過去の活動
はじめまして。私は福岡県立大学3年の工藤夏美と申します。専攻は社会学で、教員免許の習得に毎日苦戦しています。
なぜ私がCMCのインターンシップに応募したのかというと、現地に足を運んで、実際カンボジアがどういうところなのかを身をもって体験したかったのと、実際NGOが現地でどのような役割を果たしているのかを知りたかったからです。私が9月1日から12日までの約2週間にのぼる現地での体験談と感想等をここに書いていきたいと思います。
*1日目*
シェムリアップ空港に到着後、とりあえず現地の人に明日バッタンバンに行きたい、バッタンバン行きのバスが出るバス停の近くのゲストハウスに宿泊したいという趣旨を伝えたら、なんとかバスチケットを購入でき、ゲストハウスに宿泊することができました。
←ナイトマーケットの風景です。観光客が多かったです。日本語を話せるクメール人が多く、日本人観光客が多いのだというのを物語っていました。
*2日目*
乗り換えや休憩を含めて約5時間、やっと事務所があるバッタンバンに到着。 事務所に到着したら現地スタッフのラタナ、ラブット、ダラ、スロッさんと自己紹介をしたり、色々お話しました。落ち着いたらホテルに荷物を降ろし、スロッさんと散歩をしたり、実さんとスロッさんと私の3人で夕食を食べたりしました。
*3日目*
朝6時に事務所に集合し、休憩も含めて約3時間後、CMCが活動しているボップイ村に到着しました。現地スタッフの方に小学校の話を聞いたり、クメール語を教えてもらったり、お昼ご飯を一緒に食べたりして午前中はのんびりと過ごしました。
午後からは、コーントライ地区でスタディー・ツアーで訪問する民家を探しに行きました。途中で大雨が降って大変でしたが、村人がホーム・ビジットの受け入れを快く受け入れてくれたので、円滑に進めることができました。
*4日目*
午前中にダラと一緒にペンキと刷毛を購入し、事務所のドアをペイントしました。それを終えた後、スタディー・ツアーで使う名札を作るために厚紙と紐を買いに行こうとしましたが思ったより大変でした。簡単に終わる仕事かと思いましたが、何件も店を回ったりして2時間くらいして仕事がようやく終わりました。
←マーケット内にある庶民的な美容院です。日本の衛生的でシンプルな美容院とは異なり、とりあえずごちゃごちゃしていてなんでもあるなーと思いました。
*5日目*
昨日購入した紐と厚紙を使って、スタディー・ツアーで使う名札の作成をしました。日本人の学生の名前をクメール語に直す作業をしたり、厚紙に紐を通したりして地道な作業をこなした結果、一つ一つ丁寧な名札が完成しました。
←完成した名札です。実は紐の両端は火を使って固めてあります!
*6日目*
今日は事務所がお休みだったので、お散歩したりあちらこちらうろちょろしたりしてのんびりした時間を過ごしていました。
←私の大好きなドラゴンフルーツです。マーケットで1ドルで購入し、ホテルでスプーンを借りていただきました。
*7日目*
私とインターン生の後藤君はシェムリアップ行きのバスに乗りました。今日宿泊するホテルに荷物を降ろし、3人でスーパーの下見をしました。スタディー・ツアーの参加者が全員集まった後は、アプサラダンスを鑑賞しながらバイキングを楽しんだり、ナイトマーケットに足を運んだりしました。
←学生が到着するまで時間があったので、後藤君と空港の外で遊んでいました。
*8日目*
朝食を済ませた後、東南アジアで一番大きい湖、トレサップ湖を船やボートを使って周遊しました。自然がとてものどかで、景色がとてもきれいだったので、また機会があれば足を運びたいです。
午後はアキラ地雷博物館と義足リハビリセンターに行きました。地雷博物館では衝撃的なことばかりでした。あらかじめカンボジアに行く前にポル・ポト政権や地雷についてある程度学習してきましたが、いざ目の前に取り除かれた地雷や不発弾を見たり、博物館内を観察してみると改めて地雷の恐ろしさや残虐性というのがひしひしと伝わってきました。義足リハビリセンターでは、義足が作られる過程やその経緯を教えてもらうことができました。義足を必要とされている人は地雷の犠牲者だけでなく、交通事故で足を失った方もいるのだという事が分かりました。
夜はシェムリアップを離れて、バッタンバン市内のホテルに泊まりました。
←アキラ地雷博物館に展示されていた、かつてカンボジア国土に埋蔵されていた地雷の各々です。今の現地のクメール人は親切なのになぜ昔は…という葛藤がおきました。
*9日目*
昨日から移動ができないほどお腹の調子が悪かったので、薬を飲んだり絶食したりしてホテルの中で一日中休養していました。
*10日目*
朝ホテルを出発し、CMCが活動しているコーントライ村の民家にホームビジットに行きました。日本ではなかなか体験できないような料理の準備をしたり、ご馳走になったりしました。土壌の素揚げは普通に白身魚の味がしておいしかったです。食事を終えた後、日本人の学生が持ってきた折り紙や神風船、シャボン玉を使って子供たちと一緒に楽しく過ごしました。
午後は近くの小学校を訪問しに行きましたが、タイミングが悪く大雨に遭遇したので、長い道のりをみんな靴を道路に埋没させながら移動したのでかなり疲れました。学校に到着後、私たちは一人一人生徒の席に座って算数を教えました。先生が割り算の解説をする時、計算の仕方が日本と違っていたので驚きました。算数を終えたら、一緒に折り紙をして、集合写真を撮ってお別れをしました。
その後は長時間かけてバッタンバンからシェムリアップに向かいました。
*11日目*
朝食を済ませた後、ガイドさんに案内してもらってアンコール・トムやタプローム遺跡を鑑賞しに行きました。とても広大な土地での移動だったので、みんな足が棒になっていました。午後は再度アンコール・ワットに訪問し、マダム・サチコのお土産売り場や、デザートを食べに行きました。自由時間にはマッサージをしにいったり、ドクターフィッシュを体験したりして過ごしました。
夜は帰国する学生を見送りにシェムリアップ空港まで行きました。お別れは寂しかったです。
←朝6時ごろのアンコール・ワットです。この写真に朝日とハスの葉が水面に映っていたらますます美しい光景だったと思います。
*感想・考察*
この約2週間のカンボジアでの生活は今思えば、はじけるようにあっという間でした。けれど一日一日が日本では体験できない、とてつもなく貴重で充実したものだったと思います。2週間のうち、思い通りにいかないこともトラブルもありました。例えば連絡が取れなくてこの先どうしたらいいか分からない、目的地の行き方が分からない、乗るはずのバスが動くなど…。けれど困ったときは現地の人が助けてくれる、もしくは自分でなんとかしなければならないという考えが強く動いて、柔軟性というよりも度胸が身についたと思います。それともう一つ身についたのは英語でのコミニュケーションです。一応大学受験でも大学に入ってからも、独学で英語の勉強はずっとしてきました。現地スタッフのダラ、ラブット、ラタナ、スロッさんとは基本英会話で、業務内容も英会話を使って伝達しました。また現地でも、英語が通じるクメール人には英語で目的や趣旨を伝えていました。自分の英語力が完璧だとは思っていません。文法が違ったり、aやTheが抜けたりしていたことは多々あったと思いますが、自分の意思や考えを伝えることについては、相手も理解してくれていたので、その分力になったと思います。
今後この経験をどう活かすのかについて、先ずはもっと円滑にコミニュケーションをとれるようになりたいので、英語の勉強に精を出したいと思います。また自分が所属しているNGO(プラン福岡)で、この体験をいかしてどのようにして日本で途上国の人々の生活を認識させるか、もしくは広めていくのかについて考え、実行していきたいと思います。それと大学を卒業してからの指標が見えてきた気がしました。やっぱり途上国で働きたい。改めてそう思えるようになりました。
今回のこの貴重な体験をすることができた背景には、CMCをはじめ、星原さん、曽田さん、現地スタッフの方々、後藤君、西南学院大学のみなさん、助けてくれたクメール人の方々、そして日本で見守ってくれた家族のおかげだったと思います。感謝してもしきれません。本当にうれしい限りです。本当にどうもありがとうございました。
長文失礼しました。
2014年9月29日更新