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VOL 4 後を絶たない地雷・不発弾被害 @

カンボジアでは戦争が終わった今でも地雷・不発弾による新たな被害者が出続けている。今後数回にわたり、彼らがどういった経緯で被害に遭ったのか、また、被害に遭った後の状況はどうであるかを報告していきたい。


火薬を除去した地雷。
左からPMN、 MD82B、PMN−2

発見された対戦車地雷(2007年1月)


写真上、右:発見された不発弾
(2004年 CMCボップイ安倍小学校脇にて)

モア・ラタナック君  10歳


川沿いで遊んでいる最中に手に持っていた不発弾が爆発。右手首よりさき、左手中指・薬指を切断。右目は失明し、左目もほとんど見えない。

地雷や不発弾の事故は都市部から離れた田舎、特に国境付近で起こることがほとんどだが、モア・ラタナック君(10歳)はカンボジア第2の都市、バッタンバンの中心部で事故に遭った。
事 故が起こったのは2007年1月7日午後2時半ごろ。その日、学校は日曜日で休日だったので、友達と家から1キロほど離れた川へ泳ぎに行った。そして川沿 いで友達と遊んでいるときに、マイクのようなものを見つけ、それを手に持って遊んでいる最中に爆発した。それは不発弾の信管だったのだ。
写真右:
回復した左目も光を感じることしかできない
事 故直後は意識こそ失わなかったが、不発弾の破片が両目を傷つけたために、何も見えず、ただ大勢の人が周囲に集まってきていることだけが分かったという。そ して事故を聞きつけた警察官が彼をバイクに乗せ、病院(エマージェンシー)へ搬送した。一緒に遊んでいた友達(12歳)は足に軽傷を負った。
爆 発により彼の右手、そして左手の中指・薬指は吹き飛ばされた。また、右目は失明し、左目もほとんど見えなくなった。病院に搬送されたときは両目とも何も見 えず、医師から「この子の眼が光を取り戻す可能性は5%だろう。」と言われたそうだが、現在では左目が光を認知できる程度までは回復した。

それから1ヶ月ほど入院したが、退院後も失明した右目が時々膿んで痛むという。また、右腕の損傷箇所も少し痛く感じるという。

ラタナック君とお母さん

ラ タナック君の家は7人家族。両親は離婚し、母親が雑貨を売って家計を支えている。母親は事故当時のことをこう振り返る。「事故の後、近所の子供から息子が 事故にあったことを聞きました。そのときはすでに息子が病院へ運ばれた後だったので、私は直接そこへ向かいました。はじめ、息子の傷はたいした事ないだろ うと思っていました。しかし病院に着き、全身に傷を負って出血し、今まさに傷口を縫われている息子の姿を目の当たりにして頭が空っぽになりました。本当に 信じられなかったです。」

爆発直後、ラタナック君は自分に何が起こったのかよくわからなかったが、ただ母親にぶたれることを心配したという。

彼は現在小学2年生。事故前は学校に通っていたが、今は目が不自由で授業についていくことが困難なため、学校には行っていない。もし目が見えるようになっ たらまた学校に行きたいと言っているが、家は貧しく治療費がないため、難しい。今一番楽しいことは近所の子どもたちと遊ぶこと。また将来はコンピュータを 勉強したいと言っている。
写 真は事故現場。ここはバッタンバンの都市の中心部に位置し、川の両岸にはたくさんの建物が連なっている。また、毎日川には多くの子どもたちが泳ぎにやって くる。このような場所で事故が起こるなどとは誰1人予想できなかっただろう。地雷や不発弾は川の上流から流れてくることもあるのである。都市部でさえ、い まだ安全地帯とは言えないのだ。

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