2月20日(日) |
第15次スタディツアー 出発 |
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カンボジアに向かい、出発!当日福岡空港には、福岡市立友泉中学校の生徒さんが、CMCコーントライ夢中学校への手紙を持って駆けつけてくれました。
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2月21日(月) |
トゥールスレン収容所 |
首都プノンペン。最初の訪問地は、
「トゥールスレン収容所」。
1975年〜1979年までのポル・ポト政権の社会主義改革の元、反革命分子と見なされた人々を拘束し、拷問した場所である。・・・と、言葉にしてしまえば100文字足らず。しかしそこには言葉にならない苦しさ、悲しさ、果てしない恐怖や絶望感が、いたるところに染みついている.。 |
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かつてそこは学校だった |
私たちを迎えてくれたのはチュン・マイさん。当時、残虐な拷問の果てにキリングフィールドと呼ばれる場所で虐殺された人々はおよそ200万人ともいわれているが、収容所に入ってから、生き残った人はわずかに7人。それぞれが通訳や画家、機械の修理など、何らかの技術を持ち、虐殺を免れた。 |
チュン・マイさんは、「タイプライター(尋問の記録をとる)の修ができたから、殺されずに済んだ」と語ってくれた。
はじめに入った建物に並ぶ部屋は、鉄製のベッドが中央に置かれ、収容された人を拘束するための金具、そして排泄物を入れるための小さい箱もある。排泄物を床にこぼすと舐めるよう指示された。 |
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次の建物には、収容された人々の写真が並ぶ。赤ちゃんを抱いた女性、幼いこども…いくつもの部屋に、罪なき人々、理由なく拘束され命を絶たれた人々の顔が並んでいた。
流された地が床に残る独房、拷問の様子などを描いた絵画、実際に拷問に使われた道具が並ぶ部屋を次々と、当時のことを語りながら進んでいくチュン・マイさん。
何か、質問を…せめて、いたわりの言葉を…と思いながらも、彼にかける言葉はついに出てこなかった。 |
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チュンマイさんとともに |
キリング・フィールド |
ポルポト政権時、多くの人々が政権の固持のため大量虐殺された場所。
トゥールスレーン収容所から車で30分ほどの所にある処刑場である。
門をくぐるとまず私の目に飛び込んできた物は、正面の高い塔だった。かなり観光地化されており、辺りも見た目は穏やかな雰囲気なので、一見とても残酷な事が起こった場所に感じなかった。
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しかし、塔に近づいていくと、目を塞ぎたくなるような衝撃的な光景が待っていた。
ガラス張りの中には、掘り起こされた犠牲者の口頭蓋骨・大腿骨などがそのままの状態で上にまでびっしりと積み上げられていた。ほとんどの口頭蓋骨にヒビが入っているのは、棍棒で叩き殺されたからだという。 |
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その下には、掘りだされた犠牲者の洋服が山のように積んであり、全てが生々しく、トゥールスレーン収容所に続き、全てが衝撃的すぎて、ここでも独特の重たく、そして胸がギューっと締め付けられるような何とも言えない息苦しさを感じた。
線香をあげ、続いて裏の敷地へ移動した。何も知らない人が見たら、きっと木や草花が生えている平穏な景色にしか見えないだろう。しかし、そこには年齢、性別関係なく虐殺された人々の遺体が埋められた穴が至る所にあった。遺体が発見された穴の近くを歩いていると、人骨や、衣服の切れ端が、未だにいくつも目に付く。私が歩いていた下にも、未だ白骨調査が行われていない白骨が埋められていると思うとぞっとする。 |
虐殺の際に、出血を少なくするよう食事制限をし、そして泣き声など消えるよう、大音量の音楽を流し、それは行われた。悪臭と生き残りを防ぐためにDDTという殺虫剤も使われた。赤ん坊は両足を持たれ、この木に叩きつけられ殺された。 |
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本当に胸が息苦しく、心が痛かった。
その状況を聞いているだけで、ここで虐殺された人達の叫び声や鳴き声が今にも聞こえてきそうな感覚に陥った。 |
他に、木の枝で首を切ったこともあるという。実際にその枝を触ったが、枝の周りはノコギリの歯のようなギザギザで、表面はとても硬く、そして分厚かった。木でさえ殺しの道具になるなんて。何て残酷なんだろう。話を聞けば聞くほど、同じ人間とは思えない恐ろしすぎる事で、気が滅入いってしまった。 |
クメール・ルージュ裁判特別法廷 |
14:10〜16:10
午後に訪れたのは、プノンペンにあるクメールルージュ裁判特別法廷。 |
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案内してくださったのは、国連側スポークスパーソンである日本人広報官の前田優子さん。
この法廷は、2003年に国連の協力を得て設置された特別法廷である。2007年7月から本格稼働している。2審制をとっており、判事はカンボジアと国連からなるが、それぞれカンボジア側のメンバーが1名多い構成になっている。 |
本裁判では、訴追対象をクメールルージュ(ポル・ポト)政権の幹部senior leaderに限定しており、現在5名を拘束しているとの事。訴追対象者があまりに少ないのではとの質問があがる。政府とUNで合意されてるのはsenior
leaderだけなのです、との回答があった。ポル・ポト元首相はすでに死亡、また対象範囲を広げることで政権内部の旧クメールルージュ関係者の訴追を避けるためとも言われている。
そして実はこの特別法廷の運営費は、半分近く日本からの資金でまかなわれているそうだ。 |
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裁判に関し説明をうけた参加者からも
質問があがる。 |
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広報官前田優子さんとともに
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