カンボジア地雷撤去キャンペーン
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 2月24日(日)、25日(月) モンドルバイ村、カナダ地雷博物館訪問
2月24日
アンコール遺跡群観光
午前中、アンコールトム、タ・プロームへ
午後はアンコールワットへ訪れる。
2月25日
ツアー最終日、アンコールワット遺跡群の敷地内にあるモンドルバイ村へ訪れた。そのモンドルバイ村には日本のNGOが建てたモンドルバイ希望小学校がある。最初にその小学校を訪問した。ボップイ安倍小学校の時と同じようにCMC旗を高く掲げ小学校へ入場した。とても広いとは言えない校庭に子供たちが並んで拍手して私たちを出迎えてくれた。
この学校を支援しているNGOの代表の緒方さんもCMCの訪問に合わせて日本からやってきていた。
小学校開校以来きちんとした校舎建てたいとカンボジア政府に要請していたのだが、ここはカンボジア遺跡群。ここの村人はいつ強制的に追い出されるかわからないのである。そんな土地にすぐに取り壊しのできない建物を造ることが禁止されているため、小学校にきちんとした校舎が建てられなかったのだ。
しかし、緒方さんたちはそれを押し切り、土壁の校舎を完成させた。実に13年目にしてようやく念願がかなったのである。今日はその校舎の落成式でもあった。

希望小学校に入場

カンボジア国旗の掲揚
私たちCMCはこのモンドルバイ希望小学校にも長年にわたって支援を行ってきた。今年も支援金が緒方さんに手渡された。そして、子供たちからはCMCに対する感謝状が贈られた。

その後、我々ツアーメンバーがバスの中で練習を繰り返してきた「むすんでひらいて」と「鬼のパンツ」を子どもたちに披露した。子どもたちも私たちの振り付けを見よう見真似でかわいらしく踊ってくれた。

CMCより支援金が緒方さんに手渡される

子どもたちから感謝状を受け取る
一旦、学校の敷地の外に出て、モンドルバイ村を訪問した。ここは別名「チュンピカ村」と呼ばれ、それは「障害者村」という意味である。カンボジア政府が障害者、そのほとんどは地雷被害者を寄せ集め、人工的に作った村なのだ。アンコールワットに観光客が押し寄せるようになり、その景観が損なわれると言って数年前にこの村を強制的に山奥へ移動させようという計画が持ち上がっていた。それを日本のNGOが阻止し、村の移転計画はなくなったのである。
私たちはモンドルバイ村の中でも地雷被害に遭い、生活に苦しんでいる被害者のもとへ訪れ、米や醤油、野菜などの支援物資を手渡しで届けた。

チェムチョムロンさん(39歳)男性。政府軍兵士の時に被害に遭う。現在子供が6人おり、彼は無職だが、奥さんが町でヌードルを売り、家計を切り盛りしている。まだ2歳ほどの幼児がおり、その子にはお菓子も手渡された。

お米と調味料を手渡す

鬼のパンツ♪を披露するツアーメンバー

むすんでひらいて♪を子どもたちと一緒に歌う

子どもたちにお菓子のプレゼント

モンドルバイ希望小学校をバックに
ここの村に住む地雷被害者のほとんどは、職もなく厳しい生活を強いられている。隣では、裕福な観光客たちがこんな厳しい状況があるとは知らず、アンコールワットだけを見て帰っていく。なんとも悲しい現実である。これからのカンボジアを担う子ども達が元気に育ち、少しでもカンボジアがよい方向に向かってくれれば・・・そう願わずにはいられなかった。
ツアーも終盤、私達はアキラの地雷博物館を訪れた。CMCツアーメンバーが来館するということで,アキラ氏本人に出迎えられた。CMCがこれまで多額の支援を継続して行ってきたアキラの地雷博物館は、現在ではカナダのNGOの全面的な支援を受けている。
現在でこそアキラは地雷撤去の天才といわれ、過去に撤去した地雷の数は5万個といわれているが、もともと彼は地雷を埋める兵士だった。

大谷代表とアキラ氏

カナダ博物館の前で
初めて地雷を埋めたのは5歳のときだったそうだ。軍における命令が強制的かつ絶対的であったとはいえ、自分が埋めた地雷が今も多くの被害者を産みつづけていることにアキラは心をいためている。
アキラは金属探知機のような機械類を一切使わずに、地雷のありかを探し当てるそうだ。現在シェムリアップ地区全体の20パーセントの不発弾が彼によって撤去されたという。
アキラは地雷の撤去だけでなく、地雷被害者、そして戦争孤児の子供達のケアもしている。アキラは自らの子供二人に加えて、二十人もの地雷被害者の子を育てている。博物館の裏側はアキラの自宅スペースになっていて、そこには二十人の子供達の学校から寄宿舎までが建てられている。
最後に館内に張られていた英字新聞に書かれていたアキラの言葉をここで紹介したい。

“ I will do anything to make my country safe for my people”
和訳:「私はカンボジアの人々のためにこの国を安全にすることができるならばなんでもする。」
問題に対して直接的に行動を起こし、実績を残し続けるアキラの姿から、自らの姿勢、生き方を問われているような気がした。
無事10日間の全日程を終え、ツアーメンバーはカンボジアを後にした。
ツアーメンバーはそれぞれ、このツアーで感じたこと、学んだことを胸に帰国した。カンボジアの発展のため私たちにできることは何かを考え、一地球人として、これから行動に移していく所存である。



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