その時代を生き抜いた方の話によれば、ポル・ポト政権は「今から3時間後にアメリカがプノンペンに空爆するから都市部から離れろ、例え空爆がなくても3日間はプノンペンに近寄るな。」と嘘の情報を流し、無理やりプノンペンの無人化を実行したという。人々は住む場所が指定され、家族がばらばらに移住させられた。財産は全て取り上げられ、手元に残ったのは服2着とスプーン1個ぐらいであるという。また、人々は毎日ポル・ポト派の監視のもとで日の昇る間中ずっと労働を強いられ、食事は粗末なお粥1杯で十分な栄養が摂れずに病気になる人もたくさんいた。
当時、国内の学校は全て閉鎖された。その一つプノンペン市内に立つトゥールスレーン収容所は、元々高校の校舎であったが、ポルポト政権の時、市民が強制収容され、拷問、虐殺が繰り返された場所である。ここには記録にあるだけで約2万人が収容されたが、そのうち生還できたのはわずか7人である。その7人は例えばポル・ポトの彫刻をつくるなど、ポル・ポトに貢献した者達である。ポルポト政権は都市部に住んでいた人々を分散化しコミュニティの形成を批判し教育の撤廃・近代文明までも否定した。そのため、これからのカンボジアの発展に貢献できるはずの知識人(教師・技術者・僧・役人)もすべて殺されてしまった。