カンボジア地雷撤去キャンペーン
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感想文 第15次スタディツアーを終えて
早稲田大学 社会科学部2年
近藤祐弓(こんどうまさみ)
 『地雷ではなく花をください』
私は小学校低学年のころに読んだこの絵本がきっかけで地雷問題に興味を持ち、以来カンボジアに行くことをずっと目標にしていた。10日間という短い期間だったが多くの貴重な経験をすることができ、非常に有意義なツアーであったと思う。

 プノンペンで訪れたトゥールスレン収容所とキリングフィールドでは、同じ人間が行ったことだとは信じ難い現実を目の当たりにして、思わず足がすくんでしまった。鼓動が速くなっているのが自分でも分かるほどに衝撃的だった。生存者のひとりであるCHUM MEYさんから聞いた拷問についての壮絶なお話は、想像ができないほどにひどく、これがつい30年前に起こった出来事だとは到底思えなかったというのが正直なところである。今現在は平和で落ち着いていて人々の表情も豊かに見えたプノンペンだが、実際は心に大きな傷を抱えており、それを乗り越えようとしながら生きているのだということを知る機会となった。

クメール・ルージュ統治下での出来事について学んだ後、地雷・不発弾に関する施設・場所をいくつも訪れた。CMACのオフィスを訪れた際には、つい1週間程前に起こったタイとの国境紛争で使われたというクラスター爆弾が展示されていた。日本の報道からだけでは伝わってこない「紛争」の残酷さを目の前にしたような気がして言葉が出なかった。MAGの地雷原では雨天のために爆破作業の視察はできなかったのだが、義足をつけながらもディマイナーとして働いている女性に会い、お話を聞くことができた。彼女が事故に遭ったのは21歳のときで、3年後には夫に捨てられたのだという。今は11人家族を支える存在であり、やはり自分の人生を大きく歪曲させた地雷は憎き存在であると言っていた。現在21歳でこれから先のことに夢を馳せている私にとっては、彼女の言葉はひどく心に響き、自分が生きている環境に感謝をしなければならないと感じたのと同時に、このような苦しみに遭う人を一秒でも早くなくしたいと思った。バッタンバンにあるイタリアのNGO・EMERGENCYでは、最近1カ月の間に事故に遭い入院しているふたりの男性に会った。ふたりに共通していたのは、事故以前も通常の生活を送っていた範囲内での事故であったということ。このようなケースは非常に頻繁にあり、カンボジアに住む人々が常に危険と隣り合わせで生きているのだということを再認識することになった。

様々な場所を訪れたのだが、そのなかでもやはり実際に見つかった地雷と、爆破作業を見学したことは最も印象に残っている。バンテアイミエンチェイのCMCの地雷原にて、プロテクターを装着し地雷原に入ることができた。左手には実際に金属探知機で作業をしている隊員がいる一方、右手には養鶏場・養豚場の経営者家族であろう少年が当たり前のように生活をしている。万が一の場合の二次被害を避けるために、ディマイナー・機械からは半径25メートルの距離を取らなければならないということだったのだが、その範囲内に人が生活しているのだ。こんな状況がありえるのかと目を疑ってしまった。近くには今朝発見されたという対人地雷がふたつもあり、いかに危険な場所に今自分が足を踏み入れているのかということも実感した。地雷原視察後には、前日までに除去された10個の対人地雷の爆破作業を見学し、私はデジタルカメラで動画を撮影していたのだが、爆破の瞬間のものすごい爆音と風圧に驚いて、手が震えてしまった。まさに「悪魔の兵器」だということが身にしみて分かった。

実質8日間という短い時間にこれだけ多くの貴重な経験ができることは、滅多にない機会だろう。参加させていただけたこと、また一緒にこの機会を共有させていただいた方々にも非常に感謝をしている。特に現地駐在員の明さん・田中さんには多くのことを教えていただき、生き生きとしているその姿を見ていると、私も将来こんなふうに仕事がしたいと強く思った。私は現在一学生でしかなくまだまだ知識も経験も不足しているが、今回のこのツアーを契機として今後の学習に必ず生かし、将来自身が働く場でも生かしていこうと考えている。



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