地雷被害者のためのラジオ放送『Voice of Heart 2013-2014』
2月8日(土)
前々回の現地報告の中で,ラジオ放送の期間前半(第1回から第3回まで)の様子をご紹介いたしましたが,今回は後半(第4回から第6回(最終回))の様子をご紹介します。

小学校教諭のサットさん。家族のことについていろいろと話をされました。

ワットさんの勤務する小学校に通うトン君(12歳,6年生)。緊張しながらも一生懸命話をしてくれました。将来の夢は学校の先生とのことです。

中学3年生パウ君。少し照れながらもしっかりと自身のことについて話をしてくれました。

パウ君(右)と同じ中学校に通う同級生のヴィレア君(左)とレアスマイ君(中央)。友情について語ってくれました。

気心の知れた仲間同士で出演したこともあってか,終始リラックスした様子でした。現在3人とも中学3年生ですが,来年度はそろって高校に進学する予定とのことです。

最終回を飾ったのはCMCスタッフのチャンティ。過去のつらい気持ちや現在の様子また将来への思いを語ってくれました。

「始めたばかりでまだあまりうまくない」という断りつつも,ギター弾き語りも披露してくれました。
さて,バッタンバン州にて6回にわたって放送してきたラジオ番組『Voice of Heart2013-2014』を今度は,シェムリアップ州及びバンテアイミエンチェイ州にて再放送いたします。できるだけ多くの人の耳に,そして心に響いてほしいものです。
文責:曽田実
2014年2月10日更新
パソコン技術訓練による地雷被害者・地雷原生活者収入向上プロジェクト④
2月2日(日)
1月8日より順調に滑り出したかに見えたバッタンバンでのパソコン業務ですが,思わぬ事態が発生しました。2人のスタッフのうちの一人スレーン・ハイが20日,一身上の都合により仕事を辞めて実家に帰ってしまったのです。2ヶ月の訓練を経てようやく仕事が始まった矢先での辞職で,こちらとしてもとても残念です。現在,事務所ではもう一人のスタッフ,ロン・チャンティが一人黙々と切り抜き業務を行っています。今後しばらくはチャンティ一人で業務をこなしていくことになりますが,慣れてきたころにまた募集をかけ,少しずつスタッフを増やしていく予定です。
さて,そのチャンティですが,順調に業務をこなしているように見えていましたが,つい数日前「辞めようかと考えている」と訴えてきました。「チャンティお前もか!?」と思いましたがよくよく聞いてみると,「自分はほかの人(プノンペンのダイロク社員)のようにうまくやっていく自信がない」「CMCに迷惑をかけたくない」とのことでした。チャンティは自身の境遇もあるとは思いますが,自信を持てないために悲観的になりすぎ,なおかつ周りの目を気にしすぎるところがあるようです。また,自ら望んで応募して得た仕事ですが,ずっと田舎で暮らしてきた彼にとってここ数ヶ月での生活環境の激変も精神的に大きな影響を与えているようです。
私が見る限りでは能力は低くないし,まじめでこつこつやる性格で着実に伸びるタイプだと思っています。考えすぎてしまう性格はなかなか直せないとは思いますが,業務をこなしていきながら,少しずつ着実に自信をつけていってもらいたいです。
以前現地活動レポートの中でチャンティが日本語の勉強も独自に始めたと書きましたが,現在ひらがなをほぼ覚え,「おはようございます」「さようなら」等の簡単な単語も書けるようになってきました。さらに,実は日本語だけでなく,ギターも始めたようです。悲観的に考えすぎる性格ですが,好奇心旺盛で行動力もかなりあるようです。まずはいろいろな面で自信をつけていき,仕事や余暇を楽しんでもらえたらと思います。そのうえで,今後CMCの貴重な戦力として活躍することを期待しています。

チャンティにひらがなの試験をしています。何も見ず,思い出しながら書いています。

チャンティの書いたひらがな。

休日近隣住民をちょっと気にしながら部屋でギターの練習をしています。そのうち日本の歌を弾き語りするかも?
文責:曽田実
2014年2月3日更新
地雷被害者のためのラジオ放送『Voice of Heart2013-2014』
1月17日(金)
昨年12月29日(日)に始まったラジオ放送『Voice of Heart2013-2014』もはやくも後半にさしかかってきました。出演者の皆さんは誠実に自身の経験や思いを語ってくださり,子どもたちも緊張しつつもがんばって話してくれています。そして,ラジオ局のプロのDJとともに,CMCスタッフのダラも毎回進行役として出演してくれています。

番組の趣旨説明をするダラ。

CMC15周年記念式典でも講演したソピアップさん(大学生)。過去にラジオ出演の経験もあり,非常に落ち着いた雰囲気で,時おり笑顔をまじえて話してくれました。

ダラとソピアップさんの間に挟まれているのがトナー君(14歳,小学5年生)。余裕の表情で話すソピアップさんの隣でがちがちに緊張しています。放送開始前は「冗談も言っていいから楽しくいこう」と声をかけたのですが,さすがに無理でした。まあこれはこれで初々しくてよかったです。

サブアンさん(義手・義足作り技師)とソクキアンちゃん(15歳,小学6年生)。職人気質で無口なサブアンさんでしたが,とても誠実に話をしてくださいました。一方,ソクキアンちゃんも緊張しつつもとてもはきはきと受け答えしてくれました。

ラットさん(村長)。さすが村長だけあって自身の主義主張しっかりとした口調で話してくださいました。

ラットさんの息子チャンティエン君(16歳,中学1年生)。ダラの質問に笑顔で答えています。
ソピアップさん以外は皆初めての体験(ラジオ出演)で,緊張の色が隠せない様子でしたが,皆さん誠実にしっかりと語ってくださいました。子どもたちもいい経験になったと思います。皆さんありがとうございました。残りの放送もしっかりやっていこうと思います。

出演者と放送局DJとの記念撮影(第3回放送時)
2014年1月24日更新
パソコン技術訓練による地雷被害者・地雷原生活者収入向上プロジェクト③~バッタンバンにて業務開始~
1月13日(月)
ダイロクでの2か月間のパソコン訓練を無事終了し,ロン・チャンティとスレーン・ハイの2名は1月8日よりバッタンバン事務所にてパソコンの画像切抜き業務を開始しました。初日はダイロクの廣田社長がプノンペンからお越しになり,ダイロク(プノンペン)とCMC(バッタンバン)の間で円滑にデータがやり取りできるかのシステムチェックをしてくださいました。廣田社長からは,システム上の問題は今のところ特にないとおっしゃっていただいたのでまずは一安心。ここから先は,彼らのがんばり次第ということになります。

廣田社長が見守る中,順調に初日業務をこなしました。
業務に関してはこれから徐々に軌道に乗っていくことでしょう。さて一方で生活面については,バッタンバンでもプノンペンの時と同様,事務所近くにとった宿において共同生活することになります。

プノンペンの時と似たような作りの部屋ですが,プノンペンの時より広く,そして安い。

台所も一応ついています。
勤勉なチャンティは余暇を使って独学で日本語の勉強もしているようです。

プノンペンにて1$で買ったという日本語学習の本。

初学者が独学でやるには説明が少なく難しすぎる印象。しかも作りがかなり大雑把。これだと挫折するのも時間の問題かも・・・。
プノンペンのダイロクでは,日本から発注された仕事内容をカンボジア語に翻訳するスタッフもいます。それに触発されたかどうかは分かりませんが,2か月間のプノンペン生活の中でいろいろと刺激を受けてきたようです。いい機会なのでやる気があるなら私も彼の日本語学習に付き合ってみようと思います。

チャンティのノート。けっこうきれいな字を書いてます。
とにもかくにもこの事業が今後軌道に乗り,発展していいけるよう,彼らを支えていきつつ彼らのがんばりに期待したいです。

2人で切磋琢磨して,この事業を盛り上げていってくれ。
文責:曽田実
2014年1月14日更新
冬休みスタディ・ツアー
1月5日(日)
2013年12月23日(月)から12月28日(土)までの1週間,CMC冬休みスタディ・ツアーがありました。今回は9名の方々がご参加くださいました。
23日(月)
夜10過半過ぎ,シェムリアップ国際空港にて全員カンボジアに入国,この日の宿であるタプロムホテルにて翌日からの過酷な(?)長時間バス移動に備え,すぐに就寝しました。
24日(火)
この日は,まず「一之瀬泰三氏の墓」へ行きました。ここは内戦時代のカンボジアに赴き,若くして命を絶った日本の戦争カメラマン一之瀬泰三氏の墓です。墓は現地の村人が立てたようです。一之瀬氏は「地雷を踏んだらサヨウナラ」という映画でも話題となり,多くの日本人が訪れるようです。

村人が立てた一之瀬泰三の墓。
次に「アキラ地雷博物館」へ行きました。ここは川広さんという日本人の方が常駐し,博物館を訪れる日本人観光客を案内しておられます。CMCもこれまで何度もツアーでこの博物館を訪れ,その都度に川広さんに案内してもらいましたが,そんな川広さんがもうじき日本に帰られるとのことです。とても残念です。おそらく川広さんに案内してもらえるのはこれが最後になると思われますが,今回もとても丁寧にそして熱くカンボジアの歴史やアキラの功績を語ってくださいました。とてもいい勉強になりました。

川広さんによる説明。
続いて,2008年7月に世界遺産登録(カンボジアではアンコールワットに次いで2番目)された「プレアヴィヒア寺院」へ行きました。この寺院はタイ国境沿いの断崖絶壁の上に建てられた寺院で,そこから見下ろす風景は実に壮大ですばらしいものです。さて,寺院から北側に歩いていくとすぐにタイ国境に行き着きます。このタイ国境は近年紛争があり,現在封鎖されていて兵隊さんたちも常駐するなどやや物々しい雰囲気が漂います。地雷や不発弾もいまだ残っているようです(観光客が歩く場所は撤去済み)。今は紛争もなく落ち着いていますが,また紛争が起きる可能性もないわけではないです。

絶壁の上からカンボジアの大平原を見下ろせます。

現在封鎖されている国境
25日(水)
この日はアキラ氏の率いる地雷撤去団体CSHDの地雷撤去現場を見学しました。今回の地雷原はプレアヴィヒア州チャエプ郡というラオス国境沿いの地域。地雷撤去作業員たちは草木がうっそうと生い茂るこの場所において,草を刈り,刈った場所を金属探知機で探り,安全が確認できたら少し歩を進めてまた草を刈り,金属探知機で探るということをひたすら繰り返します。気の遠くなるような作業ですが,命にかかわることなので非常に慎重に行われます。こちらにもその緊張感が伝わってきます。最後はこの日発見された地雷と不発弾のそれぞれの爆破処理を遠くから見させてもらいました。

アキラ氏による地雷原の説明

草刈り

金属探知機での地雷探知
26日(木)
この日はまず午前中に“伸縮する湖”として有名なトンレサップ湖に行きました。今は乾季に入って約1ヶ月がたったところで,少しずつ水が引いて湖が小さくなっている最中です。水上に建てられた家や学校などを眺めながら,ボートクルージングやカヌーを楽しみました。さすがに年末の繁忙期とあってカヌー乗り場は観光客でごったがえしていました。

カヌー乗り場。
午後は国際日本文化学園(鬼一二三日本語教室)と義足リハビリセンターに行きました。鬼一二三日本語教室では,代表の鬼一二三先生が学校を紹介してくださった後,ここに通う生徒さんたちと交流をしました。

鬼一二三日本語教室の生徒さんとの交流
義足リハビリセンターでは,義足作りの工程や患者さんが義足をつけて歩行訓練を行う様子などを見学しました。

義足リハビリセンター
27日(金)
この日は,バンテアイミエンチェイ州にあるCMCが建てた2つの中学校,コーントライ中学校とトゥールポンロー中学校を訪問しました。午前,まずはコーントライ中学校に行きました。ここでは,生徒たちとサッカーや縄跳びなどをして一緒に遊びました。午後はトゥールポンロー中学校へ行きました。ここでは,CMCのMREスタッフによるMRE(地雷・不発弾危険回避教育)をツアー参加者の皆さんに見てもらいました。その後,地雷被害者のお宅に伺い,インタビューをしました。今回インタビューを受けてくださった方は地雷被害で片足を失いながらも子どもを育てるために独力で椅子やベッドなどの家具作りを覚え,今ではそれで十分家族を養っていけるほどの収入を得ているとのことでした。物静かな方ですが,家族への愛情と生きる意欲に満ち溢れたたくましい人でした。

コーントライ中学校

MREスタッフによるMRE授業。ツアー参加者の皆さんも生徒に交じって受けてもらいました。

トゥールポンロー中学校

地雷被害者インタビュー
28日(土)
この日は1日アンコールワット遺跡群を回りました。私は所用があり同行しませんでしたが,皆さん楽しく過ごされたようです。

世界遺産アンコールワット遺跡群観光
今回の冬休みツアーは地雷原視察がプレアヴィヒア州だったことから,ついでと言ってはなんですがプレアヴィヒア寺院も観光することになり,とても濃密な行程となりました。ただその分バス移動も長時間にわたり,皆さんかなりお疲れになったことと思いますが,どなたも終始健康で楽しくツアーできたようで何よりでした。また楽しかったことだけでなく,ここで見たこと・聞いたこと等をまた日本でじっくり思い返し,各自の学びとしていってもらえたらと思います。
文責:曽田実
2014年1月7日更新
地雷被害者のためのラジオ放送『Voice of Heart2013-2014』
12月28日(土)
CMCではこれまで,地雷被害者の傷ついた心を癒すことを目的としたラジオ番組『Voice of Heart』を制作,放送してきました。そしてこの度,CMCが現在行っているパソコン事業やMRE活動と絡めて,「就業」と「地雷・不発弾危険回避教育」をテーマとしたラジオ番組『Voice of Heart2013-2014』を制作,放送する運びとなりました。今週末12月29日(日)より毎週日曜日の午後1時から2時,6週にわたってバッタンバン州のラジオ局より生放送いたします。また,そのバッタンバンで収録した6回分をシェムリアップ州とバンテアイミエンチェイ州の2州で2月9日日曜日より同時刻に6週にわたって再放送いたします。
番組前半は「就業」について採り上げます。ここでは,地雷被害に遭いながらもそれを乗り越えて社会に進出し,バリバリ働いている社会人や将来に向けて勉学に励む学生たちに出演してもらい,自身の体験や思いを語ってもらいます。そして,それを通してカンボジアにいる多くの地雷被害者(地雷被害だけでなく交通事故など様々な理由で手足を失った方々)が就業し,社会の中で自立していく道を考えていきます。
出演者は以下の通り。

第1回放送(12月29日) ド・ソピアップ(23才) / バッタンバン大学に通う学生 / 2009年にミス地雷コンテストにて優勝,一躍有名人になる。過去にもCMCのVoice of Heartに出演しており,今年の11月のCMC15周年記念式典でも講演するなど,CMCともつながりは深い

第2回放送(1月5日) チア・サヴァン(52才) / 義手・義足づくりの技師 / シェムリアップ州にある義足リハビリセンターにて義手・義足づくりを行っている。

第3回放送(1月12日) チャン・ラット(53才) / 村長 / 元クメールルージュ兵。内戦当時のことを熱く語ってくれる。

第4回放送(1月19日) チュニアン・サット(43才) / 小学校の先生 / 片田舎にある小学校で5・6年生のクラスを担当している。

第5回放送(1月26日) ラット・パウ(19才) / 中学生(第9学年) / 中学校にて勉学に励む中学生。ちょっと照れ屋で大人しめだがなかなかの男前。

第6回放送(2月2日) ロン・チャンティ(23才)&スレーン・ハイ(25才) / CMCパソコン事業スタッフ / 今年の10月末から12月末にかけてプノンペンのダイロクにてパソコン訓練を受け,2014年1月よりCMC事務所でパソコン業務を開始する。
番組後半は,CMCが各地で行っているMRE(地雷・不発弾危険回避教育)について採り上げ,各地の様々な状況を報告します。ここでは,MREを受けた子どもたちの中から,事前アンケートにて実際に地雷もしくは不発弾を見たことがあり,なおかつラジオ番組に出演したいと回答した子どもに出演してもらいます(たくさんの希望者の中からCMCで独自に選出)。出演する子どもたちには,自身の体験やMREを受けた感想などを話してもらいます。
重くなりがちな地雷問題を取り上げたラジオ番組ですが,地雷被害者にとってもそうでない人にとっても聞いていて楽しくなるような,未来に希望を見いだせるような番組を目指していきます。また今回,ラジオ番組「Voice of Heart2013-2014」を制作・放送するにあたって,多くの企業より協賛をいただきました。心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

番組ポスター①

番組ポスター②
文責:曽田実
2014年1月7日更新
カンボジア中学生の中学校生活
12月18日(水)
前回,中学校の授業風景をご紹介しましたが,今回は中学校の授業以外の様子をご紹介いたします。

校門

自転車,バイク置き場。日本製のバイクがずらっと並んでいます。
学校の敷地に入ると,バイク・自転車置き場があります。やはり目を引くのはバイクの数でしょう。近くに住む子は自転車や徒歩で通いますが,遠くに住む子は家にあるバイクで通学します。「中学生がバイクで通学するのか!?」という驚きもありますが,それだけ校区が広く,遠くに住んでいる子にとってはバイクなしでの通学が困難であるということも特筆すべきことでしょう。家にバイクがないかもしくは通学に使えないから中学校へ通うことができないという子は,田舎にはまだたくさんいます。ただ,「そのぐらいの距離ならがんばって通えよ!」と思うような距離でも「遠いから」と通わない子も中にはいますが・・・。
ちなみに法律上は中学生はバイクに乗ることは認められていません。しかし,公然とバイクで通学します。カンボジアにも運転免許制度は一応ありますが,大人も含めて免許を取得してバイクに乗っている人はほとんどいません。とにかく,中学生の通学事情含めカンボジアの交通事情はいろいろな面で突っ込みどころ満載です。ここでは本題からそれてしまうので,この話題はまたの機会に。
朝7:00過ぎ,全校生徒が校舎前に整列して,国旗掲揚及び国歌斉唱が行われます。これで1日が始まります。

朝礼

カンボジアの学校のチャイム。係りの生徒がこれを叩いて授業の開始・終了を全校に知らせます。

売店。休み時間(特に1時間目の終わり)になると売店で朝ご飯を買う生徒でにぎわいます。

品揃えは学校によってかなり差がありますが,この学校はけっこう充実しています。ちなみにここは辺境の地ソムロート群の中学校。

食堂にて朝ご飯。
2時間目,3時間目の終わりにはそれぞれ仲間同士で遊びます。

ゴムひもとび。輪ゴムをつなげたものを飛び越える遊び。足に引っ掛けて飛ぶのも可。高さの設定は様々。

男の子も女の子も競うように飛びます。中には「陸上やらせたらけっこういい線いくかも」と思わせるような子も何人かいます。

学校によってはバレーボールのネットが張ってあり,バレーボールも楽しめます。
カンボジアには体育の授業はありません(もちろん放課後の部活動もありません)が,多くの子はこのように好んで体を動かしていますし,男子は特に夢中になってサッカーやバレーボールをやります。また,小さいころから農作業等,家の仕事を手伝っているので皆体はとても丈夫です。スポーツ競技をするという文化がないため「競技に打ち込む」などという感覚は皆無(もちろんそのような環境も皆無)で,これらはあくまで遊びにすぎませんが,過度の競争や日本にあるような根性論などがない分,とても気楽で健康的なスポーツの楽しみ方を子どもの頃から実践しているといえるのかもしれません。それでいいか悪いかは何とも言えませんが・・・。
続いて,中学生による芸術作品及び心の声をご紹介します。

机の落書き①。

机の落書き②。
紙幣(おもに100リエルや500リエルなどの少額紙幣)に電話番号やその他諸々のメモを取るような国民ですから,机の落書きにも寛容なのでしょうか。多くの机にぎっしり落書きがしてあります。

机の落書き③。
やはり一番多い落書きは「I love you」でした。私が机の落書きをながめていると「I love youだよ」と女の子が照れながら教えてくれました(見りゃわかるよ!)。覚えたての英語で書きたいと思うのは,どの国も共通なのでしょうか?英語はできなくても「I love you」だけは生徒にしっかりと浸透しているようです。

机の落書き④
画像右下に「Somlanh」とありますが,これはカンボジア語の「Love」を意味する語の発音をアルファベット表記したものです。日本の中学生が「Aishiteru」などと書くようなものでしょうか。日本人のアルファベットの使い方に何か通じるものがある気がします。とにもかくにも,思春期真っ只中の中学生にとって,勉強なんかよりはるかに重要事項であることは,日本もカンボジアも変わらないのかもしれません。
学校に行く意義を改めて考えてみると,学業を修めるということがまず第一ではありますが,それ以外にも同世代の仲間と同じ時間・同じ空間を共有するという経験もまた自己の人格を形成したり社会性を身に付けたりするうえで重要な意義を持つように思います。そう考えると,学校に通えない子(日本の不登校とは本質的に異なる)がまだたくさんいるというのは,とても残念な話です。今すぐは無理でしょうが,すべての子どもが義務教育(であるはず)の中学校までは通えるようになれたらなと思います。

ベンチで雑談。どんな話をしてるのでしょうか。
文責:曽田実
2013年12月18日更新
中学校の授業風景
12月13日(金)
現在,MREスタッフは各地の小中学校をまわって子どもたちに地雷・不発弾危険回避教育を行っておりますが,ちょっと他の教室をのぞいてみるといろいろな教科の授業の様子を見ることができます。以前,「カンボジアの教育問題」と題してカンボジアの義務教育課程(特に中学校)の数学・理科の内容が難しすぎるのではないかということを書きましたが,今回はその中学校の授業風景をお伝えいたします。

どんな授業をしてるかちょっとのぞいてみましょう。

英語の授業。列ごとに生徒を立たせ,発音練習。先生「一緒に発音しましょう。ビユーティフォー」。生徒(一斉に)「ビユーティフォー」

数学の授業。先生が黒板に書いた問題を生徒が前に出て解答します。

電卓を持っている生徒は電卓を持ち出して計算します。まわりの生徒はその恩恵にあずかります。まずは自力でやって計算力を身に付けた方がいいと思うんだけど・・・。

黒板に書かれた内容をノートに写します。自分の教科書を持っていない生徒がほとんどなので,このノートが彼らの教科書となります。

ノートをとるのが遅い生徒は早く終わった生徒のノートを写させてもらいます。

生物の授業。光合成の化学反応式「6CO2+12H2O → C6H12O6+6O2+6H2O」を黒板に書こうとしています(中学校でそこまでやるか!?という突っ込みはひとまずおいておきます)。式を思い出せなくて前で固まってしまった仲間に「そこは6だよ」「いや違うよ」などと教室のあちこちから声が飛び交います。

「誰かできる奴はいないか?」と先生に促され,「俺がやるよ」と男子生徒が前に出て女子生徒の代わりにあれこれ悩みながら,そして皆の声援(やじや助言)を受けながら何とか解答。ようやく得られたその正解を皆が見届けると「お~」という歓声と拍手が沸き起こりました。

補習授業(物理)。午前の授業は11時までで,ほとんどの生徒は一旦家に帰りますが,希望者は残って補習授業を受けます。ただし,受講料は500リエル(金額は学校による)。お金のない生徒は受けられないですが,お金を持ってる生徒は払って受けます。先生にとっては勤務時間外での小遣い稼ぎ。カンボジアではごくごく普通の慣習です。
※カンボジアの中学校理科は日本の高校のように物理・化学・生物・地学の4分野に教科が分かれています。
5年前,私が初めてカンボジアの中学校の授業を見たとき,単調で一方的で何ともつまらない授業をしているなという印象を持ちましたが(その時はプノンペンの中学校でしたが),こうして改めて見てみると,実に生き生きと先生が生徒とともに授業を作り上げている様子が見てとれました。内容が難解すぎたり学習進度がはや過ぎたりで,どうしても教科書の記述や公式の丸暗記が授業の基軸になりがちなのが残念ですが,けっこう楽しい授業してるな・・・と印象がちょっと変わりました。
「授業を通して生徒たちがどんな力をつけたか,どれだけ力をつけたか」という点も気になるところです。今後また授業を見る機会があれば,その点にも注目してみていきたいです。

真剣に数学の問題を解く様子。

隣同士で教え合いながら,問題に取り組んでいます。
文責:曽田実
2013年12月17日更新
地雷危険回避教育プロジェクト⑬~田舎の情景~
12月6日(金)
11月27日(水),バッタンバン州ソムロート群に行ってきました。ソムロート群はバッタンバン州の南西部,タイ国境沿いに位置する辺境の地です。スタッフからは常々「ソムロートはものすごいど田舎だ」「道が悪くて大変だ」と聞いており,どんなところか一度行ってみたいと思っておりました。
今回,MRE視察という大義名分のもと,その辺境の地へ赴き,MREスタッフとともに民家に泊めてもらい,カンボジアの超ど田舎の暮らしをほんの一部ですが味わってきました。

事務所のあるバッタンバン市内からラタナックモンドルを通ってパイリンに抜ける道はアスファルトで舗装されていてバイクでも非常に走りやすいですが,ラタナックモンドルから枝分かれしてソムロートに入る地点からは延々ンと埃の舞うがたがた道がつづきます。
午後1時過ぎに事務所を出発し,バイクで3時間かけて今回のMRE活動地区であるソムロート群西部,タイ国境手前にあるスン村にたどり着きました。泊めていただいたのは大豆とトウモロコシをつくって生計を立てているという農家で,家には収穫されたばかりの大豆の袋が積んでありました。農家の方は,「うちのような田舎の農家はとっても貧しいんだよ」などと言っておられましたが,大豆やトウモロコシを売って得たお金を貯めて農業機械を購入するなど,家の様子を見る限りでは安定したそこそこの暮らしをしている印象を持ちました。確かにこの地域は電気や水道等のインフラ整備はされておらず,都市部に比べると開発の遅れたまさにど田舎ですが,耕地としての土地は豊かで,人々の暮らしもそんなに悪いものではなさそうでした。

泊めていただいたお家。典型的な高床式の家屋です。

収穫された大豆が袋詰めされ,積んであります。袋にはタイ語で何やら書かれています。袋は業者が55~60ドルで買い取り,タイへ持って行って売るとのことです。

3000ドルで購入した農耕機械(日本製)。大豆やトウモロコシが毎年順調に収穫できれば,4年で購入できるとのことです。
夕方5時ごろ,暗くなる前に夕食の準備が始まりました。

ご飯を炊いているのはスタッフのダラです。

ソカーは家の脇にある畑で,野菜を摘んでいます。産地直送のとれたて野菜です。
ご飯を食べる前に(日が暮れて暗くなる前に)水浴びをして体を洗います。屋外ですが,男性も女性も体にクロマー(カンボジア製の布)を巻いた状態で体を洗います。日本でいう「お風呂に入る」ということとは全く様相が異なります。バイクで家の近くの川へ行き,そこで水浴びをする人もいました。日本でいうと銭湯へ行く感覚でしょうか。もちろん料金はかかりません。ただ,この時期は朝夕はめっきり冷え込んで,水浴びがものすごく億劫になります。

水瓶に溜めてある水を杓子ですくって体にかけます。脇にあるポリタンクは近くの川から水を汲んでくるためのもの。
夜,バッテリーにつないだ電灯の明かりのもと,晩御飯をいただきました。

電気の通っていない地域の家ではこのようにバッテリーの電気で明かりを灯します。

家族で輪になって夕食をとります。
食事が終わった後は,みんなで雑談をしながらゆったりとくつろぎます。都市部は当然ですが,田舎の方でもテレビはだいぶ普及してきており,テレビのある家庭ではたいていテレビを見て過ごすのですが,ここは未だないようです。その代り,携帯電話はどんな僻地でもほとんどの人が持っており,この家でも男の子が家族だんらんの脇で携帯電話のゲームで遊んでいたのは印象的でした(都市部ではもはや当たり前の光景ですが)。
夜10過ぎ,「そろそろ寝るか」と皆おもむろに寝る準備(床に布団を敷いたり,ハンモックをつるしたり)を始めました。私はこの日持参したハンモックで寝ました。

蚊帳付きのハンモック。田舎で寝泊まりするようなとき,持っているととても便利です。
翌朝,お世話になった家の人たちに別れを告げ,MREスタッフと一緒にこの日のMRE活動現場である〇〇中学校へ行きました(私は1晩だけでしたが,MREスタッフはもう1晩お世話になっています)。中学校でのMRE活動の様子を見た後,私は一足先に事務所に戻りました。
金曜日,ソムロート地区でのMRE活動を終えて,スタッフが事務所に戻ってきました。今回泊めていただいた家で「遊びに来ていたあの日本人(私)にあげてくれ」とバナナを手渡されたようです。ありがたくいただきました。
カンボジアの多くの地方では未だに電気,水道等のインフラが整っていませんが,それ故に,電気,水道が当たり前にある環境で生まれ育った私にとっては,逆に「もともとはこういう生活だったんだよな」と新鮮な発見や刺激があり,とても面白いです。とは言っても,現地の人はインフラが整備され便利な生活になることを願っておられますし,いずれはこの地方にも開発の手が伸びてくることでしょう。

お土産にもらったバナナ
文責:曽田実
2013年12月9日更新
パソコン技術訓練による地雷被害者・地雷原生活者収入向上プロジェクト②~プノンペンでのパソコン訓練途中経過~
11月27日(水)
ロン・チャンティとスレーン・ハイの両名がプノンペンのダイロクにてパソコン訓練を受け始めてから約1カ月がたちました。2か月間の訓練のうちの半分が経過したことになります。そこで今回プノンペンのダイロクを訪問し,彼らの様子を見てきました。

ダイロクオフィスにて画像切り取りの練習をしています。手前からハイとチャンティ。そのほかはダイロクの社員さんたちで,まさに仕事の真っ最中です。
チャンティとハイは,ダイロクの社員さんたちの仕事の様子を見ながら,黙々と自分の課題に取り組んでいました。本人たちの表情や言葉からも充実した様子がうかがえます。また,ダイロクの廣田社長からも「2人とも,1カ月やったなりのうまさになっている」との評価もいただいており,ここまではまずまず順調にきているようです。
今後について廣田社長から「スピードはこれからです」と言われた通り,残りの1カ月でさらにレベルアップし,丁寧になおかつ速く仕事をこなせるようにならなければなりません。2人にはより一層精進していってもらいたいです。
休日,下宿先での様子ものぞいてみました。2人とも問題なくプノンペン生活を送っているようでした。

部屋でくつろいでいるところ,ちょっとお邪魔しました。

炊飯器。5$で買ったそうです。

どうやらきちんと自炊生活をしているようです。外食だと高くつきますから,当然と言えば当然でしょうけど。
食事はどうしてるか気にはなっていましたが何の問題もないようで,堅実にプノンペン生活を送っている様子がうかがえて,そちらの方も安心しました。特にハイは親類や友達がプノンペンにいて連絡も取りあっているようで,すんなりとプノンペン生活に馴染んだようでした。

私が帰る際,下宿先の玄関前まで出て見送ってくれました。チャンティのいる場所は大家さんの部屋。彼らの部屋は右側通路の奥の一角。
プノンペンにやってきて1カ月がたち,来た当初よりも表情にゆとりが出て,充実感も漂っています。あと1か月,気を抜かず,この調子でしっかりとがんばっていってもらいたいです。
文責:曽田実
2013年11月27日更新
カンボジアの教育問題
11月21日(木)
只今,各地の小中学校を訪問し,MRE活動を展開しておりますが,教室の中に入るとポスターや学習内容が書かれた模造紙などが壁に所せましと張られていて,普段の子どもたちの学習の様子がうかがえます。

黒板の左側にはカンボジア語の文字を学習するポスターが,黒板の下には掛け算の九九(9×10まである)が書かれた紙が貼られています。

名簿等も教室に掲示されています。

ある学校では,道路標識のポスターが貼られていました。村に住んでいる限り,絶対に目にすることのないマークがずらっと並んでいます。
中学生にもなると学習内容の質も量も格段にレベルアップします。以下第9学年(中学校第3学年)の教室の掲示物を紹介します。

地学「地球の内部構造」

右側が数学「三角形の合同条件および相似条件」と,ちょっと見にくいですが左側が物理「いろいろな物質の熱量について」

式の展開と因数分解の公式

三角比sin・cos・tan
カンボジアの教育問題については,学校の数や教員の数・質,子どもの就学率などがよく議論されますが,学習内容,特に教科学習の内容についての具体的な議論はあまり多くはありません。そこで今回は,カンボジアの義務教育における学習内容,とりわけ数学及び理科について少し考えてみようと思います。
写真にもあるように,中学校の数学・理科は日本の同学年と比べ,かなり高度な内容となっています。実際,カンボジアの小・中学校の数学の教科書を見てみると,小学5年生で文字式が,小学6年生で方程式が導入されています。日本の教育課程でも小学6年で「文字を用いた式」が導入されていますが,本格的には「文字を用いた式」や「方程式」は中学校で学習します。そして,学年が進みカンボジアの第9学年(中学3年)にもなると,日本の高校数学で登場する三角比(sin・cos・tan)や2元連立1次方程式を解くための行列式が導入されるわけです。
一方理科に目を向けてみると,小学校の方は比較的易しい内容になっていますが,中学校の理科の教科書をひとたびめくれば,初っ端から高校物理の教科書か!?と思わせるような難解な内容がぎっしり詰め込まれています。
算数・数学に関しては,進度がはや過ぎる側面はあるにせよ,学習内容はある程度体系的に進められていますが,理科に関しては,子どもの概念形成の過程をまるっきり無視した(ような印象を受ける)学習内容になっています。教師がそこをしっかりと補足し,生徒が理解できるよう説明してあげられればいいのですが,教師自身も内容をきちんと理解していないのが実情であり(教科書を何度も読み込んで丸暗記はしています),結局授業は教科書の読み合わせであり,生徒は教科書の記述内容をひたすら丸暗記するしかありません。
数学にせよ理科にせよ,カンボジアの教科書の内容は子どもたちにとって(教師にとっても)難解すぎる内容であり,そのうえ,論理的思考力,科学的思考力を育成するという視点を欠いているように思えます。そしてその結果,教科書の内容をなぞるだけの丸暗記授業がカンボジアの,特に田舎の教育の現状となってしまっています。
田舎でも頭のいい子はたくさんいますし,どの子も自然科学に興味を持ち得ます。子どもの興味を引き出し,科学的・論理的思考力を育み,可能性を伸ばしてあげられるような学校教育を期待したいです。そのためにも,カンボジアの実情に合わせ,内容を厳選し,子どもの興味,関心,理解度等を考慮したカリキュラムの作成をカンボジア教育省には是非とも期待したいところです。
文責;曽田実
2013年11月22日更新
地雷危険回避教育プロジェクト⑫~各小中学校にてMRE開始~
11月14日(木)
11月4日(月)より,ラタナックモンドル郡オンダウクハエプ町を皮切りに,各地の小中学校にてMRE(地雷危険回避教育)を開始いたしました。

ラタナックモンドル郡オンダウクハエプ町プームカンダール小学校

1,2年生合同クラス。このクラスの先生も生徒と一緒に参加しています。

ところ変わってコックロロー郡ハップ町スラエンチュオ小学校の4,5,6年生合同クラス。

先生もMREスタッフと一緒に適宜児童をサポートしてくれます。

先生が前に立って生徒に説明する一幕も。
8~9月に実施した学校に通っていない学齢児童を対象としたMRE活動のときとは異なり,同程度の年齢,学力レベルの子が適度な人数(多すぎない人数)で参加してくれているので,子どもの発達段階に応じた指導ができ,なおかつ気心が知れた仲間同士ということもあってか自分の体験などを子どもたちが活発に発言できていて,とてもいい雰囲気の中MRE活動が行えています。
さらに,児童と一緒に参加し,児童に声をかけたり,時には教壇に立って説明をしてくれたりしてMRE活動を後押しくれる先生もいます。実は小学校3年生と5年生の社会の教科書の中に「地雷」について触れてある単元があります。そのこともあってか,子どもたちも学年が上がるにつれて,地雷についての知識やその危険性に対する意識が高くなっている気がしました(そんな気がした程度ですが・・・)。少なくとも教科書の内容は教えているでしょうが,学校教育の中で教師が児童に対してどの程度地雷問題の話をしているのか,ちょっと興味あるところです。
また,小学校だけではなく,中学校でもMREを実施しています。

ラタナックモンドル郡オンダウクハエプ町プレイオムポー中学校第9学年(日本でいうと中学3年)。一クラスの人数は小学校に比べかなり増えますが,さすがは中学生。非常に落ち着いた雰囲気で話を聞いてくれています。MREスタッフもとてもやりやすいと言っていました。
カンボジアでは(カンボジアに限ったことではないかもしれませんが),お兄さんお姉さんが小さい子の面倒を見るというのが慣習としてあります。自分自身の身を守るだけでなく,身近にいる幼い弟や妹たち,将来的には自身の子どもたちの身を守るという意味においても彼らにはきちんと学んでもらいたいものです。
11月も中旬,連日晴天が続いており,本格的に乾季に入ったか!と思いきや雨がぱらぱら降る日も時々あり,未だ雨期明け宣言できない状況ですが,8月9月のように雨の心配をする必要もほぼなくなりました。子どもたちを指導していく中で,いろいろなことを試し,各地でいろいろな発見を期待しつつ,MRE活動を充実させていければと思います。
文責:曽田実
2013年11月18日更新
地雷危険回避教育プロジェクト⑪~実践演習~
11月1日(金)
11月に入り,カンボジアではからっとした晴天が続いています。ときどき雨がぱらつくことがありますが,ほぼ雨期も終わり乾季に移り変わりつつあるようです。10月は近年稀にみる洪水被害に見舞われました。雨期の洪水がカンボジアの大地に恵みをもたらすと言いますが,この洪水により農作物にも少なからぬ被害が出ているとのニュースも目にします。聞くところによると,地雷原にも影響があるとのこと。それは,洪水で地雷が掘り起こされ,流されてしまうというもの。つまり,すでに撤去済みの場所にも地雷が流れ着いてしまっている可能性があるということのようです。
まあ,どこであっても気をつけなさいということでしょう。

ボップイ小学校へ行く途中の道路。洪水の影響で道がえぐれています。ただ,これは洪水が直接的な原因ではありますが,道路の品質にも問題があるような気もします。カンボジアの道路はとにかくもろい。ここに限らず,ちょっとしたことですぐ道路に穴があきます。
さて,MRE活動ですが,プチュンバン明けから10月いっぱいまで,対象地区の全小学校に電話で児童数等を問い合わせ,それをもとに11月からの就学児童を対象としたMRE活動の計画を立てました。そして,11月4日(月)から,MREスタッフは,ラタナックモンドル郡を皮切りに各地区の小学校をまわってMRE活動を展開していきます。学校の児童数によっては複数の学年合同で指導することもありますが,基本的には各学年ごとに区切って子どもたちに指導していきます。9月までの学校に行っていない子どもたちを対象としたMREでは,子どもたちの年齢にかなりの幅がありましたが,今回はある程度子どもの年齢(発達段階)に合わせた指導を行えそうです。
それに先立ち,11月1日(金)にボップイ小学校でMRE活動の実践演習を行いました。クラスごとに指導できたことにより,適度な人数で,なおかつ年齢に合わせた授業ができました。授業後,スタッフと授業についての細かい修正点を確認し,ボップイ小を後にしました。
帰り道,不発弾を見たという児童の証言をもとに,スタッフと一緒にその現場(草むら)に立ち寄ってみました。

児童の証言によるとこの道路脇にあるとのこと

どうやら奥の方に見つけたようです。

ちょっと埋もれた状態で不発弾が眠っていました。

「ここに地雷もしくは不発弾があるよ」という目印として束にまとめた草を結んでいます。その上にはナイロン袋が引っ掛けてありますが,これも目印です。
この草を結んで目印にするというのは,看板や貼り紙など何もない場所で地雷・不発弾を発見した際の目印としてとても重要です。もちろんMRE活動の中でも子どもたちに教えています。いつどこで出くわすかわからないので,常に心構えは持っておきたいところです。
文責:曽田実
2013年11月8日更新
パソコン技術訓練による地雷被害者・地雷原生活者収入向上プロジェクト
10月28日(月)
前回のレポートにて,『パソコン技術訓練による地雷被害者・地雷原生活者収入向上プロジェクト』の訓練生採用試験の様子をご報告いたしましたが,採用試験の結果7名の受験者の中から次の2名を採用することに決定いたしました。
1.ロン・チャンティー/23才/バッタンバン州コムリエン群出身/20才の時に農地開拓のために森林に入った際地雷事故に遭い,両足を失う。

ロン・チャンティ
2.スレーン・ハイ/25才/バッタンバン州ソムロート郡出身/12才の時に農地開拓のために森林に入った際不発弾事故に遭い,右腕を失う。※プロジェクト名には「地雷被害者」とありますが,不発弾被害者もこのプロジェクトの対象となります。

スレーン・ハイ
奇しくも,2人とも農地開拓のために森林を切り開いている最中に事故に遭ったようです。仕事(農地)を求めて森林に入った結果,若くして仕事のできない体になってしまうというのは何とも皮肉なものです。2人とも事故後は家事を少し手伝う程度で,仕事は全くしていなかった(できなかった)とのこと。このプロジェクトをきっかけに明るい未来を切り開いていってもらいたいものです。
さて,10月28日(月),「Cambodia Dairoku Inc.」にてパソコン訓練が始まりました。2人はやや緊張した面持ちで,訓練初日を迎えました。

道路の向こう側のビルの3FにCambodia Dairoku Inc.の事務所があります。

いよいよ出陣。

朝6時。廣田社長(右から2番目)から紹介していただき,Dairokuの社員と初顔合わせ。

職場風景。右側手前2人が訓練生。

いろいろな画像を使って切抜きの練習。左がチャンティ,右がハイ。

採用試験もでお世話になったタヌアン氏。ご自身の仕事の合間をぬって訓練生2人を指導していただきます。
いよいよ訓練が始まりましたが,とにかく今は練習あるのみ!このプロジェクトはこの2人にとってだけでなく,手足に障害を負ったすべての人々にとっての新たな就業モデルの一つとなります。そして,彼らにはバッタンバンに戻って就業してもらうのと同時に,新たにスタッフを採用した際の指導者としても期待しています。まずは自身のために,そしてゆくゆくは多くの障害を負った人たちのために,2人で協力し合い,切磋琢磨して腕を磨いていってもらいたいです。

プノンペンでの2か月間をDairoku事務所から歩いて5分のこの部屋で2人で過ごします。これまで全く面識のなかった2人ですが,これも何かの縁。協力し合い,切磋琢磨して腕を磨いていってもらいたいです。また,あまり羽目を外しすぎない程度にプノンペン生活(都会生活)を楽しんでもらえたらと思います。それにしてもチャンティ,緊張しているのか表情がずっと硬い・・・。早く慣れろよ(笑)
2013年10月30日更新
新プロジェクト始動
10月24日(木)
只今,CMCでは子どもたちへのMRE(地雷・不発弾危険回避教育)活動を実施しているところですが,それと並行して,地雷被害者の雇用創出を目的とした新たなプロジェクト『パソコン技術訓練による地雷被害者・地雷原生活者収入向上プロジェクト』が始動いたします。
カンボジアでは,国民の大多数が農業に従事しています。手足を負傷したもしくは失った地雷被害者にも農業に従事している人はいますが,彼らにとって肉体労働である農作業は非常に困難を伴う仕事です。田舎にあっては農業もしくはその他の肉体労働以外で収入を得て生計を立てることは難しく,仕事ができず将来を悲観して家に引きこもってしまう人も多くいるようです。
そんな地雷被害者の方々が求めているのは言うまでもなく「仕事」です。そこで立ち上げたのが,上記の『パソコン技術訓練による地雷被害者・地雷原生活者収入向上プロジェクト』。このプロジェクトは,主として未経験者でも習得が可能な「画像切り抜き」という技術を習得し,それを就業につなげようというものです。このプロジェクトを全面的に支えてくださっているのがプノンペンでIT事業を行っている日系企業「Cambodia Dairoku Inc.」です。
「Cambodia Dairoku Inc.」は岐阜県高山市で大正6年より印刷業を営まれている(有)大六印刷のグループ会社で,廣田健一郎社長が2009年に起業された会社です。現在,社員数は28名で,和文DTP及び関連事業(写真切抜き・加工・トレース・ゴミ取り・データ入力・組版自動化など)を行っています。
廣田社長は,カンボジア地雷被害者の厳しい現状及びCMCのこれまでの活動を理解してくださり,そのうえで,「Cambodia Dairoku Inc.」にて地雷被害者へのパソコン技術訓練を引き受けてくださいました。さらには,技術訓練終了後の仕事も発注していただけるとの了解もいただきました。本当にありがたいことです。
これを受け,この度2名の地雷被害者を訓練生として採用し,「Cambodia Dairoku Inc.」にて10月末から2ヶ月間訓練を受けた後,来年1月からバッタンバン事務所にて業務を開始する運びとなりました。そして,この2名を選考するための採用試験を,10月14日(土)にCMCバッタンバン事務所にて行いました。バッタンバン州を中心に募集をかけたところ,7名が採用試験を受けに事務所まで足を運んでくれました。
未経験者でも習得が可能な「画像切り抜き」ではありますが,やはり人によって適性のあるなしというのがあるらしく,採用するにあたってはプロの目で見極めてもらう必要があるということで,ここでも「Cambodia Dairoku Inc.」の協力を仰ぎました。採用試験には,廣田社長と優秀な社員の一人Thanoeun(タヌアン)氏のお二人に来ていただき,実際の「画像切り抜き」作業を通して受験者の適性を見ていただきました。

採用試験の様子。左からタヌアン氏,受験生,廣田社長。

タヌアン氏の指導の下,受験者は初めての切り抜き作業に挑戦です。課題は先日の夏休みツアーの集合写真から一人の人を抜き出すこと。

抜き取ったのは地雷撤去のスペシャリスト,CSHDのアキラ氏です。
10月28日(月)より,「Cambodia Dairoku Inc.」にて,パソコン訓練が始まります。
次回の報告書にて,このプロジェクトの採用者及び訓練の様子等をお伝えできればと思います。
2013年10月29日更新
石原基金奨学生の家庭訪問
10月17日(木)
前回,バッタンバンの洪水の様子を報告しましたが,あの報告以降,しばらく雨が降らない日が続き,冠水していた水もすっかり引いてしまいました。川の水位を見ても一目瞭然。

10月5日の川の様子

10月15日の川の様子
現在,バッタンバンの街は何事もなかったかのようにすっかりともとの姿に戻りました。とりあえずひと安心です。
10月14日(月),コーントライ中学校卒業式(9月19日)の報告の際にも紹介しました石原基金の奨学生チア・ダリンに会いにコーントライ村に行ってきました。

チア・ダリン。コーントライ中学校の卒業生で,石原基金の奨学生
バイクでコーントライ村に向かう途中,かなり広い範囲で道路や周辺家屋が冠水している地域がありました。バッタンバンの街では冠水被害がすっかり消えてしまっていたのですが,一部の地域では,まだ深刻な被害が続いていたのです。
普段は牛が集団でのそのそと移動していたり,犬が道路の真ん中をうろうろしていたりと,バイクで走っていると危ないなと感じることが多々ありますが,この日ばかりはこの冠水地域では牛も犬も見かけませんでした。その代わりに,この日はたくさんの魚が道路を泳いで横切っているのを見ました。

朝から地域住民があちこちで網を持ち出し,漁をしていました。多くのご家庭でお昼ごはんに魚料理が出たのでしょうか?

子どもたちも夢中になって魚を捕まえています。

大漁!?
深刻な被害のはずなのですが,何事もないかのように自然体で過ごしてしまうカンボジア人の懐の深さには毎度関心させられます。
さて,いつもの倍以上の時間をかけ,ようやくコーントライ村にたどり着きました。中学校でダリンと待ち合わせ,そこからダリンが家まで案内してくれました。ダリンの家やその周辺もまだ冠水した状態でした。家ではご両親も出迎えてくれました。

家まで案内してもらいました。だいぶ水は引いた方ですが,それでもまだ周辺は冠水したままです。

チアダリンの家。伝統的な高床式の家です。

ダリンのご両親・・・ではなかった・・・ここで飼われている犬でした。あまりの貫禄に思わずご両親と間違え,かしこまってご挨拶をしてしまいました。

ダリンとご両親。他にお兄さんが1人,お姉さんが3人いますが,皆タイへ出稼ぎに行っていて不在。クメール正月(4月〉には戻ってくるとのことです。
ダリンは,この10月から地元のコープ高校へ通う高校1年生です。まだ少し早いですが,「どこの大学に行きたい?」と質問してみると,「バンテアイミエンチェイ大学(州内の大学)」と答えていました。将来医者になりたいというダリンですが,その前段階の大学進学という目標に向けて,高校での勉強が始まります。何はともあれ,目標に向けてしっかりと勉強すると同時に,新しい仲間と楽しい高校生活を送ってもらいたいものです。
文責:曽田実
2013年10月17日更新
『天の恵みに悲喜こもごも』
10月9日(水)
カンボジアでは,10月3日(木)から5日(土)までの3日間は,プチュムバンと呼ばれる祭日でした。このプチュムバンとは日本でいうお盆のようなもので,仏教国のカンボジアにとっては,1年で最も重要な祭日の一つです。祝日が土曜日と重なったため,7日(月)もその振り替えとして休日となり,結果大型連休となりました。この時期は多くの国民が実家に帰省し,寺参りをしたり,家族だんらんの一時を過ごしたりします。
都市部では,一部の食堂や雑貨屋を除いて営業しているところはほとんどなく,普段は人でにぎわう場所も閑散とします。いずれにしてもこの時期は仕事がはかどらないので,CMCのバッタンバン事務所も仕事を早めに切り上げ,スタッフにはしっかりと休暇を取らせ,英気を養ってもらいました。
さて,カンボジア社会は一時的に休眠状態となりましたが,自然界,特に大気は休むことなく活発に活動を続けていました。ただいま雨期真っただ中。連日の大雨により,町のいたるところが冠水してしまいました。

バッタンバン市内大通り。

周辺の家屋も浸水しています。
冠水自体は毎年のことですが,今年は例年になくひどい状況とのこと。ただ,子どもたちは大喜びで水遊びを楽しみ,大人たちもこの状況をけっこう楽しんでいるようです。災害なのか天の恵みなのか・・・。

夕方,家族連れや若者など,多くの人でにぎわっています。まるで行楽地のよう。

事務所近くの通りも冠水。災害時,洗濯用たらいもけっこう役立つかも!?この直後2人で乗ろうとして転覆しましたが・・・。

一家でお出かけ。
学校はそろそろ新学期を迎える時期ですが,とても勉強できる状況ではありません。

学校

廊下

教室

廊下で遊ぶ(泳ぐ)子どもたち
さて,当然ですが楽しい状況ばかりではないようです。月曜日,所用でトゥールポンローの町役場を訪れましたが,そこでは近くに住む村人が避難所生活を送っていました。

トゥールポンローの町役場。ここでは6世帯が避難所生活をしているとのこと。
この役場に避難している世帯は全部で6世帯ですが,村全体ではもっとたくさんの世帯が被害に遭っていると町長さんもおっしゃってました。
MREスタッフの一人ラブットも,家がこの大雨により腰の高さまで冠水したようです。ラブットは,現在身動きが取れず,連休明けも出勤は見合わせている状況です。また,MREの対象地区である,ソムロートやパイリンなども大雨の被害に遭っているとの情報が入っています。
プチュムバン連休はあけましたが,まだしばらくは仕事がはかどりそうにありません。まあ,各村もMREどころではないでしょうし,焦っても仕方ないので,水が引くのをのんびり待つことにします。
文責:曽田実
2013年10月9日更新
地雷危険回避教育プロジェクト⑩******
10月3日(木)
8月12日より,6週間にわたって6つの地区でMRE(Mine Risk Education,地雷危険回避教育)を実施してきました。今回の報告ではこれまでのMREを総括したいと思いますが,その前に,まずは簡単にカンボジアの行政区画についてご説明いたします。
カンボジアは大きく州(province)と特別市(municipality)に分かれます。
そして州はいくつかの郡(district)に,郡はいくつかの町(commune)に,さらに町はいくつかの村(village)に分かれます。同様に,特別市は区(district/section),区は地区(commune/quater)に分かれます。
今回のプロジェクトにおいて,これまで以下の地区で学校に行っていない子どもを対象としてMREを実施してきました。
① 8月12日~8月16日 バッタンバン州ラタナックモンドル郡
② 8月19日~8月23日 バッタンバン州コックロロー郡
③ 8月26日~8月30日 バッタンバン州ソムロート郡
④ 9月02日~9月06日 パイリン州サラークラウ郡
⑤ 9月09日~9月13日 パイリン州パイリン郡
⑥ 9月16日~9月20日 パイリン州パイリン郡
※ただし,参加者の中には学校に行っていない子どもだけでなく,学校に普通に通っている子も多くいました。また,10月以降はこの6地区に加えて,オーチュラウ郡とマライ郡(いずれもバンテアイミエンチェイ州)において,小学校の児童を対象にMREを実施する予定です。
このMRE事業の中核を担うのがMREトレーナーのラブットとソカー。彼らは使命感を持って熱心に子どもたちを指導しており,各地域でとても充実した教育活動を展開しています。

ラブット。子どもたちとともに地雷に遭遇した場合のシュミレーションを行っています。子どもたちにとって退屈な講義にならないよう,子どもたちにも積極的に授業に参加してもらうよう心掛けています。

ソカー。ラブットの補佐役として,子どもたちを見守りつつ,学習の手助けをしています。
また,CMCスタッフのダラは,表に立つことはありませんが,事務所で連絡・調整を行ったり,アンケート調査結果をまとめたりと,このプロジェクトを陰で支えてくれています。

ダラ。普段は事務所でパソコンに向かっていますが,必要があればバイクであちこち走り回り調整をしてくれます。
このMRE活動では,子どもたちに地雷や不発弾の危険性を認識してもらい,適切な行動をとれるように指導することが主目的ですが,それと同時に地域の実態,特に子どもたちの地雷に対する認識や体験なども調査しています。調査は,アンケート用紙に記入してもらう形で行っていますが,普段学校に通っていないこともあってか,文字の読み書きができない子がたくさんいたことや,アンケート調査そのものがよくわからず(慣れておらず),アンケートの意図を理解しないまま隣の子の解答を丸写しする子もいるなど,得られた調査結果はやや信憑性の乏しいものとなってしまいました。それでも,アンケートを通して,子どもたちの実態及び認識を探るうえで重要な情報も多く得られました。
アンケート調査の中で,「地雷または不発弾を見たことがあるか?」という質問に対して各地域で5~30%の子どもが「見たことがある」と答えていました。子どもたちが見たと言っているものが,本当に地雷もしくは不発弾かどうかは定かではありませんが,やはり現地の人にとって地雷・不発弾は身近に存在する脅威であることは確かなようです。

バッタンバン州コックロロー郡にて。地雷を見たことがあるという男児に,どの種類の地雷を見たのか聞いてみました。男児はポスターの写真の中から,自分が見たことがあるという地雷を指さしました。彼が指さしたのは対戦車地雷の一種。
また,バッタンバン州コックロロー郡でMRE授業を行った後,「学校の近くに不発弾が落ちてるよ」という児童に連れられて,不発弾を見に行きました。
行ってみると確かに,通学路脇の木の陰に不発弾が埋もれていました。

写真中央,木の葉の間から不発弾(瓶のような形)が見えます。この不発弾を横目に,子どもたちは学校に通っています。
さて,10月からカンボジアは新年度となります。そして,今度は学校に通っている子どもたちを対象として,新たにこのMRE活動を再開します。これまでの反省を生かし,学校の協力も得ながら,さらに充実した活動を展開できればと思います。
文責:曽田実
2013年10月4日更新
地雷原視察レポート
9月18日(水)
本日はシェムリアップ州南チャンソー村にて地雷撤去視察レポートです。この南チャンソー村の地雷原は36905平方メートルあり、2013/8.27より撤去を開始した地雷原です。 
現在の処理状況は地雷5つ、不発弾20個で 被害は3名が死亡、負傷1名、5頭の家畜が被害にあっています。
地雷原に入る前には誓約書に同意の上、サインをします。

誓約書

誓約書にサイン
そして地雷原視察に関する説明が行われます。


地雷原のマーキング
どこが地雷原でどこが安全な場所なのか、どこまで地雷除去が終わったのかなど明確にするために標識を立てるなどマーキングで示されています。
白赤長:危険ライン 白長:安全プロテクター脱衣可
赤長:地雷あり 赤短:未撤去
黄:地雷・不発弾撤去済み地点
紫:不発弾あり
白:ゴミ捨て場
黒:面積を計る
こちらはプロテクターを着たCMC現地スタッフダラー君です。

発見された地雷
ここで撤去活動をしているスタッフは26名、18名が直接の撤去スタッフでした。
以上、報告を終わります。
文責:現地インターン 小野寺 亘
2013年9月25日更新
コーントライ、トゥールポンロー中学校卒業式
9月19日(木)
2013年9月19日,2つの中学校の卒業式が執り行われました。一つは『CMCコーントライ夢中学校(以下,コーントライ中学校)』,もう一つは『CMCトゥールポンローみおつくし中学校(以下,トゥールポンロー中学校)』です。いずれもバンテアイミエンチェイ州というタイ国境を接する州内の中学校です。

黄色い部分がバンテアイミエンチェイ州。赤色はプノンペン特別市,緑色はシェムリアップ州,青色はバッタンバン州。
コーントライ中学校は,佐世保青年会議所の協力のもと2008年に開校した学校で,今年度第3期生が卒業します。一方,トゥールポンロー中学校は株式会社データマックスおよび大阪西ワイズメンズクラブの協力のもと,2011年に開校した学校で,今年度第1期生が卒業します。
今回,佐世保青年会議所から建設当時の理事長だった曽和さんはじめ4名が,データマックスから児玉社長はじめ3名が,各中学校の卒業式に参加されました。
この日,朝7:00にシェムリアップ市を出発してバスで2時間半かけてまずはコーントライ中学校へ行きました。生憎の雨模様でしたが,19名の卒業生をはじめ多くの在校生が我々を待ち受けてくれていました。卒業式は教室で行われました。

曽和さんから卒業生一人ひとりに卒業証書が手渡されました。

卒業生全員で記念撮影
なおこの度,この卒業生の中から,成績優秀でなおかつ将来を見据えて勉学に励んでいる生徒を1人奨学生として資金援助することが決定しました。これは,コーントライ中学校の校庭も手掛けられた庭師の石原和幸氏による支援で,「石原基金」として,この生徒の大学卒業までを支援するというものです。
卒業生全員に卒業証書が手渡された後,この奨学生の発表がありました。奨学生として選ばれたのは,将来医者になりたいと語ってたチア・ダリンさん。発表されると非常にうれしそうな表情を浮かべ,周りの友達からも祝福されていました。ぜひとも将来に向けて,しっかりと勉学に励んで行ってもらいたいです。

右がチア・ダリンさん。CMC大谷理事長(左)と記念撮影。
コーントライでの卒業式が終わり,次にバスで40分ほどのところにあるトゥーるポンロー中学校に行きました。
ここでも,19名の卒業生(奇しくもコーントライ中学校と同じ卒業生数)とともに多くの在校生が集まってくれました。今年度トゥーポンロー中学校は第1期生の卒業ということもあり,生徒教員皆初めての卒業式を体験しました(カンボジアの学校にはそもそも卒業式という慣習はありませんので)。
式は教室で行われました。データマックスの児玉社長から卒業証書が生徒一人ひとりに手渡された後,児玉社長から卒業生にはなむけの言葉を述べられ,初めての卒業式は無事終了しました。

児玉社長から卒業生一人ひとりに卒業証書が手渡されました。

卒業生全員で記念撮影
さて,児玉社長は学校の校舎だけでなく,生徒たちの通学路整備の支援もしてくださっています。
学校前に約2㎞にわたる1本の道路がありますが,以前は大変な悪路で歩くのもやっとな道でした。これを児玉社長のお力添えのもと,今年に入りCMCや地元住民が協力してきれいに整備し,「KODAMA STREET」と名づけて生徒たちの通学環境を整えていました。
ところが,雨季に入り連日の大雨(特にここ1,2週間)により地盤が緩み,収穫期とも重なって農耕気が頻繁に往来したために,以前の悪路に逆戻りしてしまったのです。私は,卒業式前の3週間,CMCの夏休みツアーのために毎週訪れていたのですが,3週間前はきれいなだった道が,週を追う毎に道がえぐれてひどくなっていくのがはっきりと分かりました。
生徒の通学路として整備されたこのKODAMA STREETではありますが,地域住民にとっても非常に重要な道路でもあるのです。これについては,学校を中心に地域住民にも協力してもらって,道路の維持に努めていってもらいたいものです。

KODAMA STREET入口。ここは特に問題なくきれいな状態が保たれています。

最も悲惨な部分。粘土質でヌルヌルの路面。いやぁスベるスベる。まともに歩けません。

道路わきにそれるしかありません。でもあんまりそれすぎると危ないんじゃ・・・
文責:曽田実
2013年9月25日更新
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