ていくかどうかは分かりませんが(本当は出ていきたくないけど,お金を稼ぐために出ていかざるを得ないかもしれない),少なくとも現状では,村を出ていく人はいても,よそから村に来て定住する人はいません。カンボジア全体では道路や電気などのインフラの整備が着々と進んできていますが,ボップイ村にもインフラ整備の手が伸びてくれば,また状況は変わってくるかもしれません。村民もできるだけこの状況が改善されることを願っていますが,まだまだしばらくはこの状況は変わらないまま続くことでしょう。とりあえずは,毎年雨季にしっかりと雨が降り,大地も村民の生活も潤うことを心よりお祈り申し上げます。
― 終わり ー
文責:曽田
過去の記事
2015年3月31日更新
前回,ボップイ村の人口について見ましたが,今回はボップイ村各世帯の生業について見てみます。
まずは各世帯の構成人数を見てみます。
4人世帯が21世帯と最も多く,ついで6人世帯が14世帯,3人世帯・5人世帯がともに13世帯と続いています。生業(職業)としては,ほとんどの世帯が農業を営んでいます。ボップイ村全83世帯中,耕作地(借地を含む)を持っている世帯は76世帯あり,平均して2.5haの土地で農業を営んでいるようです。
また米作を行っている農家において,1haあたりの米の年間収量
日本の農家の収量と比較すると,日本の農家では1haあたり6t
さてここからは,村民の農業以外の職業(学生,無職を含む)
「日雇い労働」が14人いますが,彼らは家を建てたり,
子どもの層に目を向けてみると,幼児が49人,小学生が90人と
一方で無職も目立ちます。6歳以上18歳未満の無職(
全体的に農業以外の産業は乏しく,
文責:曽田実
過去の記事
2015年3月26日更新
昨年8月,
調査では,スタッフが各家を一軒一軒訪ね,
ボップイ村の調査結果を見る前に,2008年に行われたカンボジ
これを見るとカンボジアは人口に占める若者(子どもも含む)
続いて,カンボジアを都市部と郡部に分けて人口分布状況を見てみます。ただし,都市部は以下のようにして定義され,郡部と区別されています。
都市部の定義
以下の3つの要件を満たすCommuneを都市部としている。
(a)人口密度が200人/㎢以上
(b)男性の農業従事者の割合が50%未満
(c)総人口が2,000人以上
絶対数の違いもありますが,
さて,ここからは我らがボップイ村。
ボップイ村は世帯数が83世帯,人口が380人(男186人,女
ここで注意したいのが,この調査を実施したのがカンボジア国勢調査(2008年)の6年後の2014年であることです。この間,カンボジア国内では大きな動乱や飢饉は生じていない(むしろ順調に経済成長を遂げている)ことから,順当にいけばカンボジア国郡部の人口ピラミッドは15-19歳をピークの中心として,その周辺の年齢層が多くの割合を占めることになるはずです。しかし,ボップイ村の人口ピラミッドは本来多数を占めるはずの15-19歳,20-24歳の層が欠落しています。これは取りも直さず,この年齢層が仕事を求めて村外へ流出していることを表していると考えられます。聞き取り調査によると,流出先はタイ,ポイペト,プノンペン,韓国があげられます。
ボップイ村の各世帯では小規模ながら農地(借地も含む)
2010年3月から2011年3月までCMCバッタンバン事務所
仮にこの状況が変わらないとしたら,5年後さらには10年後,
※) ボップイ村調査の結果は概ね信頼できるとは思いますが,
文責:曽田実
2015年3月24日更新
カンボジア地雷撤去キャンペーンに「ホンダドリーム125cc」を3台寄贈頂いた御礼と報告のため、アジアンホンダモーター株式会社本社に伺いました。
以前も4台頂いていましたが、CMCスタッフは毎日悪路を走り回るので、メーターが壊れる程傷んでいました。今回の寄贈は、それだけに有難く、二輪担当の石川直昭さんに感謝状と拙著「地雷原の子ども達と共に」を贈呈致しました。アジアンホンダの担当範囲は23ヶ国と広く、西はパキスタン、東はニューカレドニア、北は韓国、南はオーストラリアに及びます。
中でも最も人気が有るのがホンダドリーム号という事です。カンボジアでのバイクのシェアの90%がホンダ車で圧倒的独占状態、そのうち80%がホンダドリーム号だという事でした。
タイのホンダさんとのお付き合いも10年を越しました。今後とも宜しくお願いします。
2015年3月13日更新
9月16日(火)の業務開始から,5か月余りがたちました。
一気に収入向上は難しいですが,
文責:曽田実
2015年3月6日更新
昨年11月より実施してきた地雷・
今年度のMREでは,
現在,
文責:曽田実
過去の記事
地雷危険回避教育プロジェクト①******~MREトレーナー決定!~
地雷危険回避教育プロジェクト②******~MREトレーナー初現場訪問!~
地雷危険回避教育プロジェクト③******~うまくいかない時もある~
地雷・不発弾危険回避教育⑯ ~新年度事業始動,新スタッフ加入~
2015年3月5日更新
第19次CMCカンボジアスタディツアー ~プノンペン~
2月22日(日)
2月22日(日)
夕方5時半,参加者がプノンペン国際空港に降り立ちました。
2月23日(月)
スタディツアーの最初の訪問地として,
次にイオンを訪れました。
午後の最初はセントラルマーケット,
その次に倉田さんという日本人が経営されているクラタペッパーと
夕方はトンレサップ川からメコン川にかけてボートクルージングを
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第19次CMCカンボジアスタディツアー ~地雷原~
2月24日(火)から25日(水)にかけて,2つの地雷原を視察しました。一つはMAG(Mine Advisory Group)の地雷原,もう一つはCSHD(Cambodia Self Help Demining)の地雷原です。
2月24日(火)
早朝5時,一行は一路MAGの地雷原(バッタンバン州コムリエン郡)に向けプノンペンを出発しました。途中朝食,昼食休憩をはさみ,午後1時半にMAGの地雷原に到着しました。現地では,従来の地雷探知機(金属探知機)に加え,金属探知をした上で地中の物体の形状もレーダーで感知することができるという地雷探知機の使用も見せてもらいました。
発見された地雷の爆破処理まで一通り見終えた後,一行はMAGの作業員さんたちに別れを告げて地雷原を後にし,この日の宿泊地であるバッタンバン市へ行きました。
2月25日(水)
一行は朝7時に出発し,バッタンバン市からバスで約1時間半のところにあるCSHDの地雷原(パイリン州パイリン特別市)へ行きました。今回の地雷原はかつてクメールルージュが砦を築いたという小高い丘でした。
地雷撤去作業現場のすぐ近くに土砂崩れがあったという場所があり,案内してもらいました。土砂崩れそのものは規模も小さく,大きな被害を及ぼすものではないのですが,地雷が埋められているであろう土地の土砂が平地へ流れるというところが大きな問題となるようです。通常地雷は埋められてからずっとその場にとどまるものですが,山や丘の多いパイリンでは雨季などによく地雷が移動してしまうことがあるそうです。 厄介な話です。
地雷の爆破処理まで見終えた後,作業員のみなさんと記念撮影をしました。
CMCスタディツアーのために都合をつけてくださり,そして笑顔であたたかく我々を迎え入れてくださったMAGとCSHDのみなさん,本当にありがとうございました。
10時半過ぎ,一行はパイリンを後にし,タイ国境沿いを北へに走り,昼過ぎにトゥールポンロー中学校へ到着しました。
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第19次CMCカンボジアスタディツアー ~トゥールポンロー中学校,コーントライ中学校~
パイリンの地雷原を後にし,午後にトゥールポンロー中学校へ,夜はシソポンで1泊,その翌日の午前でコーントライ中学校を訪問しました。
2月25日(水)
正午過ぎ,一行はバンテアイミエンチェイ州マライ郡にあるトゥールポンロー中学校を訪問しました。
今年度,トゥールポンロー中学校から優秀な生徒を男女1人ずつ選抜し,進学のための奨学金支援をすることが(株)データマックス児玉社長とCMCの間で決定し,この日は事前に選考した生徒の発表が大谷理事長よりありました。
これを機に,夢の実現に向けて更に一層勉学に励んでくれることを願います。
教室でのあいさつの後はみんなで外に出て遊びました。
夕方,一行はこの日の宿泊先であるシソポンのホテルに行きました。ここで,歯科医の尾形愛さんと合流しました。
2月26日(木)
朝,一行はバンテアイミエンチェイ州オーチュラウ郡にあるコーントライ中学校を訪問しました。
全体のあいさつの中で,私がこの3月でCMCを退職することの発表も大谷理事長よりありました。そして大谷理事長からは事前に準備されたという表彰状とともに暖かい励ましのお言葉をいただきました。至らない点も多々ありましたが,こうして表彰してもらうことができ,非常に嬉しく思いました。残り1か月の任期をしっかり全うできるよう頑張ろうと思います。
この日は前日夜に合流された歯科医,尾形愛先生による歯磨き指導もありました。カンボジアの公立学校においてはこのような機会を得ることはNGOなどの支援がない限りまずありえないことですが,子どものときに健康に関すること(ここでは歯の健康について)しっかりと指導を受けることは,健康で豊かな人生を送るうえで非常に大事なことだと思います。とても素晴らしい活動だと思います。
最後はひまわりの泉というひまわり会が支援して設置した水タンクの前で記念撮影をし,一行はコーントライ村を後にしました。
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第19次CMCカンボジアスタディツアー ~ホンダ・バッタンバン営業所,プノム・ソムパウ~
コーントライを後にした一行は再びバッタンバンに戻りました。昼食後,まずはバッタンバン市内にあるバイクの販売店ホンダ・バッタンバン営業所に行きました。
ここでアジアンホンダモーター様よりCMCへいただいたバイクの新車3台の贈呈式が行われました。これまでもCMCのバッタンバン事務所には業務用バイクが2台あったのですが,これももともとはアジアンホンダモーター様よりいただいていたもので,今回は長期間酷使してきたそのバイクの代わりに,新しいバイクを頂けることになったという次第です。アジアンホンダモーター様には心より感謝申し上げます。
夕方は,市街地から南西へ約20㎞程離れたところにあるプノム・ソムパウというところに行きました。プノム・ソムパウは周囲を平野に囲まれた小高い山で,山頂からは壮大な平野が一望できます。また,ここはかつての内戦の激戦地でもあり,いわゆるキリングフィールドと言われる処刑場もあった場所で,我々も歩いてまわりました。
心地よい疲れと適度な筋肉痛を残し,この日はバッタンバンのホテルで休みました。
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第19次CMCカンボジアスタディツアー ~ボップイ小学校,軍病院~
2月27日(金)
朝,一行はバッタンバン州モーンルサイ郡にあるボップイ小学校に行きました。ここでも,コーントライ中学校同様,尾形愛先生による歯磨き指導がありました。また,参加者の1人である坂本さんによる折り紙教室もありました。
歯磨きも折り紙も楽しくできました。
午後はバッタンバン市内にある軍病院に行きました。
お話を伺うと,病院は年々設備や薬等も充実してきているとのこと。ただ,学校などと同様都市部と田舎では整備の度合いが全然違い,田舎に行くほど整備は遅れています。どの地域でも医療体制が充実し,安心して暮らせるようになることを願うばかりです。
この後,一行はバッタンバンを後にし,一路シェムリアップへ。プノンペンから始まり,長い距離を移動してきたツアーも大詰めを迎えます。
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第19次CMCカンボジアスタディツアー ~シェムリアップ~
2月22日(日)にプノンペンから始まったスタディツアーは,バッタンバン,パイリン,バンテアイミエンチェイと続いた後もう一度バッタンバンに戻り,そして最後の都市シェムリアップに入ります。
2月28日(土)
朝,まず最初に鬼一二三日本語教室を訪問しました。
教育環境がなかなか整備されないこのカンボジアの地で,
午後はアキラ地雷博物館に行きました。
その後は,地雷博物館からシェムリアップ市内へ帰る途中にある「
3月1日(日)
この日は終日アンコール遺跡群を観光しました。
夜は福岡でカンボジア料理店を営んでおられるというスロスさん宅
3月2日(月)
いよいよ最終日。この日はワットトメイ,義足リハビリセンター,
午後はマッサージを受けたり買い物をしたりと参加者さんたちは思
多くの方が治安を懸念されますが,経済発展に伴い,
―終わり―
2015年3月4日更新
障害者支援センターへ。
ここは、元ハンディキャップ・インターナショナルという地雷被害者に義足を提供し自立を促すヨーロッパのNGOが運営していたが、地雷被害者の減少により撤退し、カンボジア政府によって支えられている。
入所患者は全て無料だが、運営は相当厳しそうだ。
今回も、数人の地雷被害者にお会いしたが、いずれも1996年〜1998年に被害に遭っており、新たな被害者は出ていない。
しがも、農民や漁民ばかりで、兵士は1人もいなかった。いかにも
地雷被害の不条理を感じる。
義足の作り方などの説明を聞き、後にした。
2015年3月3日更新
鬼一二三さんの日本語学校「国際日本文化学園」へ。
土曜日なので、平日とは若干違うメンバーだったが、川柳を作る勉強をしていた。「うれしいな かれと いっしょに おべんきょう」 「たくさんの かのじょがいても まじめだよ」など、率直に気持ちを詠んだものが多かった。
その後、今後の協力体制の在り方について鬼さんと話し、日本に6年間留学していたノン・チャン・ラッタナ君の様な優秀な生徒の日本企業への就職促進などについても話し合った。
教室では、今年の日本語弁論大会に出場する「ペコペコちゃん」の発表練習や昨年の優勝者による、感動的で流暢な発表に聞き惚れていた。
鬼一二三さんも、約20年に亘り、良くここ迄頑張られたとエールを送りたいと思います。
2015年3月2日更新
ボップイ村からバッタンバンに戻り「第五軍病院」へ。
バッタンバン州を管轄する第五軍が運営している病院で、内戦終了迄、地雷被害者始め戦争で負傷した兵士の治療を行なって来た。内戦終了後は戦争被害者は減少し、皮肉な事に1993年の選挙監視の為にPKOで駐在した各国の軍隊やタイから帰国したカンボジア難民が持ち込んだエイズ患者が急増した。
現在も5人のエイズ患者が入院し、約160人のHIV感染者が通院している。
今回も入院患者にお会いし、写真も撮ってソピイ院長からも、患者本人からも、アップする事への了承は得たが、プライバシーの観点から差し控えて置きます。
2015年3月2日更新
2月27日、バッタンバン州モールセイ郡の「CMCボップイ安倍小学校」に向う。
この小学校は、CMCが地雷原の村に初めて作った学校です。
2000年以降の天候不順で農産物が全滅の危機にあった時、CMCはキャンペーンを張ってボップイ村への米支援を行いました。村人達は、私達を熱烈に歓呼の声で迎えてくれましたが、その際に頼まれたのが、学校建設でした。ボップイ村は、あまりにも貧しく地雷はあっても学校は無く、大人達も読み書きができない状況でした。2004年7月、村人総出の作業もあって無事開校。これ迄、多くの卒業生を輩出しました。
ボップイ小学校では、色んな形で子ども達と交流しましたが、坂本有紀さんは、日本から持ってきた折り紙をプレゼント。
折り方を見せながら子ども達に教えました。見よう見まねで一所懸命に折る子ども達。出来る子も出来ない子も、笑顔に溢れていました。
歯科医師の尾形愛さんは、相手が小学生なので、人形劇で解りやすく歯磨きの大切さを説明。
歯ブラシを1人ひとりに配り、毎日楽しく歯磨きが出来る指導を行いました。
しっかり勉強が出来るよう、定期的にノートや鉛筆を渡して来ましたが、今回も1人ひとりにノートとボールペンを手渡しました。
■ボップイ村の水資源問題
ボップイ村は、カンボジアの中でも極貧の地域にあたる。特に問題なのは飲み水である。井戸を掘っても水は出ず、福岡県古賀町の「舞の里小学校」の子ども達がアルミ缶を集めて作った溜池「舞の里アルミ缶ポンド」の水を飲んている。
今ではホテイアオイや蓮が繁茂し泥水化しているが、牛などの家畜と一緒に、その水を飲んでいるのだ。勿論、身体に良いはずは無い。
伊藤忠商事の支援で雨水を貯めるタンクを作ったが、容量が小さ過ぎて乾季になると涸れてしまう。
嬉しい事にコーントライ中学校に「ひまわりの泉」を作った「ひまわり会」の皆さんが「ひまわりの泉」第二号をボップイに作る計画を立てている。実現する日が楽しみである。
今回、「ひまわりの泉」を建設する場所を校長と打ち合わせした。伊藤忠商事が作ったタンクの反対側でトイレも近い。雨どいも有るので作り易い。
村民、特に体力の無い子ども達の為にも早い実現が望ましい‼
2015年3月2日更新
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