カンボジア地雷撤去キャンペーン
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第8次スタディツアーの記録
 ■ 2002年2月19日 出発
2002年2月19日12:00、タイ航空TG649便は福岡空港を離陸、17:45(現地時間15:45)タイのバンコクに到着した。今回福岡からは、私を含め2名、しかし、空港には既に東京・大阪・名古屋から到着した12名が待っていて、合流。計14名でホテルへと向かった。今回のホテルは繁華街スリウォン通りにある、タワナ・ラマダホテル。
タニヤやパッポンストリートに近く、買い物や食事には至便な所だ。勿論我々は、観光や買い物は眼中になく、カンボジアへの直行便が無い為と、バンコクに駐在している西日本新聞国際部の野尻記者との合流が目的だ。無事ホテルで合流後、夕食会場での結団式。

北海道から九州、そしてバンコクまで総勢15名が今回の第6次カンボジアスタディツアーのメンバーだ。うち学生5名、女性5名、19歳から66歳までという構成は様々な角度からカンボジアや地雷被害の現状を識っていく上で、ほどよいバランスを持っていた。
バンコクで初めて顔を合わせる人も多くいたが、カンボジアを識ることを通し、自分にできることからでも、地球人として、国際貢献をしていこうという同一の方向性が自然となごやかな雰囲気をつくっていた。
 ■ 2月20日 イギリスのNGOカンボジア・トラスト(義足センター)
義肢装具士の藤井さんに話を聞く
翌朝5:30にホテルを発ち、我々を乗せたTG696便は8:18バンコク発、9:05にはプノンペンのポチェントン空港に着く。わずか47分のフライトだ。
迎えのバスに乗ると、ホテルに荷物を置く間もなく、今回最初の訪問地となるカンボジア・トラスト義足センターへ。ここはイギリスのNGOが1992年にプノンペンに設立、その後コンポンソム(1993年)コンポンチュナン(1995年)と現在カンボジア国内3ヶ所で義足の製作、提供を行っている。 また、1999年には義肢装具士を育成する学校CSPOも併設した。熊本県八代出身の藤井一幸さん(32歳)はCSPOの教官としてカンボジア人の装具士を育て自立を促している。また、保坂万理さん(23歳)は、日本のNGO「希みの会」から派遣されて4ヶ月目だが、あと1年半現地に接しながら地雷被害やポリオに苦しむ人々に義足を提供し、役に立ちたいと語っていた。
歩行訓練をするソイポン氏(左)とブンハーン氏(右) カンボジア・トラストにて 
カンボジア・トラストでは現在、月に約100本の義足を作っているが1足を作るのに最短でも3日かかり、義足を装着して歩行訓練する人々は毎日のリハビリにより、ほぼ2週間で歩けるようになるという。
ここで歩行訓練をしている地雷被害者の2人に話を聞いたが、ともに生活のため兵士となっての蝕雷だった。ソイ・ポン氏は46歳、1985年に地雷を踏み、ブン・ハーン氏41歳は1990年に蝕雷。どちらも左足を奪われている。現在共に仕事がなく、義足が無償で提供されるので,助かるが、元兵士に与えられるはずの政府からの恩給10万リエル(日本円で約3,000円)は昨年11月から止まっているという。
義足は使っていると合わなくなるので大人でも最低3年に1度は取替が必要だが、成長期の子供は、伸びる骨が肉を突き破り強烈な痛みを伴うため悲惨な上、毎年作り変えなければならない。カンボジアでは「被害者は役立たずだ」「目障りだ」などという差別や偏見が社会にはびこり、被害者は肉体的苦痛の上に精神的苦悩を強いられている。
そのため自ら家に引きこもり、交通手段がないこともあいまって発見されにくい実状があるため、カンボジア・トラストではアウトリーチチームが地域を巡回し、障害者との信頼関係をつくりながら活動を続けている。地雷被害やポリオなどにより障害者となった人々に無償で義足を提供すると同時に、人間として生きる希望を与え、自立できるように援助する。それがカンボジア・トラストの活動だ。
 ■ MAG(マイン・アドバイザリー・グループ)ヘッドオフィス
義肢装具士の藤井さんに話を聞く

午後13:10、地雷撤去をやっているイギリスのNGO MAG(Mines Advisory Group)のヘッドオフィスへ。MAGは1992年に設立、現在ではベトナム、ラオス、イラク、アンゴラ、レバノン、アゼルバイジャンなどで展開中だが、カンボジアでは1992年10月に活動を開始した。以来バッタンバン州を中心に対人地雷14,534個、対戦車地雷124個、不発弾36,677個を除去してきた。今回はバッタンバンで地雷原を視察させてもらうための表敬と、24日のカンボジアナショナル地雷デー招待へのお礼のための訪問だった。

MAGは大きく分けて5つのチームからなる。

  1. マイン アクション チーム(MAT)
    地雷や不発弾の撤去をする中心的なチーム
    バッタンバン州に12チーム、他プルサット、コンポン・トム、プレアビハールの各州合わせて、計22チームが活動中。しかし資金難でこのままいけば7チームを維持できなくなるという。
  2. コミュニティ リエゾン チーム(CL)
    地域や他団体(C-MAC、HALO TRUSTなど)と密接に連携を取り、詳しい情報を集める。
    撤去前の情報から撤去後の住民の状況までケアする。10チーム。
  3. イクスプローシブ オーディナンス ディスポーザル チーム(EOD)
    爆発物処理チームで緊急性があり、住民が危険を訴えた場合、いつでもどこでも展開して処理する。2チーム。
  4. メディカル サポート チーム 全ての地雷撤去チームにあって事故にあたっての救急医療と病院に搬送するまでの治療を行う。
  5. メカニカル チーム 地雷撤去場所の状況により、手作業による撤去の前に人力で動かしたり排除できない草木をテンペストなどの機械を使って行うチーム。現在5台のテンペストを所有。
ということでカンボジア全土で隊員550名しかいない上に資金難に直面しており緊急に援助を求めている。
 ■ 「難民を助ける会」KKRC職業訓練センター
22日にバッタンバンで再会することを約束し「難民を助ける会」の職業訓練センターKKRCに向かった。KKRCは地雷被害、ポリオなどの病気、交通事故などの負傷により身体に障害を持った人に技術を身に付け、自立を促すのを目的とする。ここでは、川畑康代さん(31歳)が迎えてくれた。彼女は鹿児島県大口市の出身で、現在マネージャーを務めている。1993年に開設され、現在彼女の外3名のカンボジアスタッフがいて3つのコースの職業訓練を行っている。

それらのコースは"テレビ・ラジオ修理コース"、"オートバイ修理コース"、"裁縫コース"であるが、それぞれが障害の部位や程度によって向き不向きがあるため、生徒の採用には適正調査が行われるようだ。3つのコースあわせて40名しかない定員に、全寮制でその間の生活も保障されているため毎年9つの州から250名以上の応募があり、本人の素行や意気込み、そして社会のニーズなどが多面的に判定される。また障害や貧困の故に学校へ行けず、読み書きのできない希望者のために識字学級が開かれ、9月から2月の開級式までの4ヶ月間受けることができる。彼らにはわかりやすいように絵などをつかって生活習慣、衛生など基本的な部分から教えられる。

技術訓練は2月〜12月の10ヶ月間、3コースの専門分野を学ぶ。卒業生には誇りを持ってカンボジアの建設に参加できるよう、仕事を始めるのに必要な道具などが提供され、自立直後、3ヵ月後、半年後の3回にわたりフォローアップが行われている。
歩オリエンテーションを受けるテレビ・ラジオコースの訓練生
我々の訪問がちょうど開級式の直前にあたり、各教室ではオリエンテーションが行われていた。
テレビ・ラジオコースは今回たまたま男性ばかりということだったが(2001年は女性2名)このコースでは両手が使えることが条件なので足の不自由な車椅子の人も多く参加していた。
最近は社会の需要によりCDなどの技術も取り込まれているそうだ。バイク修理コースは両手と片足が使える必要があり、ここも男性がほとんどだったが工具などの所有場所が図によって示されていた。裁縫はさすがに女性が多かったが、中に男性が1人がんばっていた。カンボジアは電気の供給が悪いので足踏みミシンのため、足腰が使えないと作業ができない。
車椅子工房で働くバスケット選手