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爆発により彼の右手、そして左手の中指・薬指は吹き飛ばされた。また、右目は失明し、左目もほとんど見えなくなった。病院に搬送されたときは両目とも何も見えず、医師から「この子の眼が光を取り戻す可能性は5%だろう。」と言われたそうだが、現在では左目が光を認知できる程度までは回復した。 |
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それから1ヶ月ほど入院したが、退院後も失明した右目が時々膿んで痛み、右腕の損傷箇所も少し痛く感じたという。
母親は事故当時のことをこう振り返る。「事故の後、近所の子供から息子が事故にあったことを聞きました。そのときはすでに息子が病院へ運ばれた後だったので、私は直接そこへ向かいました。はじめ、息子の傷はたいした事ないだろうと思っていました。しかし病院に着き、全身に傷を負って出血し、今まさに傷口を縫われている息子の姿を目の当たりにして頭が空っぽになりました。本当に信じられなかったです。」
爆発直後、ラタナック君は自分に何が起こったのかよくわからなかったが、ただ母親にぶたれることを心配したという。
彼は当時小学2年生。事故前は学校に通っていたが、今は目が不自由で授業についていくことが困難なため、由見駐在員が彼を訪れた当時、学校には行っていなかった。もし目が見えるようになったらまた学校に行きたいと言っているが、家は貧しく治療費がないため、難しい。一番楽しいことは近所の子どもたちと遊ぶことで、将来はコンピュータを勉強したいと言っていたという。 |
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