カンボジア地雷撤去キャンペーン
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トゥールスレーン博物館 (S21収容所)
(記録) 羽田野勝利 / 阿部容子 / 金近知明

今回のツアー最初の訪問先は、プノンペン市内にあるトゥールスレーン収容所である。ここは元々中学、高校の校舎で、 1975 年から 1979 年までのポル・ポト政権時代に、市民を強制的に収容し、拷問・虐殺が行われた場所である。現在、収容所には独房や拷問に使われた道具、写真や絵画等、当時の様子を物語る資料が数多く置かれ、一般に公開されている。

ポル・ポト政権時、このような収容所はカンボジアの各地に作られ(多くは学校の校舎など、既存の施設が収容所として使われた)、多くの市民が犠牲になった。ポル・ポトの擁する民主カンボジア(クメール・ルージュ)は、アメリカの後押しを受けたロン・ノル政権を倒し、プノンペンを制圧した後、極端な共産化政策を国民に押し付けた。それは欧米などの近代文明を徹底的に否定し、農業による自給自足によって成立するような国家像を理想としていた。そのため都市で生活していた住民はみな農村部に移住させられ、労働を強いられ、教師やエンジニアなど、本来なら国の発展のために大きな貢献をできるはずだった人々も収容所に送られ、生爪剥ぎ、鎌での首切り、水責め、逆さ吊り(下に水瓶があり、その中には人糞が入れてある)などの拷問を受けた後、殺された。ポル・ポト政権時代、カンボジア全国にはこのような収容所が約170箇所作られ、当時の人口の半分である300万人ともいわれる罪なき人々が虐殺された。
キリングフィールド
(記録) 百瀬雄一郎 / 羽田野勝利 / 西森志保
クメール・ルージュによりトウールスレーンなどの収容所で監禁拷問後、この地に連行され処刑されて穴に埋められた人々。キリングフィールド、その名のとおり処刑場である。カンボジア国内でのその数は400箇所以上と言われている。

そこかしこに見られる黒い布。実はこれは人々が着ていた衣服であった。そしてその周囲をよくみると、未だに人骨を目にすることができる。我々の歩いたその足元にもおびただしい数の遺体が未だに埋まっている。

衣服の切れ端とともに見える人骨

赤ん坊はこの木に打ちつけられて殺された。
人を人と思わない残虐な行為がこの場で行われていたかと思うと我々は言葉を失った。

ここを訪れる以前に立ち寄ったトゥールスレーンでは、処刑されてしまった人々のおびただしい数の写真を目にした。そこでは写真であるということからか、なんとなく過去の出来事という感じで受け止めていた。しかしここ、キリングフィールドには今なお多くの遺体が掘り起こされることなく土の中に眠っている。それはそこかしこに見られる衣服の切れ端、人骨の一部分いまだにあることから理解することができる。そして、トゥールスレーンに飾ってあった写真、絵画とここに散らばる人骨を目にしたとき、カンボジアで起こった想像を絶する光景が完全に一つになった。あの写真の人たちがここにいる。そう思うと何も考えることができなくなってしまった。今はただここに眠る人達のご冥福を祈るとともに、世界のどこかで今なお行われている戦争が終結することを願わずにはいられない。



Vol.3


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