アキラ地雷博物館 |
(記録)
中島久美子 /
金近知明
/ 佐伯恵美 |
高級ホテルが立ち並ぶシェムリアップの観光地から少し外れた村の中に、アキラの地雷博物館はある。ここは、アキラ(名前は日本人のようだが、カンボジア人)という個人で地雷撤去を行っている人物が、地雷の被害にあった子供や孤児と一緒に暮らしながら、 「カンボジアの地雷問題」について多くの人に理解してもらうため、彼が分解処理した地雷や不発弾を観光客に展示しているところである。
館長のアキラ氏は、カンボジアの波乱の時代(内戦)に翻弄された一人だ。今なお、自分の正確な年齢すら知らない彼は5歳にして両親を失いそれ以降、さまざまな軍の少年兵として生き抜いてきた。銃の使い方、地雷の設置方法、爆弾の作り方なども子供の頃から覚え、たった10歳にして自分の銃を与えられてしまった程だ。しかし内戦が終わり、国に平和が戻った時、続出し続ける地雷被害者の為に無償で撤去作業を開始したのだ。施設内には、彼が撤去してきた何万個にも及ぶ地雷があちこちにあり、ここを訪れる観光客の為に、手作りの資料や独自の撤去作業方法など事細かに記したものも展示してある。
戦争中、彼自身多くの地雷を埋めたそうで今はその罪滅ぼしもかねて、村人からの要請をうけると地雷や不発弾の撤去を行っている。彼の地雷撤去の腕は正に天才と言えるもので、 NGO のように金属探知機は使わず、ほとんど勘のようなもので地雷を見つけ出し、撤去してしまうそうだ。また彼は地雷を爆破させることなく分解してしまう。これは、地雷が無くなったあとの土地利用のことを考えると、土地を荒廃させることがないそうだ。
地雷によって手足や目を奪われた子供たちはその心に深い傷を持っているはずだが、この博物館ではいつも明るい笑顔でいる。欧米から来たバックパッカーから英語を教わったり、楽器の演奏をしたり(ここでは毎日夕方子供たちによるコンサートショーがある)と学校から帰ってきても忙しい。その忙しさが充実感となり彼らの笑顔を作っているのだろうか。そして、そんな子供たちをやさしく見守るアキラはまさしく彼らの父であった。 |
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