カンボジア地雷撤去キャンペーン
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エマージェンシーホスピタル
(記録)安東邦昭/佐々木康太/堀川ひろ子/山本豊/由見裕也/滝佳之/里吉謙一
ツアー7日目、バッタンバン最後の日2月18日の朝、私たちはイタリアに本部を置くNGOが設立、運営しているエマージェンシーホシピタルを訪ねた。
この病院の看板に「SURGICAL CENTRE FOR CIVILIAN WAR VICTIMS」とあるように、戦争による被害者支援を目的として設立された病院で、カンボジア以外にも世界各地で活動を行っている。CMCもエマージェンシーホスピタルに対しては長年資金援助を続けており、また昨年放送されたCMCのラジオ番組「VOICE OF HEART」では逆に病院側から大きな協力を頂くなど、カウンターパートナーとして相互に協力し合っている。
我々を迎えてくれたのは、プログラムコーディネーターのオグジェン・プレディア(Ognjen・Predja)さん。最初にここの病院の説明を受けた。それによると、病院は1997年に建設、1998年7月に開院された。現在イタリアのNGOによって運営されているが、ヨーロッパやアメリカ、日本等の国々の支援によって支えられている。バッタンバンに開設した理由は、この地方に地雷被害者が集中しており、現在も500万から1千万個と言われている地雷がまだ埋められており、その被害が後を絶たないからである。住民たちは、食糧を求めて、また炭焼き用の木材を伐採するためジャングルに入り地雷や不発弾に触れ、被害に会っている。毎年この病院には140人から170人の被害者の治療を行っている。しかし、最近は地雷被害者に止まらず、交通事故や病気による外科的治療を行っており、先天性も含めた障害者の整形手術も行っている。

この病院はカンボジア人スタッフによる治療と運営を原則としており、現在海外スタッフは外科医2人、看護士1人、コーディネーター1人の4人だけである。カンボジア人は外科医5人、看護士65人、他スタッフ80人位である。ベッド数は78床だが、患者が増加しており、近々90床の予定。被害者の家族も生活できるようになっている。さらに周辺の5つの郡に救急診療所を設置し、日本からの支援による2台の救急車も用意されている。来月には交通事故専用の救急車を導入する予定である。
政府との協力関係は年々良くなっている。治療分野を分担しており、NGOが運営するこの病院は外科専門、政府の病院は外科以外を治療することとしている。しかし、政府病院は有料で、地雷被害者が政府病院で治療を受ける場合は、土地や家を売らなければならないほど高額で、大きな負担となっている。NGOの病院は無料を原則としている。このような状態は、カンボジア国内では例外中の例外で、NGOの病院がない地域は政府や州立等の病院に頼らざるを得ないのが実情である。そのため遠方からNGOの病院を希望する被害者が多い。また市内には軍と州立病院が所有する救急車2台があるが、この救急車で搬送されると20ドル支払わなければならない。NGO所有の救急車搬送費は無料である。

このような事情から、カンボジアではNGOは、なくてはならない存在である。NGOはそれぞれの国や地域が、自立できるために活動をすることが負わされている使命であるが、その自立の目途が立つとNGOの使命は達成して、撤退する。しかし、カンボジアでは医療分野の技術移転はかなり進んでいるが、財政的な自立は現時点では不可能であり、かなりの時間が必要であろう。そのため世界からの支援は今後も必要であり、CMCのような持続的な草の根支援が大切である。また、この病院は他のNGOとの連携も見られる。例えば、国際赤十字(ICRC)との連携で被害者がこの病院での治療が終わった後、ICRCで義足製作、訓練などを受けられるようになっている。

(写真)
地雷により右足を奪われたボル・ビジト君(6才)。今年1月11日、家へ帰る途中の畑で地雷を踏んだという。被害の後、彼は母親に「僕の足を探してきて・・・」と言った。
説明を受けたあと、院内を見学した。

最初に訪れた所はチルドレン・クラスルームだった。ここでは被害に会った子供や、被害者の子供たちが勉強する場である。毎日10人位の子供たちが集まっている。しかし、初等教育が充分には普及しておらず、識字率は70%程度であり、文字の読み書き指導もしている。

次に案内されたのは病院正面入り口にある受付であった。一日平均15人程が訪れ、初診患者はまずシャワー室で洗身し、受付近くの診療室やレントゲン室等で受診し、入院が必要か、外来で済むかの判断をする。その奥には薬局や資材置き場の部屋、手術室、ICU等の施設がある。病院敷地の奥が病棟となっており、男女が別に収容されている。男性病棟は46床あるが、不足しているとのこと。女性病棟は子供も収容されており、これも不足している。

リハビリ室(PT)を案内されたが、ここを近いうちに小児病棟(25床)とし、PT室を現在新築中だった。今回は見学しなかったがOT用リハビリ室もあるとのこと。また、家族用の宿舎や食堂、洗濯室等々も見学することができた。
ここでは週1回大掃除をし、毎日の掃除も欠かさない。私たちが訪れた当日は大掃除の日だった。患者たちは陽の当たる廊下で過ごしていた。案内してくれたオグジェン・プレディアさん曰く、清潔にすることも大切な任務であると。ここエマージェンシーホシピタルも良く整理整頓され、清潔だった。前日訪れた軍第5病院とは雲泥の差である。この日が大掃除の日でなければ患者たちは病室におり、外からは患者を見ることは出来ないだろう。中庭は綺麗に整理され、熱帯の木々や草花が美しく、病院と言うイメージは沸かないだろう。それほどに美しい病院である。同じように国連や欧米系のアフリカ事務所や施設はきちんと整理整頓され、清潔だったことを思い出す。それに比べ、日本のNGOはあまりにも第一次的使命を優先し、周辺の環境的な側面にはまだまだ目が行き届かないといった感じだった。このようなことからも、日本のNGOはまだ発展途上にあると言ってよいだろう。

見学が済んだあと、ワイズメンズクラブ国際協会西日本区を代表して来られた安東さんとCMC大谷代表より支援金の贈呈が行われた。そして最後に、CMCよりプレディア氏へお礼の言葉を述べ、地雷被害者救済のため日本でより一層活動を拡大していくことを誓った。


Vol.3

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