■ 火傷少女ソパニンのその後 |
ボップイ村で5月に出会った大火傷の少女、ソパニン。彼女が入院してから約3ヶ月後の8月6日、どうしても娘に会いたいと言う母親と共に病院へ行った。
母親と共に少女のベッドに行ったが、付き添いの祖母だけで少女自身はいなかった。
「娘はどこ!」と母親は震えた声で祖母に聞き、病室を出て探した。休憩所で患者達と一緒に居た少女を見つけ、母親は勢いよくその名前を呼んだ。
言葉無く抱きついた少女に「元気だった?」と母親が声をかける。少女、母親、そして私のそれぞれが涙、涙、涙だった。 |
|
|
顔を埋め泣きじゃくるソパニン
(エマージェンシー病院にて)
|
ソパニンと母親
(エマージェンシー病院にて) |
少女と母親の再開から3週間後、村には少女がいた。リハビリを兼ねて2週間、一時帰村することになったのだ。病院にいた頃はほとんど笑顔を見せなかった少女も、住み慣れた村、家族の中では安心して笑顔を見せていた。
この子は死ぬかもしれない、初めて少女に出会った時はそう思った。しかし、エマージェンシー病院、CMC、そしてそれを支える人々によって少女は救われ
た。「おじさんにありがとうって言いなさい」と母親が少女に促したが「いいえ・・・お母さん」と言って言葉を制した。
「僕はまだお兄さんです・・・」 |
|
|
(写真上)少女の姉妹と(ボップイ村にて)
(写真右)少女と母親(ボップイ村にて) |
|