カンボジア地雷撤去キャンペーン
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 3月1日(日) Sunrise孤児院訪問・アキラ地雷博物館訪問・一の瀬泰造終焉の地訪問
Sunrise孤児院
 サンライズ孤児院(SUNRISE Children’s
Village) 。オーストラリア支援の孤児院 現在54名の子どもたちが入所。0歳から18歳まで。 スタッフ20名。 2年前に2008年4月に私が孤児院を訪れた時とは様変わりしていて驚いた。 まずパスポートのコピーをとられたこと。 注意事項を提示された。 @子どもたちに触れてはいけない。 A子どもたちの写真をとってはいけない。
 2年前は、子どもたちが生活している部屋まで招きいれてくれ、その部屋で折り紙など文化交流できた事が信じられないほど、現在は閉じられた施設となっていた。 コピーをとりサインをさせて、おきながら施設のを案内しない孤児院。就学前の子どもたちが 私たちの訪問を喜び、私たちと遊びたいばかりで飛びついてくる姿が何とも切なく、こころの重荷を感じてその施設をあとにした。 
 
 支援している国:  オーストラリア、カナダ、中国、シンガポールなど。
アキラ地雷博物館
 カナダのNGOが運営するカンボジア地雷博物館は、もともと館長のアキラが自宅で彼自身が撤去した地雷を展示し始めたところから始まったそうだ。 今はカナダのNGOによってその自宅から移設され博物館単体として存在している。    
  博物館の中に自宅で地雷を展示していた当時の写真も飾られていたが、 現在の博物館とは驚くほど違う。当時は地雷は床に無造作に置いてあるし、不発弾の上に座る子どもたちの写真もある。入場料はなく、ドネーション箱が置いて あるだけだったそうだ。
 それでもカンボジアの国内にはまだまだ数多くの地雷が埋まっていてアキラは今も地雷撤去のため走り続けているそうだ。私は彼に敬意を表し地雷博物館を後にした。CMCの大谷代表はアキラ氏との付き合いが長く、8年前から支援を続けているという。    カンボジアで最もよく見つけられる地雷PM2
一ノ瀬泰造終焉の地
 一ノ瀬泰造は、佐賀県武雄市に清二・信子の長男として生まれた。高校時代は野球部で甲子園に出場し、物理部部長として写真部門にて活躍した。その後日本大学芸術学部写真学科に入学。卒業後は通信社や横田基地で働いた後に、バングラディシュ、インドに向かい、カンボジアに入国するに至る。
一ノ瀬泰造は以前に東南アジアを旅しているときに、どこかのゲストハウスに「地雷を踏んだらさそうなら」という本を読んではじめて存在を知った。バスが入らない小さな道をとぼとぼと随分と歩いて、川を渡ったところに泰造の墓があった。こんなところで殺されたのか?と、のどかな風景を眺めながら歩いた。泰造は何度も捕まったが、その度に解放されたが、最後はポルポト派の手によって殺されてしまった。
 一ノ瀬泰造の終焉の地に向かうバスの中で、大谷代表の説明で、泰造は死んでから両親の力によって世の中に知られるようになった、と聞いた。戦争写真家というとピューリッツァー賞を受賞した澤田教一が有名だが、泰造の写真は子供のものが多かったそうだ。「地雷を踏んだらさようなら」はお母さんが彼の日記をまとめたものだったのだ。泰造の父も戦争写真家であって、泰造が送ったネガを焼きまわして両親が現像したのだそうだ。
 泰造が殺されて埋められた、という噂の場所を内戦を終えてカンボジアを訪れた両親が、そこを掘り返し遺骨を掘り出し、近くの川で洗ったとのこと。
 ツアー参加者で、泰造の冥福を祈った。


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