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■明博史のカンボジア現地レポート

      ■VOL 1  トゥールスレンを語り継ぐ


VOL1 トゥールスレンを語り継ぐ

チョン・マイ(Chum Mey)さん
 1930年生まれ。12人(発見当時大人7人、子ども5人)いるトゥールスレン収容所の生存者の1人。 現在、そのうち4人が存命。

 ポルポト時代、約16,000人がトゥールスレン収容所へ 連行され拷問を受け、チュン・エク村にある処刑場 「キリングフィールド」へ送られて殺された。

 1977年に収容所へまだ妊娠中だった妻と連れて来られた。彼は優秀なメカニックで、収容所内にある機械を修理するよう命じられた。そのため殺されずに生き延びることが出来た。しかし、彼も独房に入れられ、尋問され拷問を受けた。

「お前はCIAのために働いていたのか?」

当時、拘束されていた独房の前に立つ
Chum Meyさん

レンガで囲まれた狭い独房の中に拘束され、棒でひどく叩かれ、顔を守ろうとすると指を折られた。再び尋問される。CIAとは何のことかさえわからなかった。足の指の爪を剥がされた。気絶するまで電気ショックを与えられた。

拷問から逃れるためには虚偽の自白をするしかなかった。「私はCIAの工作員です」と。
1979年にベトナム軍がプノンペンに侵攻し、クメールルージュは退却する。その際にチョン・マイさんはトゥールスレン収容所から他の収容所に移されるために他の収容者と一緒に歩かされていた。その行進の中、2年ぶりに妻と生後間もない子どもと再会することが出来た。

 2日間、クメールルージュによって隔離されていた村を他の収容者と一緒に歩かされていた。2日目の晩に寺の横で休んでいたところ、田んぼのほうへ歩くように命令され、その直後、他の女性の前にいた妻がマシンガンで撃たれた。

 「逃げて。私は殺される。」

子どもの泣く声が聞こえた。再びマシンガンが撃たれた。

奇跡的にチョン・マイさんはその場から逃げることが出来たが妻と子どもは殺されてしまった。以来、2人のことを思わない日は1日もなかった。
ベトナム軍によって解放後、
1980年に撮影された
生存者7人の写真の中の自分を指差す Chum Mey さん
左端がチョン・マイさん
2月17日にポルポト特別法廷、カン・ケク・イウ元トゥールスレン収容所長の公判が始まった。チョン・マイさんも今後の裁判で証言する準備をしている。また、彼は時折、博物館となったトゥールスレン収容所に行き、見学者にボランティアで自らの体験を話しトゥールスレンでの当時の惨劇を語り継いでいる。


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