活動予定

卒業式

9月14日

2015年9月14日(月)、CMCコーントライ夢中学校およびCMCトゥールポンローみおつくし中学校にて卒業証書授与式を挙行した。

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当日は学校がお休みということもあり、卒業生が集まってくれるかどうか学校に着く直前まで心配していたが、コーントライ中学校では卒業生全12名の内11名が、トゥールポンロー中学校では卒業生全35名の内32名が参加した。

 

コーントライ中学校では、日本からの来賓者を乗せたバスが着くなり、まずはたくさんの牛がお出迎え。そして生徒及び先生方の盛大な拍手の中、迎えられた。

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続いて卒業証書授与。卒業生一人一人に英語と日本語で書かれた卒業証書が手渡された。

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加えて学校へは記念品としてバドミントン道具一式とサッカーボールが贈呈された。

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最後は皆で記念撮影。規模は小さいながらも笑顔あふれる卒業式となった。

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トゥールポンロー中学校を訪れた際は、アクシデントに見舞われた。当日午前中に降った雨のせいで道路がぬかり、学校まであと300mのところでバスは停止。そこからは炎天下の中、全員徒歩で学校へ向かった。

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そして、やっとの思いで学校へ着くとその疲れが吹き飛ぶくらいの大拍手で歓迎を受けた。

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卒業証書授与式では、卒業生一人一人にクメール語と日本語で書かれた卒業証書が手渡され、成績最優秀卒業生には記念品としてデジタルカメラが授与された。また学校へは記念品として飴と色鉛筆が贈呈された。

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最後は皆で記念撮影。

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当日は予定よりも1時間前倒しで式が開始されたが、思いのほか多くの卒業生が参加してくれた。

 

両校とも年度末で休校中だったにも関わらず、多くの生徒、先生方が集まり無事卒業式を終えることができた。ご協力いただいた生徒の皆さん、そのご家族、先生方、そして遠く日本からお越しいただいた支援者の皆さまに深く感謝申し上げます。

文責:堀内信輔

2015年9月17日更新

ラジオ事業 出演者探し

私たちが企画・制作をしているラジオ番組「Voice of Heart」は、今年の 10 月 18 日から来年の 1 月 31 日にかけて毎週日曜日 1 時間、全 12 回、バッタンバン州、バ ンティエイ・ミエンチェイ州、シェムリアップ州の3つの州で放送されます。それ に伴い、同番組の出演者を探し及び出演交渉を現在行っています。

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出演者は地雷・不発弾の被害者と限定しているため、出演交渉は簡単ではありま せん。出演を断られるケースがほとんどです。その理由は以下の通りです。

① 被害を受けたショックから立ち直れず、家に引きこもったまま。

② 被害にあった状況を思い出したくない。

③ 足を無くした自分を他人に見られたくない。

④ 自分に自信が持てない。そっとしておいてほしい。

⑤ 家族が反対。惨めな姿を他人に見せたくない。

⑥ 仕事が忙しい。

⑦ 出演料が安すぎる。

⑧ 聞いたこともない NGO を信用できない。

私たちのラジオ番組は、まさに上記の①~⑤の被害者の方々に聞いていただきた い内容となっております。 そして、出演交渉が困難を極める中、同番組の出演を快く引き受けてくれた方々 もいらっしゃいます。その方々からのご協力、日本及びカンボジアの多くの支援者 の皆さまのおかげで、この度ようやく同番組のポスターが完成いたしました!ご支 援、ご協力ありがとうございました!2

ー終わりー

文責:堀内

過去の記事

ラジオ局選定作業・・・そして契約へ!!

2015年8月26日更新

トゥールポンロー村調査

2015年4月~6月にかけて実施した村調査(バンテイミエンチェイ州マライ郡地区トゥールポンロー村)の調査結果について報告いたします。調査方法は、これまでの村調査同様、CMCスタッフがバイクで現地に赴き、各家を一軒一軒訪ね、世帯ごとに人数や年齢、職業、資産などをインタビュー形式で聞く方法です。

トゥールポンロー村は2010年12月にワイズメンズクラブ国際協会大阪西クラブ様、㈱データ・マックス様、大阪城東ロータリークラブ様の支援により中学校が建設され、現在に至るまでCMCの支援が続いている地域です。

しかしながら、コーントライ村と同様、同村におけるCMCの認知度が10%以下ととても低かったため、村民からは、「信用できないから帰って!」「他のNGOはTシャツや帽子をくれるのに何故くれないの?」「私たちを騙すつもり?」といった声を受け、村調査は困難を極めました。

 

さて、本題に入ります。トゥールポンロー村は10のグループ(隣組)で構成されており、総人口は1846人、世帯数は308です。これからご紹介する統計は、調査にご協力いただけた144世帯、749名の調査結果を元に算出されたものです。

 

年代別の人口比です。日本とは対照的に40歳までの若い世代が全体の約77%を占めています。図1

図2

続いて11~60歳までの職種別の内訳です。やはり多くの人がタイヘ出稼ぎへ行っています。

コーントライ村同様、農業では十分な現金収入を得られないため、農家の親たちも子どもをタイヘ出稼ぎに行かせる傾向があります。カンボジア人出稼ぎ労働者は時に酷い扱いを受け、重い病に罹ったり、職場に軟禁され何年も帰国できなくなったりすることもあります。彼らもそのことは十分理解しています。しかしながら、タイでは、学歴・年齢・性別に関係なく容易に仕事に就け高い収入を得られる事例も多いため、リスクを承知で多くの若者がタイヘ出稼ぎへ行きます。タイで違法滞在を繰り返し、何度も強制送還をされたカンボジア人男性がバンテイミエンチェイ州の警察署で言い放った有名な言葉があります。「カンボジアで働けば20日しか家族を養えないが、タイで働けば20年間養える。」

コーントライ村同様、タイへ出稼ぎに行った人とそうでない人との家は、外観からして明らかに違っていました。

1.タイへ出稼ぎに行った人の家図3

2.タイへ出稼ぎに行った人の家図4

3.タイへ出稼ぎに行った人の家

図5

4.タイへ出稼ぎに行ってない人の家

図6

7.タイへ出稼ぎに行ってない人の家

図7

前述のとおり、タイにおけるカンボジア人出稼ぎ労働者の仕事の多くは学歴や年齢を問われないため、小・中学校や高校を中退してタイヘ出稼ぎに行ってしまう生徒が数多くいます。CMCが支援しているトゥールポンロー村唯一の中学校、トゥールポンローみおつくし中学校も毎年半分以上の生徒が中退しています。校長先生によるとその大部分は親または本人がタイヘ出稼ぎへ行くためだそうです。中学校に行かなくてもタイヘ出稼ぎに行ったことで、裕福な生活を送っている人々を実際に間近で見ている彼らにとって、学校へ行くことの必要性はわからないかもしれません。同地区で中学校支援のため約5年間活動しているCMCの認知度が低かったこともこういったことが起因しているかもしれません。

 

次に村民が所有している資産についてです。まず所有地についての調査ですが、村民の証言の信憑性が低かったため、今回は公表いたしません。誰がどこの土地をどのくらい所有しているのか、ということが不明瞭なのです。まったく同じ場所の土地を「この土地の所有者は自分だけだ。」と主張する人が複数いたり、土地の権利書のような正式な書類を持っている人が少なかったり、地図の見方や土地のサイズが分からなかったりする人が数多くいました。

その他の資産については、次の図をご覧ください。

図8

この地域ではCellcardというカンボジアの電話会社の電波が強いようです。携帯電話を持っている小学生も見かけました。携帯電話は安いものは1000円、SIMカードは50円、プリペイドカードは1ドルで買えます。

この地域でもテレビは家庭内の娯楽の中心と言えそうです。タイと韓国のテレビドラマ(クメール語吹替え版)が人気を集めています。電気が来ていない家でも、車で使うようなバッテリーを使って視聴していました。

続いてラジオですが、所有率は12.44%ですが、ラジオを実際に聴いていると答えた人は全体の5%以下でした。ラジオ事業を実施している私達CMCにとっては耳の痛い話ですが、テレビの普及に伴ってラジオを聴く人たちが殆どいなくなっているという現実がここにはあります。

自転車とバイクの所有率が低いこともあり、交通の不便さから学校へ通うのを諦める子ども達がたくさんいます。また、コーントライ村と同様、住民たちの多くはバイクを買うときにローンを組むそうです。とは言っても同村には銀行やマイクロファイナンス等の貸付業者はありません。多くの家庭はシソポンのローン会社に電話をし、書類とお金を自宅に持ってきてもらい契約するそうです。

車は、ごく一部のお金持ちだけが所有しています。

2015年7月16日更新

コーントライ村調査

2015年4月~6月にかけて実施した村調査(バンテイミエンチェイ州オークロブ郡コブ地区コーントライ村)の調査結果について報告いたします。調査方法は、前回報告したボップイ村調査同様、CMCスタッフがバイクで現地に赴き、各家を一軒一軒訪ね、世帯ごとに人数や年齢、職業、資産などをインタビュー形式で聞く方法です。

コーントライ村は2008年9月に(社)佐世保青年会議所様及びCMCの支援により中学校が建設され、現在に至るまで両団体の支援が続いている地域です。しかしながら、今回の調査を終え、大きなショックを受けたことが一つあります。それは、同村におけるCMCの認知度がとても低かったことです。9割を超える村民たちがCMC歴代スタッフはおろか、CMCの名前すら聞いたことがないと回答しました。

そのことは私たちが村調査を行う上で大きな障害となりました。今回の調査は村内に住む全347世帯を対象に実施されましたが、結局その内の202世帯からしか調査の協力を得られなかったのです。CMCのことを知らない村民からも多少協力を得ることもできましたが、多くの村民からは「聞いたこともないような団体には協力できない。信用できないから。」といった声を受け、村調査は困難を極めました。

 

さて、本題に入ります。コーントライ村は13のグループ(隣組)で構成されており、総人口は1815人、世帯数は347です。これからご紹介する統計は、調査にご協力いただけた202世帯、1092名の調査結果を元に算出されたものです。

図2 図1

年代別の人口比です。日本とは対照的に40歳までの若い世代が全体の約8割を占めています。

続いて11~60歳までの職種別の内訳です。多くの人がタイヘ出稼ぎへ行っています。私たちが調査した中では11歳の少年がタイヘ出稼ぎに行っている事例もありました。

農業では十分な現金収入を得られないため、農家の親たちも子どもをタイヘ出稼ぎに行かせる傾向があります。カンボジア人出稼ぎ労働者は時に酷い扱いを受け、重い病に罹ったり、職場に軟禁され何年も帰国できなくなったりすることもあります。彼らもそのことは十分理解しています。しかしながら、タイでは、学歴・年齢・性別に関係なく容易に仕事に就け高い収入を得られる事例も多いため、リスクを承知で多くの若者がタイヘ出稼ぎへ行きます。

こんな話も聞きました。「タイヘ出稼ぎに行って5年以上帰って来なかっ知り合いが、ある日突然帰ってきた。タイでは奴隷のように働かされ、重い病気になったり、刑務所に入れられたりもしたそうだ。しかし、彼は帰国後、実家の近くに大きな豪邸を建てた。私も彼と同じようにタイヘ出稼ぎに行きたい。だってカンボジアでは何年働いても、彼のような家は建てられないから。」

そして事実、タイへ出稼ぎに行った人とそうでない人との家は、外観からして明らかに違っていました。

1.タイへ出稼ぎに行った人の家

図3

2.タイへ出稼ぎに行った人の家

図4

3.タイへ出稼ぎに行った人の家

図5

4.タイへ出稼ぎに行った人の家

図6

5.タイへ出稼ぎに行っていない人の家

図7

6.タイへ出稼ぎに行っていない人の家

図8

7.タイへ出稼ぎに行っていない人の家図9

8.タイへ出稼ぎに行っていない人の家

図10

前述のとおり、タイにおけるカンボジア人出稼ぎ労働者の仕事の多くは学歴や年齢を問われないため、小・中学校や高校を中退してタイヘ出稼ぎに行ってしまう生徒が数多くいます。CMCが支援しているコーントライ村唯一の中学校、コーントライ夢中学校も毎年半分以上の生徒が中退しています。校長先生によるとその大部分は親または本人がタイヘ出稼ぎへ行くためだそうです。中学校に行かなくてもタイヘ出稼ぎに行ったことで、裕福な生活を送っている人々を実際に間近で見ている彼らにとって、学校へ行くことの必要性はわからないかもしれません。同地区で中学校支援のため7年以上も活動しているCMCの認知度が低かったこともこういったことが起因しているかもしれません。

次に村民が所有している資産についてです。まず所有地についての調査ですが、村民の証言の信憑性が低かったため、今回は公表いたしません。誰がどこの土地をどのくらい所有しているのか、ということが不明瞭なのです。まったく同じ場所の土地を「この土地の所有者は自分だけだ。」と主張する人が複数いたり、土地の権利書のような正式な書類を持っている人が少なかったり、地図の見方や土地のサイズが分からなかったりする人が数多くいました。

その他の資産については、次の図をご覧ください。

図11

電話の内訳は99%が携帯電話で、1%が固定電話でした。この地域ではMetfoneというベトナムの会社の携帯電話の電波が強いようで、私たちが見かけた携帯電話のほとんどがMetfoneでした。住民からは、「本当はベトナムの会社の携帯電話なんて使いたくないんだけど、他の電話会社の電波は弱いから、仕方なくMetfoneを使っている。」といった声も聞かれました。

テレビは家庭内の娯楽の中心と言えそうです。タイと韓国のテレビドラマ(クメール語吹替え版)が人気を集めています。私たちが各家庭を訪れた際もテレビを見ていた家庭がたくさんありました。「電気代が高いけど、面白いから止められない。1日12時間は見ている。」といった家庭もありました。

続いてラジオですが、所有率は18.91%ですが、ラジオを実際に聴いていると答えた人は全体の1%以下でした。ラジオ事業を実施している私達CMCにとっては耳の痛い話ですが、テレビの普及に伴ってラジオを聴く人たちが殆どいなくなっているという現実がここにはあります。

自転車やバイクは半分以上の世帯が所有していますが、数的にはまだまだ不足しています。交通の不便さから学校へ通うのを諦めたり、仕事が見つからなかったりする人たちがたくさんいます。また、これは統計をとっていなかったので具体的な数字は把握していませんが、住民たちの多くはバイクを買うときにローンを組むそうです。とは言っても同村には銀行やマイクロファイナンス等の貸付業者はありません。多くの家庭はシソポンのローン会社に電話をし、書類とお金を自宅に持ってきてもらい契約するそうです。

車は、一般庶民にとっては高嶺の花で所有している人はごく一部のお金持ちだけです。

牛を所有している世帯は意外と多く18.31%、平均所有頭数は3.6でした。住民からは「牛は自分たちで乳や肉を取るために飼育しているわけではない。大きく育てて町の大きい業者に高く売るためだ。昔はもっと多くの家庭が牛を持っていたが、お金になるまでに時間がかかるから多くの人が手放した。」との声も聞かれました。それにしてもこちらの牛たちは痩せこけていてかわいそうです。また、村長さんによると、同村では水牛は1頭もいないそうです。

2015年7月16日更新

電気が来た!!

7月8日

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CMCトゥールポンローみおつくし中学校にソーラーパネルを設置した。

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ソーラーパネルが中学校に着くなり、先生たちは「ついに電気が来たー!」とソーラーパネルを囲み大興奮!それもそのはず、同中学校内で寝泊まりをしている先生方4名と生徒10名は、同中学校開校以来4年7か月間も電気の全くない生活を送ってきたのだ。暗闇の中、ろうそく一本の明かりで食事を取り、トイレに行き、勉強をしていたのだ。携帯電話に関しては、充電をするためだけにバイクで30分もかけて充電できるお店に行き、また30分かけて学校に戻り、翌日またそのお店に取りに行くという生活だった。喜びも人一倍である。

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設置する前に、パネルの裏側にスプレーで「CMCから寄贈」と吹き付ける作業を行おうとした際、トラブル発生。パネルの裏側は黒色と聞いていたので、白色のスプレーを持参していたスタッフが凍りつく。そう、パネルの裏側は白!それでもスタッフは諦めない。「スプレーの白は少し違う色だから大丈夫!」と自信を持って試してみるも、やはりほとんど見分けがつかない。スプレーが買える店まではバイクで片道30分、さあどうする。そんなとき、校長先生がある一人の生徒に「スプレー買って来て!」とお金と自分のバイクの鍵を放り投げる。生徒も笑顔で鍵とお金を受け取り、颯爽とバイクに跨り出発。日本では考えられない光景だ。

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スプレーを待っている間に、工事業者は他の作業に取り掛かる。設置場所を確認したり、配線の準備をしたり。業者が動くたびに先生も生徒も動く。先生や生徒たちも興味津々だ。そしてスプレーも無事届き、いざ設置。業者は、はしごがあるのにわざわざ壁をよじ登って設置作業に入る。あとは業者に任せるしかない。時折、業者から先生や生徒たちに指示が飛ぶ。日本人的感覚だと「普通、お客さんにこんなに指示を出して手伝ってもらうかなー」と思うが、どうもこれがこちらの「普通」のようだ。

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途中雨が降り、工事が一時中断されたが、作業を始めてから約5時間後、ついに設置工事完了!一人の先生が早速、携帯電話の充電を試みる。充電していることが確認されると満面の笑顔!私が片言のクメール語で電気ある?と聞いてみると、「ミエン(ある)、ミエン(ある)!」と興奮気味に答えてくれた。

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その日の晩、CMCスタッフに同中学校の先生から電話がかかってきた。ソーラーパネルは順調に機能しているとのこと。夜でも明るくて快適だが、試験運転のため今晩は明かりを付けっぱなしで寝なければいけないらしい。彼らの夜更かしが心配だ。

報告:堀内信輔

2015年7月16日更新

ラジオ局選定作業・・・そして契約へ!!

本年度は、CMCのラジオ事業「Voice of heart」を10月18日から毎週日曜日、約3ケ月間、3つのラジオ局で放送予定です。

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まず始めにCMCカンボジア事務所内で選定作業の段取り等について皆で話し合った結果、地雷原や地雷被害者が多く住む地域を効率良くカバーするためにバッタンバン州、バンテアイミエンチェイ州、シェムリアップ州の3つの州でそれぞれ1局ずつラジオ局を選定することになりました。そして翌日から早速各州のラジオ局を回り始めたのですが、ここからが大変でした。

まず1つ目、バンテアイ・ミエンチャイ州へ向けバイクで移動中、突然の豪雨に見舞われました。視界が悪く道路状況も悪かったため、結局その日は目的のラジオ局までたどり着くことができず、途中のゲストハウスに泊まることになりました。そして翌日は、無事ラジオ局を回ることができたのですが、帰り途中にまたも突然の豪雨!さすがに皆、「3日連続で汗だくの同じ服を着たくない。」ということで、小さいバイクで強い雨風にさらされながら5時間もかけて帰宅したのでした。ちなみにカンボジアではテレビやラジオの天気予報もありますがあまり当てにならず、雨の詳しい時間帯までは把握できません。そんなこともあり、地方の住民の間では「天気予報のギャンブル」なるものも存在し、人気を集めています。⑥

2つ目、どのラジオ局でも契約交渉に2時間以上かかりました。ラジオ局選定にあたっては、信頼性、可聴エリア、値段、実績等を指標に交渉を進めましたが、何といっても値段交渉に時間がかかりました。3時間以上かけても結局折り合いがつかず、交渉が決裂したときもありました。それにしても、エアコン無しで30度を優に超える蒸し暑さの中、カンボジア人の皆さんは本当に粘り強いです。

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上記以外にも、お目当てのラジオ局が潰れていたり、出張先で迷子になったり、食中毒になったりと様々なトラブルを経験しました。そして3つの州で計12局のラジオ局と交渉した結果、この度ようやく3つのラジオ局と契約を締結することができました!

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同行したCMCの現地スタッフは20代前半の若者ですが、彼らの交渉力には目を見張るものがあります。3つのラジオ局とは、いずれも先方の最初の言い値の半分以下の金額で契約できています。これこそ生きる力!?③

報告:堀内信輔

2015年6月30日更新

パソコン研修

先日、カンボジア事務所内である重大な問題が発覚しました!

3台のパソコンがウイルスに侵されていました。調べてみる、パソコンにはウイルス対策ソフトがインストールされていない!!

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そこで急きょソフトをインストール!!

カンボジアではコンピューターウイルスが日本以上に蔓延しています。特にUSBを介しての感染が多いようです。

CMC現地人スタッフ曰く、「印刷屋に自分のUSBメモリーを持っていけば、確実にウイルスをもらう」とのこと。それほど蔓延しています。

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ソフトのダウンロードと合わせて、停電時の対策なども学びました。

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今回インストールしたソフトですが、これ以外バッタンバン市内に取り扱っているものはありませんでした。

旅行やお仕事でカンボジアに行かれる方は、USBなどに気を付けて下さい!!

2015年6月30日更新

佐世保JC コーントライ夢中学校訪問

4月24日(金)

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(社)佐世保青年会議所(佐世保JC)の皆さん12名がコーントライ夢中学校を訪問されました。同中学校は、2008年9月26日に佐世保JCの皆さんの支援により建設され、物品供与、建物修復等、現在至るまで佐世保JCの皆さんの温かい支援が続いています。クメール正月明けにも関わらず、約90名の元気な生徒たちが出迎えてくれました(写真①②)

②

続いて、生徒たちの授業風景を見学(写真③)。カメラマンがたくさんいて生徒たちも緊張している様子でしたが、みんな一生懸命学習に取り組んでいました。

③

また別室では、校長先生と佐世保JCの皆さん、CMCとで会議が行われ、学校の近況、抱えている問題点、今後の支援のあり方等について話し合われました(写真④)。

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また、これまでに触れてこなかった先生方への支援の必要性やセキュリティーの問題等についても活発な議論が行われ、たいへん有意義な会議となりました。

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当日は、異文化交流ということで伝言ゲームも行いました。

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佐世保JCの皆さんと生徒たちとで二つのグループに分かれ、それぞれ日本語またはクメール語の単語を順番に耳打ちで伝言していきます。

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日本人がカンボジア語を伝言する時とカンボジア人が日本語を伝言する時が勝負の分かれ目です。最後の人が伝言されてきたものを黒板に描いて発表します。

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単純なゲームですが思いのほか盛り上がり、互いに言葉は通じないものの、笑顔あふれる異文化交流となりました(写真⑤⑥⑦⑧⑨)。

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続いて記念品の贈呈式です。

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今回の記念品は、本棚やサッカーボール、バレーボール、ノートやペン等です。佐世保JCの谷川理事長から校長先生へ目録が手渡され(写真⑩)、ノートとペンは佐世保JCの皆さんから生徒一人ひとりへ直接手渡されました(写真⑪⑫)。

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写真⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲は、当日渡すことができなかった本棚等を後日学校へ届けたときの様子です。

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校長先生や生徒たちも運ぶのを手伝ってくれ、運んだ後は、丁寧に拭き掃除もしてくれました。皆笑顔でたいへん喜んでくれました。

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最後は、皆で記念撮影(写真⑳)。猛暑の中、ご協力いただいた生徒の皆さん、先生方、そして遠い日本から忙しい合間を縫ってコーントライ夢中学校まで駆けつけてくださった佐世保JCの皆様、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

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(写真21,22,23は、帰り際に立ち寄った生徒宅への訪問の様子です。)

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(写真24は、校長先生とCMCとで当日のプログラムや贈答品等について事前に協議したときの様子です。)

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追記: 佐世保JCさんを見送ってからCMCバッタンバン事務所にバイクで帰る道中、新たにパンクが発生、その後追い打ちをかけるように突然の豪雨に見舞われました。普段であればバイクで片道2時間かかるところを6時間もかけて事務所に到着したのでした。そして事務所到着後、CMC現地スタッフが食事の誘いを断るほど疲れ切っている様子を初めて見ました。また道中、バイクと車の衝突事故を2件、バスと車の衝突事故1件見ました。カンボジアは、本当に交通事故が多いです。私たちも気をつけなくてはいけません。今回正直、気持ちの上で油断がありました。まだ新しいバイクだから大丈夫だろう、まだ乾季だから雨は降らないだろう・・・と。道中、給油した際にタイヤの点検をしなかったことを反省しております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年5月8日更新

クメール正月 2015

4月は、クメール人にとっての一大行事、「クメール正月」でした。このクメール正月による休日は、カレンダー上は4月14,15,16の10日間だけですが、実際は多くの人が1週間以上の休みを取っています。特に学校の先生や生徒たちは長期休暇を取る傾向が強いらしく、中にはクメール正月は1か月間だと勘違いしている生徒たちも大勢いるようです。ちなみにCMCカンボジア事務所の現地スタッフも4月11日~19日までの9日間は誰も出勤しませんでした。そして「カレンダー上の祝日は9日間ある」と本気で勘違いしているスタッフも数名いたのでした。(笑)

さて、クメール正月といっても地域によって、家庭によって様々な特色がありますが、今回は、バッタンバンの「我が家」のクメール正月をレポートいたします。

クメール正月は、まず親戚同士が集まるところから始まります。昔はおじいさんやおばあさんの居るいわゆる本家に集まっていたそうですが、今では親戚が大勢集まれる大きい家を持っている人のところに集まる傾向だそうです。そしてたくさんの料理を作ります。自分たちで食べるもの、家の中の仏壇・神棚にお供えするもの、お寺に持って行くもの、とにかくたくさんの食べ物を準備します。

①

親戚が皆集まったところで、家族の中の年配者に他のメンバーが食べ物を渡す儀式を行います(写真①)

今まで育ててくれて、家族を守ってくれてありがとう、といった感謝のメッセージを伝えます。この場面で私にとって印象的だったのは、20代、30代、男性であっても、女性であっても、自分の親や親戚に対して恥ずかしがらずにしっかり口頭で感謝の意を伝えていたことでした。私だったら自分の親には照れくさくて面と向かって“ありがとう”の一言も言えないと思います。

②

写真②

さて次は、たくさんの料理と果物を持ってお寺へ出かけます。そしてお寺へ到着すると早速持参した食べ物をお坊さんにお供えし、お経を読んでもらいます。写真を見て皆さん何か気が付かれたでしょうか?そう、座り方です。正座の仕方が日本と少し違っています。疲れたから足をくずしている訳ではありません。男性であっても、お坊さんであっても、この横座りが正座なのです。慣れない私にとってこの横座りがいつも苦痛です・・・。

③

写真③

続いて、お寺の中の大広間に移ります。私たちが行ったときには写真の通り、空いていましたが、朝や夕方の時間帯は床に座りきれないほどの人たちでいっぱいになるそうです。普段は一般に解放されていませんので、現地の人たちにとっても特別な日・特別な場所として人気を集めいています。写真の通り、それぞれの家庭で場所を陣取ってしばし休憩です。それぞれの近況を伝えあったり、改めてお坊さんを呼んで説教を受けたりします。大広間の前の方にはお供え物の食べ物がたくさん並べられています。基本的にはお坊さんたちが全部食べるらしいのですが、とてもお坊さんたちだけでは食べ切れる量ではありませんので、残りは一般の方でもお寺に食べに来て良いそうです。実際、その日の夕方に別のお寺に行ってみると、10数名程の私服の若者たち、子どもたちが普通にお寺のお供え物をお寺の敷地内で食べていました。

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写真④

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写真⑤

 

 

 

 

大広間の外ではその他、色々な儀式が行われています。その一つとして写真④は、ご先祖様に感謝の意を込めてご飯とお金を順番にお供えしていく儀式です。端から端まですべてのお釜にご飯が行き渡るよう、上手く調整しながら振り分けます。写真⑤は、お供え用のお金を売っているお店です。いわゆるピン札です。もちろんすべて本物です。バッタンバンでは、流通しているお札は汚いものが多いため、このような商売が成り立つかもしれません。

次にご紹介するのは、水を掛け合う(投げつける!?)習慣です。

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写真⑥

⑦

写真⑦

 

 

 

 

 

小さいビニール袋に水を入れてゴムで縛った水袋をたくさん作る人(写真⑥)、それを通りかかったバイクや車に投げつける人、(写真⑦⑧⑨)、バケツや洗面器を使って水を掛け合う人(写真⑩⑪⑫)、本格的な水鉄砲を使う人(写真⑬⑭)、それぞれに楽しみ方があり、とても楽しいです!

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写真⑧

⑨

写真⑨

⑩

写真⑩

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写真⑪

⑫

写真⑫

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写真⑬

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写真⑭

また水だけでは飽き足らず、見ず知らずの通行人に白い粉を塗り付けて回っている人達もいます。外国人であろうと容赦しません。

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私も4才の息子もやられました(写真⑮)

ちなみにこういった光景をプノンペンやシェムリアップ等の都会では見かけることはありません。なぜなら、やはり危険な行為とみなされ警察に捕まるからです。バッタンバン郊外でも、もし警察の車を見かけたら皆一斉に隠れます。そして万が一見つかると、このようになります。

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写真⑯:皆で一生懸命謝っています

最後に、クメール正月中に起きてしまった残念な事件について報告いたします。クメール正月の休み期間中にCMC及び(社)佐世保青年会議所様が支援を続けているコーントライ夢中学校の2つの教室の扉が壊されてしまいました(写真⑰⑱⑲)。

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写真⑰

何者かが鍵のかかっている教室内に入ろうとドアの一部を破壊し、鍵を強引に開け侵入したのです。盗まれたものは本が数冊で高価なものはなかったそうですが、教室内からは違法薬物を使った痕跡が見つかったそうです。警察の現場検証が行われ、その後も校長先生と警察の方々で連絡を取り合っていますが、未だ犯人は捕まっておりません(4月29日現在)。

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写真⑱

このような休み期間中に学校に不法侵入し、違法薬物を使用する事件、実はカンボジアではよくあることだそうです。休み期間中は生徒も先生も誰もいないため、学校は特に狙われやすいそうです。皆がクメール正月を祝って、楽しんでいる間に起こってしまった何とも悲しい事件です。

 

 

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写真⑲

 

 

2015年5月1日更新

10代目現地駐在員 堀内信輔

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曽田さんから業務を引継ぎ、新しく現地駐在員として着任致しました堀内信輔と申します。趣味は卓球で、アフリカのザンビア共和国で代表チームの監督を務めていた経験もあります。(しかしその実力は!?・・・ご想像にお任せします。)

微力ではありますがカンボジアで一人でも多くの人の夢や希望が叶えられるよう、尽力致します。皆様、末永くよろしくお願い致します。

では、早速活動報告です。

2015年3月26日、CMCバッタンバン事務所に着任したまさにその日にバンテイミエンチェイ州オークロブ郡コブコミューンへ、バイクで出張致しました。初出勤日に初出張ということで最初はとても緊張していましたが、同僚のラボットの運転するバイクに跨り出発すると、その緊張はすぐに解れました。ラボットは運転をしながら後ろの私にしきりに話しかけてきます。「名前は何と呼べば良いのか?日本では何をしていたのか?どうしてカンボジアに来たのか?・・・。」幸い彼とは英語でコミュニケーションが取れていますが、他のスタッフはあまり英語が話せません。クメール語の習得が今後円滑に活動を進めるための重要な要素だと改めて実感しています。

さて、今回の出張先は、CMCコーントライ夢中学校でした。今回の出張の目的は、先生方への着任の挨拶、生徒の50メートル走のタイム計測、算数の小テストを実施することでした。(その詳細については、曽田駐在員の報告書をご覧ください。)

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初出勤日に5時間もバイクに乗り続け、早速、カンボジアの「暑い・熱い!洗礼」を受けております。皆さんバイクに乗る時には必ず長袖・長ズボンを着用しましょう。油断するとたった一日でご覧のとおり。

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2015年3月30日、バンテアイ・ミエンチャイ州マライ郡トゥール・ポンロー村「CMCトゥール・ポンローみおつくし中学校」を訪問しました。あいにく校長先生は留守でしたが、クメール語のサーン・ノー先生と英語のホー・トーン先生にお会いし、色々なお話を聞くことができました。最近のビッグニュースをお聞きすると、2月24日に開催されたマライ郡のサッカー大会で男女とも優勝したそうで、生徒たちは大喜びだったそうです。続く州大会では、惜しくも勝ち残れず全国大会には行けなかったそうですが、3人の生徒が州のベストイレブンに選ばれたそうです。

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左がホー・トーン先生。生徒たちと一緒になってサッカーを楽しんでいました。

その後、生徒たちのサッカー熱が一層高まった様子で授業には参加しないけどサッカーだけはやりに来る生徒も大勢いるそうです。先生方に今一番欲しいものは何ですか?とお聞きすると、「お金」ではなく、「サッカーボールとサッカーゴール、そして素敵なサッカーグラウンド!)」とおっしゃっていたのが印象的でした。

 

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2015年4月7日更新

CMCバッタンバン駐在員曽田より 退職のご挨拶

4月4日(土)

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2015年4月4日バッタンバン事務所にて。センター右側が曽田駐在員、左側が後任の堀内駐在員。

2013年6月より駐在員としてカンボジアバッタンバンにてCMCの業務に携わってきましたが,この度CMCを退職し,プノンペンに今年度から新設された日本人学校にて教員をすることとなりました。この1年10か月間のCMCの業務を通して,様々な人と出会い,生活に触れ,時には人生にも触れました。このバッタンバンでの生活,そしてバッタンバンを中心としたカンボジア北西部のでの活動は,私にとってかけがえのない経験となりました。今後この経験を糧として,新しい職場でも精進していこうと思います。ありがとうございました。

曽田実

 

2015年4月6日更新

ボップイ村調査③ 

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ボップイ村を突き抜ける主要通り

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周囲にはのどかな田園風景が広がっています

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ときどき牛の大群にも出くわします。田舎ではよくある光景です。

でこぼこ道を上下に揺れながら娯楽施設もないこの村をバイクで走り抜けるたびに,日本の歌手吉幾三のあの名曲を思い出します。「はぁ テレビもねぇ ラジオもねぇ 車もそれほど走ってねぇ!」

前回,前々回とボップイ村の人口構成や村民の生業について見てきましたが,今回は各家庭にある車,テレビ,電話などの所有状況を見てみます。吉幾三が歌うように,各家には本当にテレビもラジオも車もないのか・・・。

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カンボジアでみられるごく普通の高床式の家です。

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家の脇に水瓶がおいてあります。屋根の雨水が流れ込むようになっています。この水で普段,料理をしたり水浴びをしたりします。水が無くなったら隣町から買ってきます。

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ボップイ村でも有数の大きな家です

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この家もかなり立派なつくりです

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この家は非常に簡素なつくりです

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ここはさらに簡素なつくりです

 

■テレビについて。

ボップイ村の全83世帯中テレビを持っていると回答した世帯は40世帯(48%)でした。どんなテレビを持っているか見せてもらいました。

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ある家庭で見せてもらった「テレビ」

厳密にはこれはテレビではなくて,DVDプレイヤーだと思われますが,ボップイ村ではテレビと言えばこれのことだそうです。「数年前は韓国のドラマが流行っていたが,今はタイのドラマが流行ってる」とのこと(いずれもクメール語の吹き替え版)。街中の食堂でもいつも歌謡曲かタイのドラマがテレビで流されていますし,確かにカンボジア全体で流行っているようです。DVDはモーンやコックロローの街で購入してくるようです。

■ラジオについて。

ラジオは30世帯(36%)が所有していました。聞く番組は専ら歌謡曲だそうです。

■電話について。

電話については,固定電話はなく,携帯電話が普及しています。都市部では1人1台所有するのが普通ですが,ボップイ村では(ボップイ村に限らずカンボジア国内の多くの田舎では)一家に1台というところが多いです。携帯電話を所有している世帯は66世帯(80%)で,1世帯だけ2台の携帯電話を所有していました。携帯電話でもラジオ放送は聞けるので,これでラジオを聴く人もいるようです。

以上が主な電化製品(電球は除く)ですが,まだ電気が送電されていないボップイ村では,電源には乗用車などに見られるバッテリ―が使用されています。

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画面左下に見えるバッテリーがこの家の電源になります

バッテリーの充電を請け負っている家があり,村民はここにバッテリーをもってきて充電します。家庭の電気使用量によって幅はありますが,だいたい3日~1週間に1度のペースで充電するようです。

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バッテリー充電を請け負っている家

「テレビもねぇ ラジオもねぇ」というわけでもなさそうですが,全家庭に普及しているわけでもなく,家によっては「テレビもねぇ ラジオもねぇ」とぼやいているかもしれません。そもそも村民のいうテレビも厳密に言えばテレビとは言えませんし,そういう意味では本当に「テレビもねぇ ラジオもねぇ」なのかもしれません。ついでに言うと,ここには新聞も来ません。ラジオでもニュースを聞くことはそんなに無いようで,ずっとボップイ村で過ごしていたら,世の中の動きに本当に疎くなってしまいそうです。

■車について。

いわゆる4輪の乗用車を所有している世帯は0でしたが,バイクやエンジン付荷車は一応走っています(ただし多くはないです)。バイクを所有している世帯は27世帯(33%),エンジン付荷車を所有している世帯は23世帯(28%)です。このうち,この両方を所有している世帯が9世帯(11%)でした。さらにトラクターを持っている世帯及び脱穀機を持っている世帯がそれぞれ1世帯ずつありました。トラクターや脱穀機は所有者が他の村民に(有料で)貸し出す形で皆で共用しているようです。

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エンジン付荷車。スイカを積んで運んでいます。その他,人も含め乗せられるものは何でも乗せて運びます。

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トラクター。右奥の倉庫にしまわれています。

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脱穀機。収穫期には引っ張りだこです。

調査項目には入れていないので数は分かりませんが,いわゆる「便所」のない家もけっこうあります。以前村長宅にお邪魔した際,「便所はどこ?」と聞くと,外の畑の方を指さされました。特にどこと決まっているわけではないようです。また,ボップイ村は慢性的に水の不足している地域で,ため池は一応ありますが衛生的ではなく,飲み水はもちろん普段の水浴びのための水の確保も大変です。水はコックロローやモーンなどの街まで行って買うようです。きれいな水が安定して得られないというのが生活するうえで本当に大変だろうと感じます。

産業(仕事)もあまりない上に,生活も不便だとしたら,「オラこんな村嫌だ」と言って若者が出ていったとしても不思議ではありません。出ていく人たちが「こんな村嫌だ」と言って出ていくかどうかは分かりませんが(本当は出ていきたくないけど,お金を稼ぐために出ていかざるを得ないかもしれない),少なくとも現状では,村を出ていく人はいても,よそから村に来て定住する人はいません。カンボジア全体では道路や電気などのインフラの整備が着々と進んできていますが,ボップイ村にもインフラ整備の手が伸びてくれば,また状況は変わってくるかもしれません。村民もできるだけこの状況が改善されることを願っていますが,まだまだしばらくはこの状況は変わらないまま続くことでしょう。とりあえずは,毎年雨季にしっかりと雨が降り,大地も村民の生活も潤うことを心よりお祈り申し上げます。

― 終わり ー

文責:曽田

過去の記事

ボップイ村調査①

ボップイ村調査②

 

 

 

 

 

 

 

2015年3月31日更新

ボップイ村調査②

前回,ボップイ村の人口について見ましたが,今回はボップイ村各世帯の生業について見てみます。

まずは各世帯の構成人数を見てみます。

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1世帯当たりの構成人数

4人世帯が21世帯と最も多く,ついで6人世帯が14世帯,3人世帯・5人世帯がともに13世帯と続いています。生業(職業)としては,ほとんどの世帯が農業を営んでいます。ボップイ村全83世帯中,耕作地(借地を含む)を持っている世帯は76世帯あり,平均して2.5haの土地で農業を営んでいるようです。

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各世帯の所有耕作地の面積

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米の年間収量(t)

また米作を行っている農家において,1haあたりの米の年間収量を以下に示します。

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1haあたりの米の年間収量

日本の農家の収量と比較すると,日本の農家では1haあたり6t程度の収量はあるようで,これと比べたらかなり少ないことは分かります。一方で,田中甲斐氏(2010年3月から2011年3月までCMCバッタンバン駐在員)がボップイ村の農業についての報告の中で,『政府(カンボジア政府)の発表する平均の稲収量は2.5t/haとされているが、CMCがサポートするボップイ村では1t/ha前後と少ない。』と述べていますが,このことから以前に比べたら農業技術が大きく進歩・改善していることはうかがえます。

さてここからは,村民の農業以外の職業(学生,無職を含む)について見ていきます。調査では,ボップイ村の人口380人中140人が農業に従事しているとの回答が得られましたが,農業以外の職業(学生,無職を含む)を回答した240人について以下に示します。

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農業以外の職業(数字は人数)

「日雇い労働」が14人いますが,彼らは家を建てたり,森で木を切ったりと人手のいる作業が行われる際に不定期に召集されるようです。その他商店での小売り,バイク修理などがあります。また,彼らの多くは農業との兼業で行っているようです。

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バイク修理

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商店。ボップイ村に2つある商店のうちの一つ。お菓子やたばこなどのちょっとした日用品が売られています

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木に住んでいるという食用の虫(アリに似ている)を捕まえて洗っています

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町にもっていって売ります

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調理等で使う炭を作って売ります

子どもの層に目を向けてみると,幼児が49人,小学生が90人と全体の中でも突出しています。ボップイ村の人口の大部分が15未満の子どもで占められていることからもこの数はうなずけます。また,中学生・高校生の数が少ないのも特徴と言えるでしょう。これは,「小学校の就学率は高いが,中学校の就学率は低い」というカンボジア全体の特徴ともよく合致します。

一方で無職も目立ちます。6歳以上18歳未満の無職(本来は学校に通っているべき層)が36人とかなりの数に上ります。また,18歳以上60歳未満の無職も12人に上りますが,多くは20歳前後の若者です。聞くところによると,彼らは学校にも行かず家の仕事も手伝わず,ただぶらぶらと遊んでいるとのこと。仕事がないのか,単に働かないのかは定かではないですが,時間とエネルギーを持て余している者もかなりいるようです。

全体的に農業以外の産業は乏しく,職業の選択は限られてしまいますが,米は家族が食べるのに困らない程度にはとれているようですし,農産物を売ったり,タイなどで出稼ぎをしている家族から仕送りしてもらったりと,ある程度の現金収入もあって生活は何とかできているようです。

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職業というほどのものではありませんが,牛を連れて歩くというのは村民の日課(日常業務)となっています

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サトウキビ畑。いくつかの農家ではサトウキビも作っているようです

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コントゥオットというくだものをとっています。子どもたちにとっては仕事というよりは遊びですが,こうやって日々身の回りのことを学んでいます

文責:曽田実

過去の記事

ボップイ村調査①

 

 

 

2015年3月26日更新

ボップイ村調査①

昨年8月,私がスタディツアーの引率でバッタンバンを離れている間,CMCのカンボジア人スタッフ(ダラ,ラブット,ラタナ)にボップイ村の調査をしてもらいました。ボップイ村は2004年に小学校を建てて以来CMCが継続して支援を続けている村ですが,カンボジアの中でも特に貧しい部類の地域と言っていいであろうボップイ村が現在どんな状況か,村民はどんな暮らしをしているかを調査結果を見ながら考えてみようと思います。

調査では,スタッフが各家を一軒一軒訪ね,世帯ごとに人数や年齢,職業,資産などを聞きました。今回は人口に焦点を当ててボップイ村の状況について考えてみようと思います。

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一軒一軒すべての家を回りました

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調査の様子。手前の聞き取りをしているのはラブット。

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ボップイ村の調査結果を見る前に,2008年に行われたカンボジア国の国勢調査の結果をまずは見てみます。なお,データは日本の総務省統計局のウエブサイト(http://www.stat.go.jp/info/meetings/cambodia/pdf/tbl3-4.pdfを参照しています。

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2008年カンボジア国人口ピラミッド。男652万人,女688万人

これを見るとカンボジアは人口に占める若者(子どもも含む)の割合が多い,非常に若い国であることが分かります。歴史的に見てみると,ポルポト政権が始まった1975年に生まれた人が2008年当時33歳,ポルポト政権が終わった1979に生まれた人が2008年当時29歳で,この年齢層の人口が少なく,ポルポト政権崩壊後一気に増加していることが見て取れます。その後1014歳の層まで増え続け,1014歳をピークに以後は下降しています。この2008年当時私はプノンペンに住んでおり,20代の若者(非常に多くの兄弟姉妹を持つ層)とも交流がありましたが,新婚夫婦などと話をするとたいてい「子どもは2人か3人でいい。多いと大変だから」などと言っていました。このような若者の意識が出生率の低下に少なからず影響していると想像できます。

続いて,カンボジアを都市部と郡部に分けて人口分布状況を見てみます。ただし,都市部は以下のようにして定義され,郡部と区別されています。

都市部の定義

以下の3つの要件を満たすCommuneを都市部としている。

(a)人口密度が200人/㎢以上

(b)男性の農業従事者の割合が50%未満

(c)総人口が2,000人以上

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2008年カンボジア国都市部の人口ピラミッド。男126万人,女136万人。

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2008年カンボジア国郡部の人口ピラミッド。男526万人,女552万人。

絶対数の違いもありますが,郡部は概ねカンボジア国全体の人口ピラミッドとほぼ同程度の形状をしています。一方で都市部では,2024歳の層を中心に,1530歳の層が多くの割合を占めています。都市部にこの年齢層が流れていいるのがよく分かります。

さて,ここからは我らがボップイ村。上記で言うと郡部に当たるということを念頭に,郡部の人口ピラミッドと比較しながらボップイ村の人口ピラミッドを見てみます。

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2014年ボップイ村人口ピラミッド。男186人,女194人。総人口は380人。

ボップイ村は世帯数が83世帯,人口が380人(男186人,女194人)です。高々400人弱の人口統計ですので,これをもってしてボップイ村の特質を語るのはいささか強引な気もしますが,多少のばらつきや偏りが生じてしまう可能性は含ませたうえで,あえてこの人口ピラミッドからボップイ村の特質を考えてみます。

ここで注意したいのが,この調査を実施したのがカンボジア国勢調査(2008年)の6年後の2014年であることです。この間,カンボジア国内では大きな動乱や飢饉は生じていない(むしろ順調に経済成長を遂げている)ことから,順当にいけばカンボジア国郡部の人口ピラミッドは15-19歳をピークの中心として,その周辺の年齢層が多くの割合を占めることになるはずです。しかし,ボップイ村の人口ピラミッドは本来多数を占めるはずの15-19歳,20-24歳の層が欠落しています。これは取りも直さず,この年齢層が仕事を求めて村外へ流出していることを表していると考えられます。聞き取り調査によると,流出先はタイ,ポイペト,プノンペン,韓国があげられます。

ボップイ村の各世帯では小規模ながら農地(借地も含む)を持っており,米作・畑作で生計を立てています。土地があるので一定数は村にとどまって農業を営むことができますが,それ以外の産業があるわけではなく,新たに就業年齢に達した若者がここにとどまって就業するということはなかなか難しいようです。

20103月から20113月までCMCバッタンバン事務所にて駐在員として赴任していた田中甲斐氏の報告によると,200912月時点でのボップイ村の世帯数は129世帯,人口は536人(男248人,女288人)とのこと。かつてボップイ小学校に勤務していたヨアン先生による調査とのことで,調査方法や精度等やや不透明な部分はありますが,単純計算すると,200912月から20148月までの48か月間で,世帯数で46世帯,人口で156人が減少したことになります。正確な数値はともかくとして,年々世帯や人口が減少しているということはここから窺えます。

仮にこの状況が変わらないとしたら,5年後さらには10年後,現在のボップイ村の人口の多くを占める1015歳,510の層の子どもたちが村外へ流出することになるでしょう。そして将来,ボップイ村は過疎化,少子高齢化の道を歩むであろうと想像できます。CMCも今後ボップイ村と関わる中で,将来的に生じるであろう諸問題も俯瞰したうえで支援の在り方を考えなければいけないでしょう。

※) ボップイ村調査の結果は概ね信頼できるとは思いますが,村での調査活動はスタッフにまかせっきりになっていたこともあり100%正確なデータとは言い切れないところもあります。また,人口はあくまで20148月現在で村に住んでいる人数であって出稼ぎで村を離れている人については一時的か長期的かに関わらず人数からは除外してあります。出稼ぎで村を離れている人の多くは,自身の籍はボップイ村にあり,出稼ぎ先からボップイ村に残った家族に仕送りしている場合が多いので,より詳細な状況を知るためには,出稼ぎでいない人についてその状況を調べる必要があります。

文責:曽田実

 

2015年3月24日更新

アジアンホンダモーター株式会社本社にて

3月11日(水)

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カンボジア地雷撤去キャンペーンに「ホンダドリーム125cc」を3台寄贈頂いた御礼と報告のため、アジアンホンダモーター株式会社本社に伺いました。

以前も4台頂いていましたが、CMCスタッフは毎日悪路を走り回るので、メーターが壊れる程傷んでいました。今回の寄贈は、それだけに有難く、二輪担当の石川直昭さんに感謝状と拙著「地雷原の子ども達と共に」を贈呈致しました。アジアンホンダの担当範囲は23ヶ国と広く、西はパキスタン、東はニューカレドニア、北は韓国、南はオーストラリアに及びます。

中でも最も人気が有るのがホンダドリーム号という事です。カンボジアでのバイクのシェアの90%がホンダ車で圧倒的独占状態、そのうち80%がホンダドリーム号だという事でした。

タイのホンダさんとのお付き合いも10年を越しました。今後とも宜しくお願いします。

2015年3月13日更新

パソコン技術訓練による障がい者収入向上プロジェクト⑤

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ウク(左)とヴィチャット(右)

9月16日(火)の業務開始から,5か月余りがたちました。仕事があまりない日もあり,ここまでやや低空飛行な状況が続いていますが,ウクとヴィチャットは毎日真面目にコツコツと画像切り取り業務に励んでいます。

一気に収入向上は難しいですが,2人ともゆっくり着実に収入を向上させていき,将来にわたって安定した生活ができるよう,今後もサポートを続けていければと思います。

文責:曽田実

 

2015年3月6日更新

地雷・不発弾危険回避教育⑲

昨年11月より実施してきた地雷・不発弾危険回避教育もまとめの段階に入ってきました。ここまで小学校64校,中学校10校でMREを実施し,延べ9000人以上の児童・生徒を指導しました。今年度のMREでは,いくつかの学校で実際に地雷被害に遭われた方に特別講師として来ていただき,子どもたちの前でお話をしてもらいました。

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バナン群BEOUNG PREY小学校に来てくださったオン・レートさん(正面右)

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子どもたちに義足を見せ,足を失うことの大変さを説明しています

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子どもたちも神妙な面持ちでオン・レートさんの話を聞いています

今年度のMREでは,子どもたちに地雷を場所を示すドクロマークの絵を描いてもらう活動を取り入れるなど,子どもたちが退屈せずに参加できるような工夫もしました。

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黒板にドクロマークを描いてもらっています

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かわいいドクロマークの出来上がりです。様々なドクロマークが黒板に描かれ,そのたびに子どもたちも喜んでいました。ただ聞くだけ見るだけの授業より楽しく記憶に残る授業になったのではないでしょうか

現在,MREを実施した学校にてモニタリングをしているところです。集計がまとまり次第,またご報告いたします。

文責:曽田実

過去の記事

地雷危険回避教育プロジェクト①******~MREトレーナー決定!~

地雷危険回避教育プロジェクト②******~MREトレーナー初現場訪問!~

地雷危険回避教育プロジェクト③******~うまくいかない時もある~

地雷危険回避教育プロジェクト④******

地雷危険回避教育プロジェクト⑤******

地雷危険回避教育プロジェクト⑥******

地雷危険回避教育プロジェクト⑦******

地雷危険回避教育プロジェクト⑧******

地雷危険回避教育プロジェクト⑨******

地雷危険回避教育プロジェクト⑩******

地雷危険回避教育プロジェクト⑪~実践演習~

地雷危険回避教育プロジェクト⑫~各小中学校にてMRE開始~

地雷危険回避教育プロジェクト⑬~田舎の情景~

地雷危険回避教育プロジェクト⑭

地雷危険回避教育⑮

地雷・不発弾危険回避教育⑯ ~新年度事業始動,新スタッフ加入~

地雷・不発弾危険回避教育⑰

地雷・不発弾危険回避教育⑱

 

 

2015年3月5日更新

第19次CMCカンボジアスタディツアー報告

第19次CMCカンボジアスタディツアー ~プノンペン~

2月22日(日)より第19次カンボジアスタディツアーが催行されております。今回のツアーは4名が参加しておられます(そのうち1名は途中参加)。イスラム過激派組織による痛ましい事件の影響もあってか,非常に少ない参加人数ですが,その分互いをより深く知れるいい機会と捉えて,いろんな話もじっくりしながらツアーを進めております。

2月22日(日)

夕方5時半,参加者がプノンペン国際空港に降り立ちました。この日は昨年オープンしたばかりのイオンで夕食をとり,すぐにホテルで休みました。

2月23日(月)

スタディツアーの最初の訪問地として,まずはトゥールスレン博物館へ行きました。当時のまま残された独房や拷問部屋,犠牲者の写真などを目の当たりにしながら,過去に起きた悲惨な出来事に思いを巡らせました。

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トゥールスレン博物館。大谷理事長の案内で館内を回りました。

次にイオンを訪れました。カンボジアの中でも最大級の商業施設であり,現在プノンペンに住んでいる,そして将来プノンペンにやってきて定住するであろう多くの日本人にとっても非常に重要な存在です。

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ここで最も驚いたのがアイススケートリンクがあったことです。しかも現地の人たち(カンボジア人)がけっこう上手に滑っていました。採算は取れるのか,今後多くの層に浸透していくのか等いろんな意味で興味の尽きない場所でした。

午後の最初はセントラルマーケット,ソリアマーケットを訪れました。かつての最大級商業施設であり,今でも多くの人でにぎわっていますが,やはりイオンと比べると時代の流れを感じます。

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セントラルマーケット

その次に倉田さんという日本人が経営されているクラタペッパーという胡椒を販売している店に行きました。ツアー参加者さんたちも熱心に倉田さんのお話を聞いておられました。

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右がクラタペッパーのオーナーの倉田さん

夕方はトンレサップ川からメコン川にかけてボートクルージングをしました。川沿い部分も着々と開発の手が進んで来ており,その様子も眺めながら,優雅にクルージングを楽しみました。

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涼しくなり始めた夕方,心地よい風を受けながらボートクルージングを楽しみました

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19次CMCカンボジアスタディツアー ~地雷原~

 

 

2月24日(火)から25日(水)にかけて,2つの地雷原を視察しました。一つはMAG(Mine Advisory Group)の地雷原,もう一つはCSHD(Cambodia Self Help Demining)の地雷原です。

224日(火)

早朝5時,一行は一路MAGの地雷原(バッタンバン州コムリエン郡)に向けプノンペンを出発しました。途中朝食,昼食休憩をはさみ,午後1時半にMAGの地雷原に到着しました。現地では,従来の地雷探知機(金属探知機)に加え,金属探知をした上で地中の物体の形状もレーダーで感知することができるという地雷探知機の使用も見せてもらいました。

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従来の地雷探知機よりも高性能な地雷探知機。非常に高価な機材だが,作業効率が格段に上がるとのこと

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この日発見された地雷を見せてもらいました

発見された地雷の爆破処理まで一通り見終えた後,一行はMAGの作業員さんたちに別れを告げて地雷原を後にし,この日の宿泊地であるバッタンバン市へ行きました。

225日(水)

一行は朝7時に出発し,バッタンバン市からバスで約1時間半のところにあるCSHDの地雷原(パイリン州パイリン特別市)へ行きました。今回の地雷原はかつてクメールルージュが砦を築いたという小高い丘でした。

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バスを降りた地点から作業現場までおよそ100m程度坂を登っていきます

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丘の中腹辺りまで来て振り返ると,パイリンの街を見渡すことができます

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地雷撤去作業は丘の麓から上へ上へと進められています

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以前土砂崩れがあったという場所を見せてもらいました

地雷撤去作業現場のすぐ近くに土砂崩れがあったという場所があり,案内してもらいました。土砂崩れそのものは規模も小さく,大きな被害を及ぼすものではないのですが,地雷が埋められているであろう土地の土砂が平地へ流れるというところが大きな問題となるようです。通常地雷は埋められてからずっとその場にとどまるものですが,山や丘の多いパイリンでは雨季などによく地雷が移動してしまうことがあるそうです。 厄介な話です。

地雷の爆破処理まで見終えた後,作業員のみなさんと記念撮影をしました。

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CSHDのみなさんと記念撮影

CMCスタディツアーのために都合をつけてくださり,そして笑顔であたたかく我々を迎え入れてくださったMAGとCSHDのみなさん,本当にありがとうございました。

10時半過ぎ,一行はパイリンを後にし,タイ国境沿いを北へに走り,昼過ぎにトゥールポンロー中学校へ到着しました。

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19次CMCカンボジアスタディツアー ~トゥールポンロー中学校,コーントライ中学校~

パイリンの地雷原を後にし,午後にトゥールポンロー中学校へ,夜はシソポンで1泊,その翌日の午前でコーントライ中学校を訪問しました。

225日(水)

正午過ぎ,一行はバンテアイミエンチェイ州マライ郡にあるトゥールポンロー中学校を訪問しました。

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CMC大谷理事長より挨拶,そしてツアー参加者の紹介がありました

今年度,トゥールポンロー中学校から優秀な生徒を男女1人ずつ選抜し,進学のための奨学金支援をすることが(株)データマックス児玉社長とCMCの間で決定し,この日は事前に選考した生徒の発表が大谷理事長よりありました。

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写真右側はタエム・レアカサー君(男子,2年生),左側はミエン・クンティアさん(女子,1年生)

これを機に,夢の実現に向けて更に一層勉学に励んでくれることを願います。

教室でのあいさつの後はみんなで外に出て遊びました。

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ツアー参加者のみなさんも,生徒と一緒に走り回って遊びました

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集合写真

夕方,一行はこの日の宿泊先であるシソポンのホテルに行きました。ここで,歯科医の尾形愛さんと合流しました。

226日(木)

朝,一行はバンテアイミエンチェイ州オーチュラウ郡にあるコーントライ中学校を訪問しました。

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挨拶と参加者の紹介

全体のあいさつの中で,私がこの3月でCMCを退職することの発表も大谷理事長よりありました。そして大谷理事長からは事前に準備されたという表彰状とともに暖かい励ましのお言葉をいただきました。至らない点も多々ありましたが,こうして表彰してもらうことができ,非常に嬉しく思いました。残り1か月の任期をしっかり全うできるよう頑張ろうと思います。

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生徒,先生の前で表彰状をもらいました

この日は前日夜に合流された歯科医,尾形愛先生による歯磨き指導もありました。カンボジアの公立学校においてはこのような機会を得ることはNGOなどの支援がない限りまずありえないことですが,子どものときに健康に関すること(ここでは歯の健康について)しっかりと指導を受けることは,健康で豊かな人生を送るうえで非常に大事なことだと思います。とても素晴らしい活動だと思います。

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尾形さんによる歯磨き指導。生徒たちも楽しそうに実践しています

最後はひまわりの泉というひまわり会が支援して設置した水タンクの前で記念撮影をし,一行はコーントライ村を後にしました。

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「ひまわりの泉」をバックに記念撮影

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19次CMCカンボジアスタディツアー ~ホンダ・バッタンバン営業所,プノム・ソムパウ~

コーントライを後にした一行は再びバッタンバンに戻りました。昼食後,まずはバッタンバン市内にあるバイクの販売店ホンダ・バッタンバン営業所に行きました。

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ホンダ・バッタンバン営業所

ここでアジアンホンダモーター様よりCMCへいただいたバイクの新車3台の贈呈式が行われました。これまでもCMCのバッタンバン事務所には業務用バイクが2台あったのですが,これももともとはアジアンホンダモーター様よりいただいていたもので,今回は長期間酷使してきたそのバイクの代わりに,新しいバイクを頂けることになったという次第です。アジアンホンダモーター様には心より感謝申し上げます。

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大谷理事長より感謝状が営業所所長に手渡されました

夕方は,市街地から南西へ約20㎞程離れたところにあるプノム・ソムパウというところに行きました。プノム・ソムパウは周囲を平野に囲まれた小高い山で,山頂からは壮大な平野が一望できます。また,ここはかつての内戦の激戦地でもあり,いわゆるキリングフィールドと言われる処刑場もあった場所で,我々も歩いてまわりました。

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標高はそんなに高くないとはいえ,けっこう急な階段や坂をを延々を登り下りします

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壮大な景色をバックに記念撮影

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途中たくさんの猿に遭遇します。人懐っこくてかわいいのですが,食べ物を持ち歩いていると奪いにくるので要注意

心地よい疲れと適度な筋肉痛を残し,この日はバッタンバンのホテルで休みました。

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19次CMCカンボジアスタディツアー ~ボップイ小学校,軍病院~

2月27日(金)

朝,一行はバッタンバン州モーンルサイ郡にあるボップイ小学校に行きました。ここでも,コーントライ中学校同様,尾形愛先生による歯磨き指導がありました。また,参加者の1人である坂本さんによる折り紙教室もありました。

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まずは全校児童にツアーメンバーより挨拶

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「今歯が痛い人いますか?」の質問にけっこう多くの手があがっています

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尾形先生扮するウサギの歯医者さんが子どもたちに歯磨きの大切さを教えています

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尾形先生といっしょにみんなで歯磨き

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みんな丁寧に磨いています。家でもしっかり歯磨きをしてもらいたいものです

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坂本さんによる折り紙教室

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となりと確認し合いながら一生懸命に折っています

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出来上がり

歯磨きも折り紙も楽しくできました。

午後はバッタンバン市内にある軍病院に行きました。

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到着時,院長先生はちょうど患者を手術している最中でしたが,終了後すぐに我々に会いに駆けつけてくださいました

お話を伺うと,病院は年々設備や薬等も充実してきているとのこと。ただ,学校などと同様都市部と田舎では整備の度合いが全然違い,田舎に行くほど整備は遅れています。どの地域でも医療体制が充実し,安心して暮らせるようになることを願うばかりです。

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記念撮影

この後,一行はバッタンバンを後にし,一路シェムリアップへ。プノンペンから始まり,長い距離を移動してきたツアーも大詰めを迎えます。

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19次CMCカンボジアスタディツアー ~シェムリアップ~

2月22日(日)にプノンペンから始まったスタディツアーは,バッタンバン,パイリン,バンテアイミエンチェイと続いた後もう一度バッタンバンに戻り,そして最後の都市シェムリアップに入ります。

2月28日(土)

朝,まず最初に鬼一二三日本語教室を訪問しました。

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スピーチコンテストでの発表の練習。まだまだ経験が浅く,たどたどしいスピーチではありましたが,この教室から輩出された数々の優秀な先輩同様,これからめきめきと力をつけていくことでしょう

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続いて優秀な先輩。格の違いを見せつけるかの如く,内容も話ぶりも実にすばらしい,立派なスピーチを披露してくれました

教育環境がなかなか整備されないこのカンボジアの地で,鬼先生は長きに渡り日本語教育を通して多くの優秀な人材を輩出してこられました。そして飽くなき向上心で自らも勉強を続けておられます。心から敬服いたしますとともに,今後もますますのご活躍をお祈り申し上げます。

午後はアキラ地雷博物館に行きました。アキラが取ってきた地雷や不発弾,そして様々な写真を通して,アキラの半生をはじめカンボジアの地雷問題などを垣間見ることができました。

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アキラが取ってきた地雷。膨大な量のほんの一部がここに展示されています

その後は,地雷博物館からシェムリアップ市内へ帰る途中にある「一ノ瀬泰造の墓」へ寄って帰りました。

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ここに一ノ瀬泰造の遺骨の一部が埋められているらしい

3月1日(日)

この日は終日アンコール遺跡群を観光しました。

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お堀の向こうはアンコールワット

夜は福岡でカンボジア料理店を営んでおられるというスロスさん宅にお邪魔し,夕食をよばれました。

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豪華な家庭料理をいただきました。一番右の赤い服の女性がスロスさん

3月2日(月)

いよいよ最終日。この日はワットトメイ,義足リハビリセンター,Little Angel(伝統工芸の影絵をつくっている孤児院)へ行きました。

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ワットトメイにある慰霊塔。クメールルージュにより殺された方々の遺骨がまつられています

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義足リハビリセンター内の作業所。義足が作られています。地雷被害の件数は年々減少していますが,代わりに交通事故により四肢を切断する患者は近年増え続けているようです。義手・義足を必要としている状況は以前と変わらないのですが,地雷被害者支援を名目にこの施設を支援を続けていたハンディキャップインターナショナルが地雷被害者の減少を理由に撤退した(運営及び管理の権限は政府に移譲された)ことで,運営はかなり厳しくなっているようです。

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影絵工房Little Angel。子どもたち主導の下,影絵作りの体験もさせてもらえます

午後はマッサージを受けたり買い物をしたりと参加者さんたちは思い思いにゆっくりと過ごされました。そして,最後の夕食を共にした後,空港にてお別れをしました。プノンペンに始まり,カンボジア北西部(バッタンバン,パイリン,バンテアイミエンチェイ)を経由してシェムリアップで締めくくる実に濃厚な9日間(飛行機で過ごす時間も含めれば10日間)の旅でした。

多くの方が治安を懸念されますが,経済発展に伴い,年々治安もよくなりインフラも整備されてきてとても過ごしやすい国になりつつあります。一方,都市部を離れればまだまだ未開発な部分が多く残されていますが,それゆえに日本にはない魅力も多くつまっています。今回は非常に少ない参加人数でしたが,これからもより多くの方々がカンボジアを訪れ,その良さ味わってもらえることを願っております。

―終わり―

文責:曽田実

 

 

2015年3月4日更新

障害者支援センター訪問

3月2日(月)

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障害者支援センターへ。

ここは、元ハンディキャップ・インターナショナルという地雷被害者に義足を提供し自立を促すヨーロッパのNGOが運営していたが、地雷被害者の減少により撤退し、カンボジア政府によって支えられている。

入所患者は全て無料だが、運営は相当厳しそうだ。

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今回も、数人の地雷被害者にお会いしたが、いずれも1996年〜1998年に被害に遭っており、新たな被害者は出ていない。

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しがも、農民や漁民ばかりで、兵士は1人もいなかった。いかにも

地雷被害の不条理を感じる。

義足の作り方などの説明を聞き、後にした。

2015年3月3日更新

国際日本文化学園訪問

2月28日(土)

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鬼一二三さんの日本語学校「国際日本文化学園」へ。

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土曜日なので、平日とは若干違うメンバーだったが、川柳を作る勉強をしていた。「うれしいな かれと いっしょに おべんきょう」 「たくさんの かのじょがいても まじめだよ」など、率直に気持ちを詠んだものが多かった。

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その後、今後の協力体制の在り方について鬼さんと話し、日本に6年間留学していたノン・チャン・ラッタナ君の様な優秀な生徒の日本企業への就職促進などについても話し合った。

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教室では、今年の日本語弁論大会に出場する「ペコペコちゃん」の発表練習や昨年の優勝者による、感動的で流暢な発表に聞き惚れていた。

鬼一二三さんも、約20年に亘り、良くここ迄頑張られたとエールを送りたいと思います。

 

2015年3月2日更新

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