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  • 過去の活動

    地雷危険回避教育プロジェクト④******

    選挙も終わり,ここから一気に調査を進めていきたいところ。
    今週もMREスタッフたちによって,ラタナックモンドル郡内の各村の村長さんや学校の校長先生に電話をかけ,地雷被害の状況や子供の数などの情報を収集しました。

    スタッフの作業風景。左から,ダラ,ソカ,ラブット。各自役割分担をして,情報収取および集計をしています。

    スタッフの作業風景。左から,ダラ,ソカ,ラブット。各自役割分担をして,情報収取および集計をしています。

    この調査において,かなり多くの地域から以前は地雷事故があったけど,今は撤去されて安全だ」という回答がかえってきました。

    これはちょっと意外でした。

    そもそも,我々は当初CMACから,「ラタナックモンドル郡の多くの地域に地雷被害の危険性が残っており,MREが必要だ」との説明を受けていたからです。

    この認識の違いはどこから来るのでしょうか。

    確かに,CMACをはじめMAGやJMAS,CSHDなどが地道に撤去作業を続けており,年々安全な場所は増えてきています。
    しかし,その情報はきちんと整理されたうえで,住民に伝えられているのでしょうか。

    本当に安全ならそれは非常に喜ばしいことですが,「これでもう大丈夫だろう」と高をくくっているのであるとすれば,それこそ,本当に危険です。こういう認識の違いがあることからも,少なくとも私は,住民が安全だと言っている場所でも安心して足を踏み入れる気にはなれません。

    ここのところはCMACにもう一度きちんと確認をしようと思います。

    さて,バッタンバン州の調査も一通り終わったので,金曜日,今度はバッタンバン州の西側,タイ国境沿いにあるパイリン州の調査をすべく,ラブット君に州の教育局に活動申請に行ってもらいました。

    ラブット君からの報告で,教育局長曰く「ここ(パイリン)は,地雷被害が大変多く,子どもたちもたくさん被害に遭っている。そしてまだまだたくさんの地雷が残ってる。ぜひMREをやっていただきたい」とのこと。

    次週は,パイリン州の調査を行う予定です。

    それに先立って,週末パイリンにぷらっと遊びに行ってきました。(調査半分・気晴らし半分)
    カンボジア中央の平野部とはまた違った山あいののどかな農村風景を満喫してきました。本当にいいところでした。(遠くから見る分には・・・)

    パイリンの農村風景。肥沃な大地が一面に広がっています。ここに悪魔が潜んでいる!?

    パイリンの農村風景。肥沃な大地が一面に広がっています。ここに悪魔が潜んでいる!?

    路上で牛がたたずんでいます。なんだか癒されます。

    路上で牛がたたずんでいます。なんだか癒されます。

    イモ畑。赤い立札はは地雷ありの看板。住民曰く,「地雷はもうない」とのこと。本当に!?

    イモ畑。赤い立札はは地雷ありの看板。住民曰く,「地雷はもうない」とのこと。本当に!?

    文責;曽田実

    2013年8月6日更新

    カンボジア国民議会総選挙

    7月28日(日)

    街宣車

    日本では先日,参議院選挙が行われたばかりですが,ここカンボジアでも,5年に1度の国民議会議員選挙が7月28日に行われました。

    この1カ月間(公式には6月27日から7月26日まで)
    カンボジア全土で選挙運動が繰り広げられました。
    圧倒的な組織力を誇る与党「人民党」が絶対的に有利といわれる中,最大野党の「救国党」がどこまで対抗できるか
    という選挙前の構図。さて,どのような結果になるか・・・

    MRE事業においてもこの選挙運動の影響を少なからず受けています。連絡を取りたい村長や学校長となかなか連絡が取れない。
    彼らの多くが選挙運動に参加していて,忙しいとのこと。
    (全く連絡が取れないわけではなく,何回か電話をかけなおせば連絡は取れますが・・・)
    「選挙が終わればみんな暇になるから,連絡も取りやすくなるよ」とスタッフたちが言っていたので,ここからは順調に進むでしょう。

    そんなCMCの若いカンボジアスタッフたちもどこを支持しているとは言いませんが(こちらもあえて聞きませんが),カンボジアをもっとよくしたいと言っています。

    カンボジアの選挙運動はまるでお祭り騒ぎです。道路に特設ステージを設けて歌い踊ったり,民衆が参加して車やバイクで街を宣伝して走ったり,等々。若者たちはこの街宣運動を楽しんでやっているようにも見えます。

    バイクでの街宣運動。なんか楽しそう。陽気な暴走族といったところか。

    大音響で街宣。見た目はなんか滑稽。

    道の真ん中にステージを設置。

    歌や踊りで盛り上がる。

    退屈な日常の中にあって,刺激的なひと時なのでしょうか。どこまで考えて行動してるかはちょっと疑問。また,役所の人たちなども運動に駆り出されるという話ですが,何らかの圧力がかかっているのかな?なんて勘ぐってしまいます。まあ,あまり余計な詮索はしないでおきます。

    選挙当日。どうやら各地の小学校が投票所になっているようで,朝からぞろぞろと小学校へ投票に行く様子が見られました。どこまで民主的に行われているかは分かりませんが,カンボジアは投票率がかなり高いです。基本的に皆,投票はするものという認識のようです。

    さて,投票所にて投票を終えた後,手続きの一環として,右手人差し指の先に黒いインクを付けられます。このインク,1週間は落ちないらしい。これは2重投票の不正を防ぐためのものですが,逆に,投票に行ったかどうかもこれでわかってしまいます。

    選挙後の近所のおじさんの指。

    投票率が高いのは,きれいな指を見られて,「あれ?投票に行ってこなかったの?」なんて白い目で見られたくない心理もはたらくのでしょうか? (カンボジア人もかなり世間体を気にする人たちです)
    これも私の勝手な憶測です・・・

    出会う人々の指(右手人差し指)にどうしても目がいってしまう今日この頃・・・。

    食堂のおばちゃん。えっ,その手で食べ物を扱うの!?インクがにじんでるし・・・

     文責:現地駐在員 曽田実

     

     

    2013年7月30日更新

    地雷危険回避教育プロジェクト③******~うまくいかない時もある~

    Report |15 Jul, 2013

    前回,7月9日(火)にMREトレーナーたちはラタナックモンドル郡へ行きましたが(現地報告参照),今回はその隣のコックロロ―郡へ行ってきました。朝7時,バッタンバン事務所を出発し,約1時間半かけてコックロロー郡の中心地(コックロローコミューン)へ行きました。

    朝7:00事務所を出発

    そこで,CMACコックロロー支部のソックチャン・ワンナーさんと会って,MRE(地雷危険回避教育)が必要な場所を確認しました。その後,郡の役所と教育局のそれぞれで申請書を受理してもらい,郡内の学校の情報なども提供してもらいました。

    ソックチャン・ワンナーさんから情報収集

    郡の役所で話し合い

    教育局にて活動申請及び情報収集

    午前中は順調に事が進み,お昼ご飯を食べた後,学校を2,3ピックアップしていくことになりました。トレーナーたちは要領を得てきているようで,彼らがすべて主体的に動いていて,何ともたのもしいと思いながら見ていました。(このときは・・・) 

    午後,コックロローの中心地から地雷被害の危険性が高いといわれる村の学校(プレイサン小学校)へ向かいました。

    プレイサン小学校へはここを右折。ちなみに,CMCが支援しているボップイ小学校へはここを直進

    道中は困難を極めました。でこぼこの悪路をひたすらバイクで突き進みました。前日の雨の影響で,ところどころ大きな水たまりができていましたし,タイヤが埋もれるほど砂のたまった場所もありました。

    悪路

    それらを避けるためにちょっと道路のわきにそれたりもしましたが,これが実はけっこう怖い。MREを実施するということは,そこは地雷が存在するか,もしくは存在するかもしれない場所であり,そんな風に思うとますます地雷がありそうな雰囲気が漂います。

    地雷さえなければ,いい雰囲気なんだけど・・・

    道路内であれば安全ですが,道路から少しでも外れると,そこには地雷があるかもしれない。地雷の恐ろしさは先日のスタディ・ツアーで体験しましたが,地雷があるかもしれないところにいるということの恐ろしさを改めて感じました。 

    異様な雰囲気を感じながら(少々ビビりながら),コックロローの中心地から約2時間かけてようやく一つ目の学校にたどり着きました。しかし,だれもいない。

    プレイ・サン小学校に到着。しかし,誰もいない・・・。何しに来たんだか。

    どうやら田舎の学校はこの時期,田植えの時期とも重なり,早めに長期休みに入ってしまうらしい。「校長先生に事前に連絡してなかったのか?」とトレーナーに尋ねたところ,「してない」とのこと。トレーナーは連絡を忘れていたというよりは,行けば会えるだろうという想定だったらしい。そして,会えなかったけど,「まあしょうがない」と,何とも楽観的。
    うかつでした。てっきりそのぐらいしているものと思っていた私のミスです。さて,気を取り直して次の学校へと思ったのですが,思いのほか時間がたってしまった上に,空模様が怪しくなってきたことから,急いで帰ることにしました。結局,途中でどしゃ降りに遭ってしまいましたが・・・。何とも疲れる1日でした。

    まだこれからもこの活動は続くので,今後はトレーナーたちに対してもきめ細かく配慮していこうと思います。

    途中の民家にいた子どもたち。このMRE事業はまさにこの子たちが対象となる。

     文責:現地駐在員 曽田実

     

    2013年7月23日更新

    カンボジア現地視察ツアー レポート

    7月7日(日)から13日(土)までの7日間にわたって,カンボジア現地視察ツアーを催行しました。お越しいただいたのは,守勢塾の皆様総勢11名。以下,ツアーの様子について報告いたします。

    7月7日(日)

    ツアーメンバーの皆さんがシェムリアップ空港に到着したのは,夜の10時半。そこからバスに乗って15分でこの日の宿であるタ・プロームホテルに着きました。みなさんお腹が空いているとのことでしたので,チェックインした後,腹ごしらえに街へ出ました。お腹を満たし気分も満たされたところで,翌日に備えてその日は就寝しました。

    7月8日(月)
    この日は,午前中アキラ地雷博物館を見学し,午後に義足リハビリセンターと鬼一二三日本語教室を訪問しました

    地雷博物館にてビデオ上映

    朝9時バスでホテルを出発し,約50分かけてアキラ地雷博物館に行きました。博物館に入ってまず,過去に日本で放送されたアキラ氏の地雷撤去に関するテレビ番組のビデオを見ました。その後約1時間,アキラ地雷博物館のガイド・川広さんに館内を案内してもらいました。1時間という短い時間でしたが,川広さんの軽快な語り口でカンボジアの地雷問題やその歴史的背景など,非常に濃密な内容を勉強させてもらいました。

    (写真左)川広さんによる説明。(右)右側にある物体は不発弾。

    昼食をとった後,義足リハビリセンターを訪問しました。ここは,地雷被害や交通事故などに遭い,手や足を失った方々の義足や義手をつくって提供し,なおかつリハビリ訓練を行う場所です。この施設のマネージャーであるケオ・ラタさんに施設を案内してもらいました。ここでも,地雷博物館の川広さん同様,非常に親切丁寧に,そして熱心に説明してくださいました。

    義足リハビリセンター。白いシャツの方がケオ・ラタさん。

    義足づくりの様子。

    次に,鬼一二三さんの日本語教室を訪問しました。残念ながらこの日鬼さんは不在でしたが,代わりに,ボランティアの浦田さんの音楽の授業を見学させてもらいました。実はこの2日後(7月10日)が鬼さんの誕生日ということで,鬼さんに内緒で誕生祝を生徒たちと浦田さんが計画していました。「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」「上を向いて歩こう」「鬼のパンツ」の3曲を歌うことになり,その練習をしました(もちろん日本語で)。生徒たちは振り付けもしながらとても楽しそうに歌っていました。この教室ではほかにも,生徒の書いた習字や川柳などが掲示されていました。なかなか味わい深くて面白いものばかりでした。

    国際日本文化学園(鬼一二三日本語教室)

    前でエレクトーンを引いているのが浦田さん。後ろの壁には習字が展示されています。

    7月9日(火)
    この日は,シェムリアップ州の隣,バンテアイミエンチェイ州のタイ国境近くにある2つの中学校を訪問しました。朝7時過ぎにホテルを出発し,約2時間半かけてまずはCMCコーントライ夢中学校を訪問しました。学校に着くと生徒たちが出迎えてくれました。対面式では,ツアーメンバーの方が用意してくださったハンカチが生徒一人ひとりに手渡されました。生徒たちは皆ハンカチを手にして嬉しそうな様子でした。その後,校庭でサッカーをしたり,急きょ教室を借りて日本語教室を開いたりと,皆さんと生徒たちが交流を楽しみました。

    CMCコーントライ夢中学校での対面式。

    ツアーメンバ-吉野さんによる日本語教室。

    約2時間コーントライ中学校の生徒と交流した後,今度はもう一つの中学校,CMCトゥールポンローみおつくし中学校を訪問しました。ここでも同様に生徒が出迎えてくれ,対面式にてハンカチをプレゼントしました。昼食はここの教室で,生徒のお母さんの手作り料理をごちそうになりました。レストランの料理もいいですが,カンボジアの家庭料理もなかなかいけます。昼食後は生徒たちと交流を楽しみました。この日は,バンテアイミエンチェイ州の州都シソポンにあるプリア・チャン・ホテルに泊まりました。

    CMCトゥールポンローみおつくし中学校。生徒が校門で整列して出迎えてくれました。

    教室を借りて昼食。カンボジアの本場家庭料理。

    7月10日(水)
    この日は,アキラ氏が運営するCSHD(=Cambodia Self Help Demining)の地雷撤去現場を視察しました。現場はバンテアイミエンチェイ州のタイ国境近くで,前日のトゥールポンローのにほど近い場所でした。博物館で資料を見たり説明を聞いたりしてきましたが,ここはまさに最前線の現場です。この日アキラ氏は不在のため,副隊長のリエン・ソムボーさんから現場の状況を説明してもらいました。

    CSHDの制服を着ておられるのが副隊長のリエン・ソムボーさん。

    その後,ややぬかるんだ歩きにくい道を20分程度歩き,待避所に到着。ここで,プロテクタ-とヘルメットを装着し,地雷原へと進みました。

    プロテクター装着。

    我々が視察しているまさにその時,旧ソ連や中国で生産されている地雷PMNが発見されたという報告が入りました。我々にも緊張が走りました。

    CSHDのスタッフの皆さん。緊張感が伝わってきます。

    今回はこの発見されたPMNの爆破処理を見させてもらうことになりました(もちろん遠くから)。遠くからでもその威力,恐ろしさはとてもよく伝わりましたし,踏んだが最後,一瞬にして足が吹き飛ぶということがよくわかりました。ツアーメンバーの皆さんもとても驚かれた様子でした。地雷原で生活する人たちが,いつどこで爆発するかわからないようなところで生活していること,そして,ほかに選択の余地がなくあえてその危険な場所に住み続けているという現実に心が痛むばかりです。このようなものは一刻も早くこの世から消し去ってしまうべきだとあらためて痛感しました。
    地雷原視察後,バンテアイミエンチェイ州を後にし,再びシェムリアップのタ・プロムホテルに戻りました。そして夕方,今度はだるま愛育園という孤児院を訪問しました。実はアキラ氏もこのだるま愛育園を巣立った一人だったのです。ここで,子どもたちのアプサラダンスショーなどを鑑賞しながら夕食をいただきました。その後,子供たちとダンスや歌などを一緒に楽しみました。子どもたちとの交流で癒された後,ホテルへ戻りました。

    テーブルの前におられるのがだるま愛育園のソリカさん。ここにいる46人の子供たちの面倒を見ているお母さんです。

    子どもたちのアプサラダンスショーを鑑賞しながらの夕食。なかなかの完成度です。

    最後はツアーメンバーも檀上に上がり,みんなで大はしゃぎ。

    7月11日(木)
    この日はシェムリアップでの最終日。ツアーメンバーの皆さんはアンコールワット観光に行かれました。途中,ヘリコプターでアンコールワットの上空をまわるというプランも入れるなど,とても優雅な観光を楽しまれました。
    さてこの日の昼食では,8日にお会いできなかった鬼一二三さんが駆けつけてくださいました。鬼一二三さんの生徒で,日本語スピーチコンテストで優勝したというワンナー君も同席してくれました。途中,ワンナー君がスピーチコンテストでのスピーチを再現してくれるなど,とても楽しい昼食会となりました

    8日にお会いできなかった鬼一二三さん。私たちに会うために,昼食会場に駆けつけてくださいました。

    スピーチコンテストで優勝した鬼先生の愛弟子ワンナー君。日本からボランティアで訪れる女子大生が好きだとぶっちゃけてました。

     夕方,守勢塾の皆さんは,シェムリアップ空港から飛行機でプノンペンへ発たれました。プノンペンでは,12日(金)と13日(土)の2日間,経済ツアーとして商業銀行や経済特区の工場など,経済発展著しいプノンペン市内を視察されました。そして13日の深夜の便で,日本へ帰国されました。
    このツアーで,カンボジアのさまざまな面をご覧いただけたかと思います。これを機に,カンボジアをより身近に感じていただき,また遊びに来ていただけたらとてもうれしいです。
    **************************************************

    文責: 現地駐在員 曽田実

     

    2013年7月16日更新

    地雷危険回避教育プロジェクト②******~MREトレーナー初現場訪問!~

    Report |7 Jul, 2013

    MRE(地雷危険回避教育)を実施する際に最も大変なのは、事業を行う土地(州、郡、コミューン、村)への事業申請。カンボジアは何事にも政府を通さないと物事がスムーズに進まないのと、申請用紙の書式や書き方にも細かい決まりがあるので1回でクリアするのがとても難しいのです。実際にこの書式が全国で通用すると言われても別の機関に提出して違うと言われることも度々あるので、何が正しいのかが分からなくなることもよくあります…。

    ラタナックモンドル郡兼スダウコミューンオフィスにて。申請用紙を要求され、受理されるまで約2時間もかかった。

    今回MREを実施する地区は、バッタンバン州はラタナックモンドル郡、サムロー郡、コックロロー郡。パイリン州はサラクラウ郡、バンテアイ・ミェンチャイ州はマライ郡となります。まずはラタナックモンドル郡にあるスダウ、トラエン、リクスメイ・サンハという3つの地雷被害の危険性が高いコミューンにある村々からMREを開始していきます。

    トラエンコミューン、ソバトピアップ村(=safety village) では現在あるゆるところで地雷撤去が行われている。

    今回訪問したトラエンコミューン内にある小学校3校はいずれもJMAS(Japan Mine Action Service)とCMACが地雷撤去後に建設した学校でした。名前も地雷除去機のコマツ建機からきています。

     

    2013年7月10日更新

    地雷危険回避教育プロジェクト①******~MREトレーナー決定!~

    Report |1 Jul, 2013

    地雷・不発弾被害が多い国において、撤去と共に重要視されているのが、被害を未然に防ぐために注意を喚起する地雷・不発弾回避教育。
    カンボジアではCMAC(カンボジア政府直轄の地雷撤去団体)をはじめとした地雷・不発弾撤去団体による危険回避教育(MRE)が村のコミュニティレベルで行われています。

    CMACのMREスタッフによる危険回避教育。子供たちに地雷・不発弾の危険性を訴える

    カンボジアでは、未だに子供たちが地雷・不発弾と認識せずに遊んでいて被害に遭うケースが少なくありません。こうした現状を受け、CMCでも地雷・不発弾危険エリアでMRE(危険回避教育)を独自に行うプロジェクトを実施する運びとなりました。
    今井記念海外協力基金の助成を受け、今年の4月より地雷危険回避教育(MRE)トレーナーの募集を開始。19名という多数の応募があり、その中から見事こちらの3人がMREトレーナーとして採用されました。

    19人の応募の中から、MREトレーナーに採用された3人

    Ravuth 22歳 子どもたちに英語を教えていたということもあり、子どもの扱いになれている様子。チームのまとめ役として期待できる子

    Sokha 19歳 子どもたちに祝日だけ英語を教えていた経験がある。職務経験は少ないが、CMACのMRE指導者が期待する子

    Dara 24歳 MREトレーナーと駐在員のアシスタントとして採用。過去にNGOにて農村地区で活動してきた経験もあり。現場で培った能力をぜひ発揮してもらいたい。

    彼らは7月と8月の2か月間CMAC指導のもとMREに関する知識を身につけるとともに、農村各地の学校にて模擬演習を行い人前で教えることに慣れるトレーニングを行います。
    9月~12月は地雷被害の多いバッタンバン、パイリン、バンテアイ・ミェンチャイ州において本格的にMREの指導を行う予定です。

     

     

    2013年7月2日更新

    ボップイ安倍小学校の環境改善②

    Report |19 Jun, 2013

    木を4本植えました。

    ボップイ安倍小学校の環境改善も終盤に差しかかりました。何もない校庭に木や花を植え、少しでも学校の雰囲気をにぎやかにするのが目的です。2日間に分けて、子どもたちが木と花を植える作業をし、その後CMCスタッフがお手本として手作りの花壇を1つ作りました。学校の先生曰く、植えた木々は校庭に日陰ができるくらい大きく育つそうです。子どもたちが近所で拾ってきた花の苗(夕顔)も、何日かしたら立派な花を咲かせてくれることでしょう。今後も定期的に学校を訪問し、学校から地域へ、更なる環境改善に向けて共に考え行動していきたいと思います。   

    子どもたちが近所でつんできた花

    CMCスタッフの手作り花壇

    おまけ (学校の先生の子ども2人と友達)

    おまけ2

     

     

    2013年6月20日更新

    9代目現地駐在員決定!!

    DSC_0137
    初めまして。6月からCMCバッタンバン事務局に赴任しました,曽田実(そたまこと)と申します。現在,柴田駐在員のもとで業務の見習いをしながら,地雷問題,貧困問題などのカンボジアのさまざまな問題について勉強しています。

    実は私,2008~2010年の2年間,首都プノンペンに住んでおりました。今回久しぶりにプノンペンの空港に降り立ったとき,プノンペンは相変わらず活気がみなぎっており,現在急成長を遂げているカンボジアを象徴しているなと思いました。一方で,プノンペンから1歩外へ出ると,広大な田園が広がり,牛がのんびりと歩き,これもまたカンボジアののどかさを象徴していて,とても懐かしく思いました。

    CMC事務局のあるバッタンバンの町はカンボジアの中でも大きな町のひとつですが,やはり人やバイク,車であふれかえっているプノンペンに比べると,落ち着いた静かな場所だなと思います。とても過ごしやすいです。

    さて,個人的なことになりますが,先日,日本人の野球好きが集まり日本人チームとして,カンボジア人チーム,韓国人チーム,アメリカ人チームの4チームで交流試合をしました。実はこのカンボジア人チーム,カンボジア国唯一の野球チームで,一応カンボジア国の代表チームでもあります。サッカーやバレーボールは盛んなカンボジアですが,一応野球チームもあるんです。一般のカンボジア人にさえ認識されていないけど・・・。3年ほど前に練習の様子を見たとき(チーム発足間もないころ)は,少年野球レベルだったチームが,今では日本の高校のクラブ活動レベルにまでレベルアップしていました。いずれはWBCへの参加を夢見て(?)いるかどうかは知りませんが,皆ほかの仕事をしながらも野球を楽しんでいるようでした。雨期明けの11月もしくは12月ごろまたやろうという話もあるようなので,それもまた私としても楽しみにしています。

    これから,活動報告を通して,カンボジアの様子をお伝えしていきます。どうぞよろしくお願いします。

    9代目駐在員 曽田実

    2013年6月20日更新

    ボップイ安倍小学校 環境改善①

    Report |10 Jun, 2013

    2012年10月訪問時の様子 掃除をする習慣がなくゴミが教室の中や校庭などあらゆる所に散乱している

    4月よりボップイ安倍小学校の環境改善に取り組んでいます。学校は建設後9年が経過しているため老朽化が進んでいますが、周囲にはたくさんゴミが散らかっており、全体的に殺風景な様子が学校全体の雰囲気を暗くしていました。まずは子どもたちに掃除をする習慣をつけさせることから始め、その後は校庭に木や花を植えて学校から地域の活性化を目指します。

    2013年6月訪問時の様子 現在は子どもたちが毎朝掃除をしている。ゴミを溜める場所が若干あいまいだが、全体的に綺麗になった。

    2013年6月11日更新

    地雷原で生活する人に仕事を!!

     29/5/2013

    地雷原生活者・農村地域生活者がタイヘ出稼ぎに行かず国内で安定した仕事に就いてもらうために今回PPSEZ(経済特区)にある日系企業、O&M Co.Ltdのご協力によってプルサット州出身の女性たちの就職が実現。O&Mさんには経済ツアーの際、毎回工場見学などさせて頂いており、大谷理事長と喜多見社長の継続的な交流により今回の話しも実現へと向かう事ができました。ご理解に心より感謝申し上げます。

    企業説明会に参加した男女を含む25名@バクー村/プルサット州

    O&Mにて会社や仕事内容の説明を受ける女性たち@プノンペン経済特区

     

     

    2013年6月10日更新

    佐世保青年会議所コーントライ夢中学校訪問

    Report |26 Apr, 2013

    2013年4月26日、佐世保青年会議所の10名がコーントライ夢中学校を訪問しました。
    佐世保青年会議所はコーントライ夢中学校のドナーで、2008 年の学校建設後も定期的に子どもたちへ文房具や遊具を支援して下さっています。

    (左)理事長の池田さんより子どもたちへ挨拶
    (右)日本から持ってきた遊具を贈呈

    (左)学校の黒板が古くなって使いづらくなった為、ホワイトボードを7つ提供
    (右)今年の9月卒業予定の9年生教室訪問

    将来の夢について各生徒に質問

    Thun Ranyさんは将来医者になりたいと語ってくれました。

    将来弁護士になりたいYong Vanlot君は日本の弁護士から直接エールをいただきました


    校長先生に中学校の現状について話を聞きました。この地域の課題は、
    ①子どもたちは中学校卒業後に高校へ行きたくても遠くて通えない。
    ②学校を卒業したとしても、周辺で就職できる場所がない。
    夢があっても その先へ進むのがとても難しいのが農村地域の現状です。

    最後にみんなで記念撮影

    今後の支援の在り方として、学校側から優秀な生徒への高校・大学進学支援制度やオンラインでの学習環境の提供等を提案されました。どのやり方が一番効果的で 1人ではなく、この地域全体の発展に繋がるのかを慎重に考えていきたいと思います。

     

     

    2013年4月28日更新

    第17次カンボジアスタディツアー2013

    Report |1 Mar, 2013

    第17次CMCカンボジアスタディツアー レポート

    日時:2013年2月17日~2月26日(10日間)
    参加者:全国より14名
    訪問地:CHSD地雷原・MAG地雷原視察見学、アキラ地雷博物館、エマージェンシーホスピタル、第5軍病院、ICRC義足センター、鬼一二三日本語教室、トンレサップ湖、一ノ瀬泰造終焉の地、CMCボップイ安倍小学校、CMCコーントライ夢中学校、CMCトゥールポンローみおつくし中学校
    ツアーの詳細は、下記のレポートをご覧下さい。

     ツアー同行駐在員作成レポート

    【参加者作成レポートおよび感想】
     武井昴太(第五軍病院、CMCポップイ安倍小学校、エマージェンシー、感想)
     小森茉菜(CMCボップイ安倍小学校、トゥールスレン収容所、キリングフィールド)
     松本侑子(トゥールスレン収容所、キリングフィールド、CMAC地雷犬トレーニングセンター、MAG地雷原、感想)
     十文字宏太(トゥールスレーン収容所、キリングフィールド、MAG地雷原、CSHD地雷原)
     志村由美 (CMAC地雷犬トレーニングセンター、ICRC義足リハビリセンター、一ノ瀬泰造終焉の地、トゥールポンロー中学校、感想文)

    2013年3月1日更新

    不発弾爆発事故で4人のアメリカ人負傷

    January 17,2013

    写真は実物ではなく不発弾のイメージです

    事故発生日時:2013年1月15日 午後13時半頃

    事故現場:カンボジア コンポンチュナン州 CMACトレーニングセンター

    事故状況:カンボジアの政府機関であるCMAC(カンボジア地雷対策センター)のトレーニングセンターで撤去の研修中に不発弾が爆発。4人のアメリカ人が負傷し、そのうち2人が重傷でヘリコプターでバンコクのバムルンラート病院に搬送された。

    負傷者の氏名、年齢は公表されていないが3人はアメリカの海兵隊員でカンボジアの地雷撤去隊員に3週間の研修を行うために来ていた。もう1人はアメリカNGO「Golden West Humanitarian foundation」の年配の撤去隊員であることが明らかにされた。

    事故の原因は現在調査中。

    2013年1月17日更新

    冬休みカンボジア地雷原ツアー 報告レポート

    12月25日~12月28日にかけて地雷原視察ツアーを催行しました。今回参加したのは福岡・関西から集った総勢19名!!
    以下、ツアーの様子について報告します。

    12/25 カンボジア到着

    飛行機の遅れもあり、ツアーメンバーがホテルに到着したのは午前0時ちょっと前。明日からのツアーに備えて早めに就寝…

    12/26
    この日午前中はトンレサップ湖観光、午後は鬼一二三日本語学校にて日本語を学ぶカンボジア人学生たちとの交流の後、アキラ地雷博物館にて地雷や不発弾について学びました。
    シェムリアップから車で約30分程度離れたロリュオス村から大型ボートに乗って水上生活者が住む集落へ。
    ここの住人は皆、高床式住居にて生活しています。現在は乾季なので水位がかなり低いですが、雨季には木の柱が見えなくなるまで水が上昇します。
    生活習慣から環境まで日本と全く違った風景に感動、なかにはカルチャーショックを受けるメンバーも…
    高床式住居のある集落をさらに奥へ進むとこのような風景が見えてきます。手漕ぎボートに乗って、マングローブの森をゆっくりと散歩するのは気持ちがいいです!
    午後は、国際日本文化学園の一二三日本語教室を訪問しました。前列中央の女性が代表の鬼一二三さんです。学校内には生徒さんの書道や俳句などの作品が飾られており、どれも完成度の高い作品ばかりです。

    中級のクラスにおじゃましました。みんなで『見上げてごらん夜の星を♪』熱唱
    (写真右)生徒さんによる日本語のスピーチ

    異国の地にて、日本語を勉強している人々に会うととてもうれしくなります。日本に憧れを持って一生懸命勉強し、日本へ留学する生徒さんもおられるそうですが、 結果挫折して帰国する方もいるそうです。どんなに勉強ができても生活面での支援がないと日本での生活は厳しいのが現状です。日本はまだまだ留学生を支援する制度が整っていないそうなので、今後改善できるよう努めていかなければなりません。

    アキラの地雷博物館

    写真の彼がアキ・ラー氏です。彼はポルポト時代に少年兵として働き、地雷を埋めるという経験をした人です。内戦が終わった今も地雷被害が多発するこの国で、自分が埋めたかもしれない地雷のせいで罪のない人が犠牲になっていることへの罪悪感から償いとして自らボランティアで地雷撤去を行っています。

    展示されてある地雷や不発弾はアキラ自身が収集し安全処理を施したもの

    カンボジアの悲惨な歴史と地雷被害の現状に真剣に耳を傾けるツアーメンバー

    内戦時に使用されたロケット弾の残骸

    おびただしい数の対戦車地雷

    カンボジアの地雷や不発弾被害は年々減少傾向にありますが、それと同時に若年層を中心に過去の歴史を知らない人、地雷被害が起こっていることすら知らない人も増えています。過去の過ちを繰り返さないためにも歴史はしっかり学んでいきたいものです。

    12/27
    この日は午前7時にホテルを出発し、オダーミェンチャイ州のKoun Kriel コミューン, Koun Kriel 村のアキラが活動する地雷原へ向け出発。シェムリアップから地雷原までは約3時間ちょっとだが、道はきれいに舗装されており、途中トイレ休憩をする場所がない以外は快適でした(地元の親切な方々のトイレを使わせて頂きました)

    きれいに舗装された道路のちょっと脇から先は完全なる地雷原。アキラ曰く、このトラックが止まっている場所は1年前までは地雷が埋まっていたそうです。今では完全に撤去され、車も通行可能です。
    バスからトラックに乗り換えて約5分程でこのような密林に到着。ここはどうやら民家の裏庭のようです。現在地雷はタイ国境沿いを中心に、密林やジャングルの中に埋められたままの状態です。

    地雷撤去作業中の現場
    この先地雷が埋まっている可能性アリ

    隊員のなかには女性が6人いました。

    地雷撤去作業中


    そんな中、隊員の1人が地雷を発見!アキラが確認へ

    写真をお見せすることはできませんが、見つかった地雷は旧ソ連製のPMN-2型でした。実際に見るとおもちゃのようですが爆発させた時の威力はすさまじいです。地響きや爆発音といい、処理後はツアーメンバーも無言でした。
    今回参加したツアーメンバーはほぼ全員が地雷原に入るのが初めてで、皆さん貴重な体験ができたと喜んでおられました。カンボジアには未だに400~600万個の地雷が埋没されていると言われていますが、地雷撤去には莫大な資金がかかります。地雷被害者を一刻も早
    くなくすために今後もアキラ含む地雷撤去団体の活動を応援してい
    きます!

    12/28

    ツアー最終日のこの日は終日カンボジアが誇る世界遺産のアンコールワット遺跡群の見学をし、昼食後に義手義足センターを訪問、夜からはだるま孤児院にて子供たちとの交流&夕食という内容でした。
    最初に訪れたのは『タ・プローム』アンコール王朝の王、ジャヤバルマン7世が12世紀に母親の冥福を祈って作った寺院です。
    もともとは仏教寺院ですが、後にヒンドゥー教に改宗されたと言われています。
    寺院に絡みつくガジュマルの木の生命力は並大抵のものではありません!ちなみに写真左はアンジェリーナ・ジョリー主演の映画『トゥーム・レイダー』のロケ地となった場所だそうです。
    もちろん観光客がいっぱいで写真を撮るのにも長蛇の列…
    タ・プローム寺院観光の後はアンコールトム遺跡群へ。
    ここは遺跡も多く、敷地が半端なく広いので、メインのバイヨン寺院のみを見学しました。

    アンコールトムはヒンドゥー教と仏教の混合寺院です。
    バイヨンとはバ(美しい)ヨン(塔)という意味だそうです。一つ一つの塔には写真のように四面に人面像が彫られています。
    寺院のレリーフはチャンパーとの戦争、中国人兵の行進など当時の様子を物語っている貴重な資料です。
    午後は約1時間半、シェムリアップ市内にあるハンディキャップインターナショナルの義手・義足センターを訪問しました。
    元々は欧米のNGOの支援によってつくられた施設ですが、ドナーが政府に変わり収益が激減、現在では患者さんへのきめ細やかなサービスを提供することが難しくなっています。



    日中は日差しも厳しく、気温も上昇してきて皆さんもだいぶお疲れのようでしたが、午後からは元気にアンコールワットを見学しました。

    世界遺産アンコールワット
    やはり実物は素晴らしいです!

    第三回廊と祠堂

     

    夕日に照らされる寺院は幻想的です。

     

    光と影の絶妙なコントラスト

    朝から夕方までほぼ休憩なしに動き回ったのでみなさん相当お相当お 疲れだったと思いますが、この景色を見るとやっぱり来てよかったなと改めて思いました。この後はツア ー最後の訪問先、訪問先、だるま孤児院にて子供たちと交流&夕食です。
    子どもたちはお行儀良く、日本語で歓迎のあいさつをしてくれました。私たちが夕食を食べている間、子どもたちはカンボジアの伝統 的な踊りであるココナッツダンス、フィッシングダス、アプサラダン スなどを披露 してくれました。

    夕食後は子供たちと交流

    『鬼のパンツ ♪』をみんなで

    『炭坑節 ♪』をみんなで

    以上の日程を終え、皆さん深夜の飛行機にて日本へ帰国されました。
    今回のツアーは地雷原視察を中心に、カンボジアの素晴らしい一面 と負の場面の両方を垣間見られるツア ーになれたことを期待してい ます。2月のツア ーは国を一周し、より詳しくカンボジアについて学べる機会を提供しますので是非ご参加下さい!

     

     

    2013年1月15日更新

    ランドマインモニター2012 発表

    世界の地雷・不発弾被害者数を調査しているICBL(地雷禁止国際キャンペーン)が毎年発行している「Landmine Monitor2012」(ランドマインモニター)が11月29日に発表された。以下、レポートの概要。

    世界の地雷問題の概要(2011年~2012年)

    ■ 被害者数
    2011年の地雷・不発弾被害者数:4,286人

    地雷・不発弾被害者数(2000-2011)

    ©ICBL Landmine Monitor2012

     

    • 前年度の4,191人と比べると、約2%の増加。
    • 1日あたりの被害者数は、昨年とほぼ変わらず11人~12人。10年前の2002年と比べると1日当たりの被害者数は32人から約3分の1に減少

     

    2011年 地雷・不発弾被害者数が100人以上の国

    *黒字は対人地雷禁止条約(オタワ条約)未加盟国
    ©ICBL Landmine Monitor2012

    •  毎年他のどの国より地雷・不発弾被害を出しているアフガニスタンは、昨年に続き2011年も世界一の死亡・負傷者数812人を記録した。 しかし、この数は2010年の1,211人から3分の1減少し、オタワ条約(対人地雷全面禁止条約)に加盟前1年あたり約9,000人の被害者を記録していた時より圧倒的に減少している。(アフガニスタンは2002年9月11日にオタワ条約締結)
    • コロンビアは世界で3番目に多い被害者数538人を記録した。2010年とほぼ変わらないが、世界一を記録した2005年、2006年時の約1200人と比べると劇的に減少している。
    • カンボジアは2011年の被害者数が211人で世界5位。昨年の286人から26%減少した。ピークは1996年に記録した4,320人(地雷被害者3,025人 不発弾被害者1,295人)

    2010年~2011年 地雷・不発弾被害者数の推移(上位10か国)

    ©ICBL Landmine Monitor2012

    • 2011年の地雷・不発弾被害者数は4,286人とされているが、データとして収集されていないものも多く、実際の被害者数はさらに多い。
    • 2009年からのモニター調査に基づくと、現在発表されている被害者数より全世界で約1,000人は多いと言われている。
    • 地雷撤去のスピードは加速しているが、目標と結果の差は広がっている。

    被害者数統計

    ©ICBL Landmine Monitor2012

    大人: 58%子ども(18歳未満): 42%
    最も子供の被害が多い国がアフガニスタンで被害者数は373人。子供の被害が、国内被害全体の6割を占める。次いでリビアが76人で同じく全体の6割を占める。

    ©ICBL Landmine Monitor2012

     

    ©ICBL Landmine Monitor2012

     

    • 1999年から2011年の間で地雷撤去中に負傷又は死亡した地雷撤去隊員は1000人が以上確認された。
    • 2011年は撤去中に86件の事故が起きており、2010年とほぼ同じだったが、1999年からの毎年の撤去中の事故の平均件数は67件であり、それと比べると著しく増えている。
    • 撤去中の事故の被害者は男性がほとんどであり、女性の事故は2011年では2件だけであった。(1人は南スーダン、1人はイラク)
    • 2011年の撤去中の事故の過半数はアフガニスタンとイラクで起きている。(アフガニスタン:25件、イラク:20件、3位はタイで11件)

    ©ICBL Landmine Monitor2012

    ©ICBL Landmine Monitor2012

    地雷汚染国・地域:59か国、6地域 (2012年10月時点)
    さらに地雷が埋蔵している疑いのある国が13か国ある。

    地雷汚染国©ICBL Landmine Monitor2012

     

    2012年12月27日更新

    国際協力体験ツアー トゥールポンロー中学校訪問

    2012年12月18日

    千代田区の国際協力体験ツアー参加者のみなさんが CMCトゥールポンロー中学校の生徒たちと交流を行い、また地雷被害者へのインタビューを通し平和の尊さを学びました。

    CMCトゥールポンロー中学校は、CMCの現地事務所があるバッタンバン市内から約130km離れたタイ国境沿いにあります。学校は内戦時にクメール・ルージュの勢力が最も強かったマライ郡にあり、この地域は元クメール・ルージュ派の住民がほとんどです。国際協力体験ツアーの皆さんとは、バッタンバン~中学校の中間地点であるバンテアイ・ミェンチャイ州の州都シソポンにて合流し、そこから学校へ向け出発しました。

    中学校までの通学路は悪路が続く

    シソポンからタイ国境の町ポイペトまではタイの援助で綺麗な国道が完成しています。また国道からマライ郡までの道路も中国からの援助で綺麗な舗装道路になりました。しかし、その道路から一歩先は未だに旧道です。写真は通学路でその両端20m先は地雷原です。

    所々に大きな水たまりが

    12月は乾季の真っ只中にも関わらず、所々に大きな水たまりがあります。水はけが悪いのでぬかるみもたくさんあり、雨季になるとこの道は川と化します。中学校の通学路としてはとても危険です。

    生徒達がお出迎え

    約20分の悪路を抜け、ようやく中学校へ到着!校門からはこのように生徒たちが総出で私たちを歓迎してくれました。

    全校生徒の前であいさつ

    ツアー参加者から中学校へプレゼント

    生徒たちへ文房具のプレゼント

    授業開始!

    7年生の授業に交じって勉強するツアー参加者

    詩の授業をしているところです。1クラス50人以上の生徒が共に学んでいます。後方の生徒は3人、4人で1つの机を使っています。

    8年生のクラス 席に余裕がある

    9年生のクラス 半分以上の席が空いてガラガラ

     このように、学年が上がるにつれて生徒数が減少していくのがカンボジアの農村地域特有 の傾向です。なぜこのようなことが起こるのでしょうか?

    カンボジアの農村地域の住民のほとんどは小規模農家を営む農民です。 農業は天候に左右されやすく、また稲作農家が多いため米作りの時期は雨季に限られています。従って、乾季は慢性的に仕事がない状態です。カンボジア北西部は隣国タイに近いことから、乾季になると仕事を求めタイへの出稼ぎ労働者が多くなります。時期に関係なく長期的に働きに出る人も沢山います。

    生徒が学校に来なくなる理由は、

    ①一家でタイへ出稼ぎに出る
    ②年齢が上がるにつれて出稼ぎでいなくなった家族の穴埋めをするため勉強する時間がない

    などが一番多いです。

    授業の後は子供達と長縄で交流

    ツアー参加者からは歌をプレゼント

    子ども達からも歌のプレゼント

    すっかり仲良しに

    地雷被害者へインタビュー

    お昼ご飯の後は、トゥールポンロー村の地雷被害者2名へインタビューを行いました。
    ツアー参加者は積極的に質問したりメモを取ったり真剣に学んでいました。

    ツアー参加者皆で記念撮影

    2012年12月20日更新

    現地駐在員レポート vol.1

    CMC Report | 8 Nov, 2012

    自己紹介とバッタンバンについて

    みなさん、チョムリアプスオ!10月よりCMCのバッタンバン事務局に赴任しました、柴田鈴華です。これから活動報告を通して、リアルタイムでカンボジアの今をお届けします。
    初回は簡単に私の自己紹介と、事務所のあるバッタンバンについて紹介します。
    名前:柴田鈴華(しばたすずか)
    出身地:福岡県
    About me: 旅行が大好きで、日本をはじめ、海外は南米以外20か国以上行きました。ドライブも好きなので、週末には山、田舎、海などいろんな所によく行っています。その他、料理(作るのも食べるのも)、ファッション、スポーツ、政治、ビジネス、文化などありとあらゆるものに興味があります。

    バッタンバンについて
    バッタンバンはカンボジアの北西部にある地方都市です。
    首都のプノンペンからはバスで約5~6時間、アンコールワットの街、シェムリアップからは約2時間半~3時間です。大きな街ではないですが、ローカルな生活を体験できるということで、欧米からの観光客が多いです。日本人はJICA、NGO等の援助関係者が多く、ビジネス関係では韓国人が多いです。

    バッタンバン市内の中心に位置する「Phsar Naht」マーケット

    この町にはスーパーマーケットがないので、 食材はすべてここで調達します。市場の中の環境は…びっくりします。特にお肉と魚のコーナー。この前、毛をむしられた鳥たちがそのまま売られているのを見ました。これはまだマシなほうかもしれません…

    これはカンボジアの代表的な朝ごはんで、バーイ・サーイ・チュルーク(豚肉ごはん)です。甘辛く味付けされたカリカリの豚肉を白ごはんと一緒に食べます。スープと漬物(?)、チリソースがついてでてくることが多いです。朝からボリューム満点ですが、なかなかおいしいですよ!朝早くから出かける時は、朝食に必ずこれを食べます。カンボジア人の食生活は、朝は外食で、昼と夜は家で食べることが多いそうです。なぜかというと、カンボジアの朝はとても早いから!役所は8:00スタートが多いですが、7:30始業の会社もあるほどです。朝は料理をする時間がないので、露店の朝食屋が大活躍しています!

    バッタンバンには大きな2つの像があります。

    シヴァ神

    写真(左)は、バッタンバン市内のシェムリアップ方面へ行く道のロータリーにあるシヴァ神です。コーントライ夢中学校、トゥールポンローみおつくし中学校のあるバンテアイ・ミエンチャイ州へ行くときに必ず通ります。

    ター・ドンボーン・クロニューン

    写真(下)は、有名なター・ドンボーン・クロニューンという、お米をおいしくしてしまう棒を持った将軍の像です。プノンペンへ行く道のロータリーにあります。ボップイ安倍小学校へ行くときに必ず通ります。
    その他、バッタンバンには古いお寺が6つほどありますが、まだ行ったことがありません。料理が好きなので、町中のレストランには詳しくなりました。外国人向けのレストランも多く、カンボジア料理に飽きたときにはもっていこいです。事務所の隣にはインド・ネパール料理屋があって、値段は少々高めですが、おいしいです。カレーが食べたくなったときに行きます。Street 2には中華料理屋があり、本格的な焼き餃子やチャーハンなどが食べられます。Phsar Nahtの近くには外国人向けのレストランがたくさんあり、カンボジア料理がおいしいのは、Nary Kitchenという個人経営の料理教室兼レストランです。屋台や普通のレストランと違った、手の込んだ家庭料理を食べることができます。おすすめのお店はまだまだたくさんありますが、また後日…。

    サクラショップ:日本からのリサイクル品を集めたセカンドハンドショップ

    通り沿いにある露店:店の雰囲気はどこも似ています

    人も、自転車も、バイクも、車も同じ道を通ります。信号もなく、運転する人も(特にバイク)交通マナーを知らないので、常に注意が必要です。大通りは、朝夕のピークはすごいことになっています。事故が起こらないのが不思議なくらい…

    2012年11月8日更新

    地雷原での農業トレーニング 閉講式

    CMC Report |8 Nov, 2012


    2010年、地雷除去後の土地に建設されたトゥールポンロー中学校。地雷除去完了後も未使用のままだった校舎のまわりの土地を開墾して田んぼにした。2012年5月に種籾を蒔いて稲作を開始。農業局の農業技術普及員を招いて、Farmer Field School (FFS) を実施した。

    Farmer Field School (FFS) とは農民参加型の実際の農場を学びの場とした農業技術の普及を目指す 手法で国際援助機関、政府機関、NGOによって広く取り入れられている。持続的な稲作技術の習得、 普及が狙いだ。

    生徒たちのほとんどは、現金収入はタイへの出稼ぎなどで賄う小規模農家の子どもたちだ。小規模農 家にとって、いかに手をかけずに収量を上げるかが重要な関心ごとである。化学肥料はコストがかか るが収量を上げやすい。強力な除草剤を散布したほうが手で除草するよりも労働コストは安く済む。 しかし、化学肥料によって地力が落ち、農薬が生態系を壊してしまえば長期的には減産してしまい持 続的な農業は望めない。農家は有機農業に関心はあるものの、実際に取り組んでいる農家は少ない。

    将来この地域で農業の担い手となる生徒たちを対象にFFSを行なった。農業生態系を理解し、化学農 業資材(化学肥料及び農薬)に頼らない環境と調和した有機農法を学ぶことが目標だ。教室で講義を行 ない、そこで得た知識を学校田で実践してもらった。学校が長期休暇中の7月から9月にかけて6回実 施し、11月8日に農業局の講師たち、副コミューン長を招いて閉講式を行なった。

    講義で生徒たちが作った田んぼの観察結果を掲示。

    生育条件の異なるポイント数カ所を選び、1平方メートル単位で稲を刈る。

    脱穀した後、重量を測る

    有機肥料を施肥し、除草をした場所のほうが収量が高い。

    農業局よりFFSの振り返りとまとめ

    2012年10月10日更新

    対戦車地雷で3人死亡

    CMC Report |9 Oct, 2012

    対戦車地雷で3人死亡

    10月7日、午後4時15分頃、バッタンバン州、サムロー郡、タセーンコミューン、ドーントレット村 で、トウモロコシを収穫して運搬中のハンドトラクターが対戦車地雷を踏み、3人が死亡、3人が負傷した。9月30日に同じくバッタンバン州のラタナック・モンドール郡で7人が亡くなる対戦車地雷事故が発生したばかり。
    (写真上:事故現場。対戦車地雷の爆発で大きく穴が開いている。 CMAC撮影)

    収穫したトウモロコシを満載して重くなっていたハンドトラクターが大雨でぬかるんだ道にはまった。脱出しようと押していたところ、カートの左側タイヤが対戦車地雷を踏んで爆発した。トウモロコシの収穫が始まり、事故に遭ったトラクターは何度も同じ道を通って運搬していた。また、事故当日、別のハンドトラクターが通った直後だった。 事故があった村は9年前から定住し出した新しい村。この村は畑作が中心で、今シーズンはほとんどの農家がトウモロコシを栽培している。事故現場は畑の中を通っている道で、いままで事故はなかっ た。しかし、この村に内戦時ベトナム軍の基地があり、それに対抗してクメール・ルージュ軍が埋めた対戦車地雷がまだ残っていると思われる。

    ぬかるんだ道を通るハンドトラクター。村内の事故現場とは別の場所  CMAC撮影

    生存者は3人。Emergency Hospitalに搬送された17才の男性。意識がまだはっきりしていない。

    対戦車地雷 TM-46 旧ソ連製 直径305mm、重さ8.6kg、TNT火薬量5.7kg  
    (写真は火薬が抜かれ安全化されたもの)

    一度に多くの命を奪う対戦車地雷事故。しかし対戦車地雷事故を防ぐことは難しい。地雷除去はもちろん事故を未然に防ぐための危険回避教育も行われているが、対戦車地雷の危険性が依然として高いのが現状である。
     1. 対戦車地雷探知の困難
    地中深く埋められた対戦車地雷の探知が難しい。
    – 過去に地雷撤去団体、あるいは村人自身で対人地雷が撤去された土地
    – 過去数年間にわたって地雷の事故がなく、または、地雷が発見されておらず、安全と思われていた土地であっても、対戦車地雷が残っている可能性がある。

     2. 機械化
    以前は人力や牛などで耕作、移動していたが、
    – 道が良くなった
    – 村人の経済力が上がったために、耕運機、トラクター、トラックなど機械が入るようになり、その重量から対戦車地雷を爆発させてしまう可能性が高まった。

    3. 人口の増加
    最近、村に入ってきた人が地雷に関する危険情報を知らないために地雷原や対戦車地雷の危険がある道に入り込んでしまう。

     4. 耕作
    長年の耕作で地中深くに埋められていた対戦車地雷の上の土が掘られて、比較的浅い場所に対戦車地雷が位置するようになり、触雷する危険性が高まった。

    2012年10月10日更新

    対戦車地雷で7人死亡

    CMC Report |2 Oct, 2012

    事故現場付近で対戦車地雷の探知を行なっているCMAC隊員 10月2日撮影

    対戦車地雷で7人死亡

    9月30日、午後7時半頃、バッタンバン州、ラタナック・モンドール郡、スダオコミューン、バナン 村で、マーケットから帰る途中のハンドトラクターが対戦車地雷を踏み、乗っていた5人が即死、2 人が病院に搬送後死亡、1人が負傷した。

    バナン村にはコミュニティー公有の森があり、村の人たちは農業の他に、薪やきのこの採集などで生計を立てている。事故に遭った8人は薪ときのこをスダオマーケットに売りに出かけ、夕方になって帰る途中だった。事故現場はマーケットから村へつながる内戦時よりあった旧道で、被害者の家から 300メートルほど離れたところ。村の人は徒歩や自転車、バイクで毎日行き来しており、事故に遭ったトラクターも過去数年ずっと使っていた道だった。それ以外の農機やトラックはめったに通ることはないという。

    この地域では内戦時、クメール・ルージュ軍と政府軍の間で戦闘があり、戦略拠点もあった。この村では地雷除去団体による除去はいままで行われておらず、内戦終結後、村人が自分たち自身で地雷を取り除いてきた。その結果、民家や農地では対人地雷の危険性は高くない。しかし、今回の事故のように旧道では対戦車地雷の危険が残っている。

    また、森とその付近には地雷が多く残っているとみなされている。地雷除去は民家、農地、道路、橋などの開発が入るところから優先して行われる。しかし、この森は環境保全されていて開発の対象ではなく、除去の優先度が低いため、地雷除去はいままで行われなかった。

    対戦車地雷が爆発してできた穴。対戦車地雷はおそらく2つ重ねて埋められていた。  10月1日 CMAC撮影

     

    ハンドトラクターは画面奥から手前に進んで来て対戦車地雷を踏んだ。画面右は公有の森。 10月2日 現地駐在員撮影

     

    対戦車地雷で吹き飛ばされたトラクターの荷台。他に50メートルほど離れた森の中にもトラクターの部品が吹き飛ばされていた。 10月2日 現地駐在員撮影

     

    ハンドトラクターのエンジン部は無事だった。葬儀の後、僧侶によってお祓いを受ける。 10月2日 現地駐在員撮影

    事故は夜に発生したので生存者を病院へ搬送した後、翌日朝から遺体が収容された。CMACによる現場付近の対戦車地雷探知作業も始まり、2日にCMACが現場近くから対人地雷1個を発見した。

    ハンドトラクターを運転していた54才の男性と近所に住む17才の女性は生存したが、その男性の25 才の長男と18才の妻、22才の次女、19才の三女と婚約相手の23才の男性、近所に住む25才の男性の6人が亡くなった。19才の三女は今月結婚する予定だった。

    葬儀は10月2日に行われた。生存した2人はバッタンバン市内になる救急外科病院、Emergency Hospitalに搬送されたが、10月7日、そのうちの一人、17才女性が事故に因る肺合併症で死亡した。

    対戦車地雷による多数の被害者が出たのは、今年2月にバンテアイミエンチャイ州マライ郡で8人が亡くなった事故以来。昨年2011年の地雷・不発弾被害者数は211。事故は全体として減少傾向で、 今年1月から8月までの被害者数は127と、前年同時期の144人から12%減少しているが、例年、雨季が明けた後の11月から事故が増える傾向にあり、楽観出来ない状況だ。

     

    2012年10月3日更新

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