地雷危険回避教育プロジェクト⑩******
          10月3日(木)
8月12日より,6週間にわたって6つの地区でMRE(Mine Risk Education,地雷危険回避教育)を実施してきました。今回の報告ではこれまでのMREを総括したいと思いますが,その前に,まずは簡単にカンボジアの行政区画についてご説明いたします。
カンボジアは大きく州(province)と特別市(municipality)に分かれます。
そして州はいくつかの郡(district)に,郡はいくつかの町(commune)に,さらに町はいくつかの村(village)に分かれます。同様に,特別市は区(district/section),区は地区(commune/quater)に分かれます。
今回のプロジェクトにおいて,これまで以下の地区で学校に行っていない子どもを対象としてMREを実施してきました。
① 8月12日~8月16日 バッタンバン州ラタナックモンドル郡
② 8月19日~8月23日 バッタンバン州コックロロー郡
③ 8月26日~8月30日 バッタンバン州ソムロート郡
④ 9月02日~9月06日 パイリン州サラークラウ郡
⑤ 9月09日~9月13日 パイリン州パイリン郡
⑥ 9月16日~9月20日 パイリン州パイリン郡
※ただし,参加者の中には学校に行っていない子どもだけでなく,学校に普通に通っている子も多くいました。また,10月以降はこの6地区に加えて,オーチュラウ郡とマライ郡(いずれもバンテアイミエンチェイ州)において,小学校の児童を対象にMREを実施する予定です。
このMRE事業の中核を担うのがMREトレーナーのラブットとソカー。彼らは使命感を持って熱心に子どもたちを指導しており,各地域でとても充実した教育活動を展開しています。

ラブット。子どもたちとともに地雷に遭遇した場合のシュミレーションを行っています。子どもたちにとって退屈な講義にならないよう,子どもたちにも積極的に授業に参加してもらうよう心掛けています。

ソカー。ラブットの補佐役として,子どもたちを見守りつつ,学習の手助けをしています。
また,CMCスタッフのダラは,表に立つことはありませんが,事務所で連絡・調整を行ったり,アンケート調査結果をまとめたりと,このプロジェクトを陰で支えてくれています。

ダラ。普段は事務所でパソコンに向かっていますが,必要があればバイクであちこち走り回り調整をしてくれます。
このMRE活動では,子どもたちに地雷や不発弾の危険性を認識してもらい,適切な行動をとれるように指導することが主目的ですが,それと同時に地域の実態,特に子どもたちの地雷に対する認識や体験なども調査しています。調査は,アンケート用紙に記入してもらう形で行っていますが,普段学校に通っていないこともあってか,文字の読み書きができない子がたくさんいたことや,アンケート調査そのものがよくわからず(慣れておらず),アンケートの意図を理解しないまま隣の子の解答を丸写しする子もいるなど,得られた調査結果はやや信憑性の乏しいものとなってしまいました。それでも,アンケートを通して,子どもたちの実態及び認識を探るうえで重要な情報も多く得られました。
アンケート調査の中で,「地雷または不発弾を見たことがあるか?」という質問に対して各地域で5~30%の子どもが「見たことがある」と答えていました。子どもたちが見たと言っているものが,本当に地雷もしくは不発弾かどうかは定かではありませんが,やはり現地の人にとって地雷・不発弾は身近に存在する脅威であることは確かなようです。

バッタンバン州コックロロー郡にて。地雷を見たことがあるという男児に,どの種類の地雷を見たのか聞いてみました。男児はポスターの写真の中から,自分が見たことがあるという地雷を指さしました。彼が指さしたのは対戦車地雷の一種。
また,バッタンバン州コックロロー郡でMRE授業を行った後,「学校の近くに不発弾が落ちてるよ」という児童に連れられて,不発弾を見に行きました。
行ってみると確かに,通学路脇の木の陰に不発弾が埋もれていました。

写真中央,木の葉の間から不発弾(瓶のような形)が見えます。この不発弾を横目に,子どもたちは学校に通っています。
さて,10月からカンボジアは新年度となります。そして,今度は学校に通っている子どもたちを対象として,新たにこのMRE活動を再開します。これまでの反省を生かし,学校の協力も得ながら,さらに充実した活動を展開できればと思います。
文責:曽田実
                    2013年10月4日更新
                   
                
          地雷原視察レポート
          9月18日(水)
本日はシェムリアップ州南チャンソー村にて地雷撤去視察レポートです。この南チャンソー村の地雷原は36905平方メートルあり、2013/8.27より撤去を開始した地雷原です。 
現在の処理状況は地雷5つ、不発弾20個で 被害は3名が死亡、負傷1名、5頭の家畜が被害にあっています。
地雷原に入る前には誓約書に同意の上、サインをします。

誓約書

誓約書にサイン
そして地雷原視察に関する説明が行われます。


地雷原のマーキング
どこが地雷原でどこが安全な場所なのか、どこまで地雷除去が終わったのかなど明確にするために標識を立てるなどマーキングで示されています。
白赤長:危険ライン 白長:安全プロテクター脱衣可
 赤長:地雷あり 赤短:未撤去
 黄:地雷・不発弾撤去済み地点
 紫:不発弾あり
 白:ゴミ捨て場
 黒:面積を計る
 こちらはプロテクターを着たCMC現地スタッフダラー君です。
こちらはプロテクターを着たCMC現地スタッフダラー君です。

発見された地雷
ここで撤去活動をしているスタッフは26名、18名が直接の撤去スタッフでした。
以上、報告を終わります。
文責:現地インターン 小野寺 亘
                    2013年9月25日更新
                   
                
          コーントライ、トゥールポンロー中学校卒業式
          9月19日(木)
2013年9月19日,2つの中学校の卒業式が執り行われました。一つは『CMCコーントライ夢中学校(以下,コーントライ中学校)』,もう一つは『CMCトゥールポンローみおつくし中学校(以下,トゥールポンロー中学校)』です。いずれもバンテアイミエンチェイ州というタイ国境を接する州内の中学校です。

黄色い部分がバンテアイミエンチェイ州。赤色はプノンペン特別市,緑色はシェムリアップ州,青色はバッタンバン州。
コーントライ中学校は,佐世保青年会議所の協力のもと2008年に開校した学校で,今年度第3期生が卒業します。一方,トゥールポンロー中学校は株式会社データマックスおよび大阪西ワイズメンズクラブの協力のもと,2011年に開校した学校で,今年度第1期生が卒業します。
今回,佐世保青年会議所から建設当時の理事長だった曽和さんはじめ4名が,データマックスから児玉社長はじめ3名が,各中学校の卒業式に参加されました。
この日,朝7:00にシェムリアップ市を出発してバスで2時間半かけてまずはコーントライ中学校へ行きました。生憎の雨模様でしたが,19名の卒業生をはじめ多くの在校生が我々を待ち受けてくれていました。卒業式は教室で行われました。

曽和さんから卒業生一人ひとりに卒業証書が手渡されました。

卒業生全員で記念撮影
なおこの度,この卒業生の中から,成績優秀でなおかつ将来を見据えて勉学に励んでいる生徒を1人奨学生として資金援助することが決定しました。これは,コーントライ中学校の校庭も手掛けられた庭師の石原和幸氏による支援で,「石原基金」として,この生徒の大学卒業までを支援するというものです。
卒業生全員に卒業証書が手渡された後,この奨学生の発表がありました。奨学生として選ばれたのは,将来医者になりたいと語ってたチア・ダリンさん。発表されると非常にうれしそうな表情を浮かべ,周りの友達からも祝福されていました。ぜひとも将来に向けて,しっかりと勉学に励んで行ってもらいたいです。

右がチア・ダリンさん。CMC大谷理事長(左)と記念撮影。
コーントライでの卒業式が終わり,次にバスで40分ほどのところにあるトゥーるポンロー中学校に行きました。
 
ここでも,19名の卒業生(奇しくもコーントライ中学校と同じ卒業生数)とともに多くの在校生が集まってくれました。今年度トゥーポンロー中学校は第1期生の卒業ということもあり,生徒教員皆初めての卒業式を体験しました(カンボジアの学校にはそもそも卒業式という慣習はありませんので)。
式は教室で行われました。データマックスの児玉社長から卒業証書が生徒一人ひとりに手渡された後,児玉社長から卒業生にはなむけの言葉を述べられ,初めての卒業式は無事終了しました。

児玉社長から卒業生一人ひとりに卒業証書が手渡されました。

卒業生全員で記念撮影
さて,児玉社長は学校の校舎だけでなく,生徒たちの通学路整備の支援もしてくださっています。
学校前に約2㎞にわたる1本の道路がありますが,以前は大変な悪路で歩くのもやっとな道でした。これを児玉社長のお力添えのもと,今年に入りCMCや地元住民が協力してきれいに整備し,「KODAMA STREET」と名づけて生徒たちの通学環境を整えていました。
ところが,雨季に入り連日の大雨(特にここ1,2週間)により地盤が緩み,収穫期とも重なって農耕気が頻繁に往来したために,以前の悪路に逆戻りしてしまったのです。私は,卒業式前の3週間,CMCの夏休みツアーのために毎週訪れていたのですが,3週間前はきれいなだった道が,週を追う毎に道がえぐれてひどくなっていくのがはっきりと分かりました。
生徒の通学路として整備されたこのKODAMA STREETではありますが,地域住民にとっても非常に重要な道路でもあるのです。これについては,学校を中心に地域住民にも協力してもらって,道路の維持に努めていってもらいたいものです。

KODAMA STREET入口。ここは特に問題なくきれいな状態が保たれています。

最も悲惨な部分。粘土質でヌルヌルの路面。いやぁスベるスベる。まともに歩けません。

道路わきにそれるしかありません。でもあんまりそれすぎると危ないんじゃ・・・
文責:曽田実
 
 
                    2013年9月25日更新
                   
                
          地雷危険回避教育プロジェクト⑨******
          2013年9月13日
本日もAM6:00にダラー君と事務所に集合です。目的地はパイリン州ボータンスー小学校です。
途中、ダラー君は携帯電話を無くしてしまい、ラブット君に電話をしようとした自分の電話はプリペイド切れになってしまっていたなど、少したどり着けるか不安はありましたが、なんとか目的地【ボータンスー小学校】に到着です。

この学校も日本がかかわっている学校のようです。

学校看板
本日は今までよりも遥かに生徒の数が多く、40人前後はいました。
ラブット君は「こんなに多いのは予想外だよ」と言っていた程です。

授業風景


教室の後ろには子供たちが作った手榴弾の彫刻品がありました。

木材で作られた地雷不発弾模型
この日の授業ではこちらの模型を使い、どうして爆発するのか、という仕組みの話から地雷が埋められた歴史の背景に致まで話していました。

カンボジアで最も多く埋まっていると言われる旧ソ連製対人地雷PMN-Ⅱ
ここで話を切り替えて、子供たちの笑顔を撮る方法について話したいと思います。
自分はクメール語が喋れないのでコミュニケーションがとれませんのでまずデジタルカメラで子供たちをムービーに収めます。それを子供たちに見せると興味深々で、笑ってくれるので、もう一台のスマートフォンで笑顔を取ります。


そして帰りにはラブット・ソカーがホームステイしているお宅へお邪魔して、本日のMREを終えました。

ラブット・ソカーがホームステイしているお宅
2013年9月17日更新
                   
                
          地雷危険回避教育プロジェクト⑧******
          こんにちは。
本日は先日(2013/9/4)訪れたカンボジア北西部、タイと国境を接するパイリン州にあるスラグミンチェイプライマリースクールにて行われたMRE(地雷危険回避教育)リポートを記します。
朝の6時にバッタンバン事務所にダラー君と集合しました。
ダラー君とも最近何となくのコミュニケーションが図れるようになっています。そして出発です。
目的地まではバイクでおよそ2時間半ほど、前回は悪路と舗装された道の割合は半々でしたが、今回は赤土の道を行ったのは30分程度でした。
このスラグミンチェイプライマリースクールは2011年に建てられ、まだ二年の若い学校です。写真をみていただければ解りますが、学校の看板に日本人の名前が刻まれています。


この日、学校の先生がバッタンバンにおり、校舎の鍵もバッタンバンに持って行ってしまったそうで、屋外にて授業を行いました。
文字通り、青空教室でした。

授業が始まる前は、こうして整列するんですね。
きれいに整列したら、授業のスタートです。

現地スタッフによる授業の様子です。
CMC制作の地雷ポスターで、子供たちに「どの種類の地雷をみたことあるか」を指をさしてもらっています。
ラブート君は前方の子供たち、ソカーさんは後方の子供たちにポスターを見せて回ります。
一つの授業を二人で行う、良いチームワークです。

続いてソカーさんがシーマックという政府機関の発行している不発弾(手榴弾含む)のポスターで、「どの種類の不発弾をみたことあるか」を聞いています。そして授業の終盤、子供たちにアンケートを答えてもらいます。


中には文字の読み書きが出来ない子供もいるので、そういうときはダラー君、ソカーさん、ラブート君が口頭で説明して理解をしてもらいます。
前回と違い、今回の子供たちはみんな「みたことがある」と挙手していました。
そして授業が終わると、集まってくれた子供たちにお礼としてお菓子を配ります。小さな男の子が「オークン(クメール語で【ありがとう】の意)」と言ってくれました。
 そしてダラー君との帰り道、バイクの前輪に不具合が発生し、修理をしました。
そしてダラー君との帰り道、バイクの前輪に不具合が発生し、修理をしました。

MREの為、悪路を行くとなるとやはりバイクへの負担も大きいです。
MREで調査対象となるのは地雷だけではもちろんなく、不発弾も含まれているということを実感しました。

これは地雷ではなく、空爆に使われた爆弾であり、MREに参加していた子供が指さしていました。
来週もパイリン州に行きます。
文責 : 現地インターン 小野寺 亘
                    2013年9月17日更新
                   
                
          Landmine/ERW Casualties in Cambodia 2012(英語版)
          
I. Background
As a result of nearly three decades of conflict, Cambodia remains one of the countries most severely affected by landmines.
With about 80 per cent of the rural population being dependent on agriculture or related activities, in addition to the physical danger, thousands of Cambodians remain socially and economically disadvantaged by the threat of landmines, cluster munitions, air-dropped bombs and other unexploded ordnance (UXO).
In recent years, casualty figures showed an annual downward trend, with the Cambodian Mine/UXO Victim Information System recording 352 landmine and UXO casualties in 2007, 271 casualties in 2008 and 243 in 2009.
However, in 2010 this figure rose again, to 286. This rise can partly be attributed to two serious anti-tank mine accidents during 2010 – one in Palin in May, and a second in Battambang in November – that between them killed or injured 30 people.
II. Total casualties from 1979 to 2013 :  64,268
For the period of 1979 to June 2013, a total of 64,268 mine/ERW casualties were recorded by CMVIS data gatherers. Of the 64,268 casualties:
– 50,876 (79%) were mine casualties and 13,392 (21%) were ERW casualties.
 Mine: 50,876
Mine: 50,876
 ERW: 13,392
– 19,670 (31%) people killed, 35,683 (55%) people injured and 8,915 (14%) people amputated by mines and ERW.
 Killed: 19,670
Killed: 19,670
 Injured: 35,683
 Amputated: 8,915
– 52,148 (81%) casualties were men, 5,948 (9%) casualties were boys, 4,745 (8%) casualties were women, 1,364 (2%) casualties were girls and 63 (0%) casualties were unknowns.
 Men: 52,148
Men: 52,148
 Boys: 5,948
 Women: 4,745
 Girls: 1,364
III. Mine/ERW Casualties (2012) : 186
|  | Mine | ERW | Total | 
| Men | 50 | 48 | 98 | 
| Women | 9 | 18 | 27 | 
| Boys | 4 | 42 | 46 | 
| Girls | 3 | 12 | 15 | 
| Total | 66 | 120 | 186 | 
 


 
|  | Killed | Amputation | Injured | Total | 
| Mine | 25 | 12 | 29 | 66 | 
| ERW | 18 | 12 | 90 | 120 | 
| Total | 43 | 24 | 119 | 186 | 
 

 
IV.    Mine/ERW casualties (1992 – 2012)
 
V.    Mine/ERW casualties from 1998 to 2012
|  | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 
| Mine | 1633 | 731 | 467 | 405 | 367 | 362 | 340 | 365 | 191 | 138 | 117 | 111 | 141 | 104 | 66 | 
| ERW | 518 | 422 | 391 | 421 | 480 | 410 | 558 | 510 | 259 | 214 | 154 | 133 | 145 | 107 | 120 | 
| Total | 2151 | 1153 | 858 | 826 | 847 | 772 | 898 | 875 | 450 | 352 | 271 | 244 | 286 | 211 | 186 | 
 
 
 
Top 10 provinces affected by Mine/ERW
| 1 | Battambong | 34人 | 
| 2 | Preah Vihear | 25人 | 
| 3 | Oddar Meanchey | 22人 | 
| 4 | Kampong Chhnang | 21人 | 
| 5 | Banteay Meanchey | 17人 | 
 

※近日中に日本語版レポートアップ予定
                    2013年9月10日更新
                   
                
          地雷危険回避教育プロジェクト⑦******
          8月28日(水)
こんにちわ、そして初めまして。
僕は現在、専修大学国際経済学科四年次の小野寺 亘(おのでら わたる)という者です。 今回夏休みを利用し、現地駐在インターンとして一ヶ月ほどお世話になります。
CMCの現地レポートをご覧の皆様、よろしくお願いいたします。
そして今回の初となるレポートはCMCが現在行っているMRE(Mine Risk Education)について報告します。
*************************************************
朝の7時にCMC事務所にダラー君と集合、出発です。
今回、訪問したのはバッタンバンのCMC事務所からオートバイで3時間ほど離れたところにあるサムロー郡オーチュワンルー村という場所です。 1時間30分は舗装されたコンクリート道路を行き、1時間30分は赤土の舗装は施されていないダート(未舗装路)を行きました。
現地のオーチュワンルー村オーチュワン小学校に到着したのは10時頃です。 このオーチュワン小学校には3つの村があり、200人ほどが住んでいて、今回MREに参加していたのは下は6歳から上は15歳までの生徒です。現地ではすでに授業が始まっていました。

こちらの写真は現地スタッフのラブート君がガムテープを地雷に見立て、子供たちに地雷を踏んでしまったらどうなるか、というのを教えている写真です。
 

授業中の様子です。後ろに立っているのは現地スタッフのソカーさんです。

逆光になってしまいましたが、CMCの作った地雷の種別ポスターを使い、ラブート君が地雷にも様々あることを子供たちに説明しています。
11時になり、授業は終了です。

子供たちと現地スタッフに集まってもらい、集合写真を撮りました。
このあと、自分とダラー君はバッタンバンの事務所へ、ラブート君とソカーさんはお昼休みへ向かいました。

手前のオートバイに乗っているのがダラー君、奥の男性がラブート君、後ろに乗っている女性がソカーさんです。
次回はパイリンという場所へ訪れる予定です。
                    2013年9月3日更新
                   
                
          地雷危険回避教育プロジェクト⑥******
          8月12日(月)
前回のボップイでの練習を経て,12日(月)より,予定通り学校へ行っていない子どもを対象としたMREが始まりました。「学校に行っていない子どもたち」ですが,集まってもらうのは学校です。

ラタナックモンドル郡にあるプチエウ小学校でのMREの様子。学校に行っていない子どもたちが対象なのですが,普段学校に行っている子たちもいっしょに参加しています。

お姉ちゃんに連れられて(?)未就学年齢の子も参加しています。

ふと気が付くと,近所の犬(年齢・学年不詳)もさりげなく参加しています。

教室に入ろうかどうしようか迷っている者もいます。「入っとく?」「いやぁ,ちょっと今は入りずらいな・・・」
始まったばかりでまだ手さぐりな部分が多いですが,まずは順調なスタートが切れたといっていいでしょう。
さて,今回のレポートでは,順調にスタートを切った子どもたちへの教育活動からは少し離れ,スタッフの現地での宿泊事情について触れようと思います。

MREスタッフの2人,ソカーとラブットが泊めてもらっているお宅。ごくごく一般的な高床式のお家です。
このMREプロジェクトの活動場所は基本的に田畑,山林に囲まれた町外れの田舎(超ど田舎)です。当然ゲストハウスなどありません。したがって,スタッフは現地で協力してくれるお宅を探し,そこに泊めてもらいながら,4日から5日かけて1つの地区内をまわらなければなりません。つまり,活動をする上で,現地の村人の協力は不可欠なのです。
私は当初,このことについてはかなり楽観視していました。「小さい家は無理としても,普通の家であれば4,5日程度なら快く泊めてくれるだろう」と。地雷撤去団体のCSHDも地方で活動する際,民家に泊めてもらっているようですし,個人的な話になりますが,私が過去に田舎を訪れたときの経験からも,何の問題もないだろうと思っていました。
わたしは自転車で遠出するのが好きで,暇なときはよく自転車で遠出します。安全上の問題を指摘されるかもしれませんが,2年半ほど前,カンボジアで2番目の世界遺産プレアヴィヒア寺院に自転車で遊びに行ったときのこと。夕暮れ間際,寺院の近くで村人からこの辺りにゲストハウスがないことを聞かされ(あると思い込んでいました),集まる村人たちに囲まれながら(誰か泊めてくれないかなと内心期待しながら)途方に暮れていたところ,「しょうがないね。私の家に泊まりなさい。」という流れで,ある軍人さんのお宅に泊めてもらうことになりました。布団を用意していただき,晩ご飯,朝ご飯もごちそうになるなど,大変お世話になってしまいました。「もうちょっとゆっくりしていっていいよ」とも言われたのですが,他に行くところもあったので,「ありがとう」と言って別れました。※私がここを去ったちょうど一カ月後,タイと衝突。死傷者も出たという・・・この軍人さんやご家族は大丈夫だったのかな・・・
また,ポートサット州にあるカンボジア最高峰アオラル山の麓まで自転車で遊びに行ったときのこと。ちょっと道を尋ねただけでしたが,「疲れてるだろうから,あがって休みなさい」と言われ,お茶もよばれちゃいました。

アオラル山麓の村の一家。お父さんの後ろにいる男の子は私を見るなり「お父さんフランス人が来たよ」と言ったらしい。どうやら私は,フランス人っぽい顔立ちのようです。カンボジアがかつてフランスの植民地だったことは関係ないはず・・・。
何の本だったか雑誌だったか忘れましたが,カンボジアの田舎の人はとてもおおらかで,知らない人が突然訪れたとしても,「やあ,いらっしゃい」と言って迎えてくれると書いてありました。私はいろんな田舎を訪れる中で,まさにその通りだなと実感していたわけです。
ところが,ソカーとラブットは受け入れ民家がなくて,あちこち探しまわったというのです。ラブット曰く,「カンボジア人は,よそ者を毛嫌いする(警戒する)んだ。だから,俺たちを快く受け入れてくれるところがなかなか見つからなくて大変だったよ。」とのこと。受け入れてくれるところはあるにはあるが,泊めてもらって,夕ご飯までごちそうになるということに申し訳なさを感じ,肩身の狭さも感じているようでした。
このことを,別の知り合い(カンボジア人)に話したところ,「そりゃそうだろうな(知らない人は歓迎されない)」という答えが返ってきました。そうか・・・。じゃあ,私が抱いていた幻想は何だったんだ・・・?
我々は(と言っては語弊があるかもしれませんが),とかく人や物事の一面を見て,すべてを知ったように錯覚してしまいがちです。「カンボジア人は・・・」のような表現をよく見聞きします。「カンボジア人とはこうだ」と決めつけて接しているわけではありませんが,そういう風に言われるとなんとなくそんな気がするし,そういう風な目で彼らを見てしまいがちになります。ただ当てはまる点が多々あるのも事実。参考にしつつも,鵜呑みにはしないよう気をつけようと思うしだいです。
さて,ソカーとラブットは宿探しに苦労はしているようですが,受け入れてくれるところが全くないわけではないです。彼らには,これも仕事だと思って頑張ってもらうしかないです。
〈補足〉
宿泊に際して,1人一泊2ドルの謝礼を受け入れ民家にお渡ししています。カンボジアで最も安いゲストハウスが一泊4~5ドルということを考えれば,2ドルでしかも食事付きで泊めてくれというのはやや厚かましい気もしますが,地雷撤去団体CSHDの民家での宿泊代(食事はなし)が,20日で30ドル(らしい),というのも参考にして,このように設定しています。いずれにせよ,地域住民の協力は不可欠です。願わくは,ラブットとソカーにはがんばってもらい,そしてこのホームステイを楽しんでもらい,できるだけ少ない経費でみんなが気持ちよく過ごしてくれればと思うしだいです。私が一番厚かましいのかも・・・。
 
文責:曽田実
                    2013年8月26日更新
                   
                
          地雷危険回避教育プロジェクト⑤******
          8月8日(木)
前回,CMACと各村の村長さんや小学校の校長先生とで地雷の危険性への認識が違うのではないかということを書きました。今回はまず,そのことについて書きます。その後,ボップイ小学校でのMRE実践演習について報告いたします。
村長さんたちが「以前は地雷事故があったけど,今は撤去されて安全だ」と言っておられるのは,正確には「村人が生活したり農業を営んだりする場所はすべて撤去済みであり,この範囲内で活動する限りは大丈夫だ」ということであり,さらに「地雷が撤去されてない場所はまだ残っているが,村人もそれを分かっていてあえてそこに足を踏み入れるようなことはしない」ということのようです。
要するに,「地雷は残ってはいるけど,事故の心配は今のところない」というのが多くの村長さんたちの主張です。確かに,近年地雷事故の数は大幅に減少しているし,村人たちが気を付けているということであれば,村長さんたちの認識は間違いではないでしょうし,以前の悲惨な状況からすれば,状況は大幅に改善され,安全になったと言えるでしょう。ただ,土地を求めて移住する人も多いことを考えると,地雷がまだ残っている以上住民への周知は必要であり,つまりはMREが必要であると言えるでしょう。
さて,12日(月)からいよいよ村に出向き,学校に行っていない子供たちを対象としたMREを開始する運びとなりました。それに先立って,まずは本番に向けた練習をしておこうということで,8日(木),ボップイ小学校にて子供たちを前にMREの実践演習(いわゆる教育実習)をさせてもらいました。

「1年生手を挙げて」と言っているときの様子。年齢にかなりはばがあるのだ分かります。手前がボップイ小学校のソナー先生。

「地雷を見たことがある人」の問いかけに何にか手が上がりました。
「地雷を見たことがある人」の問いかけに,数名が手を上げました。その子たちが見たものが本当に地雷だったのかどうかは定かではありませんが,カンボジア,特にバッタンバンに住む子どもたちにとって地雷はとても身近な存在であるということがよく分かります。
とはいっても,地雷を見たことのない子にとっては,話を聞くだけではなかなかイメージがわきにくいものです。そこで,視覚教材としてポスターを見せながら説明しました。皆興味津々でポスターに見入ってました。

ポスターを使って説明しています。左がラブット,右がソカー

地雷を見たことがあると言っていた女児。自分が見たものがこの中にあったのでしょうか。
ポスターだけでも,子どもたちの興味を十分に引き付けていたのですが,今回,さらなる秘密兵器を投入しました。
地雷模型です。これが登場した瞬間,いっきに子どもたちの目がこの目新しい物体に釘付けになりました。

身を乗り出して模型に釘づけ。恐ろしいほどに興味津々。分かりやすい反応をありがとう。道端で見つけても絶対触るなよ!!
この地雷模型の使用については賛否両論あるようです。それは,この地雷模型が地雷のイメージを喚起しやすく,地雷を理解するのに非常に効果的な教材である反面,幼い子どもにとってはきちんと理解しないまま,印象だけが残り,実際に同じものを見つけたときに,「あっ,あのときのだ!!」といって触ってしまうという危険性を秘めているというものです。
CMACの指導者からは,「使うか使わないかは,人による。一概にどっちが良いとは言えない。」という風に言われており,今回我々は使う方向で考えてきました。授業の中で,トレーナーは繰り返し「絶対に触ってはいけない!!」と強調しています。ほとんどの子はそれをきちんと理解している様子でしたが,はたしてこの写真の子がどれだけこれを危険なものとして理解しているか定かではありません。この写真の子は後日,改めて特別指導をする必要があるかもしれません。
やはり,子供の発達段階に応じたカリキュラムを作り,きめ細かい指導で子どもに理解させる仕組みがほしいところですが,小学1年生だけを集めたとしても,いろんな年令の子が混在するようなこの国で,それはなかなか難しいこと。就学年令に達していない近所の子が窓の外から覗いていることもよくあるし・・・授業中犬ものこのこ入ってくるし・・・。
とりあえず,我々は与えられた条件の中でできることをやっていくしかないです。
12日(月)より,学校に行っていない子どもを対象に各村でMREを開始します。それに向けた打ち合わせの中で,MREトレーナーにもこの写真を見せ,模型を使うことの功罪についてを改めて話し合いました。一応,当初の予定通り,模型を使用した指導をしていきますが,場合によっては(例えば幼い子ばかりの集団なら),使わないことも検討・決断しなければならないでしょう。
文責:曽田実
 
 
                    2013年8月9日更新
                   
                
          地雷危険回避教育プロジェクト④******
          選挙も終わり,ここから一気に調査を進めていきたいところ。
今週もMREスタッフたちによって,ラタナックモンドル郡内の各村の村長さんや学校の校長先生に電話をかけ,地雷被害の状況や子供の数などの情報を収集しました。

スタッフの作業風景。左から,ダラ,ソカ,ラブット。各自役割分担をして,情報収取および集計をしています。
この調査において,かなり多くの地域から以前は地雷事故があったけど,今は撤去されて安全だ」という回答がかえってきました。
これはちょっと意外でした。
そもそも,我々は当初CMACから,「ラタナックモンドル郡の多くの地域に地雷被害の危険性が残っており,MREが必要だ」との説明を受けていたからです。
この認識の違いはどこから来るのでしょうか。
確かに,CMACをはじめMAGやJMAS,CSHDなどが地道に撤去作業を続けており,年々安全な場所は増えてきています。
しかし,その情報はきちんと整理されたうえで,住民に伝えられているのでしょうか。
本当に安全ならそれは非常に喜ばしいことですが,「これでもう大丈夫だろう」と高をくくっているのであるとすれば,それこそ,本当に危険です。こういう認識の違いがあることからも,少なくとも私は,住民が安全だと言っている場所でも安心して足を踏み入れる気にはなれません。
ここのところはCMACにもう一度きちんと確認をしようと思います。
さて,バッタンバン州の調査も一通り終わったので,金曜日,今度はバッタンバン州の西側,タイ国境沿いにあるパイリン州の調査をすべく,ラブット君に州の教育局に活動申請に行ってもらいました。
ラブット君からの報告で,教育局長曰く「ここ(パイリン)は,地雷被害が大変多く,子どもたちもたくさん被害に遭っている。そしてまだまだたくさんの地雷が残ってる。ぜひMREをやっていただきたい」とのこと。
次週は,パイリン州の調査を行う予定です。
それに先立って,週末パイリンにぷらっと遊びに行ってきました。(調査半分・気晴らし半分)
カンボジア中央の平野部とはまた違った山あいののどかな農村風景を満喫してきました。本当にいいところでした。(遠くから見る分には・・・)

パイリンの農村風景。肥沃な大地が一面に広がっています。ここに悪魔が潜んでいる!?

路上で牛がたたずんでいます。なんだか癒されます。

イモ畑。赤い立札はは地雷ありの看板。住民曰く,「地雷はもうない」とのこと。本当に!?
文責;曽田実
 
 
 
 
 
 
 
                    2013年8月6日更新
                   
                
          カンボジア国民議会総選挙
          7月28日(日)

街宣車
日本では先日,参議院選挙が行われたばかりですが,ここカンボジアでも,5年に1度の国民議会議員選挙が7月28日に行われました。
この1カ月間(公式には6月27日から7月26日まで)
カンボジア全土で選挙運動が繰り広げられました。
圧倒的な組織力を誇る与党「人民党」が絶対的に有利といわれる中,最大野党の「救国党」がどこまで対抗できるか
という選挙前の構図。さて,どのような結果になるか・・・
MRE事業においてもこの選挙運動の影響を少なからず受けています。連絡を取りたい村長や学校長となかなか連絡が取れない。
彼らの多くが選挙運動に参加していて,忙しいとのこと。
(全く連絡が取れないわけではなく,何回か電話をかけなおせば連絡は取れますが・・・)
「選挙が終わればみんな暇になるから,連絡も取りやすくなるよ」とスタッフたちが言っていたので,ここからは順調に進むでしょう。
そんなCMCの若いカンボジアスタッフたちもどこを支持しているとは言いませんが(こちらもあえて聞きませんが),カンボジアをもっとよくしたいと言っています。
カンボジアの選挙運動はまるでお祭り騒ぎです。道路に特設ステージを設けて歌い踊ったり,民衆が参加して車やバイクで街を宣伝して走ったり,等々。若者たちはこの街宣運動を楽しんでやっているようにも見えます。

バイクでの街宣運動。なんか楽しそう。陽気な暴走族といったところか。

大音響で街宣。見た目はなんか滑稽。

道の真ん中にステージを設置。

歌や踊りで盛り上がる。
退屈な日常の中にあって,刺激的なひと時なのでしょうか。どこまで考えて行動してるかはちょっと疑問。また,役所の人たちなども運動に駆り出されるという話ですが,何らかの圧力がかかっているのかな?なんて勘ぐってしまいます。まあ,あまり余計な詮索はしないでおきます。
選挙当日。どうやら各地の小学校が投票所になっているようで,朝からぞろぞろと小学校へ投票に行く様子が見られました。どこまで民主的に行われているかは分かりませんが,カンボジアは投票率がかなり高いです。基本的に皆,投票はするものという認識のようです。
さて,投票所にて投票を終えた後,手続きの一環として,右手人差し指の先に黒いインクを付けられます。このインク,1週間は落ちないらしい。これは2重投票の不正を防ぐためのものですが,逆に,投票に行ったかどうかもこれでわかってしまいます。

選挙後の近所のおじさんの指。
投票率が高いのは,きれいな指を見られて,「あれ?投票に行ってこなかったの?」なんて白い目で見られたくない心理もはたらくのでしょうか? (カンボジア人もかなり世間体を気にする人たちです)
これも私の勝手な憶測です・・・
出会う人々の指(右手人差し指)にどうしても目がいってしまう今日この頃・・・。

食堂のおばちゃん。えっ,その手で食べ物を扱うの!?インクがにじんでるし・・・
 文責:現地駐在員 曽田実
 
 
                    2013年7月30日更新
                   
                
          地雷危険回避教育プロジェクト③******~うまくいかない時もある~
          Report |15 Jul, 2013
前回,7月9日(火)にMREトレーナーたちはラタナックモンドル郡へ行きましたが(現地報告参照),今回はその隣のコックロロ―郡へ行ってきました。朝7時,バッタンバン事務所を出発し,約1時間半かけてコックロロー郡の中心地(コックロローコミューン)へ行きました。

朝7:00事務所を出発
そこで,CMACコックロロー支部のソックチャン・ワンナーさんと会って,MRE(地雷危険回避教育)が必要な場所を確認しました。その後,郡の役所と教育局のそれぞれで申請書を受理してもらい,郡内の学校の情報なども提供してもらいました。

ソックチャン・ワンナーさんから情報収集

郡の役所で話し合い

教育局にて活動申請及び情報収集
午前中は順調に事が進み,お昼ご飯を食べた後,学校を2,3ピックアップしていくことになりました。トレーナーたちは要領を得てきているようで,彼らがすべて主体的に動いていて,何ともたのもしいと思いながら見ていました。(このときは・・・) 
午後,コックロローの中心地から地雷被害の危険性が高いといわれる村の学校(プレイサン小学校)へ向かいました。

プレイサン小学校へはここを右折。ちなみに,CMCが支援しているボップイ小学校へはここを直進
道中は困難を極めました。でこぼこの悪路をひたすらバイクで突き進みました。前日の雨の影響で,ところどころ大きな水たまりができていましたし,タイヤが埋もれるほど砂のたまった場所もありました。

悪路
それらを避けるためにちょっと道路のわきにそれたりもしましたが,これが実はけっこう怖い。MREを実施するということは,そこは地雷が存在するか,もしくは存在するかもしれない場所であり,そんな風に思うとますます地雷がありそうな雰囲気が漂います。

地雷さえなければ,いい雰囲気なんだけど・・・
道路内であれば安全ですが,道路から少しでも外れると,そこには地雷があるかもしれない。地雷の恐ろしさは先日のスタディ・ツアーで体験しましたが,地雷があるかもしれないところにいるということの恐ろしさを改めて感じました。 
異様な雰囲気を感じながら(少々ビビりながら),コックロローの中心地から約2時間かけてようやく一つ目の学校にたどり着きました。しかし,だれもいない。

プレイ・サン小学校に到着。しかし,誰もいない・・・。何しに来たんだか。
どうやら田舎の学校はこの時期,田植えの時期とも重なり,早めに長期休みに入ってしまうらしい。「校長先生に事前に連絡してなかったのか?」とトレーナーに尋ねたところ,「してない」とのこと。トレーナーは連絡を忘れていたというよりは,行けば会えるだろうという想定だったらしい。そして,会えなかったけど,「まあしょうがない」と,何とも楽観的。
うかつでした。てっきりそのぐらいしているものと思っていた私のミスです。さて,気を取り直して次の学校へと思ったのですが,思いのほか時間がたってしまった上に,空模様が怪しくなってきたことから,急いで帰ることにしました。結局,途中でどしゃ降りに遭ってしまいましたが・・・。何とも疲れる1日でした。
まだこれからもこの活動は続くので,今後はトレーナーたちに対してもきめ細かく配慮していこうと思います。

途中の民家にいた子どもたち。このMRE事業はまさにこの子たちが対象となる。
 文責:現地駐在員 曽田実

 
                    2013年7月23日更新
                   
                
          カンボジア現地視察ツアー レポート
          7月7日(日)から13日(土)までの7日間にわたって,カンボジア現地視察ツアーを催行しました。お越しいただいたのは,守勢塾の皆様総勢11名。以下,ツアーの様子について報告いたします。
7月7日(日)
ツアーメンバーの皆さんがシェムリアップ空港に到着したのは,夜の10時半。そこからバスに乗って15分でこの日の宿であるタ・プロームホテルに着きました。みなさんお腹が空いているとのことでしたので,チェックインした後,腹ごしらえに街へ出ました。お腹を満たし気分も満たされたところで,翌日に備えてその日は就寝しました。
7月8日(月)
この日は,午前中アキラ地雷博物館を見学し,午後に義足リハビリセンターと鬼一二三日本語教室を訪問しました。

地雷博物館にてビデオ上映
朝9時バスでホテルを出発し,約50分かけてアキラ地雷博物館に行きました。博物館に入ってまず,過去に日本で放送されたアキラ氏の地雷撤去に関するテレビ番組のビデオを見ました。その後約1時間,アキラ地雷博物館のガイド・川広さんに館内を案内してもらいました。1時間という短い時間でしたが,川広さんの軽快な語り口でカンボジアの地雷問題やその歴史的背景など,非常に濃密な内容を勉強させてもらいました。

(写真左)川広さんによる説明。(右)右側にある物体は不発弾。
昼食をとった後,義足リハビリセンターを訪問しました。ここは,地雷被害や交通事故などに遭い,手や足を失った方々の義足や義手をつくって提供し,なおかつリハビリ訓練を行う場所です。この施設のマネージャーであるケオ・ラタさんに施設を案内してもらいました。ここでも,地雷博物館の川広さん同様,非常に親切丁寧に,そして熱心に説明してくださいました。

義足リハビリセンター。白いシャツの方がケオ・ラタさん。

義足づくりの様子。
次に,鬼一二三さんの日本語教室を訪問しました。残念ながらこの日鬼さんは不在でしたが,代わりに,ボランティアの浦田さんの音楽の授業を見学させてもらいました。実はこの2日後(7月10日)が鬼さんの誕生日ということで,鬼さんに内緒で誕生祝を生徒たちと浦田さんが計画していました。「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」「上を向いて歩こう」「鬼のパンツ」の3曲を歌うことになり,その練習をしました(もちろん日本語で)。生徒たちは振り付けもしながらとても楽しそうに歌っていました。この教室ではほかにも,生徒の書いた習字や川柳などが掲示されていました。なかなか味わい深くて面白いものばかりでした。

国際日本文化学園(鬼一二三日本語教室)

前でエレクトーンを引いているのが浦田さん。後ろの壁には習字が展示されています。
7月9日(火)
この日は,シェムリアップ州の隣,バンテアイミエンチェイ州のタイ国境近くにある2つの中学校を訪問しました。朝7時過ぎにホテルを出発し,約2時間半かけてまずはCMCコーントライ夢中学校を訪問しました。学校に着くと生徒たちが出迎えてくれました。対面式では,ツアーメンバーの方が用意してくださったハンカチが生徒一人ひとりに手渡されました。生徒たちは皆ハンカチを手にして嬉しそうな様子でした。その後,校庭でサッカーをしたり,急きょ教室を借りて日本語教室を開いたりと,皆さんと生徒たちが交流を楽しみました。

CMCコーントライ夢中学校での対面式。

ツアーメンバ-吉野さんによる日本語教室。
約2時間コーントライ中学校の生徒と交流した後,今度はもう一つの中学校,CMCトゥールポンローみおつくし中学校を訪問しました。ここでも同様に生徒が出迎えてくれ,対面式にてハンカチをプレゼントしました。昼食はここの教室で,生徒のお母さんの手作り料理をごちそうになりました。レストランの料理もいいですが,カンボジアの家庭料理もなかなかいけます。昼食後は生徒たちと交流を楽しみました。この日は,バンテアイミエンチェイ州の州都シソポンにあるプリア・チャン・ホテルに泊まりました。

CMCトゥールポンローみおつくし中学校。生徒が校門で整列して出迎えてくれました。

教室を借りて昼食。カンボジアの本場家庭料理。
7月10日(水)
この日は,アキラ氏が運営するCSHD(=Cambodia Self Help Demining)の地雷撤去現場を視察しました。現場はバンテアイミエンチェイ州のタイ国境近くで,前日のトゥールポンローのにほど近い場所でした。博物館で資料を見たり説明を聞いたりしてきましたが,ここはまさに最前線の現場です。この日アキラ氏は不在のため,副隊長のリエン・ソムボーさんから現場の状況を説明してもらいました。

CSHDの制服を着ておられるのが副隊長のリエン・ソムボーさん。
その後,ややぬかるんだ歩きにくい道を20分程度歩き,待避所に到着。ここで,プロテクタ-とヘルメットを装着し,地雷原へと進みました。

プロテクター装着。
我々が視察しているまさにその時,旧ソ連や中国で生産されている地雷PMNが発見されたという報告が入りました。我々にも緊張が走りました。

CSHDのスタッフの皆さん。緊張感が伝わってきます。
今回はこの発見されたPMNの爆破処理を見させてもらうことになりました(もちろん遠くから)。遠くからでもその威力,恐ろしさはとてもよく伝わりましたし,踏んだが最後,一瞬にして足が吹き飛ぶということがよくわかりました。ツアーメンバーの皆さんもとても驚かれた様子でした。地雷原で生活する人たちが,いつどこで爆発するかわからないようなところで生活していること,そして,ほかに選択の余地がなくあえてその危険な場所に住み続けているという現実に心が痛むばかりです。このようなものは一刻も早くこの世から消し去ってしまうべきだとあらためて痛感しました。
地雷原視察後,バンテアイミエンチェイ州を後にし,再びシェムリアップのタ・プロムホテルに戻りました。そして夕方,今度はだるま愛育園という孤児院を訪問しました。実はアキラ氏もこのだるま愛育園を巣立った一人だったのです。ここで,子どもたちのアプサラダンスショーなどを鑑賞しながら夕食をいただきました。その後,子供たちとダンスや歌などを一緒に楽しみました。子どもたちとの交流で癒された後,ホテルへ戻りました。

テーブルの前におられるのがだるま愛育園のソリカさん。ここにいる46人の子供たちの面倒を見ているお母さんです。

子どもたちのアプサラダンスショーを鑑賞しながらの夕食。なかなかの完成度です。

最後はツアーメンバーも檀上に上がり,みんなで大はしゃぎ。
7月11日(木)
この日はシェムリアップでの最終日。ツアーメンバーの皆さんはアンコールワット観光に行かれました。途中,ヘリコプターでアンコールワットの上空をまわるというプランも入れるなど,とても優雅な観光を楽しまれました。
さてこの日の昼食では,8日にお会いできなかった鬼一二三さんが駆けつけてくださいました。鬼一二三さんの生徒で,日本語スピーチコンテストで優勝したというワンナー君も同席してくれました。途中,ワンナー君がスピーチコンテストでのスピーチを再現してくれるなど,とても楽しい昼食会となりました

8日にお会いできなかった鬼一二三さん。私たちに会うために,昼食会場に駆けつけてくださいました。

スピーチコンテストで優勝した鬼先生の愛弟子ワンナー君。日本からボランティアで訪れる女子大生が好きだとぶっちゃけてました。
 夕方,守勢塾の皆さんは,シェムリアップ空港から飛行機でプノンペンへ発たれました。プノンペンでは,12日(金)と13日(土)の2日間,経済ツアーとして商業銀行や経済特区の工場など,経済発展著しいプノンペン市内を視察されました。そして13日の深夜の便で,日本へ帰国されました。
このツアーで,カンボジアのさまざまな面をご覧いただけたかと思います。これを機に,カンボジアをより身近に感じていただき,また遊びに来ていただけたらとてもうれしいです。
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文責: 現地駐在員 曽田実
 
                    2013年7月16日更新
                   
                
          地雷危険回避教育プロジェクト②******~MREトレーナー初現場訪問!~
          Report |7 Jul, 2013
MRE(地雷危険回避教育)を実施する際に最も大変なのは、事業を行う土地(州、郡、コミューン、村)への事業申請。カンボジアは何事にも政府を通さないと物事がスムーズに進まないのと、申請用紙の書式や書き方にも細かい決まりがあるので1回でクリアするのがとても難しいのです。実際にこの書式が全国で通用すると言われても別の機関に提出して違うと言われることも度々あるので、何が正しいのかが分からなくなることもよくあります…。

ラタナックモンドル郡兼スダウコミューンオフィスにて。申請用紙を要求され、受理されるまで約2時間もかかった。
今回MREを実施する地区は、バッタンバン州はラタナックモンドル郡、サムロー郡、コックロロー郡。パイリン州はサラクラウ郡、バンテアイ・ミェンチャイ州はマライ郡となります。まずはラタナックモンドル郡にあるスダウ、トラエン、リクスメイ・サンハという3つの地雷被害の危険性が高いコミューンにある村々からMREを開始していきます。

トラエンコミューン、ソバトピアップ村(=safety village) では現在あるゆるところで地雷撤去が行われている。

今回訪問したトラエンコミューン内にある小学校3校はいずれもJMAS(Japan Mine Action Service)とCMACが地雷撤去後に建設した学校でした。名前も地雷除去機のコマツ建機からきています。
 
                    2013年7月10日更新
                   
                
          地雷危険回避教育プロジェクト①******~MREトレーナー決定!~
          Report |1 Jul, 2013
地雷・不発弾被害が多い国において、撤去と共に重要視されているのが、被害を未然に防ぐために注意を喚起する地雷・不発弾回避教育。
カンボジアではCMAC(カンボジア政府直轄の地雷撤去団体)をはじめとした地雷・不発弾撤去団体による危険回避教育(MRE)が村のコミュニティレベルで行われています。

CMACのMREスタッフによる危険回避教育。子供たちに地雷・不発弾の危険性を訴える
カンボジアでは、未だに子供たちが地雷・不発弾と認識せずに遊んでいて被害に遭うケースが少なくありません。こうした現状を受け、CMCでも地雷・不発弾危険エリアでMRE(危険回避教育)を独自に行うプロジェクトを実施する運びとなりました。
今井記念海外協力基金の助成を受け、今年の4月より地雷危険回避教育(MRE)トレーナーの募集を開始。19名という多数の応募があり、その中から見事こちらの3人がMREトレーナーとして採用されました。

19人の応募の中から、MREトレーナーに採用された3人

Ravuth 22歳 子どもたちに英語を教えていたということもあり、子どもの扱いになれている様子。チームのまとめ役として期待できる子

Sokha 19歳 子どもたちに祝日だけ英語を教えていた経験がある。職務経験は少ないが、CMACのMRE指導者が期待する子

Dara 24歳 MREトレーナーと駐在員のアシスタントとして採用。過去にNGOにて農村地区で活動してきた経験もあり。現場で培った能力をぜひ発揮してもらいたい。
彼らは7月と8月の2か月間CMAC指導のもとMREに関する知識を身につけるとともに、農村各地の学校にて模擬演習を行い人前で教えることに慣れるトレーニングを行います。
9月~12月は地雷被害の多いバッタンバン、パイリン、バンテアイ・ミェンチャイ州において本格的にMREの指導を行う予定です。
 
 
                    2013年7月2日更新
                   
                
          ボップイ安倍小学校の環境改善②
          Report |19 Jun, 2013

木を4本植えました。
ボップイ安倍小学校の環境改善も終盤に差しかかりました。何もない校庭に木や花を植え、少しでも学校の雰囲気をにぎやかにするのが目的です。2日間に分けて、子どもたちが木と花を植える作業をし、その後CMCスタッフがお手本として手作りの花壇を1つ作りました。学校の先生曰く、植えた木々は校庭に日陰ができるくらい大きく育つそうです。子どもたちが近所で拾ってきた花の苗(夕顔)も、何日かしたら立派な花を咲かせてくれることでしょう。今後も定期的に学校を訪問し、学校から地域へ、更なる環境改善に向けて共に考え行動していきたいと思います。   

子どもたちが近所でつんできた花

CMCスタッフの手作り花壇

おまけ (学校の先生の子ども2人と友達)

おまけ2
 
 
                    2013年6月20日更新
                   
                
          9代目現地駐在員決定!!
          
初めまして。6月からCMCバッタンバン事務局に赴任しました,曽田実(そたまこと)と申します。現在,柴田駐在員のもとで業務の見習いをしながら,地雷問題,貧困問題などのカンボジアのさまざまな問題について勉強しています。
実は私,2008~2010年の2年間,首都プノンペンに住んでおりました。今回久しぶりにプノンペンの空港に降り立ったとき,プノンペンは相変わらず活気がみなぎっており,現在急成長を遂げているカンボジアを象徴しているなと思いました。一方で,プノンペンから1歩外へ出ると,広大な田園が広がり,牛がのんびりと歩き,これもまたカンボジアののどかさを象徴していて,とても懐かしく思いました。
CMC事務局のあるバッタンバンの町はカンボジアの中でも大きな町のひとつですが,やはり人やバイク,車であふれかえっているプノンペンに比べると,落ち着いた静かな場所だなと思います。とても過ごしやすいです。
さて,個人的なことになりますが,先日,日本人の野球好きが集まり日本人チームとして,カンボジア人チーム,韓国人チーム,アメリカ人チームの4チームで交流試合をしました。実はこのカンボジア人チーム,カンボジア国唯一の野球チームで,一応カンボジア国の代表チームでもあります。サッカーやバレーボールは盛んなカンボジアですが,一応野球チームもあるんです。一般のカンボジア人にさえ認識されていないけど・・・。3年ほど前に練習の様子を見たとき(チーム発足間もないころ)は,少年野球レベルだったチームが,今では日本の高校のクラブ活動レベルにまでレベルアップしていました。いずれはWBCへの参加を夢見て(?)いるかどうかは知りませんが,皆ほかの仕事をしながらも野球を楽しんでいるようでした。雨期明けの11月もしくは12月ごろまたやろうという話もあるようなので,それもまた私としても楽しみにしています。
これから,活動報告を通して,カンボジアの様子をお伝えしていきます。どうぞよろしくお願いします。
9代目駐在員 曽田実
                    2013年6月20日更新
                   
                
          ボップイ安倍小学校 環境改善①
          Report |10 Jun, 2013

2012年10月訪問時の様子 掃除をする習慣がなくゴミが教室の中や校庭などあらゆる所に散乱している
4月よりボップイ安倍小学校の環境改善に取り組んでいます。学校は建設後9年が経過しているため老朽化が進んでいますが、周囲にはたくさんゴミが散らかっており、全体的に殺風景な様子が学校全体の雰囲気を暗くしていました。まずは子どもたちに掃除をする習慣をつけさせることから始め、その後は校庭に木や花を植えて学校から地域の活性化を目指します。

- 2013年6月訪問時の様子 現在は子どもたちが毎朝掃除をしている。ゴミを溜める場所が若干あいまいだが、全体的に綺麗になった。
2013年6月11日更新
                   
                
          地雷原で生活する人に仕事を!!
           29/5/2013
地雷原生活者・農村地域生活者がタイヘ出稼ぎに行かず国内で安定した仕事に就いてもらうために今回PPSEZ(経済特区)にある日系企業、O&M Co.Ltdのご協力によってプルサット州出身の女性たちの就職が実現。O&Mさんには経済ツアーの際、毎回工場見学などさせて頂いており、大谷理事長と喜多見社長の継続的な交流により今回の話しも実現へと向かう事ができました。ご理解に心より感謝申し上げます。

企業説明会に参加した男女を含む25名@バクー村/プルサット州

O&Mにて会社や仕事内容の説明を受ける女性たち@プノンペン経済特区
 
 
                    2013年6月10日更新
                   
                
          佐世保青年会議所コーントライ夢中学校訪問
          Report |26 Apr, 2013
2013年4月26日、佐世保青年会議所の10名がコーントライ夢中学校を訪問しました。
佐世保青年会議所はコーントライ夢中学校のドナーで、2008 年の学校建設後も定期的に子どもたちへ文房具や遊具を支援して下さっています。

(左)理事長の池田さんより子どもたちへ挨拶
(右)日本から持ってきた遊具を贈呈

(左)学校の黒板が古くなって使いづらくなった為、ホワイトボードを7つ提供
(右)今年の9月卒業予定の9年生教室訪問
将来の夢について各生徒に質問

Thun Ranyさんは将来医者になりたいと語ってくれました。

将来弁護士になりたいYong Vanlot君は日本の弁護士から直接エールをいただきました
。

校長先生に中学校の現状について話を聞きました。この地域の課題は、
①子どもたちは中学校卒業後に高校へ行きたくても遠くて通えない。
②学校を卒業したとしても、周辺で就職できる場所がない。
夢があっても その先へ進むのがとても難しいのが農村地域の現状です。

最後にみんなで記念撮影
今後の支援の在り方として、学校側から優秀な生徒への高校・大学進学支援制度やオンラインでの学習環境の提供等を提案されました。どのやり方が一番効果的で 1人ではなく、この地域全体の発展に繋がるのかを慎重に考えていきたいと思います。
 
 
                    2013年4月28日更新
                   
        
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