■事故から病院まで
家族は母親と8人の兄弟。父親は亡くなった。1997年にプレイベン州から母を含め家族数人がバッタンバン州コムリアング郡に引っ越した。父親はいない。母親の仕事は、コムリット君やマノーラ君のの母親と同じく畑や森での労働の仕事である。
事故により、火をつけた友人は亡くなった。ラックは重傷。もう 一人の友人は軽傷だった。この村には大きな川が流れおり、地雷・UXOを使った漁が普通に行われていた。亡くなった友人はよく地雷を使って漁をしていたという。 |
ラック君とお母さん |
ラック君に事故にあった当時の事を聞くと、痛みは感じなかった、怖くもなかったし、意識もはっきりしていたという。
事故にあった時、母はお寺に行っていた。事故にあったことを聞いて、初めは彼はもう生きられないだろうと思った。なぜなら事故にあって亡くなることがあると知っていたからだ。彼女は彼に対してとても
申し訳なく思い、心配でたまらなかった。意識もはっきりしていなかった。涙があふれ、自分の力では立っていられなかったそうだ。 |
事故に遭ってからすぐに村の近くに地雷撤去で来ていたHALOト
ラスト(地雷撤去団体)が彼をエマージェンシーまで運んだ。車の中ではとても喉が乾き、ものすごい痛みが走り大声で叫んだ。みんなは彼を押さえようとした
が、それは暴れてキックするほどだった。車の中にいたドクターは鎮静剤の注射を打った。病院には、母、姉、姉の夫が一緒に行った。入院は約3ヶ月間。姉が
入院生活の彼に付き添った。
病院から帰ってきた後、彼は学校での勉強を続けた。事故にあう前も学校で勉強していて小学校5年生だった。井上駐在員の訪問時小学校6年生。標準からすると少し遅れている。しかし、かすかに見える右目だけで学校で勉強をつづけるのは容易ではない。先生が黒板に書いた文字は読めず、読む時、書く時は顔を近づけないと見えないので、みんなに比べて理解や書き取りがとても時間がかかる。授業が終わっても彼だけまだ書き終わっていないということもあった。
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ラック君の家族 |
胸に残る火傷の跡 |
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■ラック君のいた村について(バッタンバン州コムリアング郡) |
この村は近くに大きな川が流れていること、そして地雷やUXOが多く残っていたことから、村人達は当たり前の様に「地雷やUXOを使っての漁」をしていた。川に地雷を投げ込んで爆発させ、浮いてきた魚をとる。効率よく早く魚がとれる。こういった村なので地雷被害者はとても多い。ある団体が村人達に地雷の危険性
を教えて周ったが効果はなかった。現在は地雷撤去団体が村付近の地雷や不発弾を撤去したためこういった事故は事故はない。しかし遠くの山のふもとまで行け
ばまだ地雷は残っているという。
井上駐在員は、村長に地雷の被害にあった人達に対してどう思うか聞いてみた。「村人は障害者や地雷被害者を見下すときがある。村人は彼らを見ても声をかけて話すこともないし、見ることもない。つまり無視している。これは地雷被害者にとってとてもつらいことだ。」と答えた。
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