■ スタディーツアー感想 ■ |
山本由香里(第7次スタディーツアー 参加) |
私はカンボジアから帰って毎日のように、あの大自然とそこに生活している人々を思い出しながら過ごしています。この10日間は今までの旅の中で1番心に打たれた旅でした。今回、私はこれまでの自分を見つめ直すため、自分の将来に影響をもたらせてくれる“何か”を得るため、参加する事に決めました。 何日か前になるとやはり今までの旅行のようにワクワクした期待で一杯でした。しかし、実際に行ってみると、その想像していたすべてを裏切られた気分でした。そこはなんと表現したらいいのかわからない位の光景が広がっていました。木で簡単に作られた藁葺きの家、舗装されず砂埃が舞い上がっている道路、また、そこを子供や大人を何人も乗せて走っている数えきれないほどのバイク。その中で遊び回っている子供や、外で食事の準備をしている女性。このような土地に地雷がまだたくさん残っているのか・・・と複雑な気分でした。 私たちは、プノンペン(首都)バッタンバン(田舎)シェムリアップ(観光地)と全く違ったカンボジアを見てきました。初め、バスから降りたとき小さな子供からもう大人に近い子供までが手を差出し“1$下さい”と手を合わせてくるのです。この様な光景はこの後どの場所へ行っても見られ、日が経つにつれて慣れてきましたが最初はカルチャーショックが大きかったです。それを期に私はもの凄く≪人≫について興味を持ちました。 ゴミの山では大人も子供も関係なく、ひたすらに自分の目的の物(アルミ・瓶・缶・生ゴミ等)の収集に務めていた。その人達はそれをお金に換金し、1日1$程の収入で毎日を一生懸命に生きていました。裸足の子供、ボロボロの服を着た人々、蝿が顔に何匹もとまっているのに払おうとしない人々・・・。私は呆然となり、衛生状態・健康状態は管理されているのか心配でなりませんでした。またバッタンバンでは、町の通沿いのお菓子屋さんで買い物をしていると、松葉杖で片足のない見るからに貧しそうな人が店の前で物乞いをする姿を目撃しました。店主がどのような対応をするのかと思いじっと見ていると、快く100リエルを帽子の中に入れていました。私は、同情の気持ちと共に今でもこの様な国がまだたくさんあるのだという現状を突きつけられました。観光地であるシェムリアップでは、アンコールワットの出入り口に大勢の子供が集まっていて“オニイサン、ハガキヤスイヨー、カメラ9$ヨ!”“オネエサン、キレイネ。コノシャシンイカガ !”とやって来るのです。また、おそらく地雷によって手、足を無くした人々でしょう、集まってきては観光客に対して物乞いをするのです。このような人々を見ていると、おそらく将来と言うより明日の食事、又は今日の食事の為に一生懸命頑張っているように見えました。しかし、このようなカンボジアばかり見ていたわけではありません。カンボジアの子供たちです。何とも言えないくらい素晴らしい笑顔、必要な教材も揃わないからこそ生じてくる勉強に対する真剣な眼差し、また強い生命力を感じさせてくれるキラキラとした瞳。屋台で出会った14歳の少女。彼女は、≪日本≫についてものすごく興味を持ち、私が帰ろうとするのを引き留めるくらいでした。このような人々に何をしてあげられるだろうか。地雷で片足を無くしてもいきいきとして、学校に行き技術を学び仕事に取り組んでいる人たちに何が出来るだろうか。地雷のまだある地に住居があり、村があり、人が生活している。家族を亡くし、家畜を亡くした人々もいる。このような現状と、原因を忘れてはいけない。少しでも良くなるように努めるのが私達の務めではないでしょうか。店で何か買ってあげる、後ろを付いてくる子供たちに物をあげる、それも1人で出来る援助の方法かもしれません。しかしそのような事では解決しません。“カンボジア”という国全体の、もっと大きな問題ではないでしょうか。わたしは、今回のスタディーツアーで多くの事を学びました。“日本”という小さな枠にとらわれず“世界”に目を向けることの大切さ。メディアだけの情報だけでなく、実際自分の目で見ることの大切さ。自分の生き方と、その国の人々の生き方との違い。これからの人生において間違いなく影響を及ぼしてくれたこの10日間。本当に感謝で一杯と共に自分の中にめばえた新たな気持ちを忘れないように頑張りたいと思います。看護婦になったら違った形でまたカンボジアの笑顔に会いに行きたいと思います。
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