カンボジア地雷撤去キャンペーン
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感想文 第15回 CMC<カンボジア地雷撤去キャンペーン>
スタディーツアーに参加して
日生学園第三高等学校 3年 石原友真
1日目
福岡空港に集合し、その後、大韓航空機で、韓国仁川(インチョン)空港に到着。そこから、乗り継いで現地時間10時40分にカンボジアの首都プノンペンに到着しました。そのあと、バス内で、今後の予定を話し合い、ホテルに到着しました。

2日目(プノンペン)
朝食後、トゥールスレーン収容所に行きました。そこで、ツアーのガイドのチュンマイさんに説明を受けました。広島の原爆も残虐ですが、カンボジアでは、ポルポト派により170万人が虐殺されたということで、悲惨な戦争の歴史を学びました。
 その後、キリングフィールドに行き、多くの人が殺害され、そのまま埋められたと聞きました。一つの小さな穴から、最大で、198人もの骨が見つかっており、残虐さをあらためて知ることができました。
 昼食後、クメール・ルージュの特別法廷に行き、そこで今行われている戦争裁判を傍聴しました。そこで、早くカンボジアの平和が実現することを願いました。そして、プノンペンからバッタンバンへ移動しました。

3日目(バッタンバン)
 CMACの事務所に行きました。年間どのくらいの数の地雷が、爆破処理されているか、何人くらいの人が地雷や不発弾の被害にあっているか、カンボジアには何個くらい地雷が埋まっているのかなどを学習しました。年間の被害者は258人に上り、今地面に埋められている地雷の数は、400万から600万個といわれています。爆破処理される地雷の数は、年々すすんでおり現在までに約100万個の地雷が処理されているということです。
 日本からは、日立などの企業が、除去機械を無償で提供するなどの支援をおこなっています。日本人にとっては、こういう国際的なボランティアにむけて、まず、募金活動など小さなことを国内からはじめていくことが必要だと思いました。つぎに、CMACトレーニングセンターという施設で地雷犬の訓練風景を見学しました。地雷犬は北欧から輸入された犬で、わずかな火薬のにおいにも反応するように調教されています。現在は、CMACの事務所では16頭が飼育されて、将来の活躍を目指しています。カンボジア地雷撤去キャンペーンでは、日本からの募金を、こういった施設にドネーション(直接手渡すこと)を行っています。
 
4日目(バッタンバン)
 郊外にあるMAGのオフィスでブリーフィングを行いました。地雷原についての基礎的な知識を教えてもらいました。それから、実際にMAGの地雷原に行きました。そこで、名前と血液型を書いて、地雷の被害にあった際の責任は自分にあるという契約書にサインをしました。ですが、いきなりのスコールで地雷撤去チームもそれ以上の作業は危険だという判断で、地雷原に入ることはできませんでした。私は、こういう密林に多くの地雷がまだ眠っていると思うと、恐ろしい兵器だなと思いました。その後ドネーションをし、昼食は、地雷原のテントでとりました。そこからホテルに戻り、このツアー内で友達になった浜田君という大学生とマーケットに買い物に行きました。そこでは、万が一のための飲料水を買いました。
その後、ホテルから、ホームランド孤児院を視察しました。そこでは、地雷の被害に両親があい、教育が受けられなくなった子どもや、地雷の被害で親がなくなった子どもたちが生活しています。下は3歳から、上は17歳まで52人がいます。そこで、子どもたちと交流し、私は、パントマイムなどをして、子どもたちを楽しませました。子どもたちは大変喜んでくれたので、うれしかったです。夕食は孤児院でご馳走になりました。そこで、子どもたちが、民俗舞踊や、楽器演奏を披露してくれました。やはり、子どもたちを見るときは子どもたちに目線を合わせるのが基本ですが、子どもたちの心にも目線を合わせることが必要だと思いました。言葉は違いますが、心で会話したので、子どもたちが伝えたい気持ちが大いにわかりました。日本から来てくれてありがとうという気持ちが、自分から積極的に接していくことで、感じ取れました。
 
5日目(ホップイ)
 バッタンバンから、道なき道を四輪駆動車で2時間半かけて移動。車酔いしそうになりました。CMCホップイ安倍小学校を訪問しました。この小学校はCMCが募金活動で一番最初に立てた小学校ということもあり、とても歴史のある小学校でした。福井県の住職だった安倍さんがくださったお金でたちました。CMCの大谷代表が小学校が建ったという報告をした翌日、安倍さんは亡くなられたそうです。その敬意をたたえ、「安倍小学校」と名づけられたそうです。そこでも、子どもたちと交流しました。昼食後、バッタンバンにもどり、エマージャンシーホスピタルという、オランダが建てた施設(病院)を見学しました。そこでは、1年ごとに院長が交代しており、現在はスイス人の院長さんです。その方の案内で、最近地雷の被害や不発弾の被害にあった二人の方からお話を聞くことができました。一人は、トラクターで作業中に対戦車地雷の被害にあった人で、奇跡的に一命をとりとめ、右手の指と右足を切断しました。その方は、もともとカジノのディーラーだったこともあり、早く義手や義足をつけて、仕事に復帰したいと話されていました。このように、実際に被害者にお会いしたことで、現在も続いている小さな戦争を実感しました。もう一人は、草刈の途中に不発弾の被害にあい左手と左の顔半分がなくなりました。その方は農業者で、早く仕事に復帰し、兄弟や家族を支えたいと願っていました。ここでは、こういった被害にあわれた人を無償で治療する活動をしています。ここでもCMCが集めた日本からの支援金をドネーションしました。
6日目
 バッタンバンからバンテアイミェンチェイに移動しました。移動手段はまた、四輪駆動車です。ですが、今回は最近舗装された国道があり、乗り心地はよかったです。
途中、シソポンと言うところで、ひまわり会というCMCの関連団体と合流しました。その方々とCMCが三番目に建てたトゥールポンロー中学校の開校式に参加しました。そこでは、子どもたちが国歌を斉唱した後村長の挨拶やCMACのバンテアイミェンチェイチームのリーダーから挨拶がありました。リーダーは、「私たちのチームが撤去した不発弾や地雷の数は200個以上でしたが、全て、爆破処理し、安全で勉学に励むことができますよ」と語っていました。ここでは、1時間ほど滞在し、子どもたちとサッカーをしました。子どもたちは126人ここで勉強することができるようになります。カンボジアの中学校への進学率は、農作業の手伝いを子どもたちにもさせていることから28パーセントしかないと教えてもらい、日本では義務教育化されている中であたりまえにすごしているけれど、カンボジアのことをわかってもらいたいと思いました。
 つぎにバンテアイミェンチェイ郊外にあるCMACが管轄する地雷原を訪問しました。そこでもMAGと同様の書類にサインしました。そこでは天候に恵まれ、大変蒸し暑い中、地雷原に入りました。すると、地雷撤去したところは鶏舎や養豚場があり、普通に生活している人たちがいました。その方々が住んでいる場所から100メートルほどすすむと地中から地雷が発見され、後々CMACが安全に爆破処理するという説明を聞きました。地雷原を見学した後CMACの方から今回見つかった不発弾8発を爆破処理すると言うことを聞き、せっかくの機会なので、爆破処理をさせてもらえることになりました。爆破の方法はいたってシンプルで、導火線につながれたレバーをまわすだけでした。カウントダウンの合図でまわしました。すると、先に煙があがったのが見え、音が後から聞こえました。危険な兵器であるということが目の前でわかりました。

7日目
 CMCが2番目に建てた、シュムリアップ郊外にあるコーントライ夢中学校を訪れました。そこでは、最初に子どもたちの授業の様子を見学しました。1年生は英語、2年生は歴史、3年生は生物学をやっていました。私は中学校のときは理科で統一だったのにカンボジアでは分野ごとにわける、日本で言うと高校みたいな方式にびっくりしました。授業後子どもたちと交流をする際、ひまわり会の皆さんが持ってきた日本の中学生からの手紙を子どもたちに渡していました。遊び道具として、飛行機やメンコやサッカーボールを寄付していました。私は、飛行機やメンコの遊び方を1年生たちに教えました。遊ぼうと思ったら、またしてもスコールが降ってきたので 得意のパントマイムで子どもたちを喜ばせました。2時間の交流もあっという間に過ぎて子どもたちが「ありがとう」という意味の「オークン」と言って別れを告げました。子どもたちと交流した後、シュムリアップに向かいました。シュムリアップ到着後、時間があったので家族や友達のためのお土産を買いました。

8日目
朝から腹具合が悪くなりました。現地スタッフの田中さんの案内で、シュムリアップ内にある、アンコールインターナショナルホスピタルに行きました。そこで、検査入院で一泊したんですが、実際の今日の予定は、アンコールワットの見学だったので、正直言って、いけないのが大変残念でした。もし、またカンボジアに行ったら、プノンペンももちろんですが、アンコールワットに行きたいと思いました。

9日目
夕食まで私は休養をとり、病院に入院していました。正直退屈で、唯一の励みとなったのが友達とのEメールでした。病院内にパソコンがあったので、YAHOO経由でメールをやり取りしました。そこで、友達と言うのは大切な存在だな、とあらためて思いました。
 夕食を食べた後、シュムリアップ空港からインチョンに向かう飛行機に乗りました。空港で最後の集合写真を撮ったのが、一番の思い出です。

10日目
 2時間も飛行機を待って、8時5分から、福岡に向かう始発便に乗りました。そして、9時20分に、福岡に到着しました。そこで、浜田君とお別れをしました。福岡空港からタクシーに乗り、11時発ののぞみに乗ってひろしまに帰りました。

 日本を離れて海外に行ったのは、修学旅行以来2度目になりますが、今回は、発展を続ける中国などの大国の裏で、カンボジアという国があることを知り、いまだに小さな戦争が続いている事を知って、あらためて本当の平和の意味と、命の大切さを学びました。今回私は、学校の特別なご理解と応援の下参加することができましたが、それによって、国際支援ボランティアがあることを知りました。世界各国の人が国籍を超えて、カンボジアの平和のために活躍をしておられました。ボランティアと言うものは小さなものからあります。その小さなものを積み上げていって、自分の目標とする将来を作り上げて行ってください。最後になりましたが、こういった世界を知って、私の目標はさらに大きくなりました。できたらカウンセラーとして、将来を担う子どもたちの力になりたいということです。


追伸
日生学園第三高等学校に、感謝します。
この、ツアー参加のため、卒業式に参加できなかった私ですが、3月5日、特別な卒業証書授与式として、私の高校生活三年間の締めくくりとしての儀式を執り行っていただきました。少人数でしたが、参加してくださったどの先生方も式にふさわしい態度でのぞまれ厳粛な中で卒業証書をいただくことができました。

私が感動したのは、その後、校長先生に特別にカンボジア旅行の報告を聞いていただいたことです。
私が、参加できなかった卒業式で、校長先生が、この場にいない私のことにも触れてくださりカンボジアに行っているということを言ってくださったことを知り、大変感動しました。

日生学園第三高等学校の先生方に、
また、後輩たちに、
私の経験が生かされること、つながっていくことで、平和に関心を持つ人が広がることを祈っています。



支援金受付  三菱東京UFJ銀行福岡支店 普通 1567008
 郵便振替 01770‐0‐38559
 口座名  カンボジア地雷撤去キャンペーン


 
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