過去の活動
朝から「トゥールスレン 虐殺 博物館」へ。
1975年アメリカに勝利したクメールルージュ(ポルポト派)が、その後1979年までに行った残虐行為の象徴的存在だが、いつ来ても気持ちは暗くなります。
長く悲惨なベトナム戦争が終わったことを喜んでいた私は、大学を卒業し、ソ連からヨーロッパ、中近東からインドまで放浪していた頃で、カンボジアの情報は、全く外部には伝わっていなかったのです。
1979年1月7日に解放されるまでに、2万人を超える無辜の人々が、ここで拷問され、全国では170万人もの人が殺されたという前代未聞の大虐殺が同一民族間で行われたのでした。
収容されていた中で生き残った7人の内の1人、チュンメイさんにお会いしました。今では「ポルポト裁判」の重要な証人です。
流石に皆さん、この場では記念写真を撮る気にはなれないようで、次の目的地、チュンエク村に向かいました。
2019年7月19日更新