カンボジア地雷撤去キャンペーン
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カンボジアスタディツアー参加者感想
カンボジアの光と影                       山田 勝己


 「あたりまえ」のことが「あたりまえでなく」、「あたりまえでない」ことが「あたりまえ」…いったい”normal”って何だろう…いったい「幸せ」って何だろう…10日間のスタディツアーで私が直面した最大の疑問である。

 私は高等学校の教員として国際理解教育に携わってきた。元々の理由は単純で、「英語が嫌い」「英語なんか学ぶ必要がない」と言う生徒が大多数を占めるという壁にぶち当たり、「なぜ英語を学ぶことが必要なのか」を気付かせることで学ぶ意欲を高めて貰いたいという思いがあって取り組み始めたのだった。生徒たちは英語は好きではないが、地球上で起こっている戦争や貧困、環境破壊の問題が人類の明日をいかに危うくしているかという点に関しては本当に真剣で純粋な眼差しで考えてくれるからだ。地球の未来が明るくなるために、世界中の人々がお互いの違いをしっかりとrespectし合い、しっかりとcommunicateし合う手段として、世界共通語である英語がいかに有効かに気付いてくれれば、自分に学校に通えるチャンスがあり、英語を学ぶ環境があるがいかに幸せかわかってくれるだろう。いささか遠回りな英語教育法である。
 国際理解教育の主軸である「平和」と「人権」への関心は、従軍慰安婦問題に始まり、イラクの劣化ウラン弾による小児ガンの問題にいたるまで、生徒と共に取り組む中で、私自身の中でもますまず高まり、私自身もJICAの国際理解開発教育指導者研修にて研鑽を重ねることになった。しかしながら、私自身が自分の眼で世界の“現実”を見ることができていないことが悔しくてならなかった。CMCを知ったのは生徒のおかげである。2001年度のクラスの生徒たちが地雷問題に取り組みたいと訴え、銀座で開催されていたCMC主催の地雷の風刺画展に生徒と一緒に行ったのが最初の出会いである。CMCが主催するスタディツアーに心惹かれるものはあったが、この時期に教員が10日間海外に行くことはなかなか難しく、ずっともどかしい思いを拭い切れないでいた。そういう意味では満を持してのCMCスタディツアー参加となった。
 
 CMCツアーは私の心に激震を与え続けた。
トゥールスレン収容所とキリングフィールドでは、200万人を超える知識人がポルポト派に大量殺戮された生々しい現場を見た。生々しい遺体の写真、沈黙して語らない頭蓋骨、いまだに遺骨が散乱する野原…。当時のポルポト派兵士にとって、知識人を拷問して虐殺することは「破壊」という名の“正義”であった。
 ゴミ山で働く子どもたちにとって、ダイオキシンが充満し、無数の小蝿が飛び交い、私が今まで経験したことのない臭いのする、東京ドーム2個分のゴミ山が彼らの生活圏であり、1日中ゴミを拾い集めることが彼らの日常であった。
 地雷原では、じっとしていても汗がにじんでくる猛暑の中、重いプロテクターを見に纏い、半日も地雷原で撤去作業に取り組むディマイナーの姿があった。地雷が撤去され安全だと確認された場所を歩くのすら緊張した私だが、地雷原の中に民家が点在し、地雷被害の危険性よりも、毎日をそこで暮らさなければ生きていけないという現実があった。
 エイズに関する教育・知識不足からHIV感染者が増大しつつも、決して衛生的とは言えないエイズ病棟で
なすすべもなくベッドに横たわる人たちがいた。
 農作業中に地雷被害に遭って足を失いながらも、家族に一人は地雷被害者がいるのがあたりまえのことで、たいしたことのない普通のことだと言ってのける人がいた。
 世界に誇るアンコール遺跡群のある街に地雷被害者がいては体面が悪いと、半強制的に移転を命じられ「障害者の村」と差別された人たちが暮らすモンドルバイ村があった。
 CMCをはじめとするNGOの協力で建設された学校の子どもたち…教科書を持っていない子、12歳なのに小学校1年生の子がいた。そして、家庭の労働力であるため学校に通うことを親に認めてもらえず、教室の窓から羨ましそうに授業風景を眺める子がいた。
 観光地には必ずといっていいほど、one dollar childrenがいて、「one dollar, one dollar!」と手を差し出しながら悲しそうな瞳で追いかけてきた。
 シェムリアップは世界遺産があるため、観光の街として急速に発展を遂げているが、その発展の裏には影の部分がある。ホテルなどの施設を建設するために貧民が土地を奪われていく。私たちが滞在したタプロームホテルのバルコニーから川の対岸に貧民街が見えた。シェムリアップ川にかかる橋の上に立つと、西側が先進国、東側が途上国であるかのような錯覚を覚えた。

 カンボジアの闇は深い。ポルポトが200万人もの知識人を虐殺した結果、30年経った今でもカンボジアは国が国としての体をなしていない。その闇は子どもたちを含む若年層にまともに影響を及ぼし、ライフラインもインフラも海外からの支援に頼らざるを得ない状況に置かれている。日本に生まれたらあたりまえのように享受できることが、カンボジアに生まれたために享受できない。「日本のあたりまえ」「先進国のあたりまえ」は通用しない…私たちにとって「あたりまえではないこと」が「あたりまえ」なのだ。

 CMCツアーでの収穫は悲惨な現実について学べたことだけではない…私はカンボジアの光明を子どもたちの笑顔とカンボジアの人たちの心の温かさに見つけ出すことができた。

 あまりの悲惨さに心がつぶれそうになったキリングフィールドでは、子どもたちが元気に”Hello !”と声を掛けてくれた。ゴミの山で働く子どもたちは一生懸命ゴミ拾いしながらも、カメラを向けると飛び切りの笑顔で微笑んでくれた。訪問したヘルスケアセンターや小学校・中学校の子どもたちは、目をキラキラさせながら抱きついてきてくれたり、ちょっかいを掛けに来てくれた。鉛筆をプレゼントするとき、子どもたちは本当に丁寧に「オークンチュラウン」と手を合わせてから受け取ってくれた。バッタンバンのホテルの前で、トゥクトゥクの運転手が私と会うたびに「アジノモト〜!」と声を掛けてきてくれた。孤児院では素敵な踊りを披露してくれ、「これ私が作ったカバン」と愛くるしい笑顔で恥ずかしそうに見せてくれた。ワットプノンサンポーの登山では汗だくの私をずっと団扇であおいでくれた少年がいた。カトリック教会で出会った地雷被害者のラタナックくんは明るい表情で日本語で「ありがとう」と言い、「大きくなったら先生になりたい」と夢を語った。
シェムリアップのホテルの対岸の村では、貧しい環境にもめげず笑顔で家事に励む人々の姿があった。ガイドのピセットは英語も日本語もまだ2〜3年しか学習していないと言っていたが、カンボジア人の語学のpotentialの高さには驚きだ。そう言えば、マーケットの売り子の人たちもいろんな国の言葉を少しずつ覚えているみたいだった。

 カンボジアはたしかに国の体制がしっかりしていないため、教育も医療も立ち遅れており、完全に海外からの支援に頼っている。しかしながら、カンボジアの人々の心は温かく、子どもたちが教室で学ぶ姿勢は日本の子どもよりもずっと真剣で、明るく前向きに毎日を暮らしている。物質的には貧しいけれど、カンボジアの人々の笑顔に触れるたびに、心の豊かさは日本人をはるかに凌いでいるなと感じた。

 私はこれから日本で心にトラウマを負った子どもたちのために働く。その一方で、カンボジアの子どもたちが自立できるための支援をしていきたいと考えている。そのためには、カンボジアで私が体感した事実をできるだけ多くの人に伝え、一人でも多くの日本人にカンボジアという国が直面している現状を知ってもらい、「あたりまえ」って何なのか、「普通」って何なのか、本当の「豊かさ」って何なのか、を考えるきっかけ作りに貢献していきたい。その先に、日本の子どもとカンボジアの子どものinteractiveな交流ができれば理想だ。

 今後は、一人の地球人として、未来の地球を担う子どもたちが幸せな方向に向かうための活動を私自身のベクトルとし、CMCスタディツアーが私に教えてくれたことを最大限に活かしていきたいと思う。

                                      Awkunh ch'ran!




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