活動予定

野球

6月25日(火)

今回は通常業務の話題から離れ,カンボジアの野球について書きます。日曜日,コンポントム州にある野球場(国道6号線沿い)に行ってきました。ここはカンボジアのナショナルチームが使用している球場で,私も数か月に1度,日本人チームのメンバーとして訪れてナショナルチームと交流試合をしています。今回は試合のためではなく,個人的に体を動かすために一人でふらっと訪れたのでした。

もっと近ければ毎週でも訪れるのですが,バッタンバンからはかなり遠いためなかなか来ることができないのが辛いところです。プノンペンには野球をする日本人や韓国人がいますし,聞くところによると最近では極々少数ですがカンボジア人の大学生(プノンペン)も野球をするようになってきているようです。しかし,如何せんカンボジアの野球認知度は低く,野球をする環境が非常に乏しいのが現状で(ましてバッタンバンは皆無),バッタンバンで生活する人(野球人)にとって出来ることと言えば,走り込みとバットの素振りくらい(バットは日本から持参)。最近では石造りのベンチを相手に軟式ボールでキャッチボールをする(ベンチにボールを当てて跳ね返ったボールを取る)ことがもっぱら楽しみとなっています。これがけっこういい練習になるんです。道行く人々からは奇異な目で見られますが・・・。

ナショナルチームは平日が練習日で,日曜日は休みになります。そこで,日曜日には地元の中学生,高校生が球場にやってきて野球の練習をしているようです。道具はナショナルチームのものを借りられるので,彼らにとっては(バッタンバンに住む私よりはるかに)恵まれた環境にいると言えます。練習にはナショナルチームから数名がコーチとして参加し,準備運動を始め守備やバッティングなどを指導していました。私もノックを受けさせてもらいました(そもそもノックを受けることがここに来た一番の目的)。

準備運動の様子。ナショナルチームが普段の練習で行っている準備運動と同じことをしています。

準備運動の様子。ナショナルチームが普段の練習で行っている準備運動と同じことをしています。

キャッチボール1。

キャッチボール1。

キャッチボール2。

キャッチボール2。

ライト線からセンター方向に向けてロング・ティー・バッティング。

ライト線からセンター方向に向けてロング・ティー・バッティング。

時折指導が入ります。

時折指導が入ります。

ナイスバッティング!!

ナイスバッティング!!

試合形式の練習。彼らはとにかく試合がしたかったようです。

試合形式の練習。彼らはとにかく試合がしたかったようです。

さて,ここで目につくのがセンターの守備位置後方にある大きな木。日中の陽射しが強いカンボジアではちょっと休むための木陰はとても大事です。それが理由かどうかは分かりませんが,少なくとも球場を建設した際にこの木は取り除かれることなく,外野の一部に組み込まれたようです。カンボジアらしいといえばらしいのですが,カンボジアの野球環境の整備はまだまだだなと実感させられます。打撃技術が上がり,センター後方への飛球が増えてくれば,そのうちこの木は危ないのだと認識してもらえるようになるのでしょう。とりあえず今のところは支障はないようです。

午前の練習を終え,近くの食堂で昼食。午後は2時過ぎから再び練習。練習と言っても過酷なものではなく,彼らにとってはただただ楽しい遊びです。

午前の練習を終え,近くの食堂で昼食。午後は2時過ぎから再び練習。練習と言っても過酷なものではなく,彼らにとってはただただ楽しい遊びです。

サッカーと比べて野球は道具や場所などの環境が整わないとなかなかできないものです。サッカーはある程度のスペースとボールさえあればできてしまうので(サッカーボールでなくても可),サッカーが普及し,野球が普及しないのも充分うなずけます。しかし,毎週野球の練習に来る中高生のように,野球に触れることのできる子たちは野球の楽しさを味わうことができるのです。こういうちょっとしたところから,野球を楽しむ子たちが増えていけば,いずれカンボジア全体にも普及していくのではないかと,ひそかに期待しているところです。

近々,ナショナルチームはプレアヴィヒアのチームと試合をするそうですプノンペンやシェムリアップといった外国人が多く住む都市部ではなく,地方都市のプレアヴィヒアにも野球チームがあるというのは意外でした。野球がまだまだ全然普及していないと前述しましたが,私が知らないだけで実はカンボジア国内での野球人口が少しずつ増えてきているのかもしれません。近い将来,サッカー場と並んで野球場も各地方にできる日が来るかもしれません。まずは野球という遊びが学生たちの間で広まる必要があるのですが,まだまだサッカー人気に圧倒される日々が続くのでしょうね。気長に待っていることにします。

文責:曽田実

2014年6月26日更新

パソコン技術訓練による地雷被害者・地雷原生活者収入向上プロジェクト⑤

612日(木)

2月2日に本事業の報告をしてからしばらく期間が開いてしまっていましたが,実はこの間に重大なことが起こっていました。一人でパソコン画像切抜き業務をしていたロン・チャンティが仕事を辞めてしまったのです。3月のことでした。その間報告が滞ってしまい大変申し訳ありませんでした。今回はこの件に関して事の顛末を報告するとともに現在の状況を報告いたします。

 

2月2日の現地活動レポートにて,ロン・チャンティが「辞めようかと考えている」と訴えてきたことを書きました。その後も,「自分は能力がないから,要らないと思ったら首にして下さい」と私に申し出てきたことがありましたし,また「パソコンを見ると頭が痛くなる・・・」等の不調を訴えてきたこともありました。このときは急激な環境の変化などによる一時的な精神不安だろうと考えていました。そしてそれからしばらくたった後,チャンティからの衝撃の告白により,真相が明らかとなりました。実は彼は地雷被害によって足を失ったのではなく,交通事故によって足を失ったというのです。貧困を抜け出すために地雷被害者であると偽って応募し,これまでずっとそれを隠しながら過ごしてきたが,嘘をついていることが苦しくなり,本当のことを話すことにしたのだそうです。

 

チャンティはバッタンバン市内にあるRegional Physical Rehabilitation Centerという施設の掲示板を見て応募してきました。ここは地雷・不発弾被害者をはじめ,交通事故やその他さまざまな理由で四肢に障害を負った人たちが義手・義足を作ったり訓練したりする施設で,チャンティも当時義足を調整するためにここに滞在していました。本プロジェクトが「地雷(もしくは不発弾)被害者の就職支援」を名目としていたことはチャンティ自身も認識しており,応募するにあたってそのことを施設職員に相談した際,「あえて止めないから自分の責任でやれ」と言われたそうです。

 

チャンティの実家は一度訪問したことがあるのですが,トタンで作られた小さな小屋と地主から借りたという小さな畑があるだけの大変貧しいものです。兄弟は皆別の土地で働いているといい,バッタンバンに来る以前はここでお母さんと二人で住んでいました。お父さんはすでになくなっているそうです。両足のないチャンティが実家にいて十分な収入を得ることは非常に難しく,そのうえ家(お母さん)はかなりの額の借金も抱えているそうです。チャンティは貧困を抜け出すために藁にもすがる思いで地雷被害者と偽って応募し,見事受かったのですが,結果として今度は貧困とは別の面で苦しむことになり,ずっと一人で葛藤していたようです。

 

プロジェクトの名目は「地雷被害者の就職支援」ですが,足を失った若者の就職支援という点において何ら変わるところはないですし,チャンティの勤務態度にも全く問題はなく,今後新たに入るスタッフの指導者としても期待できるため,彼の事情をすべて汲みとったうえで,CMCとして改めてスタッフとしてはたらくよう要請をしました。チャンティも1度はそれを受け入れ,改めてCMCスタッフとして働き出しましたが,やはり気持ちの上で居辛さもあったのか,結局辞めて実家に帰ってしましました。この辺りの彼の心情,本音は彼のみぞ知るところですが・・・。

 

ここで今回の件で浮き彫りになった問題点を改めて考えてみます。まずは地雷被害者であるという申告を充分に検証することなく受け入れてしまったことです(とは言っても検証はなかなか難しいものがありますが)。Regional Physical Rehabilitation Centerへは上記のとおり地雷・不発弾被害者を対象とした募集である旨は伝えてあり,施設からは了承をもらっていたので,まさかその施設から応募したチャンティがそのような状況であるとは思いもよりませんでした。もう一つの問題点は,カンボジアにいる障害者は地雷・不発弾被害者だけでなく,チャンティのように交通事故によって後遺症を残した人もたくさんいて,仕事もなく貧困にあえいでいるという点です。本事業は,長期的には地雷・不発弾被害者だけでなく全ての障害者への就職支援ということを視野に入れて展開していく予定でしたが,第1期生においてはプロジェクト名の通り地雷もしくは不発弾被害者を対象として募集をかけていました。これは仕事を求めている障害者にとっては無意味な差別化であったように思います。いずれにしても,今回の件に関してチャンティや施設側を責めることはできず,地雷・不発弾被害者か否かの検証が難しいという点においても,障害者支援という点においても,こちらの募集要件の方に問題があったと言わざるを得ません。

 

また本事業に全面的に協力して下さったCambodia Dairoku Inc.の廣田社長には大変なご迷惑とご心配をおかけしてしまいました。本当に申し訳なく思います。

 

さて,スレーン・ハイとロン・チャンティの2名を迎えて始まった本プロジェクトでしたが,結局2名とも辞めてしまい,画像切抜き業務のスタッフは誰もいなくなってしまいました。今回は結果的にうまくいきませんでしたが,この画像切抜き業務が四肢に障害を負った(主に足を失った)人たちにとって重要な就業モデルの一つであるという可能性はまだ捨てていません。今後は地雷・不発弾被害者ということに拘らず(今回のような不幸が起きないようにするためにも),広く障害者就業支援プロジェクトとして本プロジェクトを展開していく予定です。さらに今回の失敗にもかかわらず,Cambodia Dairoku Inc.廣田社長からは同様の協力を頂けるとのお言葉も頂きました。問題点をきちんと省み,態勢を立て直して再度本事業に取り組んでいけたらと思います。

 

‌そしてこの度,本事業を再開すべく新スタッフの募集をしており,現在2名のスタッフ候補がCMCの事務所にて画像切抜きの練習をしているところです。今月末には採用試験を行う予定です。そんな折,つい先日日本から強力な援護射撃がありました。篠原弦一さんという方がCMCバッタンバン事務所にパソコンを寄贈してくださったのです。まさに渡りに舟,パソコン事業にパソコン!!

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篠原さん(中央)とスタッフ候補生。

6月3日(火),篠原さんがCMCバッタンバン事務所を訪問してくださり,新スタッフ候補生の練習の様子をご覧になられました。篠原さんからは新品のパソコンとともに暖かい励ましの言葉も頂きました。物心両面のご支援を頂き,本事業を進めて行く上で大変大きな励みとなりました。今後とも本事業を長い目で見守っていただければ幸いです。本当にありがとうございました。

篠原さんとともにスタッフみんなで夕食会を開きました。残念ながら篠原さんとはこの夕食会でお別れとなってしまいましたが,その別れ際,スタッフからも篠原さんの支援に対する感謝の言葉を口にしておりました。

篠原さんとともにスタッフみんなで夕食会を開きました。残念ながら篠原さんとはこの夕食会でお別れとなってしまいましたが,その別れ際,スタッフからも篠原さんの支援に対する感謝の言葉を口にしておりました。

 

文責:曽田実

2014年6月13日更新

地雷・不発弾危険回避教育⑯ ~新年度事業始動,新スタッフ加入~

6月5日(木)

前回の報告で,昨年度のMRE(地雷・不発弾危険回避教育)を総括しました。今年度も昨年度に引き続きMREを実施することが決まっており,すでに動き出しています。内容は昨年度とほぼ同様のものですが,昨年度の反省を生かしてより充実した活動にしていけたらと考えています。以下に,今年度の地雷・不発弾危険回避教育事業の概要をまとめます。

                             

◆事業名

地雷・不発弾危険回避教育,人権教育,平和教育

※人権教育及び平和教育は地雷・不発弾危険回避教育に付随するものであり,通常は「地雷・不発弾危険回避教育」と称す。

◆事業目的

1.現在,そして将来において一切の地雷・不発弾事故を撲滅する。そのためにも,子どもたちが地雷・不発弾の危険性をきちんと認識し,遭遇した際の適切な対処法を養い,さらには将来その子供たちが大人になったときに,自分の子どもや地域の子どもたちに適切に指導できる資質を養う。

2.地雷・不発弾被害者をはじめとする障害者の方々が抱えている苦労や悩みを子どもたちに理解してもらい,障害者に対する差別・偏見をなくす。

3.地雷・不発弾の問題を通して,平和を貴ぶ心を養う。

◆事業実施地

カンボジア国バッタンバン州,パイリン特別市,バンテアイミエンチェイ州

                             

さて,先週CMCに新しいスタッフが1名加わりました。名前はトゥアン・ラタナ,現スタッフのラブットと同じ大学・学科の学生です。

トゥアン・ラタナ,22歳

トゥアン・ラタナ,22歳

先週1週間は見習い期間として,ラブットがCMACや各地の役場へMREの活動申請を行うのに同行してもらいました。そして今週から本格的に業務に携わってもらっています。新スタッフとともに,今年度のMRE事業を昨年度以上に充実させ,発展させていけたらと考えています。

事務所前にて。

事務所前にて。

 

文責:曽田実

2014年6月7日更新

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CMCからのお知らせ