カンボジア地雷撤去キャンペーン
TOP 組織概要 国内活動 現地活動 駐在員レポート 支援方法 講師派遣 地雷とは スタディツアー



 2月22日(金) エマージェンシーホスピタル
午後3:30、エマージェンシーホスピタルへ訪問。
イタリアのNGOが設立し、患者のプライバシー、メンタル面を考慮してビデオカメラ、個人のカメラ撮影は制限された。
エマージェンシーホスピタルは「建物がきれいで病院の雰囲気も明るい」と感じた。午前中に訪れた第五軍病院と比べ、病院としての設備もしっかりなされており、日本にとても近い形で機能している。

子どもが不発弾で怪我を負い、運び込まれてきた
ここエマージェンシーホスピタルは戦争被害者、地雷被害者のための病院であるが、交通事故による負傷者も運び込まれる。
病院設立のころに比べ地雷被害者数は年々減少してきているが、残念ながら今でも毎日事故は起こっている。2007年度は約100名の新たな地雷被害者がここエマージェンシーホスピタルに運び込まれ、それ以前の事故での継続通院をしている被害者が約50名いる。2008年度は2月22日現在で今月だけでも13名の地雷被害者が入院している。
次に案内された部屋は男性専用の病室であった。ここで数名の地雷・不発弾被害者にインタビューを行った。ここからは患者の詳細を述べていくことにする。

チャン・チェ君(16歳)
不発弾により左手を肘から下切断、右手小指以外切断。皮膚移植が行われた。
彼は牛飼いで牛の世話をしていた際に不発弾を見つけ、なんだろうと不思議に思い不発弾をさわり、爆発。ラタナモンドル州で被害にあう。2008年1月25日に運び込まれた。

チャン・チェ君(16歳)

ソッ・プロリーさん(28歳)
ソッ・プロリーさん(28歳)
顔とおでこ、右足、右手負傷。対戦車地雷により被害に遭う。パイリンで畑仕事をしている最中に弟と共に被害に。
サン・マカラ君(16歳)男性
不発弾による事故。左足を切断。学校から帰ってくる途中、草を集めている時に不発弾を見つけ、触ってしまう。パイリン特別市で事故に遭う。

このように不発弾や地雷の知識がなく、なんだろうと興味半分で触ってしまい、事故に遭うケースが多いようだ。

サン・マカラ君(16歳)

ヨン・ソキアちゃん(10歳)
ヨン・ソキアちゃん(10歳)
2008年2月8日に運び込まれ、現在も意識不明の重体。牛の世話をしていて、牛の首からかけていたロープを自分の腰に巻きつけ歩いていたところ牛が急に暴走し、引きずられる。両手、両足を負傷。
いまだ地雷被害が途絶えることのないカンボジアにとってこのような病院はもっともっと必要であろう。多くのNGOが介入して支援を続け、カンボジア政府もそのような動きに賛同的になるよう願う。しかし、願うばかりでもたもたしていられない現実もあり、私達の支援の輪を広げていく必要があると強く感じた。
また、一人でも多くの命を救えるよう懸命に頑張っている医師たちの姿にも感銘を受けた。地雷被害者、彼らを救う医師たちのためにも私たちにできることをやっていこうと誓った。
Next



Copyright ©Cambodia Mines-Remove Campaign All Rights Reserved