過去の活動
本日もAM6:00にダラー君と事務所に集合です。目的地はパイリン州ボータンスー小学校です。
途中、ダラー君は携帯電話を無くしてしまい、
この学校も日本がかかわっている学校のようです。
本日は今までよりも遥かに生徒の数が多く、
ラブット君は「こんなに多いのは予想外だよ」
教室の後ろには子供たちが作った手榴弾の彫刻品がありました。
この日の授業ではこちらの模型を使い、どうして爆発するのか、
ここで話を切り替えて、
自分はクメール語が喋れないのでコミュニケーションがとれません
そして帰りにはラブット・
2013年9月17日更新
こんにちは。
本日は先日(2013/9/4)訪れたカンボジア北西部、
朝の6時にバッタンバン事務所にダラー君と集合しました。
ダラー君とも最近何となくのコミュニケーションが図れるようにな
目的地まではバイクでおよそ2時間半ほど、
このスラグミンチェイプライマリースクールは2011年に建てら
この日、学校の先生がバッタンバンにおり、
文字通り、青空教室でした。
授業が始まる前は、こうして整列するんですね。
きれいに整列したら、授業のスタートです。
現地スタッフによる授業の様子です。
CMC制作の地雷ポスターで、子供たちに「
ラブート君は前方の子供たち、
一つの授業を二人で行う、良いチームワークです。
続いてソカーさんがシーマックという政府機関の発行している不発
中には文字の読み書きが出来ない子供もいるので、
前回と違い、今回の子供たちはみんな「みたことがある」
そして授業が終わると、
そしてダラー君との帰り道、バイクの前輪に不具合が発生し、
MREの為、
MREで調査対象となるのは地雷だけではもちろんなく、
これは地雷ではなく、空爆に使われた爆弾であり、
来週もパイリン州に行きます。
文責 : 現地インターン 小野寺 亘
2013年9月17日更新
I. Background
As a result of nearly three decades of conflict, Cambodia remains one of the countries most severely affected by landmines.
With about 80 per cent of the rural population being dependent on agriculture or related activities, in addition to the physical danger, thousands of Cambodians remain socially and economically disadvantaged by the threat of landmines, cluster munitions, air-dropped bombs and other unexploded ordnance (UXO).
In recent years, casualty figures showed an annual downward trend, with the Cambodian Mine/UXO Victim Information System recording 352 landmine and UXO casualties in 2007, 271 casualties in 2008 and 243 in 2009.
However, in 2010 this figure rose again, to 286. This rise can partly be attributed to two serious anti-tank mine accidents during 2010 – one in Palin in May, and a second in Battambang in November – that between them killed or injured 30 people.
II. Total casualties from 1979 to 2013 : 64,268
For the period of 1979 to June 2013, a total of 64,268 mine/ERW casualties were recorded by CMVIS data gatherers. Of the 64,268 casualties:
– 50,876 (79%) were mine casualties and 13,392 (21%) were ERW casualties.
– 19,670 (31%) people killed, 35,683 (55%) people injured and 8,915 (14%) people amputated by mines and ERW.
Killed: 19,670
Injured: 35,683
Amputated: 8,915
– 52,148 (81%) casualties were men, 5,948 (9%) casualties were boys, 4,745 (8%) casualties were women, 1,364 (2%) casualties were girls and 63 (0%) casualties were unknowns.
Men: 52,148
Boys: 5,948
Women: 4,745
Girls: 1,364
III. Mine/ERW Casualties (2012) : 186
Mine |
ERW |
Total |
|
Men |
50 |
48 |
98 |
Women |
9 |
18 |
27 |
Boys |
4 |
42 |
46 |
Girls |
3 |
12 |
15 |
Total |
66 |
120 |
186 |
Killed |
Amputation |
Injured |
Total |
|
Mine |
25 |
12 |
29 |
66 |
ERW |
18 |
12 |
90 |
120 |
Total |
43 |
24 |
119 |
186 |
IV. Mine/ERW casualties (1992 – 2012)
V. Mine/ERW casualties from 1998 to 2012
1998 |
1999 |
2000 |
2001 |
2002 |
2003 |
2004 |
2005 |
2006 |
2007 |
2008 |
2009 |
2010 |
2011 |
2012 |
|
Mine |
1633 |
731 |
467 |
405 |
367 |
362 |
340 |
365 |
191 |
138 |
117 |
111 |
141 |
104 |
66 |
ERW |
518 |
422 |
391 |
421 |
480 |
410 |
558 |
510 |
259 |
214 |
154 |
133 |
145 |
107 |
120 |
Total |
2151 |
1153 |
858 |
826 |
847 |
772 |
898 |
875 |
450 |
352 |
271 |
244 |
286 |
211 |
186 |
Top 10 provinces affected by Mine/ERW
1 |
Battambong |
34人 |
2 |
Preah Vihear |
25人 |
3 |
Oddar Meanchey |
22人 |
4 |
Kampong Chhnang |
21人 |
5 |
Banteay Meanchey |
17人 |
2013年9月10日更新
こんにちわ、そして初めまして。
僕は現在、専修大学国際経済学科四年次の小野寺 亘(おのでら わたる)という者です。 今回夏休みを利用し、
CMCの現地レポートをご覧の皆様、よろしくお願いいたします。
そして今回の初となるレポートはCMCが現在行っているMR
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朝の7時にCMC事務所にダラー君と集合、出発です。
今回、
現地のオーチュワンルー村オーチュワン小学校に到着したのは10
11時になり、授業は終了です。
このあと、自分とダラー君はバッタンバンの事務所へ、
次回はパイリンという場所へ訪れる予定です。
2013年9月3日更新
前回のボップイでの練習を経て,12日(月)より,
始まったばかりでまだ手さぐりな部分が多いですが,
さて,今回のレポートでは,
このMREプロジェクトの活動場所は基本的に田畑,
私は当初,このことについてはかなり楽観視していました。「
わたしは自転車で遠出するのが好きで,
また,
アオラル山麓の村の一家。お父さんの後ろにいる男の子は私を見るなり「お父さんフランス人が来たよ」と言ったらしい。どうやら私は,フランス人っぽい顔立ちのようです。カンボジアがかつてフランスの植民地だったことは関係ないはず・・・。
何の本だったか雑誌だったか忘れましたが,カンボジアの田舎の人
ところが,ソカーとラブットは受け入れ民家がなくて,
このことを,別の知り合い(カンボジア人)に話したところ,「
我々は(と言っては語弊があるかもしれませんが),
さて,ソカーとラブットは宿探しに苦労はしているようですが,
〈補足〉
宿泊に際して,1人一泊2ドルの謝礼を受け入れ民家にお渡しして
文責:曽田実
2013年8月26日更新
前回,
村長さんたちが「以前は地雷事故があったけど,
要するに,「地雷は残ってはいるけど,
さて,12日(月)からいよいよ村に出向き,
「地雷を見たことがある人」の問いかけに,
とはいっても,地雷を見たことのない子にとっては,
ポスターだけでも,
地雷模型です。これが登場した瞬間,
この地雷模型の使用については賛否両論あるようです。それは,
CMACの指導者からは,「使うか使わないかは,人による。
やはり,子供の発達段階に応じたカリキュラムを作り,
とりあえず,
12日(月)より,
文責:曽田実
2013年8月9日更新
選挙も終わり,ここから一気に調査を進めていきたいところ。
今週もMREスタッフたちによって,ラタナックモンドル郡内の各村の村長さんや学校の校長先生に電話をかけ,地雷被害の状況や子供の数などの情報を収集しました。
この調査において,かなり多くの地域から以前は地雷事故があったけど,今は撤去されて安全だ」という回答がかえってきました。
これはちょっと意外でした。
そもそも,我々は当初CMACから,「ラタナックモンドル郡の多くの地域に地雷被害の危険性が残っており,MREが必要だ」との説明を受けていたからです。
この認識の違いはどこから来るのでしょうか。
確かに,CMACをはじめMAGやJMAS,CSHDなどが地道に撤去作業を続けており,年々安全な場所は増えてきています。
しかし,その情報はきちんと整理されたうえで,住民に伝えられているのでしょうか。
本当に安全ならそれは非常に喜ばしいことですが,「これでもう大丈夫だろう」
ここのところはCMACにもう一度きちんと確認をしようと思います。
さて,バッタンバン州の調査も一通り終わったので,金曜日,今度はバッタンバン州の西側,
ラブット君からの報告で,教育局長曰く「ここ(パイリン)は,地雷被害が大変多く,子どもたちもたくさん被害に遭っている。そしてまだまだたくさんの地雷が残ってる。ぜひMREをやっていただきたい」とのこと。
次週は,パイリン州の調査を行う予定です。
2013年8月6日更新
街宣車
日本では先日,参議院選挙が行われたばかりですが,ここカンボジアでも,
この1カ月間(公式には6月27日から7月26日まで)
カンボジア全土で選挙運動が繰り広げられました。
圧倒的な組織力を誇る与党「人民党」
という選挙前の構図。さて,どのような結果になるか・・・
MRE事業においてもこの選挙運動の影響を少なからず受けています。連絡を取りたい村長や学校長となかなか連絡が取れない。
彼らの多くが選挙運動に参加していて,忙しいとのこと。
(全く連絡が取れないわけではなく,
「選挙が終わればみんな暇になるから,連絡も取りやすくなるよ」
そんなCMCの若いカンボジアスタッフたちもどこを支持しているとは言いませんが(
カンボジアの選挙運動はまるでお祭り騒ぎです。道路に特設ステージを設けて歌い踊ったり,民衆が参加して車やバイクで街を宣伝して走ったり,等々。若者たちはこの街宣運動を楽しんでやっているようにも見えます。
バイクでの街宣運動。なんか楽しそう。陽気な暴走族といったところか。
大音響で街宣。見た目はなんか滑稽。
道の真ん中にステージを設置。
歌や踊りで盛り上がる。
退屈な日常の中にあって,刺激的なひと時なのでしょうか。どこまで考えて行動してるかはちょっと疑問。また,役所の人たちなども運動に駆り出されるという話ですが,何らかの圧力がかかっているのかな?なんて勘ぐってしまいます。まあ,あまり余計な詮索はしないでおきます。
選挙当日。どうやら各地の小学校が投票所になっているようで,朝からぞろぞろと小学校へ投票に行く様子が見られました。どこまで民主的に行われているかは分かりませんが,カンボジアは投票率がかなり高いです。基本的に皆,投票はするものという認識のようです。
さて,投票所にて投票を終えた後,手続きの一環として,
選挙後の近所のおじさんの指。
投票率が高いのは,きれいな指を見られて,「あれ?投票に行ってこなかったの?」なんて白い目で見られたくない心理もはたらくのでしょうか? (カンボジア人もかなり世間体を気にする人たちです)
これも私の勝手な憶測です・・・
出会う人々の指(右手人差し指)
食堂のおばちゃん。えっ,その手で食べ物を扱うの!?インクがにじんでるし・・・
文責:現地駐在員 曽田実
2013年7月30日更新
前回,7月9日(火)
朝7:00事務所を出発
そこで,
ソックチャン・ワンナーさんから情報収集
郡の役所で話し合い
教育局にて活動申請及び情報収集
午前中は順調に事が進み,お昼ご飯を食べた後,学校を2,
午後,
プレイサン小学校へはここを右折。ちなみに,CMCが支援しているボップイ小学校へはここを直進
道中は困難を極めました。
悪路
地雷さえなければ,いい雰囲気なんだけど・・・
異様な雰囲気を感じながら(少々ビビりながら),
プレイ・サン小学校に到着。しかし,誰もいない・・・。何しに来たんだか。
うかつでした。
まだこれからもこの活動は続くので,
途中の民家にいた子どもたち。このMRE事業はまさにこの子たちが対象となる。
文責:現地駐在員 曽田実
2013年7月23日更新
7月7日(日)から13日(土)までの7日間にわたって,カンボジア現地視察ツアーを催行しました。お越しいただいたのは,守勢塾の皆様総勢11名。以下,ツアーの様子について報告いたします。
7月7日(日)
ツアーメンバーの皆さんがシェムリアップ空港に到着したのは,夜の10時半。そこからバスに乗って15分でこの日の宿であるタ・プロームホテルに着きました。みなさんお腹が空いているとのことでしたので,チェックインした後,腹ごしらえに街へ出ました。お腹を満たし気分も満たされたところで,翌日に備えてその日は就寝しました。
7月8日(月)
この日は,午前中アキラ地雷博物館を見学し,
地雷博物館にてビデオ上映
朝9時バスでホテルを出発し,約50分かけてアキラ地雷博物館に
昼食をとった後,義足リハビリセンターを訪問しました。ここは,
次に,鬼一二三さんの日本語教室を訪問しました。
7月9日(火)
この日は,シェムリアップ州の隣,
約2時間コーントライ中学校の生徒と交流した後,
7月10日(水)
この日は,アキラ氏が運営するCSHD(=Cambodia Self Help Demining)の地雷撤去現場を視察しました。
その後,
我々が視察しているまさにその時,
地雷原視察後,バンテアイミエンチェイ州を後にし,
7月11日(木)
この日はシェムリアップでの最終日。
さてこの日の昼食では,8日にお会いできなかった鬼一二三さんが
夕方,守勢塾の皆さんは,
このツアーで,
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文責: 現地駐在員 曽田実
2013年7月16日更新
MRE(地雷危険回避教育)を実施する際に最も大変なのは、事業を行う土地(州、郡、
今回MREを実施する地区は、
今回訪問したトラエンコミューン内にある小学校3校はいずれもJMAS(Japan Mine Action Service)とCMACが地雷撤去後に建設した学校でした。名前も地雷除去機のコマツ建機からきています。
2013年7月10日更新
地雷・不発弾被害が多い国において、撤去と共に重要視されているのが、被害を未然に防ぐために注意を喚起する地雷・不発弾回避教育。
カンボジアではCMAC(カンボジア政府直轄の地雷撤去団体)をはじめとした地雷・不発弾撤去団体による危険回避教育(MRE)が村のコミュニティレベルで行われています。
CMACのMREスタッフによる危険回避教育。子供たちに地雷・不発弾の危険性を訴える
カンボジアでは、未だに子供たちが地雷・不発弾と認識せずに遊んでいて被害に遭うケースが少なくありません。こうした現状を受け、CMCでも地雷・不発弾危険エリアでMRE(危険回避教育)を独自に行うプロジェクトを実施する運びとなりました。
今井記念海外協力基金の助成を受け、今年の4月より地雷危険回避教育(MRE)トレーナーの募集を開始。19名という多数の応募があり、その中から見事こちらの3人がMREトレー
彼らは7月と8月の2か月間CMAC指導のもとMREに関す
9月~12月は地雷被害の多いバッタンバン、パイリン、バンテアイ・
2013年7月2日更新
ボップイ安倍小学校の環境改善も終盤に差しかかりました。何もない校庭に木や花を植え、
2013年6月20日更新
初めまして。6月からCMCバッタンバン事務局に赴任しました,
実は私,2008~2010年の2年間,
CMC事務局のあるバッタンバンの町はカンボジアの中でも大きな
さて,個人的なことになりますが,先日,
これから,活動報告を通して,
9代目駐在員 曽田実
2013年6月20日更新
4月よりボップイ安倍小学校の環境改善に取り組んでいます。学校は建設後9年が経過しているため老朽化が進んでいますが、周囲にはたくさんゴミが散らかっており、全体的に殺風景な様子が学校全体の雰囲気を暗くしていました。まずは子どもたちに掃除をする習慣をつけさせることから始め、その後は校庭に木や花を植えて学校から地域の活性化を目指します。
2013年6月11日更新
地雷原生活者・
2013年6月10日更新
Report |26 Apr, 2013
2013年4月26日、佐世保青年会議所の10名がコーントライ夢中学校を訪問しました。
佐世保青年会議所はコーントライ夢中学校のドナーで、2008 年の学校建設後も定期的に子どもたちへ文房具や遊具を支援して下さっています。
将来の夢について各生徒に質問
校長先生に中学校の現状について話を聞きました。この地域の課題は、
①子どもたちは中学校卒業後に高校へ行きたくても遠くて通えない。
②学校を卒業したとしても、周辺で就職できる場所がない。
夢があっても その先へ進むのがとても難しいのが農村地域の現状です。
今後の支援の在り方として、学校側から優秀な生徒への高校・大学進学支援制度やオンラインでの学習環境の提供等を提案されました。どのやり方が一番効果的で 1人ではなく、この地域全体の発展に繋がるのかを慎重に考えていきたいと思います。
2013年4月28日更新
Report |1 Mar, 2013
日時:2013年2月17日~2月26日(10日間)
参加者:全国より14名
訪問地:CHSD地雷原・MAG地雷原視察見学、アキラ地雷博物館、エマージェンシーホスピタル、第5軍病院、ICRC義足センター、鬼一二三日本語教室、トンレサップ湖、一ノ瀬泰造終焉の地、CMCボップイ安倍小学校、CMCコーントライ夢中学校、CMCトゥールポンローみおつくし中学校
ツアーの詳細は、下記のレポートをご覧下さい。
【参加者作成レポートおよび感想】
武井昴太(第五軍病院、CMCポップイ安倍小学校、エマージェンシー、感想)
小森茉菜(CMCボップイ安倍小学校、トゥールスレン収容所、キリングフィールド)
松本侑子(トゥールスレン収容所、キリングフィールド、CMAC地雷犬トレーニングセンター、MAG地雷原、感想)
十文字宏太(トゥールスレーン収容所、キリングフィールド、MAG地雷原、CSHD地雷原)
志村由美 (CMAC地雷犬トレーニングセンター、ICRC義足リハビリセンター、一ノ瀬泰造終焉の地、トゥールポンロー中学校、感想文)
2013年3月1日更新
January 17,2013
事故発生日時:2013年1月15日 午後13時半頃
事故現場:カンボジア コンポンチュナン州 CMACトレーニングセンター
事故状況:カンボジアの政府機関であるCMAC(カンボジア地雷対策センター)のトレーニングセンターで撤去の研修中に不発弾が爆発。4人のアメリカ人が負傷し、そのうち2人が重傷でヘリコプターでバンコクのバムルンラート病院に搬送された。
負傷者の氏名、年齢は公表されていないが3人はアメリカの海兵隊員でカンボジアの地雷撤去隊員に3週間の研修を行うために来ていた。もう1人はアメリカNGO「Golden West Humanitarian foundation」の年配の撤去隊員であることが明らかにされた。
事故の原因は現在調査中。
2013年1月17日更新
12月25日~12月28日にかけて地雷原視察ツアーを催行しました。今回参加したのは福岡・関西から集った総勢19名!!
以下、ツアーの様子について報告します。
飛行機の遅れもあり、ツアーメンバーがホテルに到着したのは午前0時ちょっと前。明日からのツアーに備えて早めに就寝…
12/26
この日午前中はトンレサップ湖観光、午後は鬼一二三日本語学校にて日本語を学ぶカンボジア人学生たちとの交流の後、アキラ地雷博物館にて地雷や不発弾について学びました。
シェムリアップから車で約30分程度離れたロリュオス村から大型ボートに乗って水上生活者が住む集落へ。
ここの住人は皆、高床式住居にて生活しています。現在は乾季なので水位がかなり低いですが、雨季には木の柱が見えなくなるまで水が上昇します。
生活習慣から環境まで日本と全く違った風景に感動、なかにはカルチャーショックを受けるメンバーも…
高床式住居のある集落をさらに奥へ進むとこのような風景が見えてきます。手漕ぎボートに乗って、マングローブの森をゆっくりと散歩するのは気持ちがいいです!
午後は、国際日本文化学園の一二三日本語教室を訪問しました。前列中央の女性が代表の鬼一二三さんです。学校内には生徒さんの書道や俳句などの作品が飾られており、どれも完成度の高い作品ばかりです。
異国の地にて、日本語を勉強している人々に会うととてもうれしくなります。日本に憧れを持って一生懸命勉強し、日本へ留学する生徒さんもおられるそうですが、 結果挫折して帰国する方もいるそうです。どんなに勉強ができても生活面での支援がないと日本での生活は厳しいのが現状です。日本はまだまだ留学生を支援する制度が整っていないそうなので、今後改善できるよう努めていかなければなりません。
写真の彼がアキ・ラー氏です。彼はポルポト時代に少年兵として働き、地雷を埋めるという経験をした人です。内戦が終わった今も地雷被害が多発するこの国で、自分が埋めたかもしれない地雷のせいで罪のない人が犠牲になっていることへの罪悪感から償いとして自らボランティアで地雷撤去を行っています。
カンボジアの地雷や不発弾被害は年々減少傾向にありますが、それと同時に若年層を中心に過去の歴史を知らない人、地雷被害が起こっていることすら知らない人も増えています。過去の過ちを繰り返さないためにも歴史はしっかり学んでいきたいものです。
12/27
この日は午前7時にホテルを出発し、オダーミェンチャイ州のKoun Kriel コミューン, Koun Kriel 村のアキラが活動する地雷原へ向け出発。シェムリアップから地雷原までは約3時間ちょっとだが、道はきれいに舗装されており、途中トイレ休憩をする場所がない以外は快適でした(地元の親切な方々のトイレを使わせて頂きました)
きれいに舗装された道路のちょっと脇から先は完全なる地雷原。アキラ曰く、このトラックが止まっている場所は1年前までは地雷が埋まっていたそうです。今では完全に撤去され、車も通行可能です。
バスからトラックに乗り換えて約5分程でこのような密林に到着。ここはどうやら民家の裏庭のようです。現在地雷はタイ国境沿いを中心に、密林やジャングルの中に埋められたままの状態です。
写真をお見せすることはできませんが、見つかった地雷は旧ソ連製のPMN-2型でした。実際に見るとおもちゃのようですが爆発させた時の威力はすさまじいです。地響きや爆発音といい、処理後はツアーメンバーも無言でした。
今回参加したツアーメンバーはほぼ全員が地雷原に入るのが初めてで、皆さん貴重な体験ができたと喜んでおられました。カンボジアには未だに400~600万個の地雷が埋没されていると言われていますが、地雷撤去には莫大な資金がかかります。地雷被害者を一刻も早
くなくすために今後もアキラ含む地雷撤去団体の活動を応援してい
きます!
12/28
ツアー最終日のこの日は終日カンボジアが誇る世界遺産のアンコールワット遺跡群の見学をし、昼食後に義手義足センターを訪問、夜からはだるま孤児院にて子供たちとの交流&夕食という内容でした。
最初に訪れたのは『タ・プローム』アンコール王朝の王、ジャヤバルマン7世が12世紀に母親の冥福を祈って作った寺院です。
もともとは仏教寺院ですが、後にヒンドゥー教に改宗されたと言われています。
寺院に絡みつくガジュマルの木の生命力は並大抵のものではありません!ちなみに写真左はアンジェリーナ・ジョリー主演の映画『トゥーム・レイダー』のロケ地となった場所だそうです。
もちろん観光客がいっぱいで写真を撮るのにも長蛇の列…
タ・プローム寺院観光の後はアンコールトム遺跡群へ。
ここは遺跡も多く、敷地が半端なく広いので、メインのバイヨン寺院のみを見学しました。
アンコールトムはヒンドゥー教と仏教の混合寺院です。
バイヨンとはバ(美しい)ヨン(塔)という意味だそうです。一つ一つの塔には写真のように四面に人面像が彫られています。
寺院のレリーフはチャンパーとの戦争、中国人兵の行進など当時の様子を物語っている貴重な資料です。
午後は約1時間半、シェムリアップ市内にあるハンディキャップインターナショナルの義手・義足センターを訪問しました。
元々は欧米のNGOの支援によってつくられた施設ですが、ドナーが政府に変わり収益が激減、現在では患者さんへのきめ細やかなサービスを提供することが難しくなっています。
日中は日差しも厳しく、気温も上昇してきて皆さんもだいぶお疲れのようでしたが、午後からは元気にアンコールワットを見学しました。
朝から夕方までほぼ休憩なしに動き回ったのでみなさん相当お相当お 疲れだったと思いますが、この景色を見るとやっぱり来てよかったなと改めて思いました。この後はツア ー最後の訪問先、訪問先、だるま孤児院にて子供たちと交流&夕食です。
子どもたちはお行儀良く、日本語で歓迎のあいさつをしてくれました。私たちが夕食を食べている間、子どもたちはカンボジアの伝統 的な踊りであるココナッツダンス、フィッシングダス、アプサラダン スなどを披露 してくれました。
以上の日程を終え、皆さん深夜の飛行機にて日本へ帰国されました。
今回のツアーは地雷原視察を中心に、カンボジアの素晴らしい一面 と負の場面の両方を垣間見られるツア ーになれたことを期待してい ます。2月のツア ーは国を一周し、より詳しくカンボジアについて学べる機会を提供しますので是非ご参加下さい!
2013年1月15日更新