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2003年2月18日〜2月28日実施 |
カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)は、皆さまからのご支援のもと全国で地雷被害者救済と地雷撤去のためのキャンペーンを展開してきました。
一年間の募金活動を経て、本年は二月十八日〜二月二十八日、第7次訪問団が現地カンボジアを訪れました。全国から13才〜68才の老若男女が東京・名古屋・福岡の空港から出発、タイのバンコクで集合、結団式を行ないました。その数16名。特に今回は福岡から中学一年生と高校三年生の女子生徒が参加しましたが、これは地雷原訪問者の最年少記録です。
昨年2月の訪問時に資金提供や視察を行なった後、カンボジアでは旱魃と洪水による飢饉が農村を襲った。CMCの現地事務所からの緊急援助の要請を受け、福岡の本部ではマスコミの協力のもと街頭キャンペーンを展開。8月には飢えに苦しむ地雷原の農民に支援米と水路建設のためのブルドーザーを提供した。今回、そのクバルムース村を訪れた時は、村人総出の熱烈な歓迎を受けた。(写真左)子供から大人までCMCの小旗を打ち振り、大きな拍手で迎えてくれた。
村や地区の責任者の歓迎挨拶を受けた後、CMCからは子供達への教材や衣服、ブルドーザーの燃料代や少雨でも育つ椰子やジャックフルーツの苗木(写真右)を贈呈した。また、昨年贈ったブルドーザーの前で村人と記念撮影をした後、いまだに地雷撤去活動の続く村の中を視察した。
クバルムース村を含むバッタンバン州では、今も地雷被害が絶えないが、2月21日には、州都バッタンバン市から約百km離れたタサンチェン地雷原を訪問した。(写真左)デコボコ道を走ること約3時間、イギリスのNGO、MAGの一チーム15人が地雷撤去活動中の地雷原に到着した。
この地は、政府軍とポルポト派の激戦地であったため、銃弾などの金属片が多く、撤去作業が困難だということだ。さっそく説明を聞いた後、ヘルメットやプロテクター
などの防具に身をつつみ、地雷原に入る。中学一年生も、緊張した面持ちだ。地雷原の中で生活している子供たちなど、危険と背中合せで暮らす人々の姿も多い。視察の後、命懸けで活動を続けるMAG隊員に募金を手渡した。
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2月22日 エマージェンシーホスピタル |
翌22日は、地雷被害者の多いエマージェンシーホスピタルへ。今年から責任者として着任したイタリア人ソニア女史に案内してもらう。今年、山中で木の伐採中被害に遭った30才のベン・マブさんや、3人の母親で一月に地雷で足を奪われたリン・レック
さんなど、痛々しい姿でベッドに横たわっていた。視察の後、病室内でソニアさんに義足作成の費用を手渡した。
バッタンバンにはCMCの現地オフィスがあり、責任者のシモーヌ氏をはじめ寺院の僧侶がスタッフとして活動に従事しているが、資金不足とインフラの悪条件の中で苦戦を強いられている。カンボジアの厳しい状況を少しでも改善する為に現地での活動を支える資金が必要なことを痛感する。
乾季で水量の減った川を下りシェムリアップに向かう。川が浅いためいつもの約2倍、9時間半もかかった。シェムリアップは世界遺産アンコール・ワットで有名だが、遺跡のすぐ近くには地雷被害者が多く住むモンドルバイ村がある。この村は、被害で手足や目を奪われた人が多いためチュンピカ村(障害者村)といって差別され、子供達は一般の小学校に通うことを拒絶されていた。この村のために小学校を作って支援しているNGOから新しい校舎を作る資金が無いとの要請を受け、香椎小学校と共同で新校舎を建設した。そのモンドルバイ希望小学校を訪れた時(写真右)も、全校をあげて歓迎してくれた。子供たちにはCMCと香椎小学校から、サッカーボール、ノート、鉛筆そして皆が遊べる遊具をプレゼントした。子供たちは目を輝かせてオックンチュラン(ありがとう)を言って、お返しに手紙と絵を預かった。
このほかゴミの山で働く子供たちに教材や服を届けたり、アキラの地雷博物館などで交流したが、行く先々でCMCの活動が人々から歓迎され、小さいながらも悪魔の兵器の廃絶に役立っていることがわかり、団員全員大きな感動と共に帰国した。
(寄稿者・カンボジア地雷撤去キャンペーン・代表 大谷賢二) |
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