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砥綿 泰弘
(2008年1月〜2009年2月)
1986年生まれ。中学3年生の時からCMCの活動に参加し、琉球大学在学中に駐在員として現地へ。ラジオ番組制作・放送、ボップイ小学校の運営に加え、CMCコーントライ夢中学校建設に携わった。 |
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CMCが(社)佐世保青年会議所の支援の下中学校を建設するコーントライ村。この村は、カンボジア北西部バンテアイミエンチェイ州の中心シソポン市からタイ国境方面へ30キロ程走ったところに位置する。
今では、小ぢんまりとしてカンボジア独特のゆったりとした空気が流れるこの村も、内戦時にはクメール・ルージュ、国連UNTAC軍、ベトナム軍の激戦地であった。その時期、無数の地雷が埋められ、砲弾が飛び交っていた。 |
コーントライ村を南北に走る主要道路 |
内戦終結後、1994年から95年にかけてカンボジア政府の地雷撤去組織CMACや軍人たちによって撤去作業が行われたというが、その杜撰さゆえか、今でも地雷やUXO(不発弾)が見つかることも珍しく無い。1995年には地雷被害が最多となり、撤去作業終了が宣言された2004年にも対戦車地雷による死亡事故が起きている。事故現場は中学校建設地の目と鼻の先である。つまり、この村は未だ地雷原であるかも知れず決して安心できる状況ではない。 |
通り沿いには小さな商店がいくつか点在する |
発見されたUXO
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3月上旬、小学校敷地内に中学校を建設するため、小学校校長と建設位置について打ち合わせ中、突然「近くでUXOが見つかった。」と報告が入った。状況確認とその前後策を考えることが必要なため現場へと急いだ。そこは、小学校から200mほど離れた民家の庭で、家から5mも離れていない。血の気が引くと同時にショックでもあった。カンボジアの土地が地雷やUXOに汚染されていることは頭では理解していたつもりであったが、学校建設予定地でそれが実証されたのだ。もちろん、村人もUXOがどれほど危険なものであるかを知っており、触れてはいないようだが、子どもも含めまるで危機感というものを感じ得ない。それほどまでに地雷・UXOの存在が当たり前となっているのだ。 |
UXOの現場から民家を見る |
畑でもう1つ見つかったというので案内してもらう。現場に行く道を歩く際、「ここでは事故は起こってないから心配要らない。」と言われても気が気ではなく、10分程にもかかわらず、2時間は歩いたのではないかと思えるほど長く感じ、どっと疲れた。現場にはUXOが木に挟まっていた。
民家へ戻り、周辺住民に「鉄や火薬を売ろうと、地雷・UXOを解体している際の事故が多発しています、絶対に触れないで下さい。」と説明し、注意を呼び掛けた。冷静を装っていたが、カンボジアの現実を目の当たりにし最もショックを受けていたのは自分自身だった。さっそくCMACに不発弾の処理を依頼した。
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緑の田園風が美しく広がるカンボジア。しかし同時に、戦争が終わった今でも地雷に土地を汚染され、常に危険と隣り合わせの生活を強いられている人々がいる、地雷によって希望を奪われた人々がいるという現実を体感した。CMCのスタッフとして、一刻も早くこの地で子ども達が安心して学校に通えるよう決意を新たにした。 |
木の間に挟まったUXO |
この先には無数の地雷・UXOがあり、村民も足を踏み入れられない |
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