| CMCコーントライ夢中学校が竣工を迎えた9月。その間も「VOICE OF HEART」は常にリスナーのみんなを励まし続けていた。バッタンバンのDJシナも番組内容に関心を持ち、心配なく、放送を継続することができている。雰囲気にも慣れ軽快なトークで、番組を盛り上げる。ゲストDJもスムーズに朗読ができるようになってきた。 写真右はバンテアイミエンチェイ州FM.96.5の放送局の様子。
 
 
 
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                  | 9月は第14回〜第17回までを放送 FM103.25MHz(バッタンバン):9月6日、13日、20日、27日の4回放送
 FM96.5MHz(バンテアイミエンチェイ):9月7日、14日、21日、28日の4回放送
 
 以下、今月の番組内容の抜粋
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                  | 今月のDJ紹介 
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                  | 各局とも先月と同様 
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                  | 朗読された手紙より2通 | 
                
                  | 僕はライ・ソクホンと言います。トゥオルキーブ村に住んでいる親戚のみんな、この番組を聴いている障害者の友たち、こんにちは。調子はどうですか?僕は元気いっぱいです。 この手紙で、義足を提供してくれたICRCに感謝の気持ちを伝えたいと思います。これは僕の人生で一番必要なものなのでとても感謝しています。ところで、ICRCにいる間、たくさんの障害者の方を目にしました。彼らはいつも、障害者だけど、今でも健常者と変わらないくらい力強く生きていけることを、みんなに気づいてもらうために、その努力や姿勢を伝えようとしていました。そんな彼らのおかげで、今では僕も自分の努力次第で未来が切り拓いていけると信じています。
 
 パイリン特別市 ライ・ソクホン
 
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                  | プレイプネス村で暮らしている皆さん、村にいる障害者の皆さん、こんにちは。お元気ですか?CWARSで職業訓練を受けている間、僕はずっと元気にしています。ここで、僕のように職業技術を学ぶために遠くから来ている障害者の友達と出会えて幸せです。彼らは優しいし、真面目だし、そしてとても個性的です。だから、もっとたくさんの障害者が僕たちみたいに職業訓練を受けようとすることを願います。それはきっと僕たち障害者の役に立つから。 
 バッタンバン州 チャイ・チェン
 
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                  | インタビュー 
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 | ■第15回放送 (ソム・ダラ氏、45歳、男性、地雷被害者)
 
 私の名前はダラと言います。今年で45になります。私が地雷事故に遭ったのは20年前の1988年のことです。あの日、私は敵軍との銃撃戦の中にいました。そして、地雷を踏み右足を失ったのです。バッタンバン州にある病院に運ばれ、50日間の入院生活を送りました。絶望感から何も考えることができず、前を向いて歩けないくらいでした。しかし、村に戻って生活をしている時に、目にしたのです。
 
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                  | 彼らは私と同じように体の一部を失ったにもかかわらず、笑顔で家族とともに幸せそうに暮らしていたのです。その時、私の中で何かが変わりました。「俺にだってできる、なんで俺は今何もしてないんだ。」と思うようになったのです。今は農業を営んでいます。そして、たった現在私はCWARSというNGOの職業訓練施設で理容スキルを学んでいます。卒業したら店を開こうと決めています。 私と同じ地雷被害者の皆さん、前を向いて頑張っていきましょう!自信を持って、一生懸命努力していきましょう!働いていきましょう!
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                  | ■第16回放送 (ペッチ・ソバット、42歳、男性、地雷被害者)
 
 私はソバット、42歳です。あれは軍隊として働いていた1986年のことでした。戦闘中に地雷を踏み、右足を吹き飛ばされたのです。事故後、すぐにタイの緊急病院へと運ばれ、3ヶ月間の入院生活を送りました。右足を失ったことがわかった時、絶望などは感じませんでした。
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                  | 逆に、人生を投げ出してたまるものかと、何か道はないか模索しました。そして、Site2という難民キャンプに行き、バイクと車の修理技術、金細工を学びました。農業についても学びました。今はバンテアイミエンチェイ州のマライで農業の傍ら、バイクと車の修理工をして生計を立てています。嫁、子供にも恵まれ幸せな生活を送っています。 障害者の皆さん、絶望に浸っている暇なんてありません。私のようにどこかのNGOに支援してもらい、職業技術を身につけ、これからの人生を明るく歩みましょう。
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                  | ※	NGO紹介インタビュー 第14回放送: ICRC再放送
 第16回放送: EMERGENCY HOSPITAL再放送
 
 
 
 
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                  | 朗読された詩より2篇 | 
                
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                  | 題:障害者の苦闘 作者:バッタンバン州 スレイ・ロン
 
 障害に耐えなければならない
 できる限りの力を尽くさなければならない
 目標を達成するために
 たとえどんなに辛かろうとも
 そう僕は障害者
 でも自分の人生を一度も悔いたことはない
 仕事だって投げ出したことはない
 いつだって仕事できるし
 収入を得られると信じているから
 家族を輝かせるため
 自分を社会に浸透させるため
 大事にそれは使わなければならない
 さあ、障害者の皆さん
 その人生を実りあるものにしたいのなら
 くよくよしてないで頑張りましょうよ
 苦難を乗り越えていきましょうよ
 ほら、人生はこれからなんだから
 
 | 題:なし
 作者:バッタンバン州 ソ・チャンタ
 
 障害のある友たち
 今日のカンボジアには数多くのNGOがあるのよ
 私たちに手を差し伸べてくれ
 不幸から救ってくれるのよ
 障害のある友たち
 職業技術を得ようと励むべきよ
 それは良き将来への使者
 人生を幸福に満ちたものにしてくれるわ
 障害のある友たち
 いつだって技術は身につけられるわ
 障害のためにつきまとう苦痛 貧困 悲哀・・・
 それで解決しましょうよ
 使わない手はないわ
 そうそれは特効薬のようなもの
 障害のある友たち
 時間を無駄にしてないで頑張りましょう
 職業技術にはたくさんの強みがあるのよ
 私たちの人生を楽にしてくれるわ
 
 
 
 
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