テッド君は父、母、弟の4人家族。父の仕事は以前は兵士だったが今は木炭作り。収入は月に平均30$と少なく、生活に苦労していた。
現場に地雷原の警告標識はなかった。事故直後、近くで地雷撤去作業をしていたCMAC(政府系地雷撤去機関)の隊員が爆発音を聞きつけ、すぐに事故現場へかけつけた。そして車でタイの病院へ2時間半かけて搬送した。
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爆発により地雷の破片が刺さり、
父親の右目は失明した。 |
事故直後、テッド君は泣かなかったという。由見駐在員のインタビューの際も地雷を踏んで足や指を失ったことに関して「へっちゃらだよ。」と笑顔で答えた。事故後はタイの病院に4ヶ月入院し、その後自宅に戻った。
12歳であれば通常は小学校高学年のはずであるが、テッド君は事故前もその後も学校に行っていなかった。事故前、両親はテッド君の将来を考え、いよいよ学校に通い始めさせる予定だったという。そんな折に事故が起こってしまった。足を失い、自宅から3キロ離れた学校まで行くのが難しくなった。
テッド君の住む村の周りにはありとあらゆる種類の地雷と不発弾が地中に埋まっており、自宅から約200m先から地雷原が広がっている。村の子供たちは地雷や不発弾の危険性を理解できずに、それらをおもちゃにしてよく遊んでいる。これはカンボジアで子どもが地雷・不発弾の被害に遭う1番の原因である。しかしテッド君は地雷や不発弾で遊ぶことがいかに危険なことであるかが分かっていたため、それらで遊んだことはないという。それでも事故に遭ってしまった。
事故後、村では被害に遭ったテイン君とお父さんに同情して助けてくれる者もいるが、障害者である彼らに対して冷たい態度をとる者も少なからずいるという。
2008年12月。義足調整とリハビリを行うテッドくんのもとを駐在員が訪れた。破壊された右足も切断となり、テッドくんは両足を失うことになった。彼は、リハビリに訪れ、その新しい両足で学校に通う。
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2010年にはCMCのラジオ番組「Voice Of Heart」のポスターモデルとなってもらった。 |
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