Cambodia Mines-remove Campaign 13th Study
Tour 感想
本山 由加里
私が今回のツアーに参加したのは、同じ地球上に生活をしていながら、わたしを含め少なからず私の知人、友人は地雷に関して無知な人間が多いと感じ、まずは自分から何かを始めたかったからだ。
その中でも私が重点を置いていたのは地雷の埋まっている国、カンボジアでの教育だ。毎日の生活が苦しい子どもたちがどのような想いを持って教育を受けているのか自分の目で見て感じたかった。どのような想いを彼らが抱いているのかを詳しく聞いたわけではないのではっきりしたことは言えない。しかし沢山の友だちと沢山のことを学んだり、遊んだり出来る学校が大好きだということは彼らの笑顔や机に向かう姿勢から感じられた。また彼らと触れ合う中でもっと支援が必要なのは人懐っこく私たちにもすぐに心開いてくれる彼らではなく、人を信じることを忘れている子ども、人に強い警戒心を抱く子どもにこそ教育をはじめとする様々な面での支援が必要に感じられた。
中学生のときから地雷に関心があり、しかし地雷原に自分が足を踏み入れることの出来る日が来るとは考えていなかった。その地雷原に向かいまず目にして衝撃だったのは当然のように地雷原に人々の生活があるということ。そしてその地雷を撤去するには並大抵の努力では務まらないこと。炎天下の中私たちは20分程度プロテクターをし、地雷原に向かった。ごく短い間だけでもとても暑く疲れる。それを1日中毎日根気強く行っている人もいる。撤去する人がいる、という事実は周知のことだが、その大変さを体感できた。最後にブリーフィングのときの印象に残った言葉がある。『私たちが目指しているのは、地雷ゼロではなく、地雷被害者ゼロである。』目指しているものに届く日を願いながら、私たちは地雷の悲惨さを訴えることを続けなければならないと強く感じた。
ゴミ山はそこを歩くだけで臭いが染み付くといった話等を予め聞いてそこへ向かった。ゴミ山ではそこの空気の汚さもあり、視界も悪い。衛生環境云々をはるかに超えた本当にゴミの山がそこにはあった。しかし地雷原同様そこには人々の暮らしがある。子どもたちも働いている。衝撃だった。しかし、その中に希望も沢山あった。子どもたちにインタビューすると多くの子どもが学校や病院の先生になりたいと、将来の夢をしっかり持っていた。数え切れないほどの課題は沢山あるが、希望も沢山あることを実感できた。
スタディーツアーを通して、何が当たり前で何が当たり前でないのか、それは住んでいる土地、環境で大きく異なり、全てを自分のものさしで決めるのは浅はかなことのように感じた。視野を広げる、広がるということを実感できたそんな10日間になった。
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