カンボジア地雷撤去キャンペーン
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 タナルカイン村地雷原
(記録)由見裕也/大畑旭世/藤井涼子?/堀川ひろ子/杉浦雅子/里由謙一
早朝、MAGバッタンバン事務所を訪問。責任者のサリム氏よりMAGバッタンバン事務所の活動、訪問先地雷原についての説明を受けた。その後、メンバーが分乗した5台の四輪駆動車は縦に並びながら出発。砂埃を巻き上げながら、約2時間の悪路をパイリン特別市に向けひた走った。パイリン特別市・・・。そこはトゥールスレーン収容所、キリングフィールドなどで拷問・大虐殺を繰り返したポルポト派、クメール・ルージュの拠点である。

地雷原の内側で生活する家族
我々が訪れたのはタイ国境近くのパイリン特別市タナルカイン村というところである。タナルカインでは1979年から1978年まで、クメール・ルージュとベトナム政府が戦い、1978年から1996までは、クメール・ルージュと今の政府が戦った。1984年から1994年の戦闘は特に激しさを増し、住民は難民となってタイ国境に逃げ伸びた。そして1996年にようやく戦闘は終わりを迎えるが、村面積5840haの19%を地雷や不発弾に侵されてしまっていた。
2005年12月、村から依頼をうけたMAGは地雷撤去を開始。15ヶ所ある地雷原のうち、この時点ですでに8ヶ所の撤去を完了、53個の地雷と8個の不発弾を処理していた。村の全ての地雷撤去完了予定は2007年の3月31日である。
現在、村には505世帯3644人(うち34人は、地雷被害者。孤児3人。未亡人34人。)が住んでいる。またマラリアにかかっている者も多い。3世帯が地雷原内で生活しており、地雷のある場所から60メートルのところに家がある。地雷は、移動の時に自分を守るために敵が侵入しないように、また敵が水を求めて入らないように川沿いや池沿いに埋められているという。
村についての説明が終わり、今度は場所を変えて地雷撤去のデモンストレーションと地雷・不発弾の種類についての説明を受けた。デモンストレーションを担当したディマイナーのジョ・ニャウ氏は義足を着けていた。内戦時代、クメール・ルージュ兵として自身も戦闘に加わり、地雷も数え切れないほど埋めたが、その一方で彼自身も地雷を踏み片足を失ったのである。
タナルカインでは彼のほかに16名のディマイナーが働いており、うち2人は地雷被害者である。また12人はローカル地雷除去員として現地採用され、月収80ドルというカンボジア農村では高収入にあたる給与を得て仕事をしている。住民のほとんどが農業で生活していて、現金を得るためにタイへの出稼ぎが多い国境地域では、MAGのローカル地雷除去員は家族と暮らしながら高収入を得られるという大きなメリットを持つ。またMAGとしても、現地採用者を作ることで、ディマイナーの宿泊費、交通費などの経費節約になるというメリットがある。ローカル地雷除去員を雇用することは、双方にとって非常に大きなメリットがあるのだ。
いよいよ地雷原に入る。万が一の事故に対する責任が本人にあることを示す誓約書を書いたときは“ついにこれから本物の地雷原に入るんだ”と普通の人では入れない場所に入るという不安と、地雷が私たちの歩くすぐ下に埋まっているという緊張の気持ちがこみあげてきた。そしてディマイナーと同じ防護服を着て、いざ地雷原に入っていった。
防護服を身にまとった学生メンバー達

一列に並び地雷原を歩くツアーメンバー

地雷原。黄色い杭は地雷・不発弾が発見された場所である
この日見つかった地雷は6個。そのうち3個の地雷の爆破の瞬間を間近で見ることが出来た。笛の合図とともに爆破された。

(右写真) この日発見された2つの地雷。触れれば爆発する本物の地雷を前にツアーメンバーの緊張も極度に高まる

「バーンッ!!」という大きな音に驚かされ、胸に振動がきた。もし自分が地雷を踏んでしまったらと、想像したら怖くなった。しかしこの地雷の近くには3世帯が今も住んでいる。生活の中に地雷があるという不安はないのかと思う。

(右写真) 凄まじい地響きと轟音に、ツアーメンバーは身体を震わせ言葉を失った。

最後に日本の全ての支援者を代表して、CMC大谷代表がMAG現場責任者の方へ支援金を手渡した。
※ 撤去後の土地利用計画
  1. 家を建てる。計画では25世帯、126人分(女は72人)が決まっている。
  2. 農地、畑にする。
  3. 学校を建てる。政府援助で、5教室の学校を3ヶ所に。今は中学校までしか ないので42人いる高校生は遠くの町まで通っていたが、遠すぎて一人以外は 全員やめてしまった。それで高校を作る計画である。
  4. NGOによる池・道路の建設

遠隔操作によって、前方に取り付けられた鎖をものすごい勢いで回転させ、地面を削りながら前進する『BOZENA』
地雷原を後にし、我々は次の訪問地へ向け出発した。20分ほど四駆を走らせた地雷原ではMAGの別のチームが活動していた。無人地雷除去マシーン『BOZENA』のチームである。草刈装甲マシーン『テンペスト』と違い、『BOZENA』は草を刈る事に加えて地面を掘削しながら進む。対人地雷のみならず対戦車地雷の爆破にも耐えうる装甲をもつ『BOZENA』は、またテンペストよりも小型で軽いため、坂道やでこぼこ道、ジャングルに囲まれた細い道などにも小回りを利かして入っていくことができる。
しかしもちろん、手作業よりも確実性が低いというデメリットもある。そこでMAGは、地雷が数多くしかも確実に埋まっているとされる地帯ではディマイナーによる除去作業を行い、地雷は確認されていないが住民が不安視している地帯を『BOZENA』に任せるという方法を取っている。それによって従来よりも圧倒的に地雷撤去のスピードが上がったということだ。そしてそのことは、地雷被害の減少に大きな貢献をもたらす。


Vol.3


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