活動予定

CMC20周年記念事業 5月12日(土)

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一般財団法人カンボジア地雷撤去キャンペーン20周年記念事業

交流センターロゴ助成:公益財団法人福岡県国際交流センター

一般財団法人「カンボジア地雷撤去キャンペーン」(以下 CMC)は、現在理事長である大谷賢二が、1996年カンボジアに入った際、地雷被害者の悲惨な状況を見て「この状況を何とか出来ないか!」と1人で立ち上げたのが、始まりである。1998年にはこれまでの会社経営のノウハウを活かし、イベントを通して資金を集め、カンボジアの地雷撤去団体や義足センターに支援金を届けるようになりました。「カンボジア地雷撤去キャンペーン」と命名以来、毎年のスタディツアーや募金活動を開始しました。いつの間にか学校や行政、団体からの授業や講演の依頼が入るようになるとともに、新聞、テレビ、雑誌などの取材を受けるようになり、思ってもいない展開になって来ました。ツアーで現地の状況を目にしたり、講演を聞いた人の中から一緒にやりたいという人が現われ、その輪が広がる中、各地に事務局が誕生して行きました。現在では福岡の本部の他、国内に6ヶ所、カンボジアの バッタンバンに現地事務所を置き、カンボジア現地支援活動に邁進しています。
CMCの活動目標はカンボジアにおける「地雷被害者ゼロ」「地雷原での教育支援(学校建設)」「地雷原の人や地雷被害者の就業支援」及び日本国内での「地球人教育(自分や自国の事だけでなく他人や世界の事を考える人間作り)」です。今年5月でCMCは創立20周年を迎えます。この間、カンボジアでの地雷撤去、被害者救済支援、学校建設や農業支援、ラジオ番組「ボイス・オブ・ハート」の制作・放送など数多くのプロジェクトを実施することができました。また、これらの活動に対しカンボジア政府より「国家建設功労第一等勲章」を3回、国内でも「アジア貢献賞」「アジア人権賞」「社会貢献賞」「国際連合協会会長賞」「福岡市市民国際貢献賞」などを受賞するとともに、多くの教科書にも取り上げられて来ました。これらは全て、カンボジア バッタンバンの現地スタッフ、国内各地事務局や本部スタッフ、ボランティアやインターンの皆さまの活動と、全国各地の小・中・高・大学や個人、企業の皆さまからのご支援の賜物です。
ここに、深く感謝申し上げます。
20周年記念式典におきましては、これまでの活動、カンボジアの抱える問題、CMCの今後の活動等について、しっかりとお伝えしたいと存じます。皆さまのご来場を心よりお待ちしています。

一般財団法人カンボジア地雷撤去キャンペーン

■20周年記念式典
日時 2018年5月12日(土)14:00~
場所 都久志会館ホール(地下鉄天神駅徒歩5分)
福岡市中央区天神4-8-10
tel. 092−741-3335
※参加費無料

■20周年記念祝賀会
日時 2018年5月12日(土)17:30~
場所 福岡ガーデンパレス(都久志会館となり)
大会場にて
福岡市中央区天神4-8-15
tel. 092−713-1112
参加費:10,000円

※祝賀会参加希望の方は下記申込用紙に必要事項を記入の上、FAXまたはメールにてお申込ください。                                             ↓クリックしてダウンロード願います

申込書
お問合せ先:一般財団法人カンボジア地雷撤去キャンペーン事務局
Mail:cmc5963@gmail.com                                                  tel. 092-833-7676 fax.092-833-7677

アキラタイトル

地雷撤去の神様                                                        「2010CNN世界のヒーロートップ10」、劇画「密林少年」
で日本も有名な地雷博物館館長アキラを招聘します❣❣

1973年頃の生まれ?両親が殺されてしまったため誕生日も分かりません❣クメール・ルージュの支配により、アキラ氏も物心つく前に両親と引き離され「こどもグループ」の中で育てられます。それは正に少年兵を育成する為のもの。5歳(1978年)の時、その両親もクメール・ルージュの手によって殺されてしまいます。その後もその両親を殺したクメール・ルージュに育てられ、10歳(1983年)になった時、一端の少年兵として初めて実弾入りの銃(AK47 カラシニコフ銃)を持たされ、地雷の埋め方の訓練も受けるのです。13歳(1986年)になった時、この国に侵攻して来ていたベトナム軍との戦いの中でアキラ氏はベトナム軍に捕まり、それ以降ベトナム兵としてそれまで仲間だったクメール・ルージュと戦う事になります。16歳(1989年)になった時、そのベトナム軍がカンボジアを去ったため、今度はベトナム軍と友軍だったカンボジア軍に入れられてクメール・ルージュと戦うのです。20歳(1993年)になった時、この国を平和にしようとUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)が入って来て平和維持活動を行いますが、アキラ氏はそこで初めて地雷撤去活動を行います。その時「自分はこれまで戦争の中で、数多くの地雷を埋めて大勢の人を傷つけ苦しめてきた。これからはそれに対する償いとして、一生懸けて地雷撤去をやっていこう。この国を平和にするためにこれからの自分の一生を捧げよう」と決心するのです。
その後はひたすら地雷を掘り続け、取った地雷は自分で解体し、火薬を抜いたものを自宅に持ち帰っていました。そのかたわら資金を稼ぐ為に独学で英語を勉強し、UNTAC時代は英語の通訳と地雷処理の仕事で給料を貯めます。また、その後は日本語を勉強して遺跡ガイドの資格を取り、日本人向けのガイドをしてお金を稼ぎます。そして遂に26歳(1999年)になった時、それまで蓄えたお金を全て投じてシェムリアップから5、6キロの地に、最初の「アキラ地雷博物館」を建てたのです。CMCの大谷代表が初めてアキラ氏に会ったのはその頃が最初です。そして、そこにそれまで自分が集めて来た地雷や不発弾、その他戦争に関わる物を展示し、来て下さるお客さんに地雷の恐さや戦争の悲惨さを訴えていったのです。その活動を支援するためCMCは毎年のようにスタディツアーでアキラ氏に会い支援金を手渡して来ました。
また、地雷撤去に行った村々には、手や足の無い地雷被害に遭った子供達が大勢いました。戦争で両親を失った子供達もいました。そうした子供達を引き取り、養子としてこの博物館で育てるようにもなりました。最初は10数人の子供達でスタートしましたが、今では30数人の子供達を育てています。
こうした活動を続けてきたある日、国からこの博物館の撤去移動が命じられます。止む無くこの博物館は閉鎖しましたが、何としても新しい博物館を建てたいと考えていた時、カナダ人のフォトジャーナリストであるリチャード氏が協力を申し出てくれ、カナダにNGO「CLMMRF」を作り、そこの資金協力の下、新しい現在の博物館が2007年にオープンします。
また国が博物館の撤去移動を命じた時、併せてアキラ氏のそれまでの地雷撤去活動の禁止も命じてきます。それは、この国で地雷撤去や不発弾の処理中誤って亡くなったり、怪我をする人が大勢いた為、この国では地雷や不発弾の処理は国の正式なライセンス無しにはしてはいけないと言う法律を作ったからです。アキラ氏としてはこの仕事を一生懸けてやっていこうと強く決心していますから、何としても国のライセンスを取ろうとNGO「CSHD(カンボジア・セルフ・ヘルプ・ディマイニング)」を立ち上げ、そこでライセンスを取り、2008年からNGO「CSHD」として信頼する隊員達と共に地雷撤去活動を続けています。CMCは創立20周年に当たり、アキラ氏を招聘する予定です。

 

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