カンボジア地雷撤去キャンペーン
TOP 組織概要 国内活動 現地活動 駐在員レポート 支援方法 講師派遣 地雷とは スタディツアー



 2月12日(月)〜2月13日(火)
一行は成田、関西、福岡の空港から飛び発ち、ベトナム・ホーチミン空港で合流後プノンペンに入った。プノンペン空港はカンボジア国の玄関であるにもかかわらず、小ぢんまりとして、免税店でもローカルっぽいものを売っていたが、最近は訪れるたびに大きくなり、店に並ぶ商品も他国の免税品と変わらなくなってきた。市内の道路もほとんど舗装されてきて、混雑は相変わらずだが、自転車、バイク、シクロを押しのけるように自動車が走るようになってきた。
12日 プノンペン トゥールスレーン収容所とキリングフィールド
プノンペンでは、ポルポト派による虐殺現場であるトゥールスレーン収容所やキリングフィールドと呼ばれるチェンアイ村などを訪れたが、今なお生々しく残る拷問の跡や、犠牲になった人々の頭蓋骨や衣服には、何度訪れても胸がつまり、手を合わせずにはいられない。

トゥールスレーンは、かつては高校であったが、クメールルージュにより政治犯の収容所=拷問による強制自白の場と変えられ、最後にはキリングフィールドに連行されて虐殺されたのだ。犠牲者の数は150万人から250万人とも言われるが正確な数は今もって分からない。1979年1月解放されたとき収容所には6人の生存者が残されていたが、収容者の記録は2万人を超えていた。

どこまでも青く晴れ渡った空の下、キリングフィールドの慰霊塔には8,985の頭蓋骨が収められ、その周辺の土には今も人骨が野晒しにされている。その骨となった人たちにも家族があり生活があったのだ。

収容所で拷問の上虐殺された犠牲者

キリングフィールドでの犠牲者の頭蓋骨
13日 ステンミェンチャイのゴミ山 AAR職業訓練センター

ゴミを拾うサンリエンちゃん
プノンペン郊外にあるステン・ミェン・チャイは、昼とは思えない程どんよりと煙り、鼻をつく異臭に満ちていた。そこは首都のゴミ集積場。約4平方キロメートルの敷地に毎日200台ほどのトラックがあらゆるゴミを運び込む。トラックが着く度に、多くの人が群がり、ドーッと捨てられるゴミに殺到する。空き缶、ペットボトル、ビニールなど目指すものを分別収集して換金するのだ。数分いるだけで吐き気を催すような中で大人に混じってゴミを漁る子どもたちがいた。
サンリエンちゃん(7歳)、ダンロア君(9歳)、ソンティアちゃん(10歳の女の子)。彼らは、父親が毒蛇に咬まれて死亡して以降、学校にも行けなくなった。今では早朝からゴミに塗れて働き、1日に2,000リエル(約60円)を稼ぎながら、姉弟3人肩寄せ合って生きている。ソンティアちゃんの夢は勉強して学校の先生になることだという。塵と埃と自然発火の煙、そして纏わりつく無数の蠅、毎日ゴミ山で働きながらも子どもたちの瞳は未来に向かって輝いていた。
父親を亡くし、ゴミ山で働く三姉弟
視察後、ゴミ山の子供たちの健康管理や基礎教育、そしてきちんとした仕事に就くための職業技術習得のためのヘルスケアセンターを訪問。ソー・ソパラ校長の説明で、1997年から続いたドイツ人の支援が今年で切れるとのことで、ゴミ山の移転も含め今後の運営が課題だという。
CMCも1998年よりゴミ山を訪問し、その劣悪な状況の紹介とヘルスケアセンターへの支援をわずかながら実施してきたが、今回は三重県の五十鈴中学校の子供たちからの支援物資を手渡した。別れ際、校長とゴミ山の子供たちから、新聞のチラシなどで折った手作りの増加の花束を贈られ、心のこもった贈り物に心から感動した。

五十鈴中学校からの支援物資を手渡す

お礼に手作りの造花の花束を送られ感激
バッタンバンに向かうため、ホテルをチェックアウトした後、トンレサップ川に架かる「日本・カンボジア友好橋」を渡って AAR(難民を助ける会)職業訓練センターに向かった。難民を助ける会は、憲政の神様といわれた尾崎行雄氏の三女で現会長である相馬雪香さんの呼びかけによって結成された日本のNGO。現在、難民や障害者福祉の活動をアジア、アフリカを中心に展開している。CMCとは東京銀座で「地雷の風刺画」と「地雷ではなく花をください」の原画展を共催するなど、協力関係にある。

AAR職業訓練センター前で訓練生と
プノンペンの職業訓練センターでは、これまで548名の障害者の自立支援を行ってきたが、そのうち236名は地雷被害者である。現在は、家電製品の修理、オートバイ修理、裁縫などの訓練を実施している。障害により生きることが困難になった地雷被害者にとって、このセンターの存在意義はとても大きく、今後このような施設を増やしていくことが重要である。センターでは自立後も仕事の様子を確認するため3回訪問し、アフターケアに努めている。
カンボジアでの地雷撤去活動を1992年に開始したイギリスのNGO・MAG(マイン・アドバイザリー・グループ)のカンボジア本部事務所を表敬し、タイ国境パイリン市郊外の地雷原視察と現地でのドネーションを2月14日に行なうことなどを確認する。CMCはこれまで一貫してMAGをカウンターパートナーとして支援してきている。いよいよプノンペンを発ち、今も地雷被害の続くバッタンバンへと向かう。


Next


Copyright ©Cambodia Mines-Remove Campaign All Rights Reserved