カラッとしだした11月。「VOICE OF HEART」も最終月へと突入した。最終回はCMCを代表して私も出演することとなった。番組制作の経緯や趣旨、自身のカンボジアでの生活など約10分リスナーに向かって気持ちと伝えた。噛んだり詰まったりしたが、放送を聴いてくれた人たちから、ちゃんとわかったよと声を掛けられた。こんなところがカンボジア人の温かさだ。また、電力不足により放送できなかったバッタンバンの13回目の放送は12月6日に放送された。
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11月は第22回〜第26回を放送。
FM103.25MHz(バッタンバン):11月1日、8日、15日、22日、29日の5回放送
FM96.5MHz(バンテアイミエンチェイ):11月2日、9日、16日、23日、30日の5回放送
以下、今月の番組内容の抜粋 |
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今月のDJ紹介
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各局とも先月と同様 |
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朗読された手紙より2通 |
「VOICE OF HEART」を聴いている障害者の皆さん、こんにちは。調子はどうでしょうか?皆さんが元気に仕事に励んでいることと思います。僕も皆さんと同じ障害者です。障害者に対する差別を止めるために、たとえどんなに多くの困難が待ち受けていようと、力の限り頑張るつもりです。これはとても難しいことだと思います。だけど、何もしなかったら人生は無意味なんです。だから、逃げ出したりしないで、努力するっていう意志を強く持つことが人生に華を咲かせるって肝に銘じておきましょう。最後に、全ての障害者の皆さんに、幸福と成功を!
バッタンバン州 イオ・サヴィン
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私はチュム・チャンと言います。バンテアイミエンチェイ州コップレチ村に住む障害者です。この番組を聴いている障害者の皆さん、こんばんは。元気ですか?暮らしはどうですか?どんな問題を抱えていますか?問題に取り組もうとしたことがありますか?責任をもって行動していますか?障害者は何もできないって思ったことがありますか?本当はもっと質問したいけどここまでにします。つまり、私が言いたいのは、皆さんにこの質問に応えてほしいということ。それは口にするだけではなくて、実際に行動することです。そうすれば、皆さんの未来が良きものになると信じています。
バンテアイミエンチェイ州 チェム・チャン
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インタビュー
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第22回放送
(ヤン・モン、48歳、男性、地雷被害者、MAGディマイナー)
私の名前はヤン・モン、年は48です。現在、地雷撤去団体のMAGでディマイナーをしています。2005年にMAGが障害者の職員を雇用するという情報を得たので、申請し、現在に至ります。しかし、私も皆さんと同じく地雷被害者なのです。1994年、軍隊として働いている時に地雷を踏み、右足を失いました。バッタンバン病院で26日間過ごし、また軍隊に戻りました。 |
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絶望感でいっぱいでしたが、仲間たち、家族がいつも励ましてくれていました。仲間たちにはすごく感謝しています。最後に、皆さん、絶対に地雷やUXOには触れてはいけません。いつ爆発するかわからないのです。もし地雷を発見したら、公共機関に連絡してください。我々が現場に急行し安全に処理します。障害者の皆さん、私でもこうやって人生を立て直し生きてこられました。皆さんにもできるはずです。諦めないで頑張っていきましょう。
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第24回放送
(ソク・ソエム、52歳、男性、地雷被害者)
僕は2度地雷事故に遭いました。1度目は1996年のことです。いつものように森に入り木を伐採しているとき、手に入れたかった木の近くに地雷がありました。どうしてもほしかったので地雷を自分で解体しようとしたのです。解体している最中、地雷が爆発しました。右手の指のいくつかがちぎれ、痛くはありましたが、特に思い込むこともなく、以前と変わらぬ生活をしていました。
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2度目は、翌年の97年。この日も木の伐採のため森に入りました。そして地雷を踏んでしまったのです。右足が奪われ、途方にくれました。以前のようには暮せない、家族を養っていけないと思い、目の前は真っ暗。しかし、絶望に暮れながらも生きていると、足がないことに徐々に慣れていき、ふと、今なら以前のように立ち直れるかもしれないと思いだしました。それからはひたすらに頑張って、今では農業仕事もこなせるようになりました。また、その傍らコミューン事務所の役員としても働いています。障害はあるけど、心は晴れ晴れとしています。
皆さん、乞いにだけは手を出しちゃダメです。僕にだってできたんだから、諦めずに頑張っていきましょうよ。何よりも自分に自信を持つんです。そうすれば、きっと、きっと目の前が明るくなるはずです。
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第25回放送
(ヌブ・サット、54歳、男性、地雷被害者、コミューンチーフ)
私はヌブ・サットと言います。1985年、戦闘に出かけた時に地雷を踏み、右足を飛ばされました。重傷だったため、軍のキャンプで1年間リハビリ生活を強いられました。時には、右足を失った悲しみのあまり、自殺さえ考えました。しかし仲間たちが常に励ましてくれたおかげで、なんとか立ち直ることができました。治療を終えた後も2年間、軍隊で働いていました。 |
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でも、もう戦闘なんかには参加したくありませんでした。その後、村に戻り、農業を営んでいました。私は教育も受けていましたし、村民から人柄も認められていたので、村民たちに推薦され、現在はコミューン事務局長をしています。
障害を抱えている皆さん、自分の人生のため、家族を支えるために何か行動を起こしましょう。我々は人並み以上に頑張らなくてはならないのです。さあ、周りを見渡してみましょう。幸運なことに我々を支援してくれるNGOがたくさんあるではないですか。自分の手で何かをつかみましょう。
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※ NGO紹介インタビュー 第23回放送:MAG
第25回放送:CWARS
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朗読された詩より2篇 |
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題:障害者
作者:バッタンバン州 コン・タヴェレン
これは障害者の声
私たちの生活はとても辛い
目が見えない
手足が不自由
まるでガラクタのよう
私の人生
数え切れないほどの苦しみを味わった
この使えない両足のせいで
とても不幸
喜びなどない
でもめげずに頑張ってきた
そして今、私たち障害者に光が見えた
CWARSが私たちに目を向けてくれたから
これからお年寄りも若者も障害者みながよく自分自身を考え職業訓練に励みましょう
そこでは男性も女性もみな笑顔
さあ、時間を無駄にしてないで決心しましょう
幸福で満ち溢れた人生にするために
CWARSの皆さん本当にありがとう
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題:なし
作者:シェムリアップ州 ヘイン・ニエ
おお、俺の脚よ
なぜ俺は不幸のなかに生まれたのか
俺は苦闘の中に生きてきた
苦難に耐える日々だった
あの内戦が俺を障害者にしたのだ
人生を立て直すため幾度も山を乗り越えた
人生を腐らせる考えは捨てなくちゃならねえ
そのために我を忘れるくらい突き進むしかない
そして今CWARSと出会うことができた
俺は幸せだ
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