カンボジア地雷撤去キャンペーン
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カンボジアスタディツアー参加者感想
カンボジアスタディーツアーに参加しての感想         前柳拓之


私は、2009年の2月22日から3月3日の10日間にかけて、カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)というNGOが主催するスタディーツアーに参加した。スタディーツアーに参加したのは、途上国の現状を自分の目で見て、体験したかったからである。
私は、社会人として、東京で働いていた。自分が希望して選んだ仕事ではあったが、実際は自分が予想していた仕事と現実の仕事は違っていた。毎日、早朝から深夜まで働き、仕事に追われる日々。自分は何がしたいのか、自分はどのようにしたら幸せに生きられるのか、わからなくなっていた。「自分の幸せとはなんなんだ?」自分に常に問い続けていた。そんなあるとき、私はある本を手にした。野口嘉則氏の「鏡の法則」という本である。「今、起こっていることは自分の心を映したものである。」その内容に感銘した私は、彼の本を読み漁っていった。そして、彼が紹介している本にも手を伸ばしていき、高木善行氏の「オーケストラ指揮法」という本に出会った。彼の講演会にも参加した。こうして、自分に問い続けてきた答えが徐々に見え始めてきた。自分が幸せに生きることは、自分の周りの人が幸せに生きるということなんだということ。だから、人の幸せのために生きることで、自分の幸せを培っていきたいと思った。家族を大切にすること、彼女を大切にすること、友人を大切にすること、世の中の多くの人々を大切にすること。。。私は、法律事務所で働いていたので、法律を専門として、弁護士になり、人の幸せのために生きていきたいと思った。
ところが、世の中の多くの人が幸せに生きていくには、世社会にはさまざまな問題があった。戦争、貧困、南北問題、環境問題・・・数え出したら切りがない。特にこうした問題は、途上国で深刻である。こうした問題に自分は何ができるのか?頭で考えてはだめであった。いくら本で勉強しても、講演で話を聴いても、頭で考えていては机上の空論となるのが落ちである。現状を自分の目で見て、感じたことをもとに、自分は何ができるかを考え、実践していきたいと強く思った。そこで、特に途上国でも地雷の問題、貧困の問題を抱えているカンボジアの現状を勉強することができるCMCのスタディーツアーに参加することにした。
カンボジアの現状を知りたいと思ったことにはもうひとつの理由がある。それは、日本の法曹がJICAのプロジェクトで、カンボジアに法整備支援を行っていたからである。また、カンボジアの法曹養成のために日本の法曹が支援をしているからである。カンボジアでは日本の法曹の協力により、民法と民事訴訟法の草案が作成された。これから法曹なって、法曹として、途上国のできることがある。だからこそ、実際に支援が行われたカンボジアはどのような国でどのような問題を抱えているのかを自分の目で見たい。そう強く思ったのである。
実際に、カンボジアの現状を見て、私は、大きな衝撃を受けた。ポルポト時代に行われた虐殺。ごみ山で働く人たち。そのごみ山のそばのヘルスケアセンターで学ぶ子どもたち。地雷原での地雷の探索と処理。孤児院で一生懸命生きている子どもたち。電気もガスも水道もない地域の学校で勉強している子どもたちの真剣な眼差し。地雷被害者を支援している教会での子どもの笑顔。エイズに感染して苦しむ患者の顔。地雷被害で入院中の患者の話。地雷の被害にあいながらも、義足をはめて職業訓練を受ける人々。アンコール遺跡群のために国が地雷被害者などを強制的に一箇所に集めた村にある学校で生徒が元気遊ぶ姿。”I want to make my country safe for my people” という地雷除去のプロであるアキラの言葉。一の瀬泰造の無念な思い。日本にいたら、感じられなかったことをたくさん感じることができた。カンボジアの抱える問題は深刻であった。そのことに私は衝撃を受けた。
いかに日本が恵まれているか、それを感じざるを得なかった。日本では、何か問題があったら、基本的には、@個人で解決する、A地域社会で解決する、B国家が解決するという方法が考えられる。しかし、カンボジアでは、これらを期待することはできない。そのことにさらに衝撃を受けた。
まず、国家が国家の体をなしていない。国家はお金がない。税収といってもの主な産業もない。国家は公務員を賄うこともできないでいる。国家の教育を担う公立の教員は、給料が安いために教員以外の仕事をしなければ生活していけない。警察もそうである。そして、電気、ガス、水道も普及していない地域もある。国営の病院は、設備は整っておらず、NGOが経営している病院のほうが、設備が充実している。これでは、国家は国民の生命、安全も守れず、健康的な最低限の生活も保障できない。さらに、ポルポト時代にエリート層が虐殺されたために、国家をリードしていく層が足りない。
また、個々の国民は貧困のため、自分の家族の生活で精一杯で、他者のことまで考えることはできない。よって、地域社会で問題を解決するということや個人で問題を解決するという余裕がない。自分たちの家族の生活のためには、子どもは小さいころから働かなければならず、学校に行くこともままならない。生活苦のため子どもを売り、売春させられたり、人身売買される子どもがいるというのが現状である。路上には、物乞いがいたり、1jチルドレンが絶えない。
だから、カンボジアは、抱えている様々な問題を解決するために、海外からの支援に頼らざるを得ない。各国政府がカンボジアに支援をしているが、国家が国家の体をなしておらず、政府内で汚職も起こっているため、援助が必要なところへ援助が適切に行渡っていない。そこで、CMCなどのNGOが直接、援助の必要な地域に入り、直接支援している。
ただし、支援ばかりでは、カンボジアは自立にはつながらない。カンボジアが自立していかなければ、カンボジアは発展していかないのである。自立するためにどのように支援していくか。これが難しい課題である。
生まれた環境によって、こんなにも差があるのである。日本に生まれていたら当然の前提として享受できる、便利で安全で、豊かな環境が、カンボジアで生まれたために、カンボジアの人たちは享受できない。そして、個々人が問題に直面したとき、日本では、曲がりなりにも国家によるセイフティーネットで、それを解決することができるが、カンボジアではそれが期待できない。だからといって、貧困等によって、自己責任に任せることはできないし、地域社会に責任を押し付けることもできない。
こうしたことを自分の目で見て、衝撃を感じられたのがよかった。この衝撃を受けて、悲しさに打ちひしがれ、感情的になっている自分がいた。しかし、感情的になっていただけでは、問題は何も解決しない。この感情をやる気に変えて、私自身が行動していくことが問われているのである。現状を知り、感じることができた者の役目として。彼らのためにどのような支援が必要なのか、自分の専門を磨きながら、その専門の中で考えて、実践していきたい。
その際に、忘れてはいけない視点があるということを私は感じている。カンボジアの人々が、日本から比べれば、劣悪な環境の中であっても、彼らの心はとても温かく、私はその心の温かさに触れることができた。水道も整備されていない環境で、にごった水を飲みながら子どもたちは、万遍の笑顔を見せながら、元気に私たちと遊んでくれた。孤児院で生活する子どもたちは、自分が悲しい過去を抱えているにもかかわらず、素敵な踊りを見せてくれたし、一緒に踊り、最高の時間を提供してくれた。彼らの目はとても輝いていた。一度行ったマーケットでは、店員が、私の顔を覚えてくれて、親切にいろんなことを教えてくれた。私は、何か支援をしたいと思い、カンボジアへ行った。だが、実際には、カンボジアの人々の心の温かさに触れ、私が支援されていたのである。不思議である。物質的に恵まれている日本で、私は生活しておきながら、自分は心の温かさを忘れかけている。一方で、物質的に恵まれていないカンボジアの人々は、心の温かさを持ち、温かい生活を営んでいる。物質的な豊かさが、心の温かさに必ずしもつながらないのかもしれない。人の幸せを考える場合は、心の温かさをより重視すべきである。私たちがこれから行動して、実践いくときに、忘れてはいけない視点はこの視点である。彼らの心をより温かくするために、生活を物質的に豊かにする支援は必要である。しかし、心の温かさという視点を欠いた物質的に豊かにするだけの支援は、カンボジアの人々のためにならないのではないだろうか。
きっと、「支援する、支援される」という関係ではなくて、私がカンボジアの人々から支援されたように、お互いに対等な関係で学び合う関係が理想的なのかもしれない。
以上のことを私はこのスタディーツアーで学び、これからに生かしていきたいと思っている。とにもかくにも、こうした経験をさせていただいた、CMCの大谷代表をはじめてとしてのスタッフの皆様、関係者の皆様、ツアーに一緒に参加してくださった皆様、そして、カンボジアの皆様に、心から感謝を申し上げたい。オークンチュラン!



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